三国丘(三国ヶ丘)の名は、この地が昔、摂津、河内、和泉の三国の境(堺)であったので、三国丘と称されたのが始まりのようであり、古より定着していたようです。
方違神社(大阪府堺市堺区北三国ヶ丘)の境内には、「三国丘」と印刻された石碑が建てられており、その方違宮の御由緒で、「当神社奉斎地は、『三国山こずえに住まふむささびの鳥まつがごとわれ待ち痩せむ』と万葉集にも歌われているごとく、摂津住吉郡・河内丹治比郡・和泉大鳥郡の三国の境界なるが故に三国山、また三国丘とも称され・・・・・、(三国の境界にあるため)何処の国にも属さない、又方位の無い清地であると考えられ、古来より方災除けの神として・・・・・」と説明されているこの地三国丘が、三国丘CRCの日常活動の中心地です。
何処にも属さず、自らが求め定めた目的地に向かって歩み続ける自立意志を尊ぶ生きもの総てが三国丘CRCの一員と言えなくもありません。そしてまたその一員は自らの意志により何処にも(三国丘CRCにさえも)属していないとも言えるのです。三国丘CRCは境界のない無限の空間のようなものです。境界線を引くのは自分自身です。
空を飛ぶ鳥のように、山岳地を歩くけもののように、また大海を回泳する魚のように、風の音や雲の色、若葉や花や潮の香り、風や光・水や雪の感触を道しるべとして、命ある限り歩み続けたいものです。
制作2011年11月7日 更新2011年11月11日 三国丘CRC 代表:秋山
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