HPホームページの
トップページに戻る
MTtop マラソン大会の
トップページに戻る



 作成更新2010年11月4日



1994年開港記念大会


1994年コース公認証


阪神淡路大震災で中止


1996年第3回大会


1996年大会主旨


1996年大会参加者


1998年第5回大会


1999年第6回大会


2000年第7回大会


2001年第8回大会


泉州国際コース図
1996年


1997年、1998年


2001〜2010年
「泉州国際市民マラソン」と「泉州・千亀利マラソン」について
作成 2010年11月4日
 1994年2月に、関西国際空港開港を記念して開催を予定されていた「泉州国際市民マラソン」は、1991年から岸和田市(体育協会)等を主体とした実行委員会主催で小規模ながら開催されていた「泉州・千亀利マラソン」と、開催の主旨・目的等が同様であったことから、併存して開催されるべき理由が無かった。
 先行して(岸和田市を中心として)開催されていた(小規模の)「泉州・千亀利マラソン」は、関西国際空港開港を記念して始められるマラソン大会の準備大会の意味合いを持つものと考えている者もいたが、関西国際空港開港を記念して「第1回 泉州国際市民マラソン」を始めるため、併存する理由の無い「泉州・千亀利マラソン」を自然消滅させる(無視する)というやり方は、「泉州・千亀利マラソン」の一部関係者には受け入れられなかった。
       
