*** ご注意 **

この「はじまりは元日の朝」は未来編です。

全体的に、世の中のあり方をはじめ、現実には到底ありえないホラ吹き設定になってます。
また、未来編ということで、原作との相違点が多いと思われます。

そのようなお話が苦手な方、または、ご理解していただけない方は、申し訳ありませんがご遠慮ください。
「どんなんでもOK! ドンと来い! 笑って許してあげよう!」という心の広い方のみ、どうぞ〜♪




はじまりは元日の朝



 家の中だというのに、息を吐けば白くもやる。

 新聞を取りに行ったのか、父の外履きは雪解け水と泥で汚れていた。
朝一番に清めたはずの玄関の三和土(たたき)は泥水が飛び散ったまま。
ぼくはすかさず雑巾で三和土を拭いた。

 外に行けば靴は汚れる。そのまま家に入れば、いくら綺麗にしたところで玄関は汚れてしまう。
それは仕方ないことなのだけど、せめて今日だけは綺麗なままであってほしい。

「じゃ、行ってきます」

「託生、ギイくんを迎えに行くの?」
「うん」

「そう。なら、気をつけていってらっしゃい」
「うん」

 台所から顔だけ出した母の声に送られながら、ぼくは実家をあとにした。

 この冬は近年稀に見る寒さで、温暖な静岡にもかかわらず、歳の暮れに降った雪がまだ残っている。
薄日が差しこむ空を見上げれば、こんな天気じゃ見れなかったかもしれないなと、この寒い中、初日の出を拝みに出かけていった大勢の人に気を馳せた。

 この十年の、年初めのこの日を、ぼくはずっと好きになれない。
この日、汚れたままの玄関の三和土と同じくらいに。

 実家で迎える両親との年越しが嫌なわけではないが、元旦だけはどうにもこの家にいたくない。

 最寄の駅までの道程(みちのり)はぼくの足で十分程度の距離で、それほど大したものではなく。
だが、駅に向かう足はとても重くて、いつもの倍の時間をかけて歩いた。

 初詣にこれから行くのか、駅に近づくごとに人の足も増え、着物姿の女の人が足早に歩く姿もちらほら見られた。

 改札口のところまで行って周りを見渡し、まだ待ち人が到着していないことを確認してから、近くの円柱形の柱にもたれて冷たくなった手を擦り合わせる。

「やっぱり寒いや」

 手袋をしてきたのに指先が凍えて動かなくなっていた。
指を幾度となく折り曲げたり伸ばしたりしながら、手袋の上から手のひらに息を吐きかけて暖をとる。
使い捨てカイロを忘れたのは失敗だった、と別のことに考えをめぐらして、はあ、とひとつ溜息をついた。

 電車が到着したのか、たくさんの人たちが改札口を通って、それぞれの方向に散らばってゆく。

 その人の波を目で追いかけながら、求める人がいないことにガッカリしつつ、かたや、少しだけホッとして、そんな自分を少しだけ恥じた。
会いたいのに来てほしくないなんて、ぼくは本当にわがままだと思う。

 でも、さっきからふたり連ればかり目で追っているぼくだから、ギイに会いたいという気持ちに嘘はない。

 すでに初詣を終えたのか、神社の袋を手にぶら下げているカップルや家族連れが目についた。
母親に抱かれた小さな子供が、父親が持つ破魔矢にしきりに手を伸ばしている。
寒さに身体を縮めている彼女に、連れの男が自分のマフラーをはずして、彼女の首に巻き、
「あったかい?」
「うん」
互いに見詰め合って微笑んだ。

「寒いねー」
「冬だもん」 

 高校生くらいの女の子たちが、ぼくにちらりと視線を向けたが、特に何も気にせず友人たちとお喋りの花を咲かせる。
その女の子たちは今度は別の誰かを指差して、ひとしきりキャーキャー騒いだあと、足早に去って行った。

 途端、ぼくはうしろから誰かに抱きつかれた。
ほわっと背中があたたかくなって、一気に幸せな気分になる。

「託生、待ったか?」
「ううん、それほどでもないよ。ちょうどいい時間に着いたから。ただちょっとね、ぼんやりしてた」

「そっか。それじゃ、とりあえず、あけましておめでとう」
「こちらこそ、あけましておめでとう。ギイの顔見るの三週間ぶりだな。新幹線、混んでなかった?」

 電話やメールならそれこそ毎日している。
世界中どこにいても、ギイと気持ちが繋がっているのだと確信できる。
だから、ギイに会えなくてもそれほど不安はない。
互いに仕事を持っている大人なのだ。毎日会えないからって文句は言わない。

 けれど、会えなければやっぱり寂しいし、会えれば嬉しい。

「元旦はいつもこんなもんだろ? ……さてと、託生。じゃあ行こうか」

 きょろきょろとギイが周りを確認して、さすがにここでのキスは無理かと笑う。
ぼくもつられて笑ってしまって。

 そうして、ふたり並んでぼくの実家まで歩いてゆく。

「ギイ、またスーツ新調したんだ? そんな上等なの着てこなくてもよかったのに」
「似合うだろ? 島岡にも褒められたんだ。一割増し男前に見えるってさ」

 たわいもない話をしながら、ギイがぼくの手を握ってくるから、ぼくも握り返した。

 駅で擦れ違うのは家族連れよりふたり連れのほうが多く、男女のカップルもいれば男同士で腕を組む人たちもいた。

 乗車券の自動販売機のところで、ある男の人が左の薬指に銀色の指輪しているのが見えて、ぼくはその人の隣りのいる彼もきっとおそろいの指輪をしているんだろうと想像した。

「新しいのなんて、着てこなくてもいいのに」
「どうして? 新年の挨拶だぞ? 新しいほうがいいじゃないか」

「そうだけど。でも、もったいないよ」
「託生、心配するな。服くらい汚れてもいいじゃんか。これはさ、オレの気持ちの表れなんだ。
何しろ、年に一度の挨拶日だからな。今日、一年分の気負いを入れなくていつ入れるっていうんだ?
大丈夫。もう慣れたよ。何しろ十年目だからな。託生。オレは平気だから、さ。
だから、そんな辛気臭い顔するなって。そんなんじゃ若ハゲになるぞ、託生くん」 

「そっか。もう十年になるんだ」
「まあな。十年一昔とは言うけれど、実際そんだけの時間が経ったっていう実感はあまりないなあ。
とにかくオレにとってはあっという間だったから」

 ギイはこの十年間、毎年元日の朝にぼくの実家に通ってきている。

 初めてギイがうちに来たのは高校二年の正月だった。
すでに両親は寝静まっていて、ぼくとギイはふたりで初日の出を見て、ギイはそのままアメリカに帰って行った。

 翌年からはそんなおだやかな正月を迎えることができなくて。
楽しいお正月の記憶はその十年前のあの朝だけだ。

 ぼくとギイは高校二年の春から恋人同士としての付き合いをしている。
アメリカに帰るギイと離れたくなくて、夢もまた諦められなくて、高校三年の冬間際になって、アメリカの音楽大学へ留学したいと両親に相談したら、どうして日本の大学じゃ駄目なのかと両親に問いつめられ、そこから芋づる式にギイとの仲が両親にバレてしまった。

 バレたと同時に一時、実家に連れ戻されたぼくは、二週間、休学をする羽目になった。
そして実家に戻った途端、暴力防止プログラムの講習を受けさせられ、同性からの痴漢行為などの被害にあうと自分も同性愛者であると思い込む被害者が多いことなどを学ばされた。
自分が溜め込んでいる言葉を誰かに聞いてもらう、その機会をA地点というならば、A地点が存在することによって、その後の人生が変わるという話も聞いた。

