安全性について


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バイクのライディングの本領はスポーツだ、という言われ方を良く耳にする。

確かに、バイクに乗るというのは、理屈よりもまず、身体がその操作を反射的に覚えるものであって、例えばライテク等の理屈は、あくまで裏打ちとしての価値しかない(実際にできなきゃしょうがない)。そういう意味で、ライディングというのは全く、スポーツだと思う。しかし、普通のスポーツと決定的に違うことが、ひとつある。

失敗ができないことだ。

私がバイクを覚えた数十年前は、まだ幅広の3ナンバー車など探す程しか居らず、交通量も少なかった。転んでも「痛ってえ〜」で済む場合が多かった。

今は違う。ミニバンなどという「ぬりかべ」が突然、進路を塞ぐ。
「あらゴメンなさい、見えなかったの。」
自己行為の認識すらできていない、そんなのがその辺をのうのうとしている。
そんな「いい世の中」が公道ライダーのステージなのだ。

「スポーツってのはさ、失敗しながらうまくなるんだよ」
なんて呑気なことを言っていられる状況ではない。
失敗をせずに、限界を見極めなければいけない。
だからこそ、安全を問う上で、ハード側の素性が、重要性を増している。


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皆さんは、自分のバイクの「安全特性」について、考えてみたことはあるだろうか。
世の中を見回しても、そのようなアプローチは、あまり見られないように思う。

どんな事故があって、どんな怪我や死に方をするものであって、
どういう原因が考えられて、それを防ぐにはどうしたら良くて。
そして、そうならないためには、どんなバイクが良いのか。

いっぱしの大人が、限られる時間と費用を捻出して乗るのだ。
楽しく安全に乗るためには、何をすべきか。そのための議論や情報が、もっとあっていいと思う。


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ここで取り挙げたいのは、
「安全性に寄与するバイクの特性とは何か」
である。

例えば、ホイールベースを切り詰め、シート高を上げ、高剛性フレームに極太ラジアルを装着したスポーツモデルなら、コーナーでの限界は高い。

晴れて路面のいい、見通しの効くコース、つまり「理想状態」なら、ね。
そうでなかった場合は?。

雨は降る、路面は悪い、見通しも効かない「公道」では?。
公道でも、安全に乗れうるバイクの「特性」。

絶対性能や、いわゆる「スポーツ性」が高いだけでは、解決にならない。
しかし逆に、コンサバで安定感あふれる設定なら良いか、というとそうも行かない。突然に「避けろ」「止まれ」に等しい状況もありうるのだ。動特性も重要である。やはり、状況の如何に関わらず、コントロール性に優れた機体特性が、まず第一だと思う。

私がざっと思い付くのは、こんな所だ。
多少のキャリアを持つ人なら誰でも、幾つかは思い付くだろう。

しかし、もし、そんな物が本当にあったとしても、それで全て解決、というワケにはいかない。面白くなくて、すぐ飽きてしまうようなバイクなら、乗っていてもしょうがないからだ。我々が「乗っていたい」そう思う情熱に応えてくれて、かつ、「安全性」が高い機体。

真の「公道バイク」。


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もちろん、機体の特性の安全性は、トータルな意味での「安全性」のごく一部だ。ライダーはメンタル・フィシカルなトレーニングとコンディショニングに努めるべきだし、不完全なインフラや不健全な環境に対し、改善を試みるべく声を上げ、努力すべきである。あれもこれも。課題は多い。

しかし、それでも、事故は起きる。
必ず、ある一定の確率で、起きてしまう。

それは二輪に限らない。人間が運転を司る「交通」とは、本来的に、そういうものだ。

そのリスクを、常に意識することが、スタートラインなのだろうとも思う。
厳しいのだ。本質的に。


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日本の二輪業界は、顧客が一過性の若年層、という状況を前提として久しい。だから、刺激や真新しさに、商品の重点が置かれがちだ。若年顧客は減る一方だが、メーカーはその囲い込みに必死で、従来の付加価値開発の傾向は、むしろ強まっているようにさえ見える。

刺激(性能)は増える一方で、安全性は上がらない。永く乗ってもらえる物、そのための価値開発などは、お座なりだ。メーカーだけではなくて、雑誌等の情報ソースの類も同様である。

以前は、バイクライフの探求に対し、真面目な気概を持つ雑誌が、少数だがあった。しかし、これも既に絶滅し、雑誌は広告媒体としての価値しか持たなくなったように見える。

「今度の○○は、すごくイイ」
「ボクはこれを、買うことにした」

ライターの個人的感想など、どうでもいいのだ。読者が乗った時にどう感じるか、それを伝えるための客観性が、プロとして最低限の配慮のはずなのに。もはや、ポルノ張りの煽り文句だけが、我が物顔に並ぶのみだ。

団塊定年狙いか何だか知らないが、ターゲットは中高年層にも広げられつつあるようだ。オジさんがモデルを努めるグラビアも、頻度が上がっているように見える。旧車に名車、ネオクラシックにピカピカの皮ウエアで決めちゃってる、チョビヒゲの自分を想像するオジさんは、幸せかもしれない。

若かろうがジジイだろうが関係ない。
現実はそんなに甘くないのだ。

失敗をしないよう、限界を見極めつつ、必死に上手くなろうと努力していても、殺されるかもしれない。

解放骨折にのたうつ自分を、誰も助けてくれないかもしれない。

今までもそうだったし、これからもそうだろう。

だからさ。

どんなバイクがいいのか。
もう一度、考えてみませんか。


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最後にひとつ。
公道ではバイクは弱者だ、という意識がどうしても抜けないものだが。
被害者ヅラばかりしていないで、自分が加害者になる可能性も、忘れてはいけない。



ombra 2005年 12月

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