MOTO GUZZI GRISO


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手持ちの機体にある程度、満足なり愛着なりが持てていれば、新しい機種にはあまり興味が湧かなくなる。まあそれで十分ではあるのだが、反面、新しいものに触れ、吟味する余裕も欲しいなと思う。

という訳で?、いま一番、意味、もとい正体不明の機種に触れてみた。

新生MOTO GUZZI の刺客、「謎のストリートファイター」(笑)GRISO である。


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 ショップにて

写真で見た感じでは、相当に大きい車体を想像していたのだが。実物はそれほどではなかった。

まず、妙に無機質で、ゴツゴツしたブロック感を放つエンジンが目に入る。これに続く極太のスイングアーム辺りが、視覚的にアピールが強い。チェーン、スプロケなどの細かい動作部品の露出がなく、「ぶっとくズドン」で終わるバイク離れした力強さは、近未来的なイメージさえ抱かせる。

その反面、上に乗る外装は、意外と繊細で優しい印象だ。その間を流れるフレームの銀のラインが、剛柔の仲立ちに一役かっている。

前輪周りは、黒いホイールに太いタイヤ、倒立フォークで引き締まって見える。

全体に、強さと繊細さ、優しさが、きれいに同居できている。

・・いいじゃないか、意外と。

これなら、乗り手の年齢や、タイプを縛らないだろう。アパレルなどの適用範囲も広そうだ。誰にでも気兼ねなく楽しんでほしい、そんなデザイナーの意志を感じる。

造りも悪くない。製造精度の印象は、しっかりと当代レベルである。新型が、コストダウンを目に見せる度合いを深める例も多いのに、対照的だ。


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 ショップにて

またがってみる。

ハンドルは広めで、ちょっと低め。タンクが結構、視界に入る。上面が平たくて面積が大きいので、実際より強調されて見える。前方を眺めると、無愛想なメーターが一つ、遠くに鎮座している、だけ。前方視界は悪くない。

着座位置、重心ともに高めだ。ステップ幅も狭くないので(タイヤ、シャフト共に太いので、ステップを外側に押しやる由)、足付きはいい部類ではない。私のようにcosyでtinyな方だと、足場が悪いと不安かもしれない。しかし、広めのハンドルが安心材料に効いていて、怖いほどではないと思う。ライダーを突き放すような無愛想さは感じない。

取っ付きやすく、まず慣れてもらって、その後、欲が出て来たら、ハンドルなんか換えちゃえばいい、か。

なるほど、うまくできている。


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エンジンをかける。

ルルル〜なんて、おとなしいアイドリング。ブンと吹かしても、ほとんど傾かない車体。普段、バイアスルマンに接する身としては、その造りの良さは隔世の感がある。
すごいなあ・・と遠い目をする古い自分は路傍に残し、走り出す。

まずブレーキ。良く効く。
フレームも予想以上に強い。実用レベルでは全く問題ない。

重心が高めで、ホイルベースが長い車体。ハンドリングは、キャスターが立っていてオフセットが少ない印象。寝かし込みの初めでニュルっと切れて、その後はあまり来ない。妙に切れ込む、など変な癖がある訳ではないのだが、ちょっと印象が悪い。しかしこれは、サスが新品でほとんど動いていないのも効いていると思う。サスに当たりがつく頃には乗り手も慣れる。荷重移動のような制御を自然にするようになるものなので、好転していく類の印象だろう。それまで、雨の日はちょっと気を使うかもしれない。

しかし、浅いバンク角からよく曲がってくれる。運転はし易い。
「グッチは立ちが強い」などとは、もう言われないだろう。

エンジンの調教は、本当によく頑張ったと思う。低回転でのツキ、吹け上がりの臨場感、パワーの絶対量と制御性、クルージングのコトコト感、あらゆる面でよく配慮されたセッティングだ。どんなステージでも、エンジンの存在感と制御感をすがすがしく楽しめる。こういう全方位的なセッティングは、日本のエンジニアがやると、乗っていてもその苦労がしのばれてしまって、胃が痛くなって来たりするものだが(笑)。すっきりと、みずみすしく乗れてしまうのは、さすがイタリアンテイスト(?)である。燃調はちょっと濃いめのような気がした。燃費は悪いのではなかろうか。もしそうなら、ドカの方が、インジェクションの技術としては、まだ進んでいるのかもしれない。この辺りは、実際が判明したら、またレポートしたい。