 確かにぼくのA地点はギイをいう人と出会って存在したけれど、ぼくは被害者意識からギイに愛情を抱いたわけではない。
ぼくはギイが男だから好きになったのではなくて、ギイがギイだから好きになったのだ。
たとえ、その講習の中でぼく自身の経験になぞれる部分が多少あったとしても、全部が全部当てはまるわけではないと断言できた。

 そのことをぼくは懸命に両親に説明したのだが、両親が本当の意味でぼくの言葉を理解してくれたかというと疑問が残った。
だから、両親を説得して二週間後に祠堂に戻れたといっても、それはギイとのことを両親が認めたわけではなく、学生の本分を両親が優先したがゆえの復学だった。

 ぼくが実家に戻っている間、ギイは連日のようにうちにやってきては門前払いをされていた。
言葉どおり、門の前で追い返されるのだ。
玄関ドアさえ開けてもらえないどころか、インターフォンの電源も切られたまま。
そんなふうに応答を拒絶されつつも、それでもギイは一日中、ぼくの家の前でひたすら立ってくれていた。

 雨の日も風の日も。ギイはそうしてぼくのところに来てくれた。

 ぼくは部屋から一歩も出してもらえずに、ただひたすら一日一日が過ぎてゆくのをじっと待つしかなくて。
あまりにもギイが家の前に居つづけるものだから、近所迷惑になると言って母が先に折れて父を説得し、そうして父は、「言い分なら新年の挨拶の時に聞くから今は帰れ」と言って、ギイを追い払うことに成功した。

 実はそれに至るまでには流れがあって、父も考えたもので、他人の家を訪問するなら事前に約束を取り付けるのが礼儀だろうと、最初はそう言い放ったのだった。
だからといって、ギイが事前の電話をしようにも、当然、約束などしてもらえるわけもなく。
約束なしに訪れようなら、約束のない訪問は礼儀に反すると窘められる。
ギイはそれならと、時節の挨拶なら約束なしで訪問しても無礼ではないだろうと考えた。
が、父も父で、ギイがアメリカ人だという点を逆手にとって、盆暮れの挨拶はアメリカにはないだろう、と突っぱねる始末だった。

 結果、ギイが申し出たのは新年の挨拶で、新年を祝うのは万国共通だからと、両親の言い訳の隙間を狙ったのだった。
とはいえ、挨拶に来たところで、玄関先で追い返されるのに変わりはない。
ギイは、「玄関ドアを開けてもらえるようになっただけでも進歩だ」と嬉しそうにしてたが、ぼくにはそれが喜ばしいこととは到底思えなかった。

 だって、誰が見たいだろうか?
好きな人が、玄関の三和土に額を擦りつけるようにしてぼくの両親の前で土下座をする。
それを見て、ぼくが嬉しいと思えるだろうか。

 ピシッと決めた、いかにもオーダーメイドもののスーツが汚れるのも構わずに、膝をそろえて頭を下げる。
靴を履いたまま、一歩も家の中に入れてもらえずに、冷たい玄関の土間に手を合わせて平伏する。

「託生のことを許してください。オレたちのことを認めてください」

 毎年、ギイはぼくの両親に願いに来て、年によっては難題をふられ、それを「わかりました」と受諾して、そうしてひとり、とぼとぼと帰ってゆく。





「おっ、ここ閉まってる。いつもは元旦でも店開けてたのに。どうしたんだ?」
「ああ、よく気がついたね。この床屋さん、親父さんが引退して、息子さんが跡を継ぐんだって。
今度は美容院になるらしいよ」

「ここって託生が小さい頃、お世話になったとこだろう?」
「うわ、さすがにギイ、記憶力いいねえ。そうだよ。中学までここに通ってた。
だって、いつものでお願いします、で済んじゃうから、すごくラクチンだったんだ」

 商店街のアーケイドにはこじんまりとした店がたくさん並んでいたが、ほとんどの店が今日は休みだ。
それでも、花屋や和菓子屋、洋菓子店。なぜか金物屋が開いていて、少しだけ料理屋みたいな店も暖簾を下げていた。

 元日の朝、こうしてふたりで歩くようになったのはずっと前のことだ。

 新年の挨拶は普通なら二日以降にするものだ。元旦にするのは礼儀に欠けると聞く。
だが、父の昔からの知り合いという人が何人かやっぱり毎年うちに挨拶にやって来るので、そういう人たちとかち合わないようにギイは心砕いて元旦を選んでいる。

 ある年、ギイが高級車でうちに乗りつけた時、父は、「どうしてもうちに来るのなら自分の足で来なさい」と言った。
ギイが天下のFグループの御曹司だと知った上での父の命令だった。
以来、ギイは公共機関を使ってうちにやってくるようになった。

 ぼくはギイと散歩をするのは嫌いじゃない。けれど、この日だけはどうにも好きになれない。
この行き着く先にあるものが怖いのだ。

 祠堂学院高等学校を卒業して、アメリカに戻ったギイはハーバード大学の経済学部をスキップして二年間で卒業し、その後、大学院に進んだ。
それもスキップして卒業してしまうのだが、ハーバード大学のご近所にはアメリカ一の頭脳集団がそろうMITもあり、そちらのキャンパスにも大学の単位取得以外の目的で通っていたという話だからギイのバイタリティーには恐れ入る。
ギイは学生時代、理学部や工学部、医学部、薬学部、法学部など多面の分野にわたって、とにかくさまざまな研究室に顔を出していたらしいのだ。

 一方、ぼくは祠堂を卒業したのち日本の音楽大学に進学し、三年に進級する年にコンクールに優勝して、ウィーン国立音楽大学への二年間の留学の機会を得た。
留学中、国際コンクールにいくつか参加して、うち二度ばかり、二位と三位の入賞を果たしていたので、その実績が認められたのか、帰国後は、大学卒業と同時に入団したT交響楽団で入団当初からコンマスの任を賜った。

 もともとそれほど大きな楽団ではなかったが、コンマスはコンマスである。
「第一バイオリン、第一プルトの表」として、一般の団員と異なる役柄を求められる。
オーケストラという組織を全体から見渡しまとめ上げ、指揮者の補佐をしなければならない。
コンマスという任は、ぼくにたくさんの価値ある経験を積ませてくれた。
それらはすばらしい糧となり、今のぼくをかたどっているといっても過言ではない。

 そうして、二年間ほど、T交響楽団に籍をおいたのち、ぼくは別のオケに移籍した。
なので、正確には、ぼくは現在、Kフィル第一バイオリン、第二プルトの表のバイオリニストということになる。

 ただし、去年の秋ほどから引退をほのめかしていた現コンマスが、暮れの押し迫る頃ぼくを呼びつけ、春から頼むと正式に次期コンマス就任を打診してきたので、第二プルトに座るのはおそらく三月までになりそうだけど……。

 演奏家、特にソリストになるには、おおよその場合、その音楽活動を支えてくれる出資者が必要となる。
そして、ぼくにはパトロンになってもいいと言ってくれる人がごく身近にいて、それがぼくの恋人であったりするから、ぼくは複雑な、のっぴきならない想いにどうしても囚われてしまって、そこから抜け出せなくなってしまう。

 ギイの経済力は並ではない。
はたから見れば、音楽家にとって、彼という存在は見返りを求めてこない最高のパトロンと言えるだろう。
パトロン探しに苦労をしている人に比べたら、きっとぼくは贅沢なのかもしれない。

 でも、ぼくは思うのだ。ヘタな演奏も名高い演奏になってしまう彼の力はとても恐ろしいものだ、と。
納得できない演奏を観客たちに喜ばれたら、何を信じていいのかわからなくなってしまう。
彼にはそれを可能とする力があるから、ぼくはずっと自分の演奏を信じきれない部分があった。

 ぼくは自分の実力がどれほどのものか、いつも不安で。
演奏家になれるのか。音楽で身を立てられるのか。もしかしたら、どこかでギイが裏で手を回してるんじゃないか。
彼が直接かかわらなくても、ぼくの周辺に彼の影がちらつくというだけで、ぼくへ特別な配慮がなされているんじゃないか──。
そんなふうに疑心暗鬼になるのはいつものことだった。

