技術について


技術的なトピックについて、無理くり、ひとコラムにまとめてみました。
ちょっと長いんすけど・・。

項目リスト

ハブレスホイール
夢のNR
エミッション
エアクリーナー容量
db1の三つ又
ショップの技術力
新幹線の原理
熱力学
波という考え方
エネルギーを使う、ということ





### ハブレスホイール

Tesi やK1200Sのインプレで、ステアリングヘッドや重心が低いと良い、というようなことを書きましたが。
低けりゃいい、というほど簡単な訳は無いのだが、やはり、作用点と支点が離れていると、ねじり感があって気持ち悪いもんで。
だったら、作用点を直接支持してまえばいいやん。
と、同じことを考える人というのは居るものなのです。


ライダースクラブ誌 No.135(1989.5.12) より

この、変な所から顔を出しているおじさんは、Franco Sbarro さん。スイスの工房、SBARRO MOTTAS ENGINEERINGの社長さんです(でした?)。
ハブレスホイール、名前の通り、バブがないホイールです。タイヤの作用点は接地面なので、そこに近い所を支持してやるのが合理的、という発想で、リムを直接支持する構造を取っているのです。


ライダースクラブ誌 No.135(1989.5.12) より

↑足周りと車体本体は、こんなに低くできる!。
(これ以上、低くできない?。)
写真のモデルとは別に、本当に接地面近くをアームが掴む構造も、構想されていたようです。

同じ二輪と言えど、普段触れているものとは、何かもう全然違うものになりそうで、すごく面白そう!。
しかしこれ、随分前に雑誌に出たきりで、その後の動きは不明。
ダメだったんですかね・・。
でも、こんなのを見てると、もっとバイクを面白くできそうな、そんな技術的な展開が、まだ足元にあるかもしれない。
そんな気がしてきませんか。


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### 「夢のNR」


ライダースクラブ誌  1985.10 No.88 表紙

はじめはGPレーサー。
結局、タカズミを苦しめただけだった「あれ」。

「NRは乗りやすいバイクだった。あたりまえだよね、パワーないんだもん。
 勝てなかったこと以外、オレは苦しくなかったよ。
 むしろ、いい勉強になった。」
(ライダースクラブ誌 No.210 1992.6)

次は750ccになってルマンに出場。
これも結局。

当時のライダースクラブ誌。何度も組まれる特集記事で、ネモケンは繰り返し、その素晴らしさをまくしたてていた。しかし、実際に触れることは不可能、という意味で、我々読者が得るものは何もない。結局、ただのイメージCM以外の何物でもなかった。まるで、部長のご機嫌取りに懸命な、できない課長の背中でも見ているような、嫌な気分だった。
「オイシイのはお前だけじゃねえか。」

そして最後は。
超高価な市販車。
す〜ばらしい仕上げを施すことで、安く造ることを放棄したのがいい仕事だ、というなら、普段売っている市販車は何なんだろうか。
肝心の走りもパッとしなかった。オーナー様がみなさん、ゆっくりお大事にお走りになるのはわかるが、端から見た限り、動特性はまんま「デブなVFR」だった(横幅があるからね)。あのエンジンの「何がしか」を発揮した走りには、お目にかかったことは、ついぞない。
もし今、あれが調子が悪くなってしまったら、誰か直してくれるのだろうか。
さらに。市場にはまだ新車がある。10年落ちの新車。
バブル祭りの残渣が「夢のNR」の結末だった。

楕円ピストンの開発にかかった労力、金額、時間、かなりだったろう。
しかし、メーカー自身が、それを「夢を追いかけるあくなき姿勢」のように自画自賛するのはおかしい。その開発を支えた資金は他でもない、我々ユーザーが支払った、車両代金だったはずなのだ。(四輪ユーザかもしれないが。)なのにNRは、結局、我々一般ユーザーのために残せたことは、全くと言っていい程なかった。つまり、楕円ピストンは「ぼったくり」だった。

ちゃんと評価されるべき技術開発、ユーザーにもメーカーにも、本当に意味のある技術の開発というのは、こんな放漫な仕事ではないはずだ。

そういう意味でNRは、ジュノオやMVXなどとは根本的に違う類の「間違い」だったと思う。それが、いまだに美談として語られることに、私は強い違和感を禁じ得ない。

しかしまあ、この先、NRのようなトライが再びされることは、もう二度とないだろう。こんな機械的な所で面倒な工夫を試みるより、チップ制御を深めた方が、簡単に安く、短期間に結果が出せるのだ。
そう思うと、これも「遠い悪夢」で済むのかもしれない。


