日本でデザインと言うと、単純に「形」そのものを指すようだが、横文字でdesignと言うと、機能や設計も含んだ、包括的な概念を指すようだ。
以下に記すのは、この後者の意味での(小うるさい)私見であり、「やっぱイタリアのデザインは違うね」のような、よもやま話とは違う。
そういった意味で、一般的な「軽くて心地よい」話題を期待している方は、ここでお止めになっていただいた方が良かろうと思う。
乗り物の設計は、手法的には大きく二分できるようだ。
まずは、バイク乗りにはおなじみの、骨格(フレーム)方式だ。基礎となる骨格構造があり、そこにタイヤやエンジンをくくり付け、最後にボディを被せる構成である。四輪の方では、もう今では珍しく、トラックや特殊車両の一部に残されるだけのようだ。
次はモノコックだ。骨格構造があるわけではなく、見た目を作っている皮(ボディ)が、その枠割りも担う。タイヤやエンジンはボディに取り付けられ、駆動や制動などの応力はボディが耐える。また、衝突の衝撃も、ボディがいなす。普通の乗用車は大抵、これである。
さて、わがバイクくん達、Vespa などの少数以外はフレーム方式、しかもほどんどが、フォークにスイングアーム、という同じ構造だ。あまりに同じなので、ほとんど「前提」になってしまっている。
さて、ここでがらっと視点を変えて、「モノコック」と「フレーム」の例を、全く別のフィールドで探してみよう。
モノコックの代表格は、虫である。
虫はすごい。動力源(筋肉)、ファシリティ(内蔵)、制御系(神経系)、センサー(目など)といった「パーツ」類は、どれも大して変わらないのに、完成品のバリエーションの豊富さには圧倒される。
・ チョウ
・ カマキリ
・ カブトムシ
・ アリ
これらが、全て「同じ構造だ」と言われて、にわかに納得できるだろうか。
そのデザインを支えるのは、モノコックである。
これは、モノコックという手法が、構成要素の組み合わせで、機能に特化したデザインを行うのに優れていることを示している、のではなかろうか。
さて、フレーム方式は。
代表例は、動物だろう。
大型でパワフル、見栄えも良い。それに意外と、長持ちだ。だが、バリエーションという意味で、虫にはちょっと見劣りする。
骨格の基本は、ほぼ共通している。頭蓋を支える首から背骨が一本、これに腕、肋骨、骨盤、脚が接続する。腕(前足)と後ろ足が二本ずつ。目と耳は二つ、鼻と口は一つ。これも定番。(ダーウィンのせいかも。)
・ ネズミ
・ イヌ
・ サル
・ ウシ
・ キリン
・ ゾウ
基本構造が優れていれば、小変更で大小に応用が利く、という示唆とも取れる。
工業の話に戻ろう。
モノコックというのは、大量生産に適する、のだそうだ。
金型に代表される設備は高価だが、行程の自動化が容易で、同じものを大量に作る場合(の金儲け)に適する、と。
我がバイクくん達は、クルマほど数が出ないから、モノコックにならない、とか何とか。
さて、アジアでの生産技術の立ち上がりが著しい昨今。そういった「古い」観点を捨て、上で見たような、モノコック本来の利点を生かしたモノ造りはできないものだろうか。
やっと、本格的にバイクの話になる。
どうせ、昨今の大型バイクの最新型など、その高価に見合う高性能をば、一般ユーザーが使い切るのは無理だろう。大体は、そこそこの性能で、見栄えがして、おもしろ楽しく乗れれば、それでいいはずなのだ。目的は、「性能」ではなく、(外観も含めた)「機能」である。もし、バイクを、「虫」的なモノコックで作ることが出来たら。意外と面白くはないだろうか。
エンジンやサスペンションといった「共通部品」は、汎用・規格品とする。これ自体は、アジアで部品として大量生産することで、コストをガンと下げてしまう。
これを組み上げる「ボディ」は、モノコック構造、及びその組み合わせとする。外見を凝ったもの、機能に特化したもの、いろいろなアプローチが容易になる。
ドラッグっぽいやつ
SFチックなやつ
小回り優先
コレ、カワイイ〜
堂々とした「正義の味方」
キミはひょっとして、先進のハブステア?
