きままに的生活
日々思うこと、いろいろを思いつくまま・・・

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101 2000.5.24 ケータイ?ポケベル?

 友人の旦那様がケータイ電話の代理店業務をやっている、というのでお願いしていた電話機が、ついに我が家にやって来た。

 おりしも私がりんご病でダウンしているときに手続きを済ませ、こんなに早く来るとは思っていなかったのだが、気を利かせた友人が学校帰りの次男を見かけてケータイ入りの箱を持たせてくれた。

 ピンポ〜ンというチャイムにもなかなか体が思うように動かせず、やっとカギを開けてそのままにしていたら
「ドア開けてよ〜、タイヘンなんだからぁ」と次男の声が。
 私もやっとの思いで重いドアを押し開けると、回覧板とケータイの箱を両手に抱えた次男がバランスを崩し、大事な箱をガシャッと落とした瞬間だった。

「無事届いた〜? 4階までだからちょっと心配だったけど」
 すかさずかかってきた友人からの電話に「ありがとう〜! どうやら大丈夫そうよ」とゴソゴソ箱を開けながら応える。
「まず、充電している間に説明書読んでおいた方がいいよ」
 なるほどね、充電しなくちゃ電話は使えないのか。そういえば実家で母が父のケータイをせっせと充電している姿を見てたっけ。

「ケータイ持たないの?」の問いに「そのうち、会社から支給されるんじゃないの?」なんて気楽に答えていた我が家。
 しかし会社側では一向にその気配はなく、つい最近おニューのポケベルを渡されたばかり。今までのピーピー鳴るだけの黒い箱ではなくて、メッセージが入れられて呼び出し音が選べるという、ちょっと前に高校生の間でブレイクしていたようなもの、ご丁寧に色はピンクである。いかにも売れ残りを安く業者から押しつけられたような感じ。メッセージを送る作業が面倒で、なぜこうもポケベルに固執するのか社長の心中が謎である。

 しかし、このポケベルで会社ではケータイを支給する気が全くないということがわかったわけで、さすがのオットも決断しないわけにはいかなかった。
 すでに他の営業マンたちは自前でケータイを所持していて、お客さんから直に連絡を受けることもしょっちゅうの様子。しかし、みんなしっかりしていて、自分からは絶対にケータイを使うことはしないのだそうだ。外出先でポケベルが鳴った場合、テレカ片手に公衆電話に飛び込むというのが賢い営業マンの姿なのか。

 私は仕事柄、オットの会社に電話することが多いのだが、どうしても仕事相手の電話というより、みんな「○○サンの奥さんから電話」という感覚で調子が狂う。
 オットも「家から電話がかかってくるのはウチが一番多いんだから」と文句を言う。
「そんなこと言ったって、仕事でかけることもあるんだから、仕方ないじゃない!」と言い返すが、そう言われてしまうとこっちも何だか気恥ずかしくなってかけたくなくなる。

「ケータイ、どこの使ってる?」と聞いたところから「ウチのダンナ、代理店やってるの。頼んであげようか?」と話が進み、「この中ならどれでもタダ!」という新機種のカタログに目移りしながら数日。中のバッテリーの寿命がだいたい2年間で、買い換えるよりも機種を新しく入手していくのが今のやり方だそうで、めまぐるしく変わるケータイ戦争のためにどんどんタダの機種が増えていくんだそうだ。タダとはいえ新品で、機能もなかなか。見れば見るほどわからなくなり、カタログの最初のページに出ているものに無造作に決めた。

 最近、自分用のケータイを買ったばかりの妹に聞くと、同じ機種がタダカタログに載っているではないか。「コレ、いいよ」と使用者のお薦めに従って、同じものに変えてもらうことにした。
「私の、コレでも2000円したんだよー、いいなぁ」という妹の声もこそばゆい。
 この、機種決定でも数日。

 友人が申込用紙を持ってきてくれて「いつでもいいから」と言い置いていった。さてさてと書き込んで、さあ銀行印を押して・・・と思ったらハンコがない!
 我が家では銀行印をオットも私も気に入って使い回しているので、どっちかが使うので持って行って忘れている、ということもしばしば。オットに「ハンコ返して」と強い口調で迫ると、持っていないと言うではないか。
 さすがに顔色が悪くなる。この銀行印を使用している通帳や書類が沢山あるのだ。もし紛失ということになり、再発行の手続きなんてことになったら目も当てられない。

