機械ものを擁護する


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機械が持つ迫力とは、それが放つエネルギーとは、本来、無縁なものだ。小さくとも凄みを感じさせるものがある一方で、大型で物凄いのに、無味乾燥なものもある。機械の魅力は、スペックだけでは決まらない。スペックにかかわらず、機械の良し悪しというのは、厳然としてある。

例えば、国産バイクなら、同じようなスペックの機体が4種、並んでいる場合が多いだろう。その中から、選び、乗り、それなりに納得もしている、そんな彼が感じている「違い」、それが、ここで言う「良し悪し」に類するものと言っていいと思う。

我々が機械から感じているもの。
様々な「違い」が相まり、醸し出すもの。

バイクは使用状況に制限があるので(遅くて流れに乗れない、といったような)、スペックはまるで関係しない、ということはあり得ないのだが、やはり、公道バイクの「娯楽としての価値」は、これと分けて考える方がいいのではないかと思う。(逆に、話がレーサーならば、スペックの話で十分と思う。)

というのは、「スペックを解放することが娯楽だ」という行き方は、長続きしないものなのだ。より優れた仕様が登場してしまえば、手持ちのものには意味がなくなってしまう。

「スペック」は本来的に、あなたとは無縁のものなのだ。その証拠に、あなたとは無関係に、移ろいで行く。
だから、それに軸足を置いている限り、楽しんでいる実感はわいて来ない。そのうちに飽きて、フェードアウトしてしまう、そんな例が多いのは、そのことを如実に示していると思う。


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一方で、技術的には、スペックを高めるのは随分とラクな世の中になった。
やはり何と言っても、半導体チップの登場は大きい。

これまで、機械仕掛けで四苦八苦していたスペックを、実に簡単に実現できるようになった。
装置は皆、小型で、扱いがラクで、安価になった。
まるで、それまで機械を抑えつけていた「制限」が、すっぱり取り払われたようだ。

チップはすごい。何でもできてしまう。
きっと、これからもずっと、機械は「進化」していくのだろう。
などと妄信してしまうと、間違います。

チップとて、人が作り出すものだ。それは、設計者が意図した筋道(プログラム)を、繰り返し再現することしかできない。やはり「制限」の中で動いているに過ぎないのだ。

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半導体チップの、技術的な特色を俯瞰してみよう。
世代が進み、高性能化するにつれて、消費エネルギーと値段が下がるという、この「化け物」は、技術的に幾つか、大きな特徴を持っている。

まず、大量生産が前提であること。
チップは、世代が進むにつれて単価は下がる。ところが、開発費(設計費や、チップが動くようになるまでの試作費など)は逆に上がる。つまり、チップというのは、まず初めに大規模な投資を行うに耐える大企業や金持ちが、後で大量に売りさばいてガッポリ儲ける見込みが立っているところに「突っ込む」、そういう場合にしか製造されない。

次に、再生産が難しいこと。
チップの製造は、簡単に言ってしまうと、写真の要領で、回路を描いた「ネガフィルム」をウエハ表面に転写して加工する、それを何度も繰り返し、積層することで行う。

この「回路模様のネガフィルム」は、工場の生産ラインと、ほとんど一対一で対応している。

例えば、ある「ネガ」を他の工場で製造しても、チップはまず動かない。ラインの製造誤差が積み重なり、許容量を超えてしまうのだ。逆に言うと、回路の設計というのは、その工場のそのライン、それに合わせる「一品もの」なのである。

ところが、この「ネガ」、長期間、取っておくことができない。税制やら何やらで、いろいろ不利があるからだ。また、ラインに再投資して行程の世代を一新すれば、どっちにしろ使えなくなる。

かくして、「あの時のチップがまた欲しい」などと後で言われても、まず、対応できない。

最後に。修理が効かないこと。
シリコンチップは、ウエハの表面の素子と、金属配線で成り立っている。配線は絶縁体(多くはガラス)の中に埋め込まれ、何重にも重なり合って回路を成す。ガラスは優秀な絶縁体として、素子の内部でも使われている。
チップの故障というのは、素子の破壊か、配線の断線による。複雑なミクロの回路のどこかで、ガラスがちょっと「割れる」金属配線が、そっと「切れる」。その場所の特定はとてつもなく困難だし、修理は物理的に不可能だ。
チップは、「壊れたら丸換え」が前提なのである。

という訳で、チップというのは、「ドカンと作って在庫で終わり」そういう性質を持っている。本質的に、一過性のものなのである。


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チップ制御は、機械がもたらす感触にも、如実に影響を及ぼしている。