造りは、そうは凝っていない。耐久性も、あまりない。
愛着をもって長く使ってもらうことは、実は全く考えていない。
ポンポン買い替えてもらうのが大前提である。とにかく値段優先だ。
ヤレた、イカレた、その頃には、もう次の「すんごいの」が、すぐ買える値段で出ている、と。
とはいえ、実は、維持や修理は簡単だ。部品はあらかた共通なので、使えるものがすぐ手に入る。構造も簡単なので、自分でイジるのも意外とラク。別種のバイクをニコイチしてオリジナルを造る、なんて裏技も楽勝だ。
そしてもし、そんな雑多な「トライ」の中から、一般化できるような、すごい「解」がみつかったら。従来の大メーカー様が、おもむろに「動物」に格上げをはかればいい。
高価だが造りがよく、高性能かつ(または?)長持ちする、高品質の製品とする。
本当のプロの仕事の出番である。
安価で未完成だが柔軟な製品と、高価で高性能な完成品、どちらを選ぶかを、ユーザーに任せればいいのだ。
無論、物の「価値」は、機能だけではない。
最近、よくクローズアップされるのが、「ブランド」というのがある。
物が欲しいわけではなくて、「ブランド」という既成の価値が欲しい。
ハーレーかドカティかで、迷う方が居らっしゃる昨今である。(笑)
しかしこれは、今までの延長で儲け続けたい、という、既成勢力の言い訳に聞こえることがままある。多分それは、従来の「垣根」を浸食されつつあることを、彼らが怖ろしく感じていることの裏返しなのだろう。
バイクも同じのようだ。高性能スポーツ車は、確かに以前より華々しく、進歩してはいるものの、物もユーザーも持たない、という意味で、以前に比べて疲弊しているようにも見える。
しかしだ。思うに。
何も、垣根こわしたり、ことさら守ったりする必要など、ないのではなかろうか。
垣根の向こうを、新たな世界として確立して、共存できるようにすればいいのである。
そうすれば、垣根は「頑強な壁」である必要はなく、従来の、竹棒を編んだだけの、伝統的かつ風流な姿のままで済む、はずなのだ。(まあ、そううまくマーケティングできれば苦労はないが。)
組み込み技術、という言葉をご存知だろうか。
簡単には、従来の機械制御技術を、デジタル制御に集積することを言う。
例えば、クルマでは、エンジン、ブレーキから室内灯に至るまで、あらゆる制御を電子的に行っている。しかし現状、それぞれが別系統だったりして、複雑怪奇で高価である。
例えば、ひと昔の高級車で、電子メーターで見栄えはいいが、警告灯がつきっぱなしになるトラブルが頻発する。警告灯がついても、エンジンは問題ない:別系統だから。しかし、修理はダッシュ交換でウン10万円!という、あの類である。
組み込みとは、こういった状況を単純化し、開発を確実かつ安価に行うようにしたい、とまあ、そんな意図を含む。
今、自動車は、これを急ぐ必要に迫られている。
大きな原因の一つは、動力源の転換である。電気自動車(あるいはハイブリッド)の制御は、デジタル制御技術の円熟なくしては不可能だ。仕事には、きりがない。従来のトラクションコントロールやABS、オートクルーズといった機能に加え、衝突防止の自動ブレーキや夜間暗視システム、酒酔い防止のロック機構なんてのも、項目として挙がっている。
多分にイメージじみた記述をしてみると、
「最新のモーター制御コード」
「ヤバい時のブレーキアシスト」
なんていう、全く新規のコーディングに加え、
「室内灯はドアが閉まって3秒後にゆっくり消す」
なんてプログラムも全ていっぺんに書いて、かつ、バグは許されない。
そういう状況だ。
これが多分、(蓄電システムなどの基幹技術の他に)自動車の電子化を遅らせている要因の一つだし、トヨタがいち早くハイブリッドに乗り出したのも、このあたりに大きな理由があるのだろう。
多分、自動車メーカーたちは、この状況に単独で対処できない。
従来より突っ込んだ、協業や標準化が必要になるだろう。
電池やモーターも含め、技術や部品の共通化が進んで行く可能性は大きい。
そうなれば、トヨタのパーツはホンダに付かない、といった、現状の「常識」が、変わって行くのかもしれない。
クルマの「虫化」は、始まっている。
バイクも同じかもしれない。
モノコックは金型で作るわけだが、金型の技術は、日本が世界一「だった」そうだ。
最近は、技術の国外流出により、その地位も怪しい、という声も聞く。
と言っても、アジアが技術を「盗んでいる」わけではない。大企業が、アジアで安価に作るため、「持ち出している」のである。
日本人が、知っていて、わざとやっている。
今さえ良ければいい。将来は考えない。
間抜けな状況だ。
しかし、悪いと知りつつやっている確信犯に向かって、是非を論じても仕方ない。
それを逆手に取って、少しでも面白くできないか。
従来の金型技術から抜け出した、短期間で多数の構造体を安く、立ち上げられる仕組みができたら。
デザイナー、エンジニア、ユーザーのそれぞれに、利益をもたらすことができたら。
それは、有用なだけではなく、デザインという概念を根本から変える、イノベーションになるだろう。
種々雑多な「虫」たちが、世界中を襲う日が、意外と早くやって来たら、おもしろいなと。
勝手に夢想している。
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