男をかわいいと思ったら世も末だ──。

 赤池章三はそんな矜持を持っている。

 だが最近、その矜持もわずかに揺らぎつつあった。

 それもこれも、唯一「相棒」と呼ぶに値するひとりの男のせいである……。


Your value



 山の中腹に立つ祠堂学院高等学校での二度目の春を迎えた赤池章三の心中は、その外面に反して穏やかではなかった。

「愛してるよ」

 ここは二年D組の教室で、仮にも数学の授業中だ。
そのふたつの要素を考慮しただけでも、この台詞が聞こえてくること自体が異常である。

 加えて、思いつく限りにおいて最も列挙すべき重要事項が「ここは男子校」という事実に至って、章三は情けなく思った。

「もうわかったから前向いてよ」

 告白する側もされる側も、当然どちらも章三と同じ性別である。
ましてや、この公共の場で熱心に口説き文句を並べている男というのが、この一年間、誰よりも長く時間を共有した無二の親友とも言える元ルームメイトだから堪らない。

 その甘い声は新たな嫌がらせか、と疑いたくなるのも道理だろう。

「今、この瞬間、愛してるって言いたくなっちゃったんだ」

 自分に向けられたものではないとはわかっていても、背筋にぞぞぞと這い上がる悪寒が止められない。

 だから、我慢は禁物とばかりに、章三はすかさず消しゴムを掴むと、
「痛てッ」
左隣りの席の男の栗色の頭めがけて思いっきり投げつけた。

 いつもは離れた席にいるはずの男が、今日に限って章三の隣りに座っている。

 その理由は簡単だ。

 その男は、朝、担任からその席の本来の主が風邪で休みだと聞いた途端、
「すみませ〜ん、俺、今日、ちょっと目が良く見えなくて」
今日だけでも席を移動していいですか、とにっこり笑って、さっさと席を移動してきたからだ。

 視力が一日で落ちたり上がったりするものか、と章三が呆れるのを綺麗に無視して、その男は今日一日、その席の恩恵をたっぷり堪能するつもりらしい。

──第一、黒板までの距離は元の席とそんなに変わらんと思うがね。

 そんな章三の心中など、この陽気にトチ狂った男にとって、きっとどうでもいいことなのだろう。

「痛いな、章三。何するんだ」

 淡い茶色の髪をふわりと靡かせながら頭を摩りつつも平然と小声で返すその男、
「相棒」崎義一ことギイの、その動じないサマがまた小憎らしい。

「……ギイ、授業中だぞ」

 故意に抑えたギイの声量が確信犯だと裏付けているからこそ、高校生らしからぬどころか世間一般の常識の道さえ外れようとしているギイに対し、更生への道を諦めきれない章三は、
「せめて時と場所を考えろよ」
ギイの教科書に視線を飛ばしながら顎でしゃくっては、こう囁きたくなるのだった。

 対してギイは、仁王然とした章三のその思いやりの台詞にわざと一拍の間をおいて、ふっと身体の力を抜くような息を吐くと、まるでこの春の彩りを慈しむように眩しげに目を細めては綺麗に笑う。

 章三でさえ見惚れるほどのその清楚な表情が醸し出す憎らしいほどの余裕がまた、章三の癪(しゃく)に障った。

「章三、おまえも成長したなあ」
「成長だと?」

 身長もほとんどギイと同じ。
 精神的にもそれほど遜色ないはずと自負するからこそ、ギイの相棒を名乗る章三である。

 だからこそ、その台詞は聞き捨てならなかった。

「気付いているか、章三。それってさ、TPOさえ考慮すれば許すって言ってるようなもんだぞ」

 章三が口にした言葉の揚げ足を取るギイの惚けたその物言いに、次期風紀委員長と名高い章三の眉間の皺はますます増して。

「誰も許すなどと言っておらんわ」

 許すも何も、そもそもそんなもの認めてなどいないのだから。

「そうだ。それこそ許されることなんてないしな」

 ここは自由恋愛をご法度している国ではない──と、
口元にうっすらと浮かべたギイの笑みにはいかにも皮肉が込められていた。

「まったく面の皮が厚いヤツだな。少しは葉山のことを考えて、黙って授業を受けたらどうなんだ。
ただでさえ真面目だけが取り得の葉山だ。
おまえと違って授業妨害などしたら、すれすれの成績が急降下して最下層を這いずり回ることになるぞ」