 ギイはぼくが困るようなことをする人ではないと信じているのに。
ぼくが身を置く音楽業界は実力がモノをいう世界でありながら、資本がなければ成り立たない世界でもあるから信じきれない。

 だから、ぼくは自分の実力がわからないままソリストを目指すのは怖くて。
オーケストラへの参加を決めたのは、そういう不安を拭いたかったからで、オケで実力が認められてからソリストを目指しても遅くはないと判断したからだ。

「何処何処のオケに属してました」は確実な肩書きとなるし、それにコンマスという付加価値がつけばさらに信用度は増す。
多くのバイオリニストの音に触れれば触れるだけ、それ分、自分の音も知れる。
楽団への入団は、自分がどれだけの経験と実力を備えているかを明確に知る手段としてもとても有効だった。

 そして、今もその選択は間違ってないとぼくは信じている。

 バイオリンは本来、それひとつで音楽を作り出す楽器ではない。
誰かと合わせて、音楽を完成させる楽器である。
それがオーケストラともなると楽器が多種多様なだけに旋律も複雑で、まさにさまざまな音程や音質が重なるため、尋常ではないほど厚みのある、深みを帯びた作品を生み出せる。

 現在、基本的にぼくはKフィルの仕事を中心に活動しているが、KフィルやT交響楽団で知り合った仲間たちと、小規模だが、四重奏などのサロンコンサートも行っている。

 バイオリンが参加できる曲は幅広い。
多人数での多種多様な楽器を用いるオーケストラで演奏するに相応しい曲もあれば、室内楽と呼ばれる少人数での演奏が似つかわしい曲も多数ある。
また、幅広い活動は、多くの曲を弾くチャンスでもあった。

 だから、そんなこんなで、ぼくのほうも、特にイベントシーズン……つまり、クリスマスや年末、新年明けてのしばらくの間はものすごく忙しくて、ギイの多忙さをどうこう言える立場ではなくなってしまっている。

 普通ならクリスマスくらいは恋人と一緒にすごしたいと思うものだが、ぼくとギイの場合は物理的にもちょっと無理で。
ぼくの十二月の予定は殺人的に忙しく、ギイもまた、各方面からのパーティの招待状を裁ききれなくて四苦八苦している状態だから、無理してクリスマスに会おうとするとお互い首を絞めることになる。

 それにもともと月の半分以上は日本国外に出払っているギイなので、予定がつかなくてもそれは仕方がないことと、ぼくはもとから諦めているフシもあって──。

 とはいえ、当日は無理だけど、早めのクリスマスはちゃんとしているし。
それはお互い納得していることだから……。

 十二月の頭くらいからギイがふたりの家に帰ってこれなくなるのも、もう毎年のことで。
ぼくの仕事がひと段落するのはどうしても年末の二日と三箇日(さんがにち)くらいだから。
ぼくが大晦日に帰省し、元旦にギイがうちへ挨拶に来るのがここ数年のパターンになっていた。

「ふたりで行ってふたりで帰ってくればいいじゃないか」と言うぼくに、ギイは、「家族水入らずの親孝行も必要だ」と言う。
「先に行って内情調査してきてくれ」などとおどけて、「オレのこと何か言ってたか?」とか、「今年は何言われるのかな」とか、ギイは笑って言うけれど。

 ひとたび経済界に戻れば、Fグループの次期総帥としての社会的立場を持ち、事実、祠堂にいた頃以上に、水を得た魚のようにその才能と手腕を思い切り発揮して、財界の寵児として活躍しているギイである。
ぼくの父が生涯かかっても手にすることができないような上のほうの地位の人からも握手を求められ、頭を下げられる。

 そういう日常を送っているギイが、毎年元日の朝に、ギイのアメリカの本宅の彼自身の私室ほどの敷地すらない小さな家を訪ねて、その汚れた玄関の三和土に額を擦らんばかりに土下座をするなど、彼宛にクリスマスパーティの招待状や新年の挨拶状を贈ってくるハイクラスの人たちに仮に話して聞かせたところで、いったい誰が信じるだろうか。
そんなの誰も信じないと思う。

 ましてや、ぼくの父はギイに土下座させるだけでは飽き足らず、ときどき無理難題を振ってくるのだ。
わが父ながらそのやり方は非道としか思えなかった。





「横断歩道、赤になっちまったぞ。何ぼけっとしてるんだ、託生。もう正月ボケか?」
「元旦から正月ボケなんてするはずないだろ。あ、ギイ、青だよ。早く渡ろう」

 手土産を持ってこいとは、一度として父も母も言ったことがない。
でも、ギイは毎年この日、一升の角樽と母の好きな洋菓子を持参する。
朱塗りの角樽はおめでたい行事に使われるもので、中でも一升ものは「一升つれそう」の意をこめてしばしば婚礼用に使用される。

 ぼくはギイの気持ちの表れを嬉しく思う反面、今年でとうとう両の手のひらほどの一升の角樽を彼に用意させてしまったのだという事実に至って胸が苦しく軋んだ。

「ギイ、半分持とうか?」
「ん、ならこっちな」

 本当は駅で会った時に言うべき言葉だった、と反省しながらぼくが言うと、「今日の託生はボケてるよな。ま、いつものことだけど」とわざとからかうように口元を緩めながら、ギイは洋菓子の箱を差し出してきた。

 いつもなら、どうせぼくはボケてますよ、くらい言って、わざと皮肉れた態度をとるところだが、今日のぼくにはそんな気力もない。

 それよりも、こんな時にギイがぼくに渡してくるのは決まって軽いほうで、重いほうは絶対ぼくに持たせないよなあ、と今更ながらギイの気遣いにしみじみ感じ入ったりして。

「ギイってあいかわらずフェミニストだよね」
「何言ってるんだ、こんなの当然だろ?」

 レディーファーストのお国柄なのはわかっているけれど。ぼくもギイも男なのに。
でもぼくが一言口にすると、恋人を労わって何が悪い、と返すギイ。
ぼくがいくら言ってもギイは聞き入れなくて。

 ギイがすごくぼくを大切にしてくれてるのがわかるから、今日これからのことを思うとせつなくなる。
まだ朝と言ってもいい時間帯なのに、元旦というこの一年のはじまりの日が早く終ってくれたらいい願ってしまう。

 ギイはとても強くぼくを想ってくれていると思う。

『葉山に対するギイの熱意はすさまじいに尽きる』

 それは、大学時代、章三に会うたび言われていた言葉だった。
そして章三はこうも言っていた。

『ギイも不安なんだろな。ヤツもやっぱり人の子だったってことさ』

 祠堂を卒業する間際、ハーバード大学に進学するギイと日本の音楽大学を選んだぼくが、ほとんど地球半周分離れた遠距離恋愛をすることになった時、「太平洋があったんじゃ通い婚もままならないな。残念だったなあ、ギイ」という章三の全然残念そうでないその言葉に、「え? オレ通うぜ」と、さも当然のようにギイが言い返した。

 「嘘だろ?」と章三も最初は信じなかったのだが……。
その後、言葉どおりに、平日はアメリカ、週末になると飛行機に飛び乗って日本に通うという暴挙をギイが起こしたものだから、章三は、「アホだ。まったくありえん」と感嘆を通り越して呆れてモノが言えない体(てい)だった。

 たまに会うたび、「この能天気そうな顔……。ギイの気がしれんわ」とぼくの顔を見てはぼやき、「葉山、浮気だけはするなよ、血の雨が降る」と釘を刺してきて。
ぼくらが喧嘩して電話で愚痴ると、「世界恐慌がすぐそこまで来てるぞ」と脅し、仲直りしたらしたらで、「Fグループの対抗企業にでもスポンサーについてもらえ」と皮肉った。
「急ぎのメールなら時差を考えろと伝えておけ。夜中に送られてきたってすぐ見れるか!」などと、ぼくに向かってギイへの鬱憤を晴らすのが章三のストレス解消法らしく、日本で同性結婚法が施行された時などは、「世も末だ」と嘆きながらも、「よかったな」と笑ってくれた。