 大会の主旨や運営組織、規模など総ての面から「泉州国際市民マラソン」が「泉州・千亀利マラソン」を広くカバーしているため、(先行して開催されている)「泉州・千亀利マラソン」を中止(廃止)せざるをえない状況であったことは明白なことであった。
 「泉州国際市民マラソン」運営委員の一員である岸和田市が「泉州・千亀利マラソン」を「泉州国際市民マラソン」に先行して実施する必要はなかったが、他の地域メンバーが(小規模)ローカルマラソンの「千亀利(岸和田及び周辺地域)マラソン」の開催を止める理由もなかった。
 しかし先行して、関西国際空港の名前を使い地域のコミュニケーションを図ることを目的にして開催されている「千亀利マラソン」の運営(実行委員会)側にも(先行者としての)言い分(開催した目的)があった。問題は「泉州国際市民マラソン」に対する「泉州・千亀利マラソン」の位置づけであったものと思われる。
 (運営組織があまりに違うので)「泉州国際市民マラソン」が「泉州・千亀利マラソン」を単に名称変更した大会であるとすることができないまでも、「泉州国際市民マラソン」が、「泉州・千亀利マラソン」(運営組織)を発展的に解消して新たに(組織して)作られた「千亀利マラソンの後継マラソン大会」であることを認めさせ、「泉州・千亀利マラソン」が存在していたことを「泉州国際市民マラソン」の中に残すべきであると主張したかったのであろう。泉州路に岸和田市の看板を、どこよりも高く掲げたかったのであろうと推測する。
 「泉州国際市民マラソン」の関係者は、強硬な「泉州・千亀利マラソン」継続論者の存在も、同じ「泉州マラソン」の一員として無視することはできなかった。
 その結果、「泉州・千亀利マラソン」廃止の結論を(便宜上)先送りして、(第4回)「’94 泉州・千亀利マラソン」を一時休止して、「泉州国際市民マラソン」に(1回限りの)記念大会としての性格付けをしたようにして、「関西国際空港開港記念大会 泉州国際市民マラソン」を開催することにしたものと思われる。
 「泉州・千亀利マラソン」がいずれ中止(引き継ぎ)されるだろうことは、その名称が「第3回泉州・千亀利マラソン」ではなく、「’93泉州・千亀利マラソン」であったことからも推測される。また「泉州・千亀利マラソン」の「参加募集人員1000名」「制限時間4時間」という制限からも本来の目的が透けて見えるようだ。(実行委員会の主体が体育協会であるとはいえ、地域の活性化とコミュニケーションを図ることを目的とした市民マラソンとは到底言い難い制限である)。
 「泉州・千亀利マラソン」は、近い将来実施される「泉州国際市民マラソン」を見据えて、岸和田市の存在を強く意識させるための岸和田市主導の「岸和田マラソン」であったと思われる。岸和田市を(堺市から関空までの)泉州路42kmの単なる通過地点にしたくなかったのではなかろうか。
 関西国際空港開港を記念して開催されることになった「泉州国際市民マラソン」は、多数の組織や市町村の境界を越えた広範囲のコミュニケーションの上に成り立つものであり、一回限りで終わるようなものではなかった。
 「’94泉州・千亀利マラソン」を一時休止して「泉州国際市民マラソン」を開催するということになったため、「泉州国際市民マラソン」と「泉州・千亀利マラソン」は一時併存していたこととなり、「泉州国際市民マラソン」は「泉州・千亀利マラソン」の後継マラソンではないことが(意図せず)明確になってしまったのである。
 「泉州・千亀利マラソン」が「廃止」されたのではなく、「’94 泉州・千亀利マラソン」が「一時休止」されたのであったため、両マラソンが併存していたことになるのであるが、もとより両マラソン大会が両者とも開催されることなど、道路管理者や大阪府警の意見を聞くまでもなくあり得ないことであった。
 第2回目の1995年は阪神淡路大震災のため中止されたが、準備段階では「’95泉州国際市民マラソン」(募集人員3000名)が開催されることは確定していた。岸和田市も「泉州国際市民マラソン」大会委員会の一員であり、関空開港後は岸和田市に「泉州・千亀利マラソン」大会委員会は存在していなかったのであるから当然のことであった。従ってこの問題は、(岸和田市が起こした問題であり)岸和田市内部で解決すべき問題であったと言えるのではないか。
 第3回目の大会は「第3回 泉州国際市民マラソン」とせず、「’96 泉州国際市民マラソン」という名称で開催されたが、「泉州・千亀利マラソン」との関係を明示するものは何もなかった。ただスタート地点は「堺市大浜中町」、そしてゴール地点は「岸和田市中央公園」であった。
 「’96 泉州国際市民マラソン」の大会名称は、「泉州・千亀利マラソン」が「’93 泉州・千亀利マラソン」などと西暦年号を付して大会名称としていたのに習ったというようにして、大会関係者間の不協和音を避け、時間の経過を待って「しこりをほぐす」(ほとぼりをさます)ための方策であったと思われる。それは第6回目(1999年)、第7回目(2000年)大会で明らかになる。
 第4回目、第5回目の大会も「’97 泉州国際市民マラソン」、「’98 泉州国際市民マラソン」という名称で、大会名称には開催時の年号のみ付し開催順番号は表記されなかった。
 しかし翌年の第6回目大会は「’99 第6回 泉州国際市民マラソン」という大会名称となり、初めて開催順番号が開催時年号と併せて表記された。大会冊子表紙の「第6回」の文字は他の文字と比べ非常に小さいものであったが、1994年の関西空港開港記念大会が「第1回 泉州国際市民マラソン」であったことが明確となったのである。
 翌2000年の大会は初めて開催順番号のみを付した「第7回 泉州国際市民マラソン」という名称となり、大会関係者の認識が、「泉州国際市民マラソン」が関西国際空港開港を記念して独自に始められたマラソン大会であったことが明白となったのである。泉州全体から見れば、岸和田市はフライングしたのである。岸和田市がフライングを認めなければ、それは岸和田市の一人相撲だったことになる。泉州全体の行動として見れば、フライングした岸和田市は失格だったのである。「泉州・千亀利マラソン」が、「泉州国際市民マラソン」の開催者に受け入れられなかったのは当然のことであろう。「泉州・千亀利マラソン」は政治運動だったのである。
 スタート地点は「堺市浜寺公園」、ゴール地点は「りんくうパパライベント広場」(泉佐野市)であった。岸和田の応援太鼓は、泉州路42kmのなかでも一際熱く鳴り響き、参加者を力づけるものであったことは間違いない。
 たかがマラソン大会といえども大会開催には、地元企業や有力者と大会関係者等の間に相互協力関係が生じるのは当然のことである。「泉州国際市民マラソン」も、大会参加希望者が多く抽選方式がとられていた時期には、裏口参加も簡単に出来た(ようだ)。役人と地元有力者は常に助け合い精神で結ばれているものだ。抽選に外れても他人のゼッケンで走ればいいと考える人も少なからずいる(だろう)。官も民も気にしていない。賑わえばいいのである。
 話は変わるが、「大阪府」は何でもかでも「東京都」をまねるのか、来年2012年から「大阪マラソン」(開催予定日10月30日)が始められるようだ。しかし東京と大阪では大分事情が違う。それに10月にベストに調整するのは難しい。トップクラスの選手に無理を言うのではなかろうか。通常この時期には、トップクラスの選手だけでなく記録を狙う選手は出場しないと思う。大会開催の第二の目的が経済効果だといっても、形だけまねても駄目だと思う。お節介ながら心配する。大阪の日和見政治家は分かっていない。
 東京マラソンは既存のマラソン大会(東京国際マラソン、東京シティロードレース、東京国際女子マラソン等)を再構築し、トップアスリートや多数の一般市民も参加できる(ニューヨークシティマラソンやボストンマラソンのような)大規模なシティマラソンの開催を目的に計画された。東京マラソンは(表向き)他のマラソン大会関係者の意見を聞き歴史を無視しなかった。(結果は同じでもやり方が上手い)。そして多数の一般市民にも檜舞台を用意した。(おだてるのが上手い)。東京マラソンは「東京」も「マラソン」も多くの人の記憶に残るよう計画されている。大阪マラソンとは練り方が大分違う。
 神戸も京都も奈良も官製の大きなマラソン大会(42.195km)を始めるようだ。これら官製マラソン大会の責任は知事ではなく市民が負うことになる。協力する方にも思惑はあるだろう。地元の損得勘定優先のマラソン大会では面白くない人もいるだろう。浮かれてばかりはいられない。既存のマラソン大会も多かれ少なかれ公的支援を受けているものが多いと思われる。公的(支援を受けた)活動は(金銭を含め)広く市民に知らしめて批判を仰ぐべきである。
 関西近辺には「泉州国際市民マラソン」の他、「篠山ABCマラソン」や「あいの土山マラソン」、「福知山マラソン」、「長居」や「淀川」、「木津川」など幾つかの特徴あるマラソン大会(42.195km)がある。ホノルルマラソンなど外国のマラソンに参加する人も多いが、42kmは一朝一夕では走れない。42kmは長い。しっかり練習して走ってほしいものだ。走るのなら走り続けて貰いたい。「自己責任」という言葉が「連帯責任」という言葉と同じように、権力者の都合の良いように使われても後悔しないよう覚悟して臨んでもらいたい。老婆心ながら付け加えさせていただく。
 これに引き替え(補助金が廃止されたのか)1〜2年前から、大阪の(市民主導の)小さなローカルマラソン大会が、幾つか廃止されているようだが残念に思う。
ジョギングサークル : 三国丘CRC 代表秋山

 
 ▲このページのトップへ戻る 
 
HPtop ホームページの
トップページに戻る
MTtop マラソン大会の
トップページに戻る

Copyright(c) 2010 ジョギングサークル:三国丘CRC All Rights Reserved. 禁無断転載