 そう章三が親切心で言ったところで、
「仕方ないだろ。愛してるって言いたくなっちゃったんだから」
ギイはちっとも悪怯(わるび)れない。

 それどころか、無恥なこの愛の告白によって、再び襲ってきた悪寒に章三のほうが身震いする始末である。

「面と向かってそんな恥ずかしいこと言うな、不愉快だ」

 呆れたようにそう呟きつつも、章三の目元はそばに赤く染まっている。

「ホント、ギイの『愛してる』攻撃ってのはいかにもアメリカ人だよな。
だいたいそんな台詞、日本人の男は滅多に言わないもんだぞ」

 耳にするのさえ恥ずかしいだろが、の言葉はほとんど舌の上で転がすほどの囁きとなった。
「愛の台詞」とやらには全く免疫がない章三なのである。

 一方、お国柄が違えば当然習慣も壁高く違うアメリカ国籍のギイのほうは、そんな日本人代表の章三の恥じらいには全く無関心のまま、そ知らぬ顔で見て見ぬ振りを貫く構えだ。

「自分の気持ちを素直に言葉にして何が悪い。まして愛しい相手に囁く口説き文句だ。
愛してるのは本当なわけだし。
世間では旦那が自分の奥さんに『今日も綺麗だよ』とか『愛しているよ』と言うのは挨拶代わりだろ?」

「じゃ、おまえのそれも挨拶なのか?」
「オレのは愛がたっぷりこもっているぞ?」

 確かに愛の告白そのものが悪行だとは言わない。

──それが例え、男相手だとしても。

 それでも、もったいないと思うのだ。

「どうしてギイほどの男がよりによって葉山なんだ。おまえだったらどんな女も選り取り見取りだろうに」

 この奇態な恋愛は理解し難い。

 眉目秀麗、頭脳明晰、大富豪の御曹司。
他人からすれば、羨むほどに恵まれた存在であるギイ。

──まったく。相手に不自由するギイじゃなかろうに。

 だが、章三の常識的想像範囲を遥かに飛び抜けた恋愛真っ只中のギイは、恋は盲目とはよく言ったもので、親友である章三が何を言ったところで馬耳東風。
仕舞いには、調子に乗って、「章三、オレに惚れるなよ」などと抜かしてくる始末である。

「寝言は寝てから言えっ! おまえ、まさか男も選り取り見取りなわけじゃないだろうな?
返事に因ってはマジにその口縫いつけるぞ」

「まさか。オレだって女の子が好きだ。託生以外の男は一切合切(いっさいがっさい)ゴメンだね。
とはいえ付け加えるならば、オレとしては託生さえいればいいので、つまりは女の子もご遠慮したいな、と」

──ホントになあ。何も葉山じゃなくても良さそうなもんなのに。

 祠堂の七不思議がまたひとつ増えそうな予感に、章三は頭を痛めるのだった。

「章三、おまえさ、アレだろ。奈美ちゃんに『好きだ』の『す』の字も言ってないんだろう?
奈美ちゃんだって本当はおまえに言ってほしいんじゃないか?」

「この話に奈美子は関係ないだろが!」

「そうだ、『関係ない』。だから、オレはオレの気持ちを素直に言葉にしているだけだ」
「相手の迷惑考えずに、な」

「ふたりとも前向いて前」

 今まで黙って成り行きを見守っていた葉山託生が不安げな声で割り込んできたのを幸いに、
「ほら、みろ」
そう威勢良く言ったそばから、
「崎、赤池。極秘のトップ会談は無事終ったかね。それでは前に出てきてこの問題を解いてもらおうか」
眼鏡をそばに持ち上げる数学担任の視線とばっちり合ってしまった。