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### エミッション

クルマの方では、エミッション技術が盛り上がっている。
ハイブリとか何とか。
しかしこれ、どうも、技術トレンドのための、方便のような気もしている。

一つ前のトレンド、安全技術がそうだった。
「当社のクルマは皆、安全ボディです」と、リッターカーと大型四駆が併走するCMがあったが、そいつらをぶつけてみれば、リッターカーだけが一方的に大変危険だろう事は一目瞭然だ。安全性は以前より高まったのは事実だとは思うのだが、実質的にそれが役に立つかどうかは別、ないしは疑問、という場面が多いように思った。

エミッションも、例えば、排ガスが汚いクルマでも、少ししか走らない人ならインパクトは低いだろうし、逆に、いくら高エミッションでも、無闇な大排車なら説得力がない(利ざやの大きい大型車を売る方便に見える)。そういう、実質に鑑みない議論が多いように思う。効果の実証面での議論も、ほとんど見かけない。

さて、バイクのエミッションだ。
これは、どう考えたらいいだろうか。

燃費が良くなること自体は大賛成だが、2ストが駆逐されたのは残念至極だ。まあ、これは今は置いといて。(笑)

エミッション効果の評価として、費用対効果のような考え方をされると難しいかもしれない。バイクは遊びだ。遊びの「効果」は測り難い。

乗員の定員が少ないので、一人あたりの消費/排出量、のような考え方をされても、不利かもしれない。

適当な理由による排斥や増税、メーカーのもうけのネタといった低次元の議論にとどまらない、実効的な仕事となるよう、こなしてもらいたい、いや、こなしたい、と思うのだが。

そういう「悪い方の動き」がないように、状況をしっかりウオッチしていく必要はあるだろうと思う。

みんなもね。


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### エアクリーナ容量

昔むかし、雑誌の新型バイクの紹介記事などで、写真のキャプションに必ずあった一言。
「エアクリーナーは?リットルの大容量を誇る。」
最近、見ないですな。
勝手な推測ですが、これ、燃料の供給が、インジェクションになったからではないかと。

昔はキャブです。CVキャブ。これは、吸気の圧力差でスロットルをコントロールする。だから、キャブの入り口の圧力を大気圧に近く保持することは、セッティング上、重要なポイントだった。建物の空調の設計で言う、全圧とか静圧とか、そんなのと同じ。電気回路に例えると、グランドをしっかり取るとか。そんな意味合いがあったのではないかと。

エアクリーナの容量が大きいと、エンジンの回転数(吸気量)などの外因にかかわらず、キャブ入り口の圧を一定に近く保持できる。これは、優れたエンジン特性(の再現性/安定性)の条件だったと。

インジェクションなら、こんなの不要です。インマニの圧や温度をセンシングして、それに応じてガス吹いてやればいいだけ。吸気は量と温度さえ確保できればいい。取り入れ口をカウルに開けてラムエアとか、そんな理屈になる。

だから、今のバイクはみんな、カウルに口が付いている、と。オジさんとしてはNASAダクトなんかに憧れちゃうんだが。いや、導入管が一度絞ったディフューザ形状だったりすると、もう完璧。音速越えても吸気ができるぞ!。(笑)

えー、話を戻して。

エアクリーナの容量の記述がなくなった理由・・。
いや、バイクをスタジオに持ち込んで、バラして細かい写真を撮って、いちいちキャプション付けて出すような、マメな雑誌がなくなっただけかな。

まあ私には関係ない。愛車はVMキャブだもん。右手によるPIDクローズループF/B制御、つまり「勘と慣れ」・・。(笑)


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### db1の三つ又

 当時のカタログより資料画像。


キャスター角とは、フォークの角度ではなくて、ステアリングヘッドの角度を言う。
まあ大概は、フォークとステアリングヘッドは平行なので、実質、どっちでもいい。
しかし少数、例外がある。
例えばdb1。
キャスター角より、フォークが微妙に立っている。
加工にはきっと相当カネがかかる。それを惜しまずやってるのがスゴイんだよ!と何度も聞いた。
サスペンションのストロークに対し、フロントのアライメントが変化しにくい、とどこかで読んだような気がする。
しかしだ、もしそうなら。
それって、ステアリングヘッドと、フロントアクスルのジオメトリがパラメータですよね。
トレーリング(リーディング)アクスルと、何か違うんだろうか?。
(Δθ分の応力差と、ステア系の回転モーメントは変わるだろうけど・・。)