 ここから、ハンコ発見まで数日。結局私がしまい込んで忘れていたのだが、そこまでたどり着くまでに、どれだけ引き出しを引っかき回したことか。整理整頓は面倒がらずにしよう、とこのとき痛感。

 ようやっとハンコを押し、ホッとしたら発病・・・。
 申込書は長男に朝、登校の途中で友人の家のポストに入れてもらった。その後、免許証のコピーも必要とかで、その翌朝、また長男にお使いを頼んだ。

 店先でその日のウチに持って帰れるであろうケータイが、我が家に来るまではこのような長い複雑な経路があったのである。

 病み上がりのボケーッとしたアタマで説明書を読みながらあれこれいじりまわしていると「とりあえずの機能だけでいいから」とオット。電話がかかったら受けて、まず無いけれどかけられて、留守電設定さえ出来れば良いとのお言葉。
 ま、その通りではあるけれど、だったら自分で説明書読めば〜? 私を通して教えてもらおうなんて、致命的な機械音痴、その割に態度デカいぞ!

 

100 2000.5.23 うつった・・・

 2週間ほど前、ジナンがりんご病になった。
 運動会前のチョーナンにうつりはしないかと気が気でなかったがそんな様子もなくホッとしていたある日。
「お母さ〜ん、コレ・・・」お風呂あがりのチョーナンの腕と足に、無数の発疹が〜!
ええっ、うつったの? 顔は何ともないのに・・・。カレンダーを見ながら考える。2〜3日は休むんだから、運動会はぎりぎり〜?

 ちょっとショック。とにかく朝の様子をみて・・・ということにした。
 翌朝も、スネと腕のパラパラとした赤み意外は、りんご病と疑われる兆候はない。これって、あせも・・・?
 チョーナンは、どこも何ともないというので、元気に学校へ行って運動会の練習に励んだ。そうこうするうちに発疹は消え、りんご病のことはアタマの中からすっかり消えていたのであった、しかし・・・。

 うつった。今度は私が〜!
 昨日、夕方ちょっと腕に赤い点々があるのに気づき、おや?っと思っていたのだが、お風呂で見たら、足、特に内モモのあたりが真っ赤な発疹でおおわれているぅ〜〜!!
 何と表現すれば良いのだろうか。麻疹とか、風疹とか、そういった感じの発疹で、じんましんのようにデコボコはしていない。かゆみもないが、何だかザワザワしてチクチクする感じ。

 お風呂あがりにオットや子供たちに「りんご病になっちゃった〜!」と見せ回って「何だか喜んでない?」と言われてしまった。
 顔には出ていない。しかし、思えばやっぱりチョーナンは軽いりんご病で、私も同じような感じで発病したとしか、考えられない。
 ジナンの病院の看護婦さんは「大人のりんご病は切ないですよ〜」とそのつらさを強調していたが、そうでもないじゃない、なんて昨日の夜はかる〜く考えていた。

 しかし、今朝起きようとしたら、体が重い。関節、特にヒザが割れそうに痛くて起きあがれない。フウフウ言いながらやっとのことで体を起こし、ギシギシとロボットのように歩いて台所にたどり着く。くるぶしのあたりも痛ぁ〜い! とにかく体中、油が切れてしまったようにギシギシきしんで動くのもやっとなのだ。

 とにかく朝御飯を作り、子供たちを送り出す。オットは洗濯物を干してくれた。私はどうにか食器を洗いながら「今日は掃除は無理だな」と、ちょっと得したような気分になっていた。そんなに大病でもないし、2〜3日もすれば治るのだろうし。今日はのんびり寝ていようかな? などと思っていたとき、出がけにオットが言った。

「○○の仕事、今日頑張ってやっちゃってよー、今月中に納期なんだからね」

 バタンというドアの音が、無情に響いて消えていった。オット関係で頼まれていたDTPの仕事があったのをすっかり忘れていたとは不覚であった。

 さあ、これ書いたら始めなきゃ。
 何だか熱でも出てきそうな気分になってきた〜!(^0^;;

 

99 2000.5.21 運動会

 雨で中止なんじゃないかと、誰もが数日前から心配していたこの日。
 予報は朝から雨、ということだったのだが、5時頃、起きて外の様子をうかがうと
「あれ? 晴れてる〜!」
 何のことはない、空は明るく、うっすらと日も射して、どうやら運動会は決行という感じの天気。
 早速お弁当の準備に取りかかりながら「あんなに天気予報でも雨って言ってたのに。もしかしてジナンはかなりの晴れオトコなのかな?」なんて考えたりしていたのだが。実はこの、自分こそがノーテンキだったようで・・・。