 黒板に走るチョークの擦れるふたつの音が二年D組の教室に響き渡る。

 三次関数f(x)の概形はまるで章三の心の起伏を表しているように、微分して得た増減表を元に辿った曲線は綺麗に山と谷を描いていた。





 ギイ相手の噛み合わない恋愛論議に神経が擦り切れんばかりの一日を終え、寮に戻った章三は、自分宛に届いた一通の封筒に眉を潜めた。
差出人の名から察して、封筒の中身には身に覚えが充分あった。

 封を開けると、取り出した一枚の用紙の「おめでとうございます」の文字が目に入って、やっぱり、と想像通りの中身に思わず舌打ちをしてしまう。

──まったく間が悪い。

 それでも、同封された二枚の紙をペシッと指先で弾いた途端に一案が閃いたので、
「ま、いいか」
少しだけ気分は良くなった。

 そうして、思い立ったが吉日とばかりに、章三は早速三○五号室に足を向けて歩き出した──。



「ギイ、いるか?」

 顔を覗かせたドアの向こう側では、託生が慌てたように椅子から立ち上がって、
「留守だけど……」
ルームメイトの不在を告げてきた。

「葉山はギイの居場所……」
「ぼく知らない」

 最後まで問うまでもなく先に返される言葉。

「おまえ、冷たいな。そんなに素っ気無く応えなくてもいいじゃないか」
「だって、赤池くんでこれで五人目なんだもん……」

 こうも度々繰り返されると、鈍いとされる託生でさえさすがに察しがつくようになるらしい。

「確かになあ。あいつを捕まえるのは至難の業だからな」

 振り回され続けた昨年度の一年間を振り返ると、相憐れむ情が涌かないわけでもない。

 それに。

 ふむ、と顎に手を当て考え込む仕種をした途端、目の前にマグカップを差し出されたとなれば。

「気が効くな」

──満更、葉山も捨てたもんじゃない、かな。

 排他的な印象がこの一ヶ月余りで随分薄れた葉山託生。
近頃は、章三自身、しばしば保護欲をそそられそうな小動物を見ているような気分にさえなる。

 章三の手の中にあるマグカップは去年嫌というほど見慣れたギイのものだ。

──この部屋には来客用がないんだったな。

 ふたつだけしかないマグカップに、まるでギイの想いが込められているようだった。

 託生が淹れた、たったそれだけのことに嬉しそうに喜ぶギイの華やかな笑顔が、揺らいだ珈琲にゆるりと浮かび上がる。

「砂糖とミルク、入れるんだっけ?」

 託生に尋ねられ、珈琲から顔を上げた時もまだギイの笑顔は脳裏に残っていて──。
章三は少しだけ切なくなった。

 間近に見た託生は俯いていて、その表情はほとんど見えなかった。
なのに、その長い睫がそばに震えている様子だけはしっかり見えてしまった。
おそらく、それが一因なのかもしれない。

 人間接触嫌悪症といったい誰が名付けたのか。

 託生との付き合いには人ひとり分の距離が要すると、ギイから教わったその言葉を遅まきながら思い出した章三は、
「椅子、座っていいか?」
そう尋ねつつ、自然の動作で託生との距離を広げた。

 机の上には数学の教科書とノートが開いてある。
見れば、今日の授業中に習ったばかりの三次関数f(x)のxの定義域における領域内での概形を描く問題で、最大値と最小値を求めるところで式は中途半端に終っていた。