 まあ、章三のことはともかく。
すべてぼくに会いに来るためとはいえ、ギイがものすごい努力を重ねてきた本当で、「無茶しないで」と、ぼくはギイに何度言ったかわからない。

 それはぼくがウィーンにいた頃も続いて、「太平洋より大西洋横断のほうがやっぱり近いな」などと呆けていたくらいだから、ギイの気力と体力は心底あなどれないと思う。

 今は、できるだけスケジュール調整して、半月ほど海外で精力的に仕事をこなし、残りの半月は日本にいてもできるような仕事と休日にあてるようにしているので、飛行機に乗っている時間がすごく少なくなったとギイは喜んでいるけれど……。

 定期券とかあったらいいのに、そしたら即座に買ってるな、と言って、今度一度航空会社に提案してみるか、などとほざいた時にはものすごく呆れた。

「だって、電車通勤に定期券があるのに、どうして飛行機に定期券があっちゃまずいんだ?
かっこいいじゃんか、スルーパスみたいで」

 そんなもの、ギイのはただの思いつきでしかなく。
案の定、ギイの頭の中では、そのスルーパスの中には、入出国検査やその他もろもろが当然含まれていたりするから、またそんな非現実的なこと言って、といつものギイの戯れもまったく困ったもんだと思ったものだが。
そこで終らないのがギイ、なのである。

「チケットの発行関係の手間も浮くし経費も軽減されるから、時間もお金もかからずに済んで一石二鳥じゃないか」

 そんなふうに案外まともな言い分を付随してくださるから、ギイの部下たちが奔走する羽目になる。
優れたアイデアと言っても、実は単なるコジツケから生まれた偶然の賜物だったりするから、ぼくしか知らないこのテの裏話が増えるごとに、ギイを支えてくださっている(お守り、とも言う)部下の方々のご苦労が忍ばれて本当に申し訳なくなる。

 ぼくとギイは、現在、東京よりの横浜の郊外で一緒に住んでいる。
音響に気をつかった、いかにも注文住宅の家は防音も完璧で、その建築費用にいくらかかったのかは怖くて訊けない。
ぼくがウィーンから帰ってきたら家はすでに完成されていて、ぼくは成田空港からギイに直接連れて行かれ、「これ、託生の分」と鍵をぽんと渡された。
以来、この五年間、一年の半分を一緒にいられればいいほうだが、一応、ぼくはギイと一緒に暮らしている。

──こういうのって、半同棲状態って言うのかなあ。

 ギイとぼくが一緒に暮らしていることは、ぼくの両親は承知の上だ。
ぼくたちのことを認めてはくれないが、ふたりが一緒にいることについては、二十歳を過ぎた自活している男のことだ。口出しすることはしてこない。

 ギイの家族はアメリカという国民性のおかげか、さすがに同性愛においての理解が段違いで、ぼくの両親にぼくたちのことがバレたと同時にギイが突如カミングアウトしたのにもかかわらず、その事実を平然と受け止め、ぼくをギイのパートナーとして快く受け入れてくれた。

──まあ、ギイの初恋がぼくで。
ぼく以外いらない、好きにならないってごねたからってのが決定的だったらしいけど。

 ギイとしては一生をかけてでも、ぼくの両親にも必ず認めてもらうつもりでいるようだけれど、ぼくはすでにもう半分諦めの境地になっている。

 ここ数年は、暦が師走になると、ぼくらは早めのクリスマスをふたりで祝い、それから決まって、「大晦日には実家に帰れよ」とギイはぼくに言って。
「元旦にはちゃんと行くから笑顔で迎えてくれ」と笑ってギイは横浜の家を離れてゆく。

 葉山の家では正月の祝膳は元旦の昼食にとることになっていて、その席で小さい頃はお年玉をもらったりしていた。
高校生になった頃からはぼくにも杯が用意されて、ちびりちびりとおとそをいただきながら、母の作ったお雑煮や御節料理に箸をつけている。

 正月料理と言っても、母が作るのはお雑煮、栗きんとん、お煮しめ、極細の牛蒡とニンジンの金平、数の子、紅白なますくらいで、たまに黒豆煮を用意したりするが、ほかのものは食べたい分だけ買ってくるようにしているようだ。
必ず用意されているのがマグロのお刺身で、年によっては小さな切り身の焼き魚とハジカミがついてくる。

 元旦の膳で飲む日本酒は金箔入りで、酌をした時、大きいのが出ただの少ししか出なかっただの、杯に入ったその金箔の大きさや量を競い合うのが毎年変わらない団欒のひとつだった。

 一昨年、母方の親戚筋に不幸があって、昨年、ギイが元旦にやってきても、父は、「今年は新年の挨拶は受けられない」と言って顔すら出さずにギイを追い払った。
いつもは一応だけど玄関まで来て顔だけは出すのに、それさえもせず。
年に一度の父との接触の機会を失ったギイは、普段と変わらないようにしていたが、そのあとしばらく落ち込んでいるのがぼくにはわかってしまって、ものすごく申し訳なかった。

 だから、三週間前、成田空港へと向かう朝、「今年は誰も亡くなってないよな?」とギイがぼくに真剣な顔で確認してきて、「大丈夫、みんなピンピンしてる」と言ったら、すごくホッとしていた。





──へえ、着物だ。

 向こう側から着物姿の男ふたりが歩いてきた。
ふたりともが紋付羽織袴を着ていたので、思わず見とれてしまった。

「何見てんだよ」

 少しだけ、むっとして、ギイが拗ねる。

「だって、袴姿なんて。それもふたりも。すごく目立つじゃない?」
「まあな。でも、目立つってとこが着物だってとこがすごいと思わないか?
あのふたりも手を繋いでいて、オレたちもこうして繋いでて。
でも、男同士で手を繋いだところでそれがおかしなことじゃないって世間で認められているってのはさ。
オレたちにしてみれば、いい世の中になったとも言えるじゃないか」

 父が言った無茶な難題のひとつに、日本での同姓結婚法の成立・施行、加えて、ギイのもうひとつの居住場所であるアメリカ、ニューヨーク州での同性結婚の合法化というものがある。

 特に日本においては、異性結婚に認められる権利を同性カップルにも認め保証するパートナーシップ法などと呼ばれるものではなく、あえて、同性同士の婚姻関係を異性同士の婚姻関係と同等とみなす同性結婚法を、と言ってきた。
妥協案として、ニューヨーク州のものに関しては、夫婦と同じ権利を同性カップルに与える法的枠組みでも許してやる、と言って。
ぼくは、さすがのギイもそんなことできるわけない、無理な話だ、と父を責めた。

 ギイは玄関の三和土に正座しながら、一瞬の逡巡(しゅんじゅん)ののち、「わかりました」と了承した。
ギイは実業家であって、政治家ではない。
それなのに、使えるツテのすべてを使って、ギイは有言実行を貫いた。

 結果、翌年には、ニューヨーク州で、異性結婚の夫婦とほぼ同等の権利が認められつつも法律上の区分では配偶者にはならないドメスティック・パートナー法が州法で定められた。

 また、日本の国会においては、その年、同性間の結婚を認める法案が提出され、承認された。
施行はさらに数ヵ月後となり、残念ながら年内には間に合わなかったが、それでも年明けて早々には施行されることが決まっていたので、その年の暮れには、ギイも、「これで何とか許してもらえるかな」と言って、次の元旦には父にいい報告ができると喜んだのだった。
結局、その喜びはぬか喜びで終ってしまったのだが……。