まず、手触りが悪くなる。
チップ制御が進むと、人間は、機械の直接操作を許されなくなるからだ。

例として、バイクのインジェクションを挙げてみよう。
あなたが操作している「アクセル」は、チップの入力センサーの一つに過ぎない。「アクセル開度センサー」。
チップは、その他の諸々の情報、気温、湿度、エンジン回転数、排気温度などなど、それらを演算し、設計者の意図通りの結果を、燃料の噴射量や点火時期に反映する。つまり、エンジンを操作しているのはあなたではなく、チップなのだ。

正確に言うと、チップをプログラムした設計者の「意図」が、エンジンを操っている。
あなたのアクセルの操作というのは、そいつに入力される、多数の数値の一つでしかない。
そんなわけだから、設計者の想定外の入力は、チップにことごとく「拒否」されてしまう。正確度や優秀性は関係しない。チップが反映するのは、あなたの「意思」ではなく、設計者の「想定」なのだ。

これは、趣味の道具としては、ちょっと寂しい。

また、私のように、普段、キャブを直接開け閉めし、燃調をわざと外して遊んだりしている「古いタイプの身」としては、どうにも歯がゆくて仕方がない。

次に、寿命が短い。
しつこいが、機械を操作しているのは、チップである。
逆に言うと、「機械のデキは、チップの操作に耐える程度でよい」ことになる。

また、チップの寿命は、一般的に機械より短い。機械は再製造・交換が(比較的に)効くのに対し、チップは前述のように、一過性のものだからだ。

機械だけ長持ちしてもしょうがない。
つまり、「機械の寿命は、チップと同程度で良い」。

これら、品質や寿命に関する要求仕様の変化は、いわゆる「コストダウン要求」に対する、安易な回答として使われかねない。チップ制御が「安く上がる」のには、理由があるのだ。

仕様(性能)は素晴らしいが、手触りが悪くて、寿命が短い。
それは、以上のような仕組みから考えると、当然の帰結でもある。
とはいえ、機械作りの最新の方法論だ。このトレンドは、今後もしばらくは続くだろう。
(もし「部品取り」をするのなら、チップにも気を使っておいた方がいいかもしれない。)


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チップ制御が悪い、と言っているのではない。
性能が高いものを簡単に安く使えるようになる。それはいいことだと思うし、現に私も恩恵を受けている。
しかし、それと、かつて我々が機械を操ることで得ていた快感は別モノだ、ということだ。

それが今、一方的に消し去られようとしているように見えるのは、いいこと(進歩)なのだろうか。

我々が物を選ぶとき、そういったことを踏まえずにいると、間違うのではないか。

そんな疑念が、消えないのだ。


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ご存知のように、機械がカバーできる範囲というのは、そう広いものではない。だから以前は、性能を発揮しようとした時、設計者は、目的を絞った。機械は指向や性向を現したし、ユーザーはそれを感じ嗜好し、対処して、使いこなした。

そしてそれらが相まった時、突如として、とてつもない相乗効果が発揮される。それが「斬新」であり、「進歩」の実像だった。

そういう事態を想定した、先を読んだ設計と、それを実現してしまう、柔軟性に富んだ使い手の能力が、共に「進歩」を支え、許してきたのだ。

競技のフィールドにとどまらない。
趣味の域でも、求める趣向がクリアで、それに応じた物を選び、あつらえる能力、それが「玄人」であり、「通」の証だった。そして、それを実現するための「対価」が、業界を支えてきた。

バイクだけではない。クルマ、カメラ、楽器や時計、衣類なども同様だったろう。

それは、今では失われつつある、「モノを味わう贅沢」だった。
「スペック」や「進歩」とは別の、「贅沢」。
我々は今、それにあやかれる、ギリギリの時期に居るように思う。


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以上、一見、「公道バイク」という主題には、あまり関係がないように思われたかもしれない。が、そうではない。

感触が良いバイク。自分の意志を忠実に反映しうる、安心感の強いバイク。そういう機体は、大切にしよう、ちゃんと乗ろう、そういう、メンタルの根本的なところに影響する。それは、全てをオウンリスクとして負う公道ライダーにとって、実に大切なことだと思うのだ。

あなたが、「仕様」に満足しているなら、不要な論である。でも、どうせ安くないバイクを買うのだ。もっと「いいもの」が欲しい、そう思うのが普通だろう。

手触りがよく、長持ちし、いつまでも楽しめる。 そんな「宝物」を、あなたが手に入れるのに、私の記事が役に立ったなら嬉しいし、そうなることを、私はいつも、祈っている。


Ciao, grazie. Ci vediamo presto.



ombra 2006年 9月

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