 数学の教科書の隣りには、評議委員会での議事録だろうか。
ルーズリーフの罫線上に沿って書かれた議事進行内容の隙間に、赤字でクラスへの伝達要項が記入されている。

 章三は何かを納得したように頷くと、
「復習してたのか?」
微分の式をトントンと指先で叩いた。

「あ、うん。よくわからなくて。それでも文系に比べたら理数系のほうがまだマシなんだけど。
さすがに今日のはね……」

 章三も被害者なだけに、
「そりゃそうだ」
頷きも深くなった。

──あのギイの年中発情期ならぬ「愛してる」攻撃を受けていたら、とてもじゃないが授業どころじゃないだろう。

 これじゃ幾許(いくばく)かの同情心が涌いたとしても当然だな、と章三は密かにほくそ笑んだ。

 ほぼ被害者に近い当事者の託生といえば、ほんのちょっとギイの話題が出ただけで顔を赤らめつつ指先を持て余しては、シーツに「の」の字を書いている。

 だが、この一見呆れるほどのなよなよしい仕種にも託生の複雑な心境が伺えて──。

 恥ずかしいやら、嬉しいやら、困ったやら。

 そんな微妙な心理状態が章三の目に難なく映って、
「ま、そのうちギイも落ち着くだろ」
つい一声掛けたくなってしまった。

「そういや、赤池くんの用って急ぎなの?」
「いや、まだ日があるから別に今日じゃなくてもいいんだが。あいつの予定はすぐ埋まるからな。
スケジュール押さえるのなら早いに越したことないだろ?」

「確かにね。ギイはホントに人気者だから」
「僕は五人目らしいからな」

 そう言ったそばから六人目の来訪を知らせるノックが部屋に響いて、再び託生の「留守だけど」が繰り返される。

 新たなお客を追い返した託生が、参っちゃうよね、と言わんばかりに肩を竦めるその仕種に、章三の口元にも自然と微笑みが浮かび上がる。

「そろそろ早めの夕飯、行くか?」
「ギイじゃなくてもいいの?」

 同伴するのは気が引けると暗に示した託生に、
「生憎と僕はギイの金魚の糞じゃないもんでね。葉山さえ良ければ、ご相伴をお願いしたいのだが?」
たかが食事を共にするだけのことだ、と憮然と返すと、
「ありがとう」
意外な言葉が返ってきたので驚いた。

「この程度で礼を言われちゃこの先葉山は『ありがとう』の連射地獄に陥るぞ」

 託生のほんのりと上気された顔がいかにも嬉しそうで、余計章三の口調は乱暴になった。

「よく覚えとけ。男だったら『オレについて来い』くらいで丁度いいんだ」

 すると、また、
「でも、実際ぼくが赤池くんにそう言ったらどうせ怒るんだろ?」
面白い応えが返ってくるので、
「当然だ。葉山ごときに舐められちゃ僕もお仕舞いだからな」
だから章三も当然のように言い返すと、
「理不尽だ……」
わざとらしく項垂れるといったまたもやいい反応が返ってきたものだから、章三は思いっきり笑ってやった。

 三○五号室を辞して、章三のあとから少し遅れて託生が歩く。

──まったく不思議なもんだ。この僕が葉山とこうして歩くなんぞ一年の時には考えられん。
それだけ葉山の印象があの頃とは天と地ほどに違うということか。

 孤立無援で唇を引き締めて、同級生だろうが上級生だろうが睨みをきかせて相対峙する葉山託生はとにかく有名だった。
何かとギイがフォローを入れようとしていたが、葉山はその腕を素直に取った例(ためし)がなかった。

──「の」の字を書く葉山、ねえ。

 一年時の葉山のルームメイト、片倉利久が少しでも葉山の援軍になろうとその力不足を補うように、何かとギイに相談していたことは知ってはいたが……。

──まさか、これほど「話せる」とは、ね。

 だが、ギイが入れ込む理由にはまだ弱い。
あのギイが形振り構わず本気で動かざるを得ないほどの、託生に惹かれる絶対的な理由がきっと他にあるはずだ。

──まったく。葉山絡みとなるとヤツは手が負えんからな。

 そんな食堂への道すがらのこと。

 階段に差し掛かったところで、
「おい、葉山。おまえ、クラスの副級長をしているんだってなあ。
ルームメイトが優秀だと贔屓にしてもらえてお得だな」
突然、侮蔑を滲ませた棘のある声が背後からふたりを呼び止めた。

