知床横断道




###

オジさんが「バイクで北海道」の話をするんだから、かなり昔の話だ。
学生の頃。
貧乏学生は、学業よりもバイトを優先し、バイクを維持していた。(よくある話だ。)
北海道ツーリングは流行っていた。行きたい。でも行けない。
タダじゃないんだから。

そんな私にうってつけの、うまい話があった。
夏休みの間、一ヶ月程度、北海道に住み込みのアルバイト!。
北海道を走れて、しかも儲かる。
すばらしい。

仲間内でも話題になり、幾つかの手が挙がったのだったが、やはり実際に行くか?となると。結局、実際に参加したのは、私を入れて二人だった。

さて、この住み込みバイト、やってみるとすさまじ、もとい、面白いこと!という話では、今回はなくて。

バイトの後に、数日、北海道を走りまわったのだが、その中で、一番印象に残った、知床の話である。


###

もう随分前のことなので、ツーリングの詳細はよく憶えていない。
知床へは、南側から羅臼方面に登って行った。
左側は上に登る斜面、というかガケ。右側もガケで下は海。
当時でも結構混んでいた。観光バスなんかが、全体の流れのペースを落としている。

と、後ろから対向車線をスッ飛んでくるのは、元気の良いCBR400F。
我々を追い越し、次の左のブラインドカーブに、対向車線を走ったまま突っ込んで行く。
対向車が居たら一巻の終わり、というタイミング。
「自殺だよな、ほとんど。」
そんなことは印象に残っている。
そんなことではなくて、もっと印象深かったこと。
知床の自然は、ものすごかった。


###

もともと、北の自然というのは、環境に恵まれた爛漫さのようなものはあまり感じさせない。厳しさに戦い順応しながら、辛うじて逞しく生息するものの強さ、束の間の夏の、はかなさ美しさ、そういった見栄えがするものだ。

知床も、基本的には同じに見えた。
でも、それだけではなかった。

長い時間をかけ、逞しく、渦巻き、戦い、混ざり、ものすごい生命感を醸し出していた。

狂っている。
その位、すごかった。

それは、人間の手が入らない、微妙なバランスがそのまま、燃え上がった結果のように見えた。

それを右に左に目の当たりにし、おののき驚きしながら、よく整備されたアスファルトの上を走りながら思った。

こんな所に、道路作っちゃっていいのか?。


###

北海道に行くと、バイクはみな仲良しだ。
ピースサインなんかもしちゃうぞ。(笑)
さっきの、自殺志願と思しきCBR君のようなのも、仲間扱いだ。
「知床のコーナーはいいっすねー。」
(笑)オジさんになった今も思うのだが。わざわざ北海道まで行って、路面しか見てないのかオマエは・・。
ミツバチ君はたくさんいた。種類もいろいろなのであった。


###

当時、私はバイク初心者だった。
ロングツーリングも、ほぼ初めてだった。
それが、この旅程をこなせたのには訳がある。

この紀行を私と共にした彼は、学年は同じだったが、バイクに関しては先輩だった。既に原付から始まるキャリアがあり、知識や経験も持っていた。

その上、北海道にも特別な思い入れがあったようで、当初から、目的候補地と道順などが、すらすら出てくるようだった。コースの選択や宿の手配など、結局、彼が全てやってくれた。
いや、やらせてしまった。
私という連れは、全く迷惑な奴だったと思う。何んにもできないのだ。ただ付いて行くだけ。(笑)
今も時々思い出しては、申し訳なく思う。
全く、私がかの地を楽しめたのは、彼のおかげなのだ。

彼は、この後も毎年、北海道に出かけていた。
そして卒業後、北海道の会社に就職した。


###

知床が世界遺産に登録されたそうだが。その素晴らしい遺産をのして道路作って、排ガスぶりまいてるんだから、ちと矛盾は感じる。

あれからずいぶん経った。今の知床はどうなっているんだろうか。
見たい反面、見たくない半分。

まあ、どうせ仕事に忙殺される身、行けはしないのだが。(沈)
今、私はオジさんになって、知床は、遠くなってしまった。


ombra 2005年 12月

→ サイトのTOPに戻る

© 2005 Public Road Motorcycle Laboratory