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### ショップの技術力

物凄い改造を頼んでいた機体が「できた」というので、指定の日時に、店を訪れた。
大枚かかった機体は、確かに、期待通りに、迫力を増した外見に変わっていた。

いいねえ。
しかし、まだ動かない。詰めの整備が済んでいないのだ。

「すいません、すぐ終わりますから、少々お待ち頂けますか。」
・・・仕方ない。作業を傍らで見守る。

しばらくして、最後の外装が取り付けられ、いよいよ始動の時が来た。
セルボタンを押すと、バーンと一発始動!。
ではない。

何が起こったと思います?。

ホーンがなった。
セルボタンで、ホーンが鳴ったのだ。

「ピー!」
違います。

「プ、ププ、ップワ。・・プワア〜!」
・・・臭う?、オレじゃないよん。(笑)

カスタムのメニューに「尻の穴」はなかったはずだが。

外装が取り外され、しばしの調査の結果、電装のグランドが浮いているらしい、とわかった。端子を磨いてテスター当てて、大丈夫!、となり、また外装が取り付けられる。セルが回り、しばしのクランキングの後、エンジンに火が入る。

「バン!ズドン!グワ〜ン!」
ん〜いい音・・。

いえ、違います。

「バン!バスン!ボン!ドカン!・・」
もの凄いバックファイア。

外装が外され、しばしの調査の結果、キャブが悪いらしい、とわかった。キャブを外して掃除して調整して、大丈夫!、となり、また外装が取り付けられる。

「バン!ズドン!ズグワ〜ン!」
ん〜いい音・・。

簡単に試乗をする。

細かい調整を行うため、再度、外装が外される。
その間に、支払いなどの残務を済ませ、やっと引き渡しとなった。

もう、夜遅くになっていた。
帰ろう。
「それじゃ、どうも!」
走り出す。

ん〜、やっぱスゴイよ、いいわこれ!。

いーえ、違います。
とどめがあった。

ウインカーが左右、逆に点灯する。
どうも、最後の調整の後、カプラーをつなげ違えたらしい。
直すには、また外装を外さねばならない。
店は、出た時にはもう、閉めの準備をしていた。
今、戻っても、開いているかどうか。
・・・仕方がない。帰ってから自分で直そう。

店に行く時に足になってもらい、その後も見物していた、付き添いのバイク君に先導してもらい、ウインカーを使わずに、何とか帰り着いた。

妙に疲れた。

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有名な「技術力の高いカスタムショップ」での実話である。
(付き添いバイクがワタクシ。)

「こんなすっごいカスタムができるくらいだから、基本整備は自動的に付いてくるものだ」と思っちゃってませんか?。

違うみたいですよ、どうも。
気を付けましょうね・・。


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### 新幹線の原理

新幹線ができて、以前より遥かに速く、遠くまで行けるようになった。
確かに、不意の用事(不幸とか)などの折には、ラクになったな、と思う。
しかし実際は、そういうケースは少数なのでは、とも思う。

新幹線の車内で、乗客を眺め回してみれば、ほとんどは出張途中のサラリーマンである。彼らは、新幹線が速くなった分、早く帰って、ゆっくりできているだろうか?。いや多分、遠くまで出張に行ける(行かされる)ようになっただけだ。

技術の進歩が「効率」は上がても、それはいつしか「普通」になる。
そのうちに、意識すらされなくなり、結局、直接には豊かさをもたらさない。
「技術の進歩が、幸せに(直接は)貢献しない矛盾」を、私は勝手に「新幹線の原理」と呼んでいる。

他にもいろいろ例はある。

クルマのデキが良くなって、女性やお年寄りでも乗れるようになった。
一見便利なわけだが、それが前提になると、公共交通が減ったりして、体調が悪かろうが年寄りだろうが、クルマでないと買い物も病院も行けない。かえって不便になる。

安価で高性能な電動工具。とりあえず、現場の作業はラクになる。
けど、それが前提になると、納期は減って、実質の手間賃は下がる。
また、仕事の仕上げは粗くなるので、旦那の側にも文句が出てくる。

