流れの地域性について


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何ナンバーは運転が荒い、といった話は、どこの地方にもあるようだ。
また、あちこちツーリングなどしてみると、クルマの流れ方に、その地方独特の性質があるように思うこともある。
そういった「流れを感じ取る」ことも、公道ライダーとして、安全に役立つことがあるかもしれない。などとへ理屈をこきつつ、以下、流れの地域性を笑い飛ばしてみようかと思う。


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その昔、私が、初めて就職してやって来たのは、千葉の街だった。
関東の方に訊くと、千葉というのは、運転が粗いので有名とのことであった。
(埼玉や神奈川など、それぞれの勇猛があるらしい。では東京は皆お上手かというと・・ねえ。)

実際に来てみると、噂は確かにその通りのようであった。

例えば。
就職して一番先に買うものといえば、クルマでしょう。
クルマ買って喜んで、夜の房総をドライブなんかしていると、後ろから追いかけて来たクルマに突然被せられ、出て来たヤツに殴られた、なんて話を良く聞いた。

原因は簡単で、どうも、ゆっくり走っていたそいつが、抜かれたことに腹を立てた、ということらしかった。
別に乱暴に抜いた訳ではなかった、とは当事者の弁。

まあつまりだ。
ゆっくり走るが、抜かれると怒る。

どうも文化というやつは、単純ではないらしい。


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よくよく観察してみると、確かに千葉のクルマの流れには、特徴があるようだった。
大きく二分できる。

比較的年配の方は、とにかく見ない、考えない。
あぶない!でも寄り続ける。ぶつかる!でも止まらない。
大きく目を開けて前方を見据えつつ、しかし呆けたように危険運転をしつづける。

これにインスパイアされてか、その子供の世代、若年層は、オーバーアクションが顕著だ。オラオラ!どかんかい!。こちらは大変にわかりやすい。

これが混走しているのだから、それは凄い。

両者に、共通しているものもある。
メンツ意識の高さである。

威圧に負けたり、追い抜かれたりするのは、大変な屈辱らしい。
また、いいクルマで流すのは、それは素晴らしいことであって、目下のクルマや歩行者にゆずるのは、もってのほか、らしい。

初めからメンツが高いので、ことさらに飛ばすことはしない。
そのせいか、あまり高速には乗りたがらず、一般道を流すのを好む。

先を争い、一番前に出てから、ゆっくりと走る。
優越感の保持のため、前に割り込んで、ブレーキをくれる。
 「人の邪魔をするのが楽しい」
この田舎臭さが、千葉流である。

面白いことに、こういった感じは、街を歩いているだけでも、同じ香りがしたものだ。(文化とは、そういうものなのだろう。)

「いや、最近は大分おとなしくなったよ。それよりも、県外ナンバー、安っぽい新型ベンツにハマナン、なんてのがよっぽど怖いよ。」とは、今も千葉に住む知り合いの弁である。本当かどうかは知らない。(クレームも受け付けませんよ。笑)


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千葉での光景は忘れ難い。
交差点の、信号の変わり際。こちらが青になっても、まだ横からぞろぞろと、5台くらいは侵入してくる。途切れた、と思っても、まだ、タクシーがクラクションを鳴らしながら突っ込んでくる。

夕暮れ時も油断ならない。薄暮のそこここに、無灯火車が隠れている。どうも、人より早くライトをつけるのが「恥」らしい。

しかし、やはり一番怖いのは朝だ。朝帰りの酔っぱらいが、携帯片手にダベりながら信号無視してる。その横で、タバコ片手のババアのクラウンが、通学の小学生の列をかすっている。(歩道がないのだ。)

渋滞でイラつく若い男が、車内でガナるのが聞こえる。
「なんでオレの前からどかねーんだよー!。」
(次のクルマは、救急車にでもするが良かろう。)

事故現場で、当事者のおばさんの弁解が聞こえる。
「だって見えなかったんだから、仕方ないでしょ?。」
(自分の子供がひき殺されても、「見えませんで」で納得するのだろうか、このバカは。)

ひところ、千葉の交通事故者数は毎年、北海道と全国一位を争っていた。
こんな、高速もろくすっぽないようなところで、死ぬまで当たることが多かったのだ。


千葉は歩道が少ない。たまにあっても、このザマである。
堂々と歩道を塞いでいるが「普通に駐車中」だそうだ。
これでも捕まえない。取り締まりが緩いのも、千葉の特徴だ。
こんなのは、神奈川あたりじゃ極刑もんだろう。(笑)


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なぜ愛知の人は、高速を遅ーいペースで並走し、車線を塞いでいるんだろう。

なぜ青森の高速は、救急車しか走ってないんだろう。(ちょっと違う例え。)

「地域性」は、しかし、少し覗いたくらいでは、理解できないことも多いと思う。

例えば大阪では、流れは一見、理解し難いが、よくよく見ると、それなりに規律があるようだった(私はまだ会得できていないが)。その証拠に(?)大阪は、歩行者としては歩きやすい街だと思った記憶がある。

それに慣れてから千葉に戻ると、歩いていても、相手が退くまで寄らないと通れない。この違いに大変に驚いたものだが、そうこうするうち、自然とぶつかりながら歩くことに、また慣れてしまう。ちょっと急ごうとすると、自然とオラオラ〜!、になってくる。
何のことはない。私が一番、千葉っぽいのだ。(涙)
文化とは、げに恐ろしいものなのであった・・!。


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その後、千葉から離れ、神奈川と東京の境目の辺りに移った。
ナンバーで言うと、相模原と多摩が混走する辺りだ。
その流れはしかし、千葉とは別の意味で凄味があった。

ガラが悪く、嫌がらせのやり合い、という意味では同じなのだが、こちらでは皆さん、いちいち意図的なのだ。

程度が低くて結果が悪い、のではなく、わかっていながら、わざとやる。
例えると、バカではなくて悪人、なのだ。

だから案外、序列は決まっていて、黒塗り高級車やダンプに喧嘩を売るやつは居ないし(居たらモグリだ)、見るからにガラの悪い、ハデなクルマにも近づかない。
しかし、自分より弱い相手を選んで徹底的にやるので、見ていても、一緒に居ても、大変に疲れる雰囲気だった。

これが、ちょっと北上して、JR中央線のあたりまで移動すると、また流れの様相が変わる。道はいつも空いてはいないのだが、みなイライラする様子もなく、遅めのペースで、まったり淡々と流れる。

ある日、そんな流れの中で、遅いペースに見るからにイラつき、神経質に車線変更を繰り返すクルマが居た。ナンバーを見ると、袖ヶ浦(千葉)だったのは、妙にわかりやすい光景で笑えた。


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ツーリングに出て、道路の流れの様子から、地域性に思いを馳せるのも一興かもしれない。
私は最近、地方都市の流れが、一様に刹那的な色合いを深めているように感じることが多い。それが景気のせいなのか、教育や文化の退廃といった原因によるのか、間違った技術の進歩なんかのせいなのか、よくわからないでいる。


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最後にもう一つ。
以前、通勤で通いつめた道を、暫く後になって、電車から眺めた事がある。

電車は高架だ。あの通勤路が、上からよく見えた。
驚いた。とても小さく見えたのだ。
電車は、一瞬で通過してしまった。

視界いっぱいに広がる住宅地。
その合間を走る道と沿線は、その、ほんのわずかを占めるだけだった。

ちょいと道を知っているくらいで、地域をわかったような口をきいてはいけないなと、その時、思った。



ombra 2007年 1月

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