Rock
          Bruce Springsteen / Born To Run (1975)  
   『 裏通りに身をかくして 』

 

 ハーモニカが静かに鳴りはじめ、やがて繊細なピアノと、抑えてはいるがしっかりした歌声が、音を奏ではじめる。スプリングスティーンの「明日なき暴走」は、こうして幕をあける。

 それまで自らにつきまとっていたイメージ(デビュー時レコード会社は第二のディランとして売り出そうとした)を一変させ、力強い確信に満ちたこのアルバムは、しかし決して特別な場所や華やかな世界を歌ったものなどではなかった。ここで繰り広げられた世界は、非常にリアルな重みをもって現実の中に生きる、無名の幾多の若者の、たくさんの夢や挫折の物語だった。

 都会の片隅にうずくまりながら、どうしようもない孤立感やはちきれんばかりの暴走願望を抱え、うまくいかない日常や怠惰を呪いながら、破れかけてもなお爆発する生(と見え隠れする死)への欲望。うなりをあげて躍動する、もっとも輝かしい瞬間と、そしてもっとも暗い様相の幾つか。

 主人公(たち)は、いつかこの日常を変え、こことは違うどこかへ思い切り疾走することを夢見ている。他の誰かとは絶対に違うと思っていた自分たちが、実は他の誰とも少しも変わらないことを知ってうちのめされ、(恋人になりえなかった)女友だちと、ただただ裏通りに身をかくし、この感情をどうしていいか分らずにいたりする。

 街にうごめくそんな大勢の若者たちの姿を、等身大の生身の言葉で捉えた歌詞は、それまでないくらいリアルなストリート感があった。彼らは今日もビルの上の狭い空を見上げ、街角でうつむき、そんな自分の若さをどうしてよいか分らないまま、いつか今とは違う自分になれると信じている・・。

 それまで一介のローカル・ヒーローでしかなかったスプリングスティーンが、自らの確信と鉄壁なバンド・アンサンブルに、的確なプロデュースを得て作り上げたアルバムは、だからこそ同時代の若者達に熱狂的に受け入れられた。躍動感と疾走感に満ちながら、同時に静謐感に溢れたアルバムは、スプリングスティーンの声を通して歌われた、「ぼくやあなたや彼ら」の歌でもある。

 多くの人間たちが行き交う街は、今や夜の闇に覆われ、一日が終わろうとしている。どこかでパトカーのサイレンが聞こえ、酔った若者が吐き、少女は戻ってこない恋人をいつまでも待ち続けている。そうやって、まさに今この時を紡ぎながら、ストリングスの深い余韻を残して、アルバムは静かに幕を閉じる。

 それまでのロック20年の歴史を、たった一枚に凝縮させたこのアルバムは、様々な言葉で形容されもした(もっとも有名なものは、ジョン・ランドゥーの「ロックン・ロールの未来を見た」である)。ただ、何と言われようとこのアルバムは、裏通りに身をかくして震えていた、痩せた生身の若者の、夢と挫折と疾走の物語なのだ。