 章三たちが振り返ると、その声の主は下卑た視線を真っ直ぐ託生に注ぎながら、歪めた唇を動かしては、
「あの崎も耄碌(もうろく)したもんだ。人間嫌いの葉山にクラスのまとめ役をさせるんだからよ」
フンと鼻息荒く、言い放つ。

 章三はすかさず記憶の糸を辿ってみた。

 目の前の顔が、去年何かと託生に言いがかりをつけてきた上級生のひとりに一致すると、この年齢にもなってこの場の雰囲気も読めんのか、と苦虫を噛み潰したような面持ちで舌打ちをする。

 今の葉山託生は、去年のいつもピリピリと神経を尖らせていた託生ではない。
この春の著しい託生の変化を周囲も汲み取り、誰もが温かな目で見守ってきたのだ。

 昨年度は孤立しがちだった託生に、近頃では徐々に話しかける生徒も増えてきた──この矢先に。

──同じ寮生、それも上級生が元の木網にしてどうするっ!

 だが、章三が一喝するつもりで口を挟もうとした時。

「だったら、あなたからギイに言って下さい。ぼくを副級長に指名したのは確かにギイなのだから。
ああ、それと評議委員会のほうにも委員の変更届けを出しておいて下さいね。
変更理由もちゃんと伝えるのも忘れずにお願いします。
名簿の修正も必要になりますからそちらの手続きも必要ですよ。
それから新しい副級長の選出ですが、ギイが絡むとまた問題がありそうなので、円滑にみんなが納得いくような結果を出すためにも、あなたが中心となって二年D組全員の意見をまとめて下さい。
それではどうぞよろしく」

 上級生に対し全く遜色ない迫力で立ちはだかった託生は、誰に何を言われても揺るがなかった一年の時のあの託生そのものだった。

 目が覚めるような衝撃を受けた章三が、
「なるほどね」
思わず嬉々と口笛を吹く。

 対して、一歩退いたのは難癖をつけた本人だ。

「俺は三年だぞ。どうして二年の委員選出にかかわらなきゃならないんだ」

 アホか、と捨て台詞が弱々しくなるのも、
「だったら最初から僕たちのクラスの委員選考に口出ししなきゃいいでしょう」
そう横から指摘されたら不味いと気付いたからだろう。

「赤池くん……」

 確かに去年の章三にとって、人間嫌いの葉山託生という名のクラスメイトは目障りでしかなかった。
だが、現在、章三のかたわらに立つ葉山託生は、食堂までとはいえ歴(れっき)とした自分の連れである。

 ましてや、今や反応楽しい友人にして、無二の相棒であるギイのルームメイト兼、認めたくないことだが、「想い人」でもある。

 ギイと託生、このふたりを貶(おとし)めてくれた礼はせずにはいられない。

「二年D組の委員はすべて、我がクラスの級長である崎義一が独断で指名したものでしてね。
葉山の副級長が不正となると、僕の風紀委員としての指名も無効にならざるを得ないんですよ」

 さすがに次期風紀委員長と噂に高い赤池章三相手に、風紀委員会に出るなというほうが難しい。
今度ばかり無体な言いがかりもつけようがなく、最上級生は唇を噛み締めたまま一言も返せずにいた。