 余談として、さる代議士が率先してその法案に着手し、承認されたと同時にぼくらの昔馴染みにプロポーズして、施行日当日の朝、役所に婚姻届を提出して同性結婚第一号をもぎ取ろうとしたのだが、残念なことに、夜間受付で提出したカップルがいたとかで、一番最初の栄光を手にすることが叶わなかった、という思い出話がある。

 その代議士は女好きのくせに、純情一直線の恋愛を貫いた、ギイに言わせると「男として同情したくなる人」で。
「結婚しました」の葉書をもらって以来この七年間ずっと、ふたりの連名での年賀状が毎年ぼくとギイ宛に届いている。
その昔馴染みとは、祠堂の時、クラスが一緒で、彼とは級長、副級長の仲でもあったから結構、仲がよかった。

 アメリカのことはよくはわからないが、日本のことに限っていうと、同性結婚法の施行はいい意味でも悪い意味でもいろんな社会的影響を起こした。

 まず、離婚率が一時期、急激に上がった。
異性結婚をしていたカップルが別れ、本当に添い遂げたい人と結婚したいと望む人が表立って出たためだ。
そしてそれは出生率の低下をさらに加速させ、人口の急激な減少が懸念された。

 だがそれも、これまた父の爆弾発言で解消することになるのだった。
それは、同性結婚法が施行されて、ぼくとギイがホッとしていたところへ落とされた未曾有の一発で、あのギイがその内容を聞いた瞬間、言葉を失くしたほどのものだった。

 その、父が提示した未曾有の一発とは、すなわち、「同性カップルの赤ちゃん誕生」だった。

 さすがにコレには倫理の問題も絡むし、当然、医学的問題だけでは済まされない。
ただ、技術的にはもともと無理ではなかったようで、基本的なものはすでに研究されていてそれなりの結果も得ていたらしい。
その研究にギイは後押しをしただけだと言ってはいたが、本当のところはよくわからない。

 それでも、学生時代にいろんな学部の研究室に出没しておいた成果がここに来て実った、あの時行っておいてよかったと、ギイ本人、真面目な顔で言っていたので、いろんな人に助けられたことは間違いないと思う。

 まず開発されたのは、遺伝子組み換えした卵子や精子を作り出す方法だった。
男同士のカップルの場合は、当事者の片方のX染色体を持つ精子の遺伝情報をもとに遺伝子組み換えした卵子を作り、その卵子を使って人工受精を行い、受精卵を作る。
女性同士のカップルの場合も同様に、遺伝子組み換えした精子を作って人工受精させるのだが、女同士のカップルの場合はX染色体の精子しか作り出せないので女の子しか生まれない。

 そしてこの方法は、子供を望む同性カップルの両者が受精卵ができるまで医療機関に足を運ぶのが必須で、受精卵が運良くできても、男同士の場合は体外受精された受精卵を第三者の女性に代理母として出産を依頼しなければならないので、当事者以外の他人を出産の危険性に巻き込んでいいのかという問題をはじめとして、いろんな方面から是非が問われた。

 父も当然、翌年の元旦には、それらの欠点を鋭く突いてきて、ギイを責めた。
もちろん、ギイひとりの責任ではないのをわかりきった上で、だ。

 だが、ギイをよく知るスタッフたちが解決策を打ち出してくれたから、それも事なきを得た。
第三者を巻き込まない当事者だけの妊娠、出産を開発した技術には、さすがにアメリカの技術はすごいと思わざるを得ない。
「仮腹」と呼ばれるもので子宮もどきを作るこの方法は、女性同様の妊娠が可能になる画期的な発明で、ものすごいスグレモノだった。

「仮腹」にはどのような細胞にも変化可能な万能性を持つ多能性幹細胞が埋め込まれていて、「仮腹」を体内に入れると、多能性幹細胞が遺伝情報を受け取って卵子を作り出すようになっている。
この「仮腹」は本物の子宮と違い、伸縮を起こさないので陣痛がなく、女性ホルモンの一年間投薬と帝王切開が必需になるが、この方法の場合、男同士の同性カップルだけではなく、子宮癌などの闘病生活で妊娠、出産を諦めていた異性カップルへの救済手段ともなったため、世界中が注目した。

 この「仮腹」は実際、アメリカの発明なのだが、ギイはこれを日米共同開発商品とした。
日本の場合、外国で認可された新薬でも動物実験から再度やり直して確かめるので、通常、認可がおりるまですごく時間がかかってしまう。
だが、日米共同開発ともなれば時間的短縮が見込めるのだ。

 そしてギイの思惑通り、厚生省の認可が最速でおりた「仮腹」は、医療機関での処方販売であるにもかかわらず爆発的に使用され、三年経った現在、出産率は一昨年、昨年と続けてゆるやかだが増加となり、出産関係産業の景気は鰻上りになるといった社会現象をも起こした。

 同性結婚法や仮腹出産による経済効果は出産関係産業に留まらず、結婚式場やホテル、レストラン、デパートなど、数珠繋ぎにいろんな方面へと連鎖してゆく。

 また、アメリカの経済界にも同様の効果が現れ、景気上昇となったため、ギイはますます仕事に明け暮れる生活となり、ぼくは一時期、三ヶ月もギイに放っておかれて、思わずキレたことがある。

 長期間会えなくて不安に揺らぎ、それをずっと我慢していたため不満も溜まり……。
そんな時に故意か偶然か、ギイと某石油王ご令嬢との婚約の噂が流れ、ましてや間の悪いことに、ぼくが思い悩んでいる時に限って、パーティを途中で抜け出したのか、人込みの喧騒の中、国際電話をかけてきたギイの声に重なって、突如、女の人の甘えたような声が割り込んできたものだから、一気に頭に血がのぼってしまった。
絡みつくようなその媚びた声を振り払おうにもどうにも耳から離れなくて。
英語を苦手としてるこのぼくが、単身アメリカまで怒鳴り込んで行くほど、ぼくはその時、切羽詰まっていた。

 まさに奇襲のようなぼくの訪米に一番慌てたのは、実は島岡さんだったかもしれない。
噂はデマだと言い逃れのような言い訳を繰り返すギイとそれを完全無視するぼくの間に挟まれて、始終困った顔をしていた島岡さん。

 ギイが必死に弁解するその間もずっと、例の婚約話をこのまま進めたい方々や、噂の真偽を問いただそうとする取引先、はたまた、「結婚しないで」と懇願してくるどこぞの女性などから引っ切りなしに電話があって。
もうそうなるとギイは全然弁明するどころではなく、釈明することばかり増える一方で。
呼び出し音が鳴るたび、ギイの顔が苦虫を潰したようになって、ついには仕事に不可欠であろう携帯電話の電源をブチ切ってしまった。

 そんなギイの逃げの態度がぼくの怒りにますます油を注ぐわ、ギイはギイで、「これは捨てる。託生専用のを用意する」と携帯電話を床に投げ捨ててしまうわ。
結局、ギイの身の潔白は晴れたのだけれど。
あれほど焦ったギイの顔を見たのは初めてだった気がする。

 あれは今、思い返しても苦い思い出でしかない。
壊れた携帯電話を黙々と拾っていた島岡さんにとっては、本当に迷惑千万の不毛の痴話喧嘩でしかなかっただろう。

 あの時、ギイは、「忙しさを理由に託生に甘えてた。悪かった」とすごく反省していたけれど、次から次へと沸いて出てくる果てのない仕事の山に加え、思い通りに会えないぼくとのことや、いつまでも許してくれない父のことなど、いろんなことが重なって、ギイ自身、あの頃は気持ちがいっぱいいっぱいだったのかもしれないと、今だったらそう思える。
でも、当時のぼくには余裕なんか全然なかったから……。
ギイには本当に悪いことをしてしまった。