 子供たちが一足先に出掛けた後、「降ってきたよ〜」とオットの声。
「? 〜〜〜!」無情にも空は暗くなり始め、ぽつぽつと雨が落ちてきているではないか。
 お弁当も出来ていた、子供たちも飛び出していき、今頃もう学校に着いたことだろう。しかし、雨。無情の雨。

 開会式が始まっている中を出掛けていくと、小雨の中、大勢の親たちが手に手に傘を持ち、まるで雨なんか降っていないかのように振る舞う子供たち、学校関係者のカラ元気な様子を見守っていた。しかし、しばらくするとだんだん雨は止んできた。
「これはもしかしたら、大したことないかな?」
 傘をたたみながら、誰もが思っていたことだろう。

 私は機械音痴のオットにかわってビデオを手に、人垣をかきわけかきわけ、どこかに良いスポットはないものかとウロウロする。
 小学校は幼稚園と違って人数が多い。さらにウチの学校は市内でも三本の指に入るくらいの児童数である。子供はどれも同じ体育着に身を包み、紅白の帽子をかぶっているから、どれが我が子なのか、見極めるのも遠目ではかなり難しい。
 笑い話のようだが、背格好で「コレだ!」と思い込んで撮っていたら、実はよその子だった、なんてことは良くあるのだ(え? ワタシだけ〜?)。

 初めて一人息子を入学させたY君のお母さんも我が子の姿を探していた。ビデオ係りは機種にはちょっとウルサイお父さんなのだが、後で聞いたら、見物人の多さとワケのわからなさでほとんど撮れず、ビデオはあきらめたということだった。
 私は、かなりしつこく食い下がり、コマ切れながらもチョーナンとジナンの徒競走、チャンスレース(障害物レースのような、どんなに足の遅い子でも一等賞を取れる可能性があるというレース)、綱引き等々、とにかくどうにか撮った〜〜。

 そして今年の楽しみは、何と言ってもチョーナンの応援団姿。
 高学年からは色々なお手伝いの係りが始まるのだが、希望者は応援団に入ることが出来る。放課後、残って練習を続けてきた、あこがれの応援団の晴れ姿(体育着だが)。あの落ち着きのない、いつもクネクネしているチョーナンが、キッと前を見据えて大声を張り上げている姿はなかなか感動的だった。順番で段に上がって応援の先頭を切るのだが、その姿もしっかりとビデオに撮って、秘かに胸を熱くしてしまった。
「チョーナン君、応援団なのね? カッコイイよね〜」
と言ってくれるお友達のお母さん方の声がこそばゆい。ハハ上機嫌〜!

 このまま、無事進行するかのように思えた運動会だったが、またもや空模様が怪しくなってきて、雨足が強くなってきた。

 降りしきる雨の中での騎馬戦、裸足で演技する6年生の組体操、1年生の入り乱れる玉入れ・・・競技は駆け足で進み、もうじき昼、という頃にはほとんどの競技が終わっていた。残るは高学年のさんさ踊りと、リレーだけになっていた。

「昼を過ぎますが、さんさ踊りを行います。その後、低学年リレー、高学年リレーを行ってから昼食になります。閉会式は昼食後、天気の様子を見て・・・」

 先生のアナウンスが悲しい。でも、ここまできたら、とにかく終わらせるしかないという判断、それしかないであろう。今まで一生懸命練習してきた競技である。どれ一つとして途中で終わらせられるものは、無い。とにかく、やるしかない。

 雨の中、さんさ踊りの太鼓係りの子供たちが入場する。はっぴを着込み、太鼓をかついでドンドコドンドコ、空っぽの腹に響きわたるような音ではあるが、子供たちの頑張る姿に親だって頑張らないわけにはいかない。

 リレーでは、足元が悪いためか何人もの子供が転んでしまったが、とにかく健気に走り続けた。応援団はその間中、カッパも着ないで(着ていては応援にならないとかでずぶぬれ)声を張り上げ、その顔は何だかかえって楽しそうにも見えてきた・・・。

 とにかく運動会は全ての競技を終了した。
 帰り道、空は雲が切れ、何だか明るくなってきた。
 ま、とにかく良かった。みんな頑張った! お弁当もムダにならなかったし、これで思いっきり、明日は代休である〜〜。