A little more



「お願いしますっ!」

 山の中腹に立つ祠堂学院高等学校の敷地は広い。
その見渡す限りの学院内において、この夕食時の忙しい時間帯に、床に手をつき土下座する下級生を見下ろしているのは、多分ぼくたちくらいだろう。

 童話の中の王子様のような際立った容貌をしてくせに特別畏まった印象を与えない二年生、真行寺兼満。
人懐っこい物言いと元気いっぱいの笑顔を振りまいて、常日頃の彼は王子様の印象をうまく払拭しているのだが、この時ばかりは違っていた。

 この真行寺の真剣な表情は、もしもこの場で演劇部関係者が目にしていたら、きっと未来のスターの獲得に意気込むこと間違いなしと誰もが思うほどの凛々しさだ。

 でも、その真摯な眼差しからは煮詰まった様子も滲み出ていて、今日の彼の場合、それは悲愴な面持ちにほど近い。

「とにかく、その格好は勘弁してよ」

 真行寺の肩に手を置き、立つように勧めると、
「葉山サン……」
三階のゼロ番の床に額がくっつくほど下げていた頭を僅かに上げ、真行寺は恐る恐るぼくを仰ぎ見た。

「それで? 真行寺は頼む相手を間違えているんじゃないか?」
 怒るでも呆れるでもない、むしろ余裕を持った困り顔をギイは作ると、真行寺へ、
「どう考えても、これは三洲の管轄だろう?」
と小さな子どもを諭すようにうながす。

「実はアラタさんにも一応頼んでみたんです。──すぐに却下されちゃいましたけど……」




 ことの起こりは真行寺の持ち前の調子良さ──すべてはここから始まった。

『真行寺、さっきおまえと話してた相手って三洲生徒会長だよな?』

 珍しく二年の教室が並ぶ廊下でばったり会った愛しの三洲を捕まえて、ここぞとばかりにデートの約束を取り付けようと必死に口説いていたのが不味かった。

 その様子を同じクラスの放送部のヤツに見られていたのだ。

『超忙しいスケジュールをこなすあの高嶺の花の生徒会長サマとお知り合いであるおまえを見込んで頼みがある。
今、放送部内で、祠堂屈指の人気ある先輩方へのインタビューコーナーを設けようって企画が出ててさ。
その最初のゲスト候補に、あの三洲会長の名が挙がっているわけよ。
実現すれば、当然、お昼の放送の注目度アップは間違いなし。おまえだってそう思うだろ?』



「確かにその手の企画は本当にあるみたいなんです。
でも、そのゲストうんぬんの話は、きっと俺とアラタさんが一緒にいるのを見て、その場で思いついたに違いないんです」

 三洲自身は真行寺とのアヤシイ関係を隠してない。ただし、「ぼくには」の条件付きだけど。

「アラタさんが、ギイ先輩には積もり積もった貸しがあるから、丁度いい、返してもらえって……」

──出たっ! 三洲くんの高利貸し。

 笑顔(?)で貸します。取りたても、笑顔で回収いたします。

「確かに、三洲にはいろいろと借りがあるけどなあ」
 頭を掻いて、ギイは苦笑しつつ、
「で、オレにどうしろと?」
口元に笑みを残しながらも、目はしっかり相手の出方を探っていた。

「それなんですが、実は売り言葉に買い言葉で、俺、ついそいつに言っちゃって……」
「何て?」



『アラタさんは無理だよ。あの人、俺の頼みなんて耳に入れてさえくれないし。
だったらまだギイ先輩のほうがマシだね。俺、意外と顔が利くかも』



「そこまで言い切って、この土下座かい?」
「呆れてモノが言えないな」

 ぼくとギイが床に沈む真行寺のつむじに溜息を落とすと、
「すみません……」
長身の「王子様」は、猫を前にした鼠のようにますます小さくなっていった。

「でも、やっぱりマズイと思ったんで、一応フォローも入れておいたんです、俺」
「へえ。一応きみでもマズイって思ったんだ?」

「うっ、キツイですぅ、葉山サン。俺だってすごく反省してるんですって」

 そんな真行寺に助け舟を出したのは、一階の階段長だった。

「まあまあ、彼も心底反省しているみたいじゃないの」

 猫じゃらしを見つけた猫のように、いかにも面白くなりそうだと言わんばかりの顔をして、「この際だ、かわいい後輩の頼みを聞いてやれば?」と矢倉柾木が割って入る。

 ここ、三階のゼロ番では先程から、当の部屋の主であるギイとぼく、そして一階の階段長の矢倉柾木が、土下座姿のまま自らの体温でもって床を温め続ける真行寺を囲んでいた。

 思い返せば、ぼくが真行寺からギイへの取次ぎを頼まれた時、ぼくひとりで会うわけじゃないんだから平気だろうと軽く考えたとこからして浅はかだったのかもしれない。
本音とは哀しいかな、真行寺の諸事情より、気軽に会えない恋人の顔を垣間見たいという下心が勝ったぼく。

 そんな安請け合いをギイの部屋に持ち込んだ時、確かにギイは自室にいたけれど、すでにそこには先客の矢倉がソファーに身体を沈ませていたわけで──。

 忙しいギイがひとり、部屋で寛いでいるその時間帯をうまく狙って訪れるという神業はさすがに無理だったけれど、気の合う友人との打ち合わせに入れてもらうことに成功したぼくと真行寺は、階段長同士の話が終るのを待ってから、こうして相談することにしたのだった。

──先客が矢倉で助かった。

 彼の口の堅さはあのキャラクターに反して信用に値する。これは幸いだった。

 その、いつも飄々として掴み所がない矢倉は、今の今までぼくらのやり取りを楽しそうに見守っていたくせに、なぜかここに来て、
「あの何事も率先して動く三洲が下級生の頼みを断ったってのは一興だったよ。ま、頑張れよ」
ポンとギイの肩を軽く叩いて、くるりとぼくらに背を向ける。

 矢倉の態度はまさに『他人事だから面白い』に尽きていた。

 だが、その矢倉がドアに足を向けようとするのを、
「あ、いや、できれば矢倉先輩もぜひっ」
真行寺が慌ててズボンの裾を掴んで引き止めた。

 その場にいた三年メンバーにとって、その行動はものすごい不意打ちだったので、ぼくとギイは、「何事だ」と思わず顔を見合わせてしまった。

「え? 俺も?」
「ぜひともお願いしますっ。実は矢倉先輩の人気も意外と多いらしくて──」

「意外は余計だっ!」
「ス、スミマセン……」

「まあまあ。真行寺くんだって言葉の綾なんだろうし、ここはギイも矢倉くんも協力してあげてよ」
「葉山サ〜ン。やっぱり葉山サンですよねえ。俺、一生葉山サンについて行きま〜っス」

 両手を広げて片膝を立てる真行寺の決めポーズは、これでビロードのマントや金銀煌く額飾りをつけていたら、いかにも求愛する王子様だ。

「それで? おまえがしたフォローってヤツを聞かせてもらおうか?」

 心なしか、ギイの目元が釣り上がって見えたりして?

「あ、それなんですが、さすがにギイ先輩と懇意にしてる……なあんて言うほど俺は厚かましくも度胸もなかったモンで、ギイ先輩を含め、矢倉先輩、野沢先輩、吉沢先輩にも声掛けてみるって言っておいたんです」

「はあ〜? それって階段長勢揃いじゃないか」

 ぼくが呆れて口にすると──。

「だって、特定の人物の名を挙げるより、注意力散漫となっていいじゃないスか」

 それはそれで一応真行寺なりに気を使ったつもりなのだろうが……。

「あのな、真行寺」
 さすがにギイもぼくと同様のことを気にかけたらしく、今度は呆れ半分の面持ちで、
「そのメンバーを集めたら最後、オマエは階段長に顔が利く男と認定されるぞ?」
それでもいいのか、と今後の覚悟を確かめるように、正座で対応する真行寺を見下ろした。

 竹刀を背中に差しているんじゃないかと見紛(みまが)うほどに背筋をピンと伸ばした真行寺のその姿勢は、さすがに剣道部だけあって、ビシッと決まっていて見ていて気持ちがいいほどだ。

「全階段長の先輩方と知り合いなのは俺にとって、全然不利にはなりませんよ。
仲良くしていただいて感謝はしても、困惑なんてことなどないっス」



 例え自分が利用されるかもしれないとわかっていても、そんなもの関係ない──。

 彼には常に守りたいものがあった。

 三洲が真行寺とのことを表に出さないようにしているのは明白な事実。

 三洲の意向に添うことを信念としている真行寺にとって、その守るべきものを前にして、何を優先すべきは最初から決まっていたのだから……。

──隠れてでも会いたい。

 その気持ちはぼくにもわかるから──。



「ぼくからも頼むよ。真行寺くんの顔を立てて、ここは放送部のインタビューに協力してくださいっ」

 ぼくはふたりの階段長に頭を下げた。

 三洲も真行寺も、ふたりが一緒にいる場面がこれ以上注目されてしまうと、今以上に会いにくくなる。
それでなくても、超過密スケジュールをこなしている三洲だ。
真行寺にしてみれば、ぼくらに土下座する以上に、恋しい人に会えないことは何にもまして辛いのだろう。

 ぼくもギイも、そんなふたりの気持ちは痛いくらいに知っている。

「わかった」

 だから、ギイも頷いて、
「三洲にはこれで一個返済だと伝えてくれ」
真行寺の真意を悟って、笑顔を浮かべて快諾したのだった。

「今度の階段長会議のあとにでも、頑張って時間を作るか。
会議のあとなら四人確実に揃ってるし、二十分程度で良ければ無理なく確実に付き合えると思う」

 いいだろ? と同じく階段長の矢倉に同意を求めると、
「ま、乗りかかった船だ。それに、裾を掴まれたままじゃ転覆するのも時間の問題だろうしなあ」
矢倉も頷いて、「ほら、放せ」とわざと足を振って真行寺を追う払う。

 途端に、
「すみませんっ、恩に着ますっ!」
ゴンッと硬い音がして、額を摩る真行寺の泣き笑い顔がギイの部屋を明るく満たした。

「それじゃあ放送部のヤツに話ときます。ありがとうございましたっ!」



 そしてそのあと、一分もしないうちにふたりの一年生がノックしてきて、ぼくと矢倉と真行寺は三階のゼロ番をあとにした。

 ぼくと真行寺に対してはジロリと睨みつつも、矢倉柾木にはしれっと笑顔で挨拶する一年たち。
「この差は何?」と言いたいとところだが……。

「一度締めましょうか?」
「ほっとこうよ。そんなことしても無駄だと思うし」

「いいんスか?
そりゃ確かに、あの根性の腐りようは根が深そうだし、ちょっとやそっとじゃあの態度は直りそうもないですけど」

 憮然とした膨れっ面を微塵たりとも隠そうとしない真行寺を押さえるのに、ぼく自身、手も気持ちも塞がってしまって、心に湧き出た不平不満がいつの間にか萎んでいく。

 ぼくの分まで怒ってくれる真行寺の存在が、こんな時はありがたい。

 行き場のないくすんだ気持ちがすっと息抜きできて、
「お腹が空くから余計腹も立つんだよ」
こんなふうに、ぼくは落ち着きを取り戻せるから。

──ありがとう