 それにしても、あの時、ぼくがキレたのがよほど印象深かったのだろうか。

「すでに教育関連産業あたりに飛び火の兆しが出てんだよな」と零しながら、「これ以上、忙しいのは勘弁」とギイが苦笑いしていたのは先頃の春のことで、「忙しさにかまけないよう心するから」と真剣な顔でキスしてきたのがまだ記憶に新しい。





 一生続く恋もあれば、一瞬で終わってしまう愛もある。

 好きな人と一緒にいられるのはとても幸せなことだけれど、互いに手を伸ばし支え合って、ふたりで歩いてゆくこの道はとても長い。

 だからこそ、いつも平坦というわけにいかなくて。
山あり谷あり、いろいろと起伏に富んだ、楽しいばかりでも苦しいばかりでもない道となる。

 それでもやはり、これからもふたり、ともにありたいと望み、ともに生きていきたいと願うからこそ、ギイは毎年、この日の朝、この道を歩き、ぼくはその横を寄り添って歩く。

 そして、凛と張った冷たい空気の中、ぼくの実家へと続くこの道を歩くたび、ぼくは幾度となく問い続けている──。

 いつまでこのせつない道を歩けばいいのか。

 年の初めのこの道を、ギイにいつまでも歩かせてしまっていいものだろうか。

 ギイは、いつまでぼくとこの道を歩いてくれるだろうか。

 いつまでぼくはこの道を歩けるだろうか……。





「ちょっと、これ頼むな」

 ぼくの家に着くと、ギイはインターフォンを押す前に、ぼくに角樽を預けてコートを脱いだ。

「ありがとう」

 ぼくからすべての荷物をもらうと、一息ついて、ボタンに指を伸ばす。

 ピンポーン、と聞き慣れた呼び出し音に重なって、「はい?」と母の声が続いた。

「崎です。あけましておめでとうございます。
突然で申し訳ありませんが、ご挨拶に伺わせていただきました」

 この台詞も毎年のことだ。もう聞き飽きた。

 ギイの顔からは、すでに笑顔が消えている。
毎年のこととはいえ、ギイもまたこの日は緊張する日なのだろう。

 うちの前を通り過ぎてゆく人たちがちらりちらりとギイを振り返ってゆく。
背筋をぴんと伸ばして凛々しくたたずむギイの姿に目を奪われ、雪解けの水溜りに靴を濡らす人もいた。

 そこにいるだけで輝いているように見えるギイだけど、その麗しき外見ですら彼の魅力の一部分でしかない。
ぼくの前では子供っぽいところがあるギイ。そんなギイもぼくは好きだ。

 ギイはとても素敵な人で、ぼくの自慢の恋人で。
ぼくはギイを好きになったことを一度も後悔したことはない。

 もし仮に、ギイが振り向いてくれなかったとしても、ぼくはたぶん、ずっと好きでいたと思う。
誰にも知れずに誰かを想う。それくらいの自由は許してほしいもの。
ずっと想っているだけならいいだろう?

 けれど、ギイは、ぼくをちゃんと見つけてくれた。
幸運にも、ぼくの想いはギイに掬(すく)われて、ぼくはギイの恋人になれた。

──好きなんだよ、ギイ。

 好きになったのはギイだけじゃない。ぼくだってギイを好きなのに。

──ぼくだって、ギイのことが大切なんだ。

 ギイだけに詫びるように膝を折らせて。不憫な思いばかりさせて。

──もう嫌だ。もう見たくないよ……。

 ぼくだけが何もできないでいるなんて。こんな理不尽ことがあるだろうか。

──もう耐えられない。もう帰りたい……。

 ぼくだって、ギイを守りたい。ぼくにだってできることがあるはずなんだ──。

 ぼくは、ギイの袖を引っ張って、
「ギイ、横浜に帰ろう。やっぱりもういいよ。何度ギイが来ても結局駄目なんだ。
ぼくは今の生活で満足してるし、もううちに来ることはないよ。ぼくはとうの昔に親よりギイを選んでるんだ。
今更、親の許しなんか必要ないよ」
だから帰ろう、と繰り返した。

 結婚したければ、ふたりとももうとっくに二十歳を過ぎているのだ。
未成年ではないのだから、保護者の許しがいるわけでもない。
誰か知り合いに頼んで、証人のサインをもらえば、紙切れ一枚のことなど簡単に済まされる。
ギイにはたくさんの友人や知人がいるし、ぼくにだってそういう大事なことを頼んでも引き受けてくれそうな人がいる。

「ギイ、もういいから」

 ぼくはギイが玄関に進むのを押し止めた。

 ぼくが本気で願えば、いつものギイなら簡単に聞き入れてくれる。
だから、もしかしたらぼくらの前に隔たる玄関ドアを開けることなく、このままふたりでどこかに行ってくれるかもしれないと、そう思った。

 けれど、ギイはやっぱりギイで、一本筋の通った信念を持っている人だから、
「ダメだよ、託生。これはおまえだけの問題じゃないんだ。オレの問題でもあるんだよ」
ぼくがいくら嫌だと駄々をこねても、ダメな時はダメだとはっきり反対の意を示して妥協などしてくれない。

 そうこうしている間にも玄関ドアが開き、母が顔を出してきた。

「あけましておめでとうございます。これは新潟のお酒です。
酒好きな知り合いが勧めてくれたものなので、おいしいと思います。どうぞ召し上がってください」

 角樽に続いて、母が喜びそうなおもたせの洋菓子の話を二、三すると、ギイは手土産を母に手渡して、「失礼します」と玄関に入っていった。

 本来なら、父との挨拶のおりに持参した手土産を直接渡すところなのだろうが、ギイは先に母に手渡した。
玄関を入った瞬間、渡せる雰囲気でなくなるのを、ギイもまたすでにわかっているのだ。
もう今日で十年目。今後の流れなどお互いわかりきっていた。

「託生もお入りなさい」

 母に促されて、ぼくは靴を脱ぎ、玄関に上がった。
一方、ギイは玄関先でたたずんだまま、父が出てくるのを待っていた。

 毎年元日の朝に繰り返される一場面。
それをまたぼくは目にしなければならないのかと思うと、目頭がじわっと熱くなる。

 せっかく綺麗にしておいたのに、三和土に泥水が散っている。

──ああ、汚れてしまう……。

 ぼくはそこから視線を逸らした。
見たくない。見ていたくない。幾度そう思っただろう。

 そしていくらそう思っても、ぼくの言い分など誰も聞いてくれないのだ。
ほら。また今年も見なければならなくなる。

 父がやってくる気配がわかると、例年通り、ギイが玄関に膝を並べて手をついた。

「あけましておめでとうございます。今年も託生とのことお許し頂きたく、こうして参りました」

 好きな人がぼくの目の前で頭を下げる。
新調したばかりのスーツなのに、と呟きたくなる。

 ギイは馬鹿だ、と八つ当たりしたくなって。
ぼくの筋違いな想いをあざ笑うかのように、涙が床を濡らした。

 以前、ギイを止めようとして、父とギイの間に入ったこともあった。
そしたらふたりに叱られて、それ以来、ぼくはこの瞬間何も言えない立場になった。

「あけましておめでとう。あいかわらず元気そうだ」

 父のこの言葉も毎年同じ。
優しく語り掛けてくれたかと思ったその口で、そのあと吐き出されるのは、「挨拶はしてもらった。もう帰っていい」で、無理難題を言うのは、ギイの帰り間際と決まっていた。

「もう十年か。早いものだ。きみも大概、根性があるな」
「託生のことに関しては、筋金入りを自負してますから」

「そうか。それほど強い想いか」

──え?