とまあ、話はいろいろできるわけだが。

さて。バイクの場合はどうだろうか。


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### 熱力学

学生の頃、科目の一つとして習った、熱力学。
「エネルギーは散るだけで、なくならんものだ」なんていう、中国の故事かインディアンの伝承みたいな、妙に具体性の無い論理体系から始まる教科だったように記憶している。

しかしこれが、数式をこね回していると、いろんなことが見えて来るという、面白い科目でもあった。
「風が吹けば桶屋」方式で、簡単に結論だけ並べると・・・。
 ・エンジンの出力は、吸気と排気の温度差に比例する。
 ・エキパイは、エンジンから出てすぐに、急角度で曲げると良い。
 (ってのは、熱力じゃなかったかな・・?)
などなど。

さて、ここで問題です。

蒸気機関てのがありますね。シュッポッポ〜、のあれ。
あれが、最大トルクを発生するのは、何回転でしょう?。
(何となく、感覚的に推測してもらってもわかりそうにも思うが・・。)

答えは!?。
0(ぜろ)

「蒸気機関というのは、お湯を沸かして蒸気で動かすわけですから、扱いとしては大変に煩雑なわけです。しかし、エンジン特性として見ますと、ここで解いてみましたように、最大トルクはゼロ回転で発生し、回転に従いトルクがゆるやかに下がる、馬力の方は回転数に依らず一定を保ちます。実用的に見て、大変に扱い易いエンジンなのです。」

ピーキーで馬力が高いエンジンの方がカッコイイ、なんか思わされていた、当時の私のお子様アタマに、ガーンとくる解説であった。

確かになあ。
発進ラクだよなあ。
クラッチいらないしなあ・・・。

機械的、熱的に、良いエンジンとは、どういうものだろうか・・・。
PV線図なんか眺めながら唸っていた、懐かしい日々の話である。

さて、近頃、巷の話題は電気自動車やハイブリッドである。
モーターになった場合、トルクや馬力の特性はどうなるんだろうか。
そういえば、モーターの形式と、特性・特徴なんてのも習ったなあ。
(電磁気学だったかな・・。)
制御と効率は、両立できるんだろうか・・・。
少しは勉強しとかんと。

いきなり電気バイクなんかあてがわれて、うろたえたりしたらカッコ悪いでっせ!。


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### 波という考え方

物事の捉え方にもいろいろあると思うが、波、という考え方は、実に様々な示唆を与えてくれる。
といっても、そう難しくはない。学生の頃、物理が大嫌いで、卒業と共に教科書を火あぶりにしたアナタもビビらなくて大丈夫である。(笑)


まず、簡単な方から始めると、初めは「静釣り合い」だ。
上のポンチ絵を参照。5kgと3kgを計りにのせたら?。
8kgですね。ごく単純。


次は、動釣り合い。同じ5kgと3kgを、滑車に下げたとする。
滑車は、重量差から回り出す。この時、滑車が支えている重さは?。
8kgよりは軽いのだ。物は動いていると、バランスの様相を変える。

バイクが走っている時、両タイヤが支える重量は、車重とは異なる。
その様相が、動バランスなのである。

さて、もう少し、リアルな状況を思い起こそう。バイクに乗っている時、同じ状態をずっと、というのはあり得ない。力がかかるのは一瞬だったり、繰り返しだったりと、常に様相を変えている。

それをごく単純に表したのが、波、と言える。
「繰り返し」の最も単純な例が、波なのである。

そして、我々が日々触れている状況は、様々な波の組み合わせで、理解できることが多い。

 ノイズが乗った波形の例
例として、まず、振幅も周波数もまるで違う波を重ね合わせてみよう。当たり前だが、大きな波の表面に、小さな波が乗っかった波形になる。
バイクに例えると、大きな波は特性、バイクの加速や曲がり方、その様相である。小さな波は外乱、路面の荒れなどだ。我々が感じるのは、合成波形である。そこから、バイクの良し悪しを見分けるには、合成波形からノイズを乗り除いた、本来の波形に目を凝らす、経験と感性が要るし、ノイズの少ない環境を選ばないといけない。ただ漫然と感じているだけでは、本質は見えないのだ。
(これができているか、でインプレの良し悪しがわかる。ご参考に。)

うなりの例
次に、微妙に波長の違う、同じ程度の幅の波を重ね合わせてみよう。
もとの波形と同じ程度の周波数で細かく触れながら、振幅は大きく増減を繰り返す結果になる。(「うなり」とも言う。)