リヤの駆動周りの機構は良くできている。リフトなどまるでせずに、車体をグンと押してくれる。ただ、トラクションをカツンとくれた刹那に、リアアクスルが「迷う」ような感じが伝わって来るのは、少々気になった。といっても、操作に支障が出るほどでは全くない。シャフトであることなど気にせずに、パワー・トラクションを楽しく操れる。

造りの良さは、操作感にも現れている。手に足に触れるインタフェイスは、軽くて確実なタッチを伝える。特にミッションは節度もあり好ましかった。低くて広いハンドルは当初、スポーツ、クルージング、街乗りのいずれにも違和感がある。しかし、着座の自由度が高いので、フィッティングポイントを探すのは難しくない。体格や乗り方に関わらず、乗り方に迷うことはないだろう。むしろ、いろいろできそうだ、という期待を持たせる感触だ。

乗り終わって、反芻してみる。

見た目もそうだが、乗った感じも、予想と違った。意外とちゃんと作り込まれた、真面目な機体だった。


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GRISO で感じたことの、ニュアンスを伝えるのは難しい。

だめもとで、妙な例え話をしてみたい。

皆さんは、食器を自分でお選びになることがあるだろうか。
皿とか椀とか。
いえね、私も妻に仕込まれたクチなのだが・・。

日々に食う料理など、そうそう変わるものではないと思う。

しかし、皿などを換えてみると、上に乗るもの(料理)は一緒でも、食卓の風景が一変する。色、形、柄、そんなものの組み合わせではあるのだが、彩りが添えられたり、華やいだり、和んだり、落ち着いたりする。

ブランドがいい、骨董がいい、いろんなことを言う人が居る。しかし、そういう、モノ本来とは別の価値では、実際面での効果はかえって得にくいものだ。

真新しいけど、日々の暮らしに使い心地が良く、何にでも合う皿。
実は、これが一番、難しい。
作る側のプロとしても、一番の腕の見せ所じゃないかと思う。

だから、そういう皿を見つけ、気に入ってしまうと、もう手放せない「オレの一枚」になったりするのだ。

所詮は量産品である。同じものを持ってるヤツも数いるだろう。だが、そんなことは関係ない。この皿で食う料理が、共に飲む酒が、今、うまい。ダイレクトに幸せだ。

GRISO は、これと同じような感触がした。

真新しくて、あまり馴染みもないはずなのに、日々の暮らしに溶け込みそうな、ひどくリアルな存在感。

そう、乗ってみるとGRISO は、「謎」などでは全くなかった。
地に足が着いた、妙に現実的な代物だった。


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全くMOTO GUZZI の良さというのは、実直さと提案性のバランスだと思う。

街で、高速で、山で、生活でバイクを楽しむというのは、こういうものが良かろう、そういう価値観をはっきり持っている。その枠組みの中で、様々な提案を組み合わせ明確化し、具現化した製品群を送り出して来る。

MOTO GUZZI の機体たちは、エンジン形式が同じだったりで、どれも似かよって見える。しかし乗ってみると、それぞれがかなり違う答えを返してくることが多い。方法論は違っても、目指す所は同じ、公道で楽しむ道具としての熟成だ。地に足を付けたまま、高みに手を伸ばそうと努力しつづける実直さ。しかもその手に掴むのは、ラテン的な「ダイレクトな愉悦」なのである。そういう意味で、GUZZIはやはり、どれも兄弟なのだ。今回GRISOに触れてみて、私は改めてそう感じた。

GRISOは、見ても乗っても新しい。従前のイメージでは理解し難いだろう。しかし公道バイクとしては、今や貴重な新提案と言えそうだ。デザインから走行感までのあらゆる面で、楽しみを感じられる道具として光っている。街中から高速を抜けて、峠を走って帰って来るような、一般的なツーリングのシチュエーションに、設定域がドンピシャだ。(小さなウインドスクリーンのオプションもあるらしい。)

しかし、こういうモデルというのは、まず自分が感じる愉悦に正直である余裕があって、かつ、そのための道具を選ぶ冷静な選球眼を合わせ持つ、ラテン的な感性を内包できている人にしか選ばれない。典型的なスポーツ/ツーリングといった「イメージ」がまず欲しい方や、雑誌や仲間に褒めてもらわないと不安な方には、(相変わらず)アピールしにくいだろう。

折角まっさらの新車に乗せて頂いて、輸入元には申し訳ないのだが。 多分、GRISOは、日本では売れないだろう。
ちと高いしね。



ombra 2006年 3月

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