 今年は少し様子が違う、と感じた。

 父が、「ついて来なさい」と言って、客間に向かったのが決定的だった。

 思わず、ぼくとギイはお互いの顔を見てしまった。





 うちの客間は八畳の和室で、ほぼ一畳ほどの大きさの座卓がひとつおいてあるのが常だった。

 だが、今朝の客間はその座卓が片付けられ、座布団がふたつ置いてあるだけだ。
父はすたすた客間に入ると上座の座布団の上に胡坐(あぐら)をかき、ギイにもうひとつの座布団を勧めた。

 ギイは客間に足を踏み入れると、座布団を脇に退いて正座した。
ぼくもギイに続いて、彼から少しだけ離れて横に座る。

 外から子供の喧騒が聞こえて、誰かが家の前の通りを過ぎ去ってゆくのが知れた。
裏の家の人が出かけるのか、車のエンジン音も聞こえる。
何を話しているかまではわからなかったが話し声も聞こえた。

 そういう日常生活の音が普通に聞こえているのに、この空間だけはいつもと違っていて、何が始まるのか想像できなくて、しきりに不安がつきまとう。

 また何か突拍子のないことを言われたらどうしよう。
そればかりが頭の中をめぐって、落ち着かない。

 俯いていた父が顔をあげて、ギイと視線を絡ませた瞬間、ぼくは本気でギイをつれてこの場を逃げ出したくなった。

 そして、父が口を開いた。

「私たちには、一度この子を見捨ててしまったその負い目がある。
この子がこうしてこの家で穏やかに正月を過ごすことなどないと、そう思った日もかつてあった。
きみがこの子を救い上げてくれなかったら、きっとこんなふうに心穏やかな正月など私たちは二度と迎えられなかったろう。
託生の心を救ってくれたきみが……、託生が選んだきみが、この家にやって来て。
初めて私たちに頭を下げたあの日、そんなことは十年前のあの時からわかってはいたんだよ。
きみが託生にとってかけがいのない人だということは、そんなことはわかってたんだ。
だが、若気の至りということもある。十代の子供の幼い恋など淡く消えてしまうものも多い。
だから、私はこのままではいけないと思った。
きみは託生の諸刃の剣だ。使い方によっては託生の心をいとも簡単に傷つけられる。
きみの気持ちがもし託生から離れたら? きみの立場が託生の存在を許してくれなかったら?
きみという人に託生が必要なくなったら? そんなことにはならないとどうして信じられる?
だから、私はきみを試そうと思った。
託生の足かせにしかならないであろう私たちに、きみが十年かけて、きみにとって託生がどんな存在なのかを説き続けられたなら、きみの感情は一過性のものではなく、一生涯のものなのだと。
私たちがいずれこの世を去り、託生を残してゆく先に、きみに託生を託していいのだと、そう信じられる証しとして、十年はきみを試させてもらおうと……。
託生は幼い頃、たくさんのものを失ってきたから。
託生の人生の中できみという人間は託生にとってかけがえのない存在であればあるほど失えないものであるはずだから、一時的な恋情で託生のそばにいてほしくなかったんだ」

 父はそこで膝を正した。

「十年間、すまなかった。託生を愛してくれてありがとう。
私たちの息子を……、託生をよろしくお願いします」

 そこには、深々とギイに向かって頭を下げる父がいた。

 この十年、正月には、ギイの頭を下げる姿を見続けてきた。
だが、父のこの姿を見るのは生まれて初めてだった。

 父が長年、ぼくたちを許さなかったのは、すべてぼくのためだった。
そんなことはとうにわかっていたはずなのに、ぼくは全然わかってなどいなかった。

 相手が男だから。男同士には子が望めないから。世間体が悪いから。偏見の中で生きてゆくのは辛いから。
そんな目先の不安はすべてぼくの将来を案じる両親の気持ちなのだとは知ってはいたが、ぼくの本当の幸せを願っているとは到底思えずにいた。

 けれど、それは違っていたんだ。

「ありがとうございます。お許しくださって感謝します。ありがとうございます……」

 ぼくの隣りでギイが何度も同じ言葉を繰り返して、畳がへこむんじゃないかと思うほど額を擦りつけている。
ギイの頬が涙で濡れて、顔をあげたら、スラックスにぽつぽつと染みを作ってしまって。
高いスーツだろうに、とぼんやりクリーニングの心配をしてしまってるぼくはいったい何なのだろう。

「託生?」

 少し困ったように首をかしげるギイが少しだけ幼く見えた。
笑ってぼくを見つめてくるギイが、ゆっくりと両腕を開いて、ここにおいでとぼくを誘(いざな)う。

 いいのかな、いいのかな、と小さな子供のように父や母を振り向くと、しっかりと頷いてくれたので、恐る恐るぼくはギイに近寄った。

 ギイの腕が背に回ると、いつものコロンの香りが鼻をくすぐった。
つん、と鼻の奥が痛くなって、目頭が熱くなって。
視界がぼやけて、胸が苦しくなる。

 じわり、と浮かんだ涙がギイの肩口を濡らしてしまって、まずいと思った時には遅かった。
塞(せ)き止めていたそれが一度緩んでしまったら、自分ではもうどうにも止まらない。

 大好きな人の名を何度も呟いては鼻をすするのに忙しい。
好きな人の名を口にしていたはずなのに、いつの間にか、それはすすり泣きのような嗚咽(おえつ)となっていた。

「さあさ、食事の用意ができてますよ。
お正月ですからね。まだまだ外は明るいけど、ちょっとくらいならお酒もいいでしょ」

 母の誘いに、父が、「そうだな。正月だからな」と先に客間を出て行った。

 居間に通されたギイは、そこに並べてある四膳の祝い箸に目を開き、顔を輝かせて、これまた「ありがとうございます」と喜んだ。

 ギイの上着にしこたま涙と鼻水を垂らし、結局一着駄目にしてしまったぼくは、彼にハンカチを渡されたのだがそれでは足りず。
「はい、託生。これなら大丈夫でしょ」
先ほど母から渡された特大のバスタオルでどうにも流れっぱなしの涙を拭い続けている。

「ではあらためて。あけましておめでとう」
「おめでとうございます」
「おめでとう、ございます」
「お……で、と……──」

 まずは一献、と父がギイの杯に酒を注ぐ様子を見せた。

「今年からいい正月が迎えられそうだ」

 ギイの杯を持つ手が両手になり、父からの祝杯を受けている。

「今後とも末永くよろしくお願いします。託生とふたりで幸せになります」

 十年目の元日の朝はとても穏やかな年のはじまりとなって、その日、父は千鳥足になるまで祝い酒を放さなかった。

 日が暮れる頃には、ギイはぼくの父の母を、「お義父さん」「お義母さん」と呼び、母はもともと「ギイくん」と呼んでいたので変わりはなかったが、父は「崎くん」ではなく、「義一くん」になっていた。

 ぼくは始終、バスタオルの世話になっていたので、しばらくは目が腫れて痛かった。

 お陰で、その翌日、悲しい映画でも見たんですか、と知り合いに訊かれしまい、本当のことも言えないまま、「ええ、ずっと見たいって思っていたものを見れたので。すごく感動しちゃいました」と答えることになるのだが。
本当にずっとこんな日をぼくは夢見ていたのだから、嘘は言っていない。





「実際、オレが託生にしてあげられることって案外少ないんだよ。
オレの気持ちは昔っからおまえのものだし、託生はあまり物欲ないしな。
託生が欲しがるものといえば、オレとの時間くらいで。
オレとしては、託生が望めば何でもしようと思うのに。おまえは望まないんだ。
だから、オレにできることといえば、託生が本来持っているものをひたすら守ることくらいなんだよ」

 実家からの帰り道、街灯の明かりにふたり照らされながら歩いていた時だった。

「ぼくが持っているもの?」
「そう」

 酒が抜け切れないのか、触れるギイの身体から、ぽかぽかと熱が漂ってきていた。

「基本的なものとして、世間からの信頼、託生自身のプライド、家族の存在。
数えたらいっぱいあるだろうけど、生まれた時から誰もが持っているべきものっては、結局そういうもんだろ?
友人とか恋人なんてのはあとから選んだり、心がけたりして手にしてゆくもので、託生自身が決めてゆくもんだし」
「それなら、世間からの信頼なんてものこそ、自分で築いていくものなんじゃないの?」

「んー、でも、それは最初から損なわれずに持っているものでもあるんだよ。
つまりさ、最初はゼロの地点にいるんだ。ヘマやったらマイナス。努力次第ではプラス。
信頼なんてのは結局は他人からの評価みたいなもんだから、自分の行い次第でどうにでもなる。
そう考えると、最初の地点でちゃんとゼロを与えられているってことになるんだ。負の値でないゼロをね。
託生の親父さんはオレと同じことをしようとしたんだ。託生のそういう部分を必死に守ろうとしたのさ。
同性同士の恋愛が世の中に認められなければオレたちは信頼を失くす。
だから、同性結婚を世間に認めさせる必要があった。
異性間の婚姻関係さえ、いまだに子供を求められるのが世間一般の反応で。
実際、子供が生まれなければ、近い将来では年金問題、もっと先の話では人類滅亡なんてのに陥るのは目に見えている。
結婚した途端、『お子さんはまだ?』って聞くのは、そういう不安を頭のどっかにみんなが抱えているからかもしれないな。
同性同士で結婚して、子供を持つ選択が異性カップルなみにある今はさ、子供を持つ持たないは異性カップル同様に当事者の勝手で決めることだし、あえて同性同士だからという不利はない。
だから、同性だから恋愛してはいけないって言われる謂(いわ)れはないんだよ。
オレの場合、長男だが絵利子がいる。けど、託生は今やひとりっ子だろう?
託生、昔言ってたじゃんか。葉山の家を継がなきゃならないって。
おまえはそういう意識がやっぱりどっかにあるんだよ。
それはきっと、血を残すとか、まあ、そんなことを本能的に思ったからそういう言葉になったんじゃないかってオレは思うんだけど、違うか?
だから考えたんだ。
子供を持つのは選択のひとつだって逃げ道を用意しとけば、おまえのプライドは保てるかなって。
つまりは託生の本質であろう葉山の名を守るというプライドを、だけど。
託生はオレに、小さい頃、両親が託生に関心をもつことはなかったって話してくれたろ?
でも、オレが知る限りでは、十年前にはすでにそれも解決されてたんだと思う。
託生がもとから手にしているべきもの……家とか家族とかそういうものは、もうすでにあの時点で託生の手に戻っていたんだ。
オレとのことがバレた時、特におまえの親父さんに反対されて、このままだと絶縁になってもおかしくないって事態になってオレは思ったよ。それじゃ、いけないんだってな。
ずっと前からオレは知ってたから。だってさ、託生は欲しがってたじゃないか。
両親から注がれるあたたかい眼差しや、差し伸べられるべきあたたかい手を。
託生、ずっと憧れてただろう? だから、どうしても諦めたくなかった。
親父さんがいいと言うまで、オレは諦めたらいけなかったんだ」

 いつだってぼくは、逃げようとすれば逃げられた。
両親を振り切って、完璧に縁を切って。
恋人の待つ異国の空に飛んでいくことは、いつでもできたのだ。
実際、一度は自力でアメリカまで行っているのだから……。

 それができずにいつまでも日本に縛られてしまったぼくは、ギイにずっと負担を押し付けていた。

 でも、ギイと離れたくないと願っていたのも本当なんだ。

「ぼく、いつだって覚悟していたよ? たぶん、勘当されてもいいと思ってた。
本当にそうなったところで、ぼくは平気だったと思うよ」

「そうかもな。きっと、託生はそうできただろうな。
いつまでも子供じゃないんだから、親がどうこう言ってきたってとやかく言われる筋合いはないってトコだろう?
その気持ちはわかるよ。でもな、そんなのはオレが嫌なんだよ。
託生が時間をかけて手にした家族を、オレのせいで切り捨てるなんて、そんなこと許せるはずないじゃんか。
おまえ、オレが欲張りなの、知ってるだろう。
いくら時間がかかってもオレは全部を手にするつもり満々だったよ。
まあ、十年目にしてお許しもらえてよかったなと、今となっては正直ホッとしてるけどな。
これが三十年先だったらと思うと、マジぞっとするよ」

 そして、ギイは急に立ち止まって、ぼくの目を覗き込んできた。

 街灯の明かりが、ギイの満面の笑みの陰影を夜道にくっきりと浮かび上がらせる。

「でも、これでやっと言える」

 ギイは厳かにぼくの左手を取った。

 片膝を屈して、その特別な指の先に唇を寄せて、ぼくだけに告白する。

「託生。結婚しよう」

 今までも、ギイは本当にたくさんの幸せをぼくに与え続けてきた。
なのに、ギイはどこまでもぼくを幸せ攻めにしようする。

「託生を愛してる。これからも愛し続ける。今まで以上に愛すから。そう約束するから。
一生、オレのそばにいて、オレを幸せにしてほしい。……オレと結婚してください」

 そして、ギイは昔から欲張りで、いつだってぼくの幸せのみならず、自分自身の幸せもがっちりちゃっかりもぎ取ろうする。

「託生、返事は?」

 ギイの誘いはいつも魅力的で、逆らうのはとても難しい。

 ぼくを選んだギイがどれだけたくさんの苦労をしてきたか。
きっと、ぼくが想像できないほどの困難な道程が彼には確かにあったのだと思う。

 そんな苦労さえ、「苦あれば楽あり」なんて言葉で一笑してしまうギイは、ぼくからすればものすごいモノ好きで、ぼくのことをこんなに好きになってくれるモノ好きはきっとギイくらいなものだろう。

 たとえ、世の中が本当にぼくらに優しくなったとしても、ギイを取り巻く世界がそうかと言えば違うと思う。

 それでも、ギイがぼくを選んで、ぼくしかほしくないと言うならば、ぼくはどこまでもギイを信じて、ともに歩いて行きたい。

 だから──。

「うん。ぼくもふたりで幸せになりたい」

 ぼくはそう返事して、ギイの首に抱きついた。





 その後、ぼくとギイはあたたかい季節になるのを待ってから、神聖なる誓いを互いに交わした。

「With this ring I thee wed」

 ギイが厳かに口にした言葉が、いつまでもぼくの耳に残っている。

 ふたりで用意した指環は、一切の装飾のないとてもシンプルなもので。
互いの存在だけを求める。そんな想いをこめて、ふたりで選んだ。

 そして、指環をすることそのものに慣れてなかったぼくは、職業柄気になって、最初のうちこそつけたりつけなかったりしてしばらく様子をみていたため、ちょっと無理だったけれど。

 その指環を、ギイは一生涯、一度としてはずすことはなかった──。

                                                         おしまい


material * NOION



*** あとがき ***

最後までのお付き合い、ありがとうございました。

原作無視したいい加減なこんな話を書いてもいいのかなあ、とも思ったのですが、
十年先の話ってすごくおもしろそうだったので、つい書いちゃいました♪

日本やアメリカなどの世界観も好き勝手に書いてしまってるので、
いかにもありえない話になってて、これはもう笑ってごまかすしかありません(笑)。

今までは原作にできるだけ沿うようにギイタクのお話を書いてきたので、この未来編には驚いた方も多いと思います。

このあとがきを読んでくださってるみなさま、
ここまでいい加減な設定のお話を最後まで読んでくださり感謝します。
このお話を少しでも気に入ってくださったら嬉しいです♪

最後に、このお話は、
原作「タクミくん」シリーズの文庫本「恋のカケラ」までの設定での未来編となっていることを明記しておきます。

by moro



moro*on presents


この作品の著作権は、文・moroにあります。
なお、ルビー文庫「タクミくん」シリーズはごとうしのぶ先生の作品です。著作権などは角川書店様にあります。
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