微妙に気の合わない夫婦が、定期的に喧嘩と和合を繰り返すのに似ている。(笑)

バイクの話に戻すと、これは、バイクの特性と、走るステージのマッチングに例えられる。
高速を走っていて、ちょっと飛ばし過ぎ、もちょっと飛ばしたい、そんな感触は、バイクの波長とスピードのアンマッチが関係している。
他にも、コーナーを刻むリズムや、クルージングの鼓動感など、バイクの持つ波長と、道路環境や、ライダーの波長とのマッチングで捉えられることは多い。
バイクを選ぶ時には、その「感触」が、上述のアンマッチなのか、バイクの不出来なのか、見分けなければいけない。もちろん、自分が欲するステージに合った波長のバイクを選ぶべきだし、ひるがえって、自分の波長がどのくらい「ぶれる」ものなのか把握し、バイクにその余裕があるか、評価しないといけない。

やっぱり、なんだか難しくなって来たので、このへんで止めておこう。
でも、何となく、普段、漫然と感じていることの整理に役立ちそうな、手応えを感じてもらえただろうか。
もしそうなら、きっと私の物理の教科書も、天国で喜んでくれているだろう・・。(笑)


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### エネルギーを使う、ということ

2010年の、メキシコ湾の石油流出事故を憶えているだろうか。
概観すると、無茶苦茶に難しい場所なのに、十分とは言い難い体制で適当に掘って、失敗して大騒ぎになった。
そういう事故だったが。

実のところ、あれのインパクトは、要するに、もうそんな所を掘るしかないんだ、という現実を、全世界に見せつけたことだった。

石油の採掘量は、既にピークを過ぎて、減少し始めている。
(ピークアウト、と言う。) 残るは、条件の悪い所しかない。
オイルサンドとか、メタンハイドレートとか。
そういう厳しい環境を、何とか頑張って、開発するしかない。
あの事故は、そういう事情の一端を示していた。

面白い試算がある。
エネルギーを得るのに、どの程度のエネルギーを必要とするか。
要するに、エネルギーの収支である。

例えば石油は、掘るのに必要なエネルギー1に対し、採掘できるエネルギーは100である。収支は「100倍」だ。

この「収支、何倍」を、他の資源でも測ってみる。
(どこかで見た記事をメモしただけなので、不正確はご容赦だ。引用元は忘れました。すいません!。)

オイルサンド 1.5
バイオエタノール 1.3〜1.7
原子力 17
風力 3.9
太陽光 0.98

多少、よさそうなは原子力でも、石油の2割弱しかない。
しかも、地上のウラン残有量は、石油同様、既にピークアウトしているそうで、将来性も厳しいらしい。

巷のエコがらみで持てはやされている太陽電池だが、上記試算では、何と「赤字」になっている。石を溶かしてシリコンを抽出し高純度に精製して単結晶を作って、制御ユーティティを含めてユニット化して商品として供給し、その後もメンテナンスに手間をかけて、でも寿命はせいぜい10年。採れるより、製造〜維持管理に使うエネルギーの方が多いのだ。

この辺りの詳細は諸説あると思うのだが、だいたい数字の精度が倍半分としても、全体として違って見えるほど、大きくは変わらないだろうと思う。

石油ほど優れたエネルギー源はない。
それを我々は、使い尽くそうとしている。

この状況を例えれば、寿司屋でしょっぱなにトロだけ全部食いつくした、とそんな感じか。後は、しょぼいネタで我慢するしかない。

今後、エネルギーは希少性(値段)を高めて行くだろう。
多分、私の子供たちの時代には、作るのも運ぶのも、今よりずっと難しくなり、身近な所でちんまりと暮らさざるを得なくなるだろう。

移動は贅沢になるだろう。乗り物を所有して自分で運転して、好きな時に、無意味に移動を楽しむというのは、相当高価な趣味にならざるを得ない。

現に、今の若者は、実際に身体を使ってリスキーなバイクに乗るなんて考えもせず、ただ小さなスマホの画面を撫で回して満足するよう誘導され、現に、それで済んでしまっているようだ。

そういう、価値観のすげ替えが、あちこちで急ピッチで進んでいる。

どうだろうか。
ある意味、我々が、バイクに乗る事で感じて来た何がしの普遍性が、試されているようにも感じるのだが。


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ombra 2006年 1月  2011年 3月 更新

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