「僕も今から風紀委員長のところに行って、委員交代を願い出てきましょうか?」

 一歩前に身体を進めては、僕は一向に構いませんよ、と詰めもしっかり抑え込む。
そういうところが「似たもの同士」、章三がギイの相棒を名乗る所以である。

 距離が縮めば威力も倍増、それだけこっちの正当性も通り易くなると承知の上。

 と、なれば。

「覚えてろよ」

 相手にするのも馬鹿らしくなるほどその決まり文句の捨て台詞は迫力に欠けて、苦労して搾り出したのが明白なその声は哀れさえ感じるほど貧弱なものとなっていた。

 負け犬は逃げ足も速いものだ。

 小さくなる上級生の背中を章三が無言で見送っていると、
「ありがとう。助かったよ」
そう託生が頭を下げてきたので、
「僕がでしゃばらなくても葉山はひとりで片を付けていたさ。僕こそ余計なことをした」
礼などいらない、と章三は首を振った。

 そして、その一幕がまさに一区切りした頃──。

「確かに託生ひとりでも何とかなったかもしれないけどな。
章三が助け舟を出した分、早く夕飯にありつける。ま、良かったじゃないか」

 タイミングを見計らったように横から入り込んだその声の主こそ──。

「ギイ!」
「おまえ、見てたんなら自分で助太刀しろよっ」

 照れ隠しも相成って、章三が神出鬼没の相棒の出現に咄嗟に拳を作って前に出すと、案の定、ニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべながら、ギイは掌で受け止めてくれた。

「託生は負けないと信じてたし。それに第一、おまえがついてたから……。絶対大丈夫だって思ってた」

 ギイが片目を瞑ってクサイ台詞を吐くものだから、
「そんなこと言って、ホントは出てくるのが面倒だったんだろう」
章三も負けじと憎まれ口を叩きたくなる。

「まあまあ、ここは終わり良ければすべて良しということで」

 その天使の笑顔に騙されるものか、と唇も尖らしたくなる。

「さ、食堂に行こう」

 さらに、当然とばかりにギイは託生の横に並ぶと、
「託生、カッコ良かったな。惚れ直したぞ」
すかさず口説き文句を並べ始めたので、
「葉山、この男にちゃんと一般常識を叩き込んどけよ。
往来でイチャつくのは日本じゃ道徳上よろしくないってこと、特にしっかりしつけしろ」
ギイ本人への直接指導を早々に諦めた章三は、託生に多少の希望を抱いて、しつけの重要さを一心に説いた。

「ギイのしつけはおまえの責任だからな」

 以後、長きに渡ってこの言葉を懸命に繰り返すことになろうとは、章三自身、この時点では一縷も知らずに──。





 そして、夕飯を前にして。

「映画のペア招待券?」
「ああ、雑誌の懸賞で当たったんだ。それも、どうせ当たらんだろうと思ってたからさ。
僕はすでに買っちゃったんだよ、コイツの前売り券」

 損した、と章三が文句を言うと、
「それでオレを誘うつもりで探してたのか」
ギイは納得顔で章三と二枚の映画の招待券を見比べた。

「だから、ついでに葉山もどうかと思ってね。葉山、おまえ映画好きか?」

 どうせ三枚あるのだから、と誘ってみると、
「いいの?」
縋るように託生が章三を見上げてくる。

「葉山。こういう時こそ『ありがとう』がお似合いなのさ」

 これもよく覚えておけよ、と放った口がすでに緩んでしまっていることに、章三は自分でも気付いてしまって苦笑する。

「託生、映画久し振りなんだろ? 外でのデート、楽しみだな」

 子どもみたいにはしゃぐギイを目にして、
「ギイ、僕も一緒に行くんだということ忘れるなよ」
教育的指導のもと、その形のいい淡い栗色の後頭部を叩くと、
「仕方ないだろ。託生とのデートはずっとオレの夢だったんだ」
相棒の整った顔などとっくに見慣れたはずの章三でさえ恥ずかしくなるほどの幸せそうな笑顔が零れて、見ているそばから温かい気持ちになってくる。

──ずっと、夢だった?

 その台詞の重さに、去年の絶対零度のビーム光線のような託生の視線が思い出されて。

「実はおまえ、無謀な夢を抱いてたんだなあ」

 一瞬、ギイの意外な純情が見えた気がした。

 そして、続くギイの台詞に、章三は極め付きの純情を垣間見る羽目になる──。



「章三、コレ知ってるか?」



 ギイが紡いだ格言に聞き覚えがあった章三は、素直にその答えを口にした。

「ゲーテだろう。確か……『若きウェルテルの悩み』だ」
「大正解」

 すでに婚約者のいる娘に恋をしたウェルテルが、その結ばれることない恋に絶望して自殺を図る物語。
初恋の一途さが命を絶つ、ゲーテの世界的に有名な作品──。

「今のオレは価値がある。ウェルテルの得られなかった価値をオレは見出したのだから……」

 そして、その告白を聞いた章三は、まさに一瞬にして、胸に引っかかっていた疑問が綺麗に消えたのがわかった。

 葉山託生ではなくてはならない、絶対的な理由──。

「そりゃギイが必死になるわけだ」



 その存在価値さえも左右する──初恋。



 初恋に酔いしれる男の純情を、章三は笑うに笑えなかった。

 他人事ではない分、その大切さが身に染みてしまうからだ。




 託生との何気ない会話──。

 そんなささやかな日常に嬉しそうに目を細める、その瞬間。

 ギイの花が綻んだような微笑みに魅せられて、章三の矜持が緩やかに揺れ惑う。

 純情を露(あらわ)に「愛してるよ」と囁き続ける相棒の一途な姿が、微笑ましくもかわゆく見えてしまって全く困った。

──ギイがかわゆく見えるなんて世も末だ。

 だから近頃、章三はしばしば目を擦っては何度も瞬いてしまう。

 それでも。

 あの託生なら……。

──まあ、ほんの砂粒ほどなら大目に見てやってもいいか。

 砂粒ほどとはいえ、そんな考えをちょっとでも抱いたなんてことがもしもあのギイにバレでもしたらと思うと、その時のギイの浮かれようが容易に想像できて、とてもじゃないが怖くてボロなど出せない。

──まさか、かわいい男も捨てたもんじゃない、とか?

 心の中で冗談のような軽口をたたく、そんな自分の知られざる一面にしきりに戸惑いながら。

──まったく、何を考えているんだ、僕は。ギイに毒されでもしたか。

 そうして結局、何度も何度も瞬いては己の視力と矜持を再度確かめてしまうところが、やっぱり章三なのであった……。





『あの人が私を愛してから、自分が自分にとってどれほど価値あるものになったことだろう』
                                    ゲーテ・著「若きウェルテルの悩み」より 

                                                         おしまい


material * NOION



*** あとがき ***

最後までのお付き合い、ありがとうございました。
当サイト、moro*onの7777hits記念作品「Your value」はいかがでしたでしょうか?
今回は二年生、春のお話で主人公は章三です♪

7777hitsを踏んでくださったぷりんさまからのリクエストは、「章三視点のギイタクが付き合い始めた頃のお話」でした。

頃合からして、五月半ばあたりのもので、まさに「愛してるって言いたくなっちゃったんだ」攻撃の真っ只中。
あれだけギイが口癖のように口説き文句を連発してたら、絶対、章三には聞かれているはず……。
そう思って、書き出した「Your value」でした(笑)。

ギイの初恋を中心に、ギイの価値、託生の価値、そして友人としての章三の価値を、
それぞれいい感じに表現できたらいいなあと思いながら書きました。

この「Your value」、気に入っていただけましたら嬉しいです。
この作品は7777hits記念として、ぷりんさまに捧げます。

いつもご贔屓にありがとうございます。
これからも、moro*onをよろしくお願いします。

by moro



moro*on presents


この作品の著作権は、文・moroにあります。
なお、ルビー文庫「タクミくん」シリーズはごとうしのぶ先生の作品です。著作権などは角川書店様にあります。
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