「バラにはたくさんの種類がありますが、この赤いバラは四月から五月が開花時期なんですよ」
園芸顧問の大橋先生がにこやかに微笑みながら、
「これが咲く頃にはもう、ほかの花は終ってしまってるでしょうねえ」
頑張って咲いてほしいです、と遅咲きの赤いバラの蕾を撫でたのは、六月に入ってすぐのことだった。
五月の温室はバラの香りが至るところに漂っていた。
毎日すこしずつ蕾が大きくなって、そのうち、「ほら、立派だろう」と赤い花びらを目いっぱい広げて、その存在を誇示して見せるバラたち。
花は咲いた順に枯れてゆく。
当然のことだが、造花と違い、いつまでも色鮮やかに咲いていてはくれない。
ましてや、花には開花時期がある。
その赤いバラは、六月に入ってしまうと小さな蕾さえなかなか見つけるのは難しかった。
とても綺麗な赤い色だったので、バラの時期が終ってしまうのはとても残念に思えた。
四季咲きだったらよかったのに、と望んだところで、自然の摂理に逆らうなど無理なことだともわかってる。
非力な人間ができるのは、温室ですこしでも長く愛でようとするのが精一杯。
もう一度あの見事な赤を堪能したいところだが、来年の開花の時期にぼくがここにいることはないだろう。
──第一、ぼくがその時期にここにいたら、それこそヤバイよ。
それもそのはず、現在、最上学年に在席するこのぼくが来年の五月にここにいるということは「留年」を意味するからだ。
実際、温室以外でも、五月には祠堂のそこかしこでバラを見ることができた。
でも、バラの種類はありすぎるほどたくさんあって、これと似たような色はすぐに見つかってもまったく同じ赤を見つけるとなると結構難しかった。
六月になると、温室の外でバラを見かけることは滅多になくなった。
──もうバラの季節は終わりか……。あの赤い色、すごく綺麗だったなあ。
大橋先生が小さな緑の蕾を見つけたのは、そんなことを思っていた矢先のことだった。
「え? じゃあ、まだこれから咲くんですか?」
現金なもので、それまでは咲き終わりの茶色に褪せて縮んだ花びらが視界に入っても放っておいたくせに、小さな蕾の存在を知った途端、ぼくは慌てて枯れた花を摘みだした。
花を咲かすことは植物にとってとてもエネルギーがいる大仕事である。
ひとつの蕾を咲かせる力は五枚葉を作ることと同等なのだと言われるほどで、そんな話を聞いてしまうと、「もったいない」という庶民根性がむくりと沸き起こるものだ。
せめて枯れはじめの花を摘むことで少しでも栄養分の節約になればと思ったのだが、ズボラなぼくの不慣れな世話のせいか、はたまた時期ハズレの自然の成り行きか。
その遅咲き蕾は三つとも、同じ枝に咲いていたバラに比べるととても小さい花にしか育たなかった。
それでも、全盛期を過ぎてから咲き出したバラは、やや小ぶりながらも元気に茂った緑の葉に負けないくらいの鮮やかな赤い色を放った。
その真っ赤な、やや朱色が入った明るい赤色はとても綺麗で、「赤いバラ」というだけでもぼくの気分を浮き立たせるのに、その眩しいくらいの見事な赤色はいかにも「情熱的」で気恥ずかしくなるほどだった。
だが、花はいつまでも咲いていてはくれない。
小さいながら素晴らしいほど綺麗に咲いたバラも、だんだんと外側の花びらから色褪せはじめ……。
そして、先日、何かに呼ばれたように、バイオリンの練習をしていた手をふと止めてバラを見たその瞬間、ひらりと赤い花びらが舞うように落ちた。
「あ……」
散る瞬間はあっという間だった。
予測もなく訪れるその散り際に出会ってしまったぼくは、まるで下駄の鼻緒が切れてしまったような恨めしい気分に陥った。
日本には「二度あることは三度ある」という言葉がある。
ぼくがその言葉を思い出したのは、所用が入った大橋先生の代わりにリンリンの餌やりにやって来た翌日の昼休みのことだった。
そろそろ午後の授業が始まっちゃうな、と温室を出ようとした時、何気なく振り返っ視界の隅に赤いものが動いた。
それがバラの花びらだと頭が理解した瞬間、「止めてくれ」と叫びそうになった。
花の終わりが来ているのはわかっていた。
花びらというものはいつかは必ず落ちてしまうものだとも知っていた。
けれど、二度も続けて、たまたまその「終わりの瞬間」に立ち会うのは、哀しいよりもどこか不気味な、そら恐ろしいような感じがした。
ギイならば、「偶然も何度も重なると必然だ」と言うところだろうが、相手は自然の花である。
思惑も計算もないに等しい。
──もしも三度目のその瞬間までも目にしてしまったら……。
人間の力ではどうにも抗えない、強い力が働いているようで怖かった。
ぼくがふいに見たその瞬間、赤い花びらがひらりと揺れる。
吸い込まれるように地面に落ちて、大地を赤く染めてゆく。
それが意味するものを考えるととても怖くて、思わず目を瞑ってしまいたくなった──。
ギイが軋んだ音を立てながら温室で扉をくぐってくる。
久しぶりの恋人との逢瀬。
ぼく以外、誰もいないことを確認したギイがぼくをすっぽりと抱き締めた。
ギイの腕の中はとても温かかった。人の体温をこれほど愛しく思えた相手はいない。
眠ってしまいたくなるような安堵感に包まれる中、ギイに呼ばれた気がして肩口から顔を上げた。
その瞬間、ギイの肩越しに見えたそれに身体が凍った。
「あ……」
三度目の散り際に出会ってしまったショックで声が喉に詰まって出てこない。
ぼくがじっと花を見ていると、ギイが口元に微笑みを浮かべながら、
「赤いバラか。意味深だなぁ」
落ちた花びらを大切そうにそっと拾うと、嬉しそうにぼくのところにやってきた。
「託生だってこいつの花言葉、知ってるだろ?」
赤いバラの花びらを恭しくぼくへと差し出すギイはとても優しい微笑みを浮かべていた。
ギイの意味深な台詞に隠された気持ちは嬉しかったけれど、実際は心からその花を嬉しくは思えなかった。
あまりにも知られたその花言葉を前にして、ぼくはギイの所作に恥らいよりも不安を感じていた。
「ぼくさ。ここんとこずっと赤いバラが散る瞬間を見てるんだ……」
何かの終わりが予感されて、すごく怖いのだと憂いの心をすべて明かすと……。
「終り、ね。確かに散る瞬間は花の終わりを指すだろうけど。でもさ、こうも考えられないか?
花が咲いていた最後の瞬間に立ち会ったってことは一番長く花を楽しめたんだってな。それも三度も!
託生、おまえは滅茶苦茶ラッキーだったんだよ。
散り際なんて一瞬だ。きっとこれも奇跡の出会いのひとつだったのさ」
偶然が三度も重なれば奇跡になる、のギイの言葉がぼくの心に羽根を与えた。
「それに、まるでオレたちみたいじゃないか」
その言葉に手の中の赤いバラの花びらが突然、熱を持ったように感じられた。
手のひらが湿り気を帯びて、身体が熱くなる。
「一生涯に出会える人間の数なんてタカが知れてるもんだ。
なのに、およそ六五億ものこの地球上のいる人間の中からオレたちは互いを見つけて、こうして抱き締めている。
これを『奇跡』と言わずして何て言うんだ?
その確率を考えただけでオレはこの世のあらゆるものに感謝しきれないよ」
ギイの言葉に酔いしれて、ふわふわと軽くなった心は、どこまでも飛んでいけそうな気がした……。
すべての者がその腕の中に奇跡を抱くわけではない。
中には、一番近くにあるそれに気付かないまま、指の隙間から零れ落としてしまう者もいる。
だから、奇跡を我が手にしたらその価値を噛み締めて、誰にも奪われないように大切に抱き締めて眠ろう──。
おしまい
material * NOION
*** あとがき ***
最後までのお付き合い、ありがとうございました。
「世界の果てまで奇跡を探して」はいかがでしたでしょうか?
短い話のわりにタイトルは長すぎ(笑)?
このお話は、託生とギイのふたりだけしか出てこないSSでまとまるかなっと思いきや、
大橋センセの登場で、ギイタクオンリーにはなりませんでした。
花が散る瞬間というのは何ともせつないものです。
散るといえば、茶道の世界では、炉の季節に椿を花入れに飾りますが、開ききった椿は避け蕾を使います。
例外的に、「わびすけ」という種類などは咲いてもちょこっとしか開かないので蕾でなくてもOKみたいですが……。
聞いた話では花ごとボトッと落ちるその印象が悪いところから開花した椿は避けられているようです。
ちなみに私は「あけぼの」の蕾が好きかな。
薄いピンクの大きめの椿で、遅咲きなので、長い炉の季節の最後にはとても重宝する種だったと記憶してます。
椿はともかく、最後の一枚が散るまで一生懸命咲こうとする花はとてもけなげだと思います。
散る瞬間は寂しいですが、でも、ひらひらと散るさまはとても綺麗だと思います。
……というわけで、最後の瞬間まで頑張って咲こうとする自然の美しさが、
この「世界の果てまで奇跡を探して」ですこししでも表現されていたら嬉しいです。
この「世界の果てまで奇跡を探して」は、ともさまのサイト開設三周年記念として贈らせていただきます。
どうか気に入っていただけますように……。
by moro
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