バイクの乗り方論について


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私は、バイクの乗り方について、具体的に云々するのを好まない。
というのは、私自身、あの中型の教習の時のクソ教官と同程度に、無能なのかもしれない、といつも恐れているからだ。
(わからないキミ、昔はね、教習所というのは、ゴミだめのような所だったのだよ。)


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レースなど、目的がはっきりしている(狭い)ものならば、具体的な方法論も意味を持つかもしれない。
が、公道ライドは、ハードも環境も範囲が広い。
各個論は煩雑だし、一般論は具体性に欠ける。
大体、安全に乗れていさえすれば、他人がどうこう言うものでもないと思うし、また、乗り方というのは、いくつもあっていいのだと思う。
正解が多数ある分野なのだ、考えている。


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免許を取ってからこっち、ライディングスクールに参加でもしなければ、バイクの乗り方について、具体的に何か言われることなど、ほとんどないのが普通だろう。ニーグリップや外足加重なんかいう適当な情報と、ビックバイク乗りこなし云々といった、まことしやかな巻物などは、その辺にもあるだろう。

しかし実際、両方とも、あまり具体的には役に立たない。
大体、「知ってる」と「できる」は違うのだ。

言葉では伝えにくい分野でもある。
だから、例えばマスツーリングなどでも、メンバー間で、乗り方そのものについて、具体的な話をすることは、あまりないのではないかと思う。せいぜい、お手本になりそうなライディングを観察して、自分と比較してみる、といった所ではなかろうか。

皆、自分で試行錯誤している。
仕方ないじゃないか。
自分の感性だけが、頼りなのだ。


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学生の頃の話だが、「徹夜明けは速いの法則」というのがあった。
徹夜明けでバイクに乗ると、妙に乗れている感じがして、速く走れる。そういう感覚を指して言う。
しかし、これを実際に見てみると、本当に危ない。
野郎、いつもより反応が遅い。動きにもキレがない。
それでも飛ばす。
今日は近づかんでおこう・・。

睡眠不足だからニブくなってるのは当たり前なのだが、当の本人は、それを感知する神経の方も鈍っている。だから、怖いとも危ないとも感じない。

要するに、わからなければ、直りようがないのだ。
当時は、「自覚のないヘタクソ天狗」をバカにする意味で使っていた「法則」だったわけだが、しかしこれは、ある意味、真理を突いている。

自分はうまい、そう思った瞬間に、上達が止まるのである。

ヘタかもしれない、気づいていないことがあるかもしれない、その恐れが、上達への、最初の門戸なのである。

人間、歳を取るにつれ、この門戸を閉ざしがちになる。
思えば、あの教習所の教官は、毎日が徹夜明けのような男だった。
私は、そうはなりたくない。
だから、常に恐れていたいのだ。


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独力で完成させてゆく。その意味で、ライディングスキルの熟成というのは、実にやりがいがある趣味だと思う。

ことが独力だけに、ライディングには、貴方の「人となり」が出る。
それで人を唸らせるような、素晴らしいライディングを、皆さんにも目指していただきたいと思う。



ombra 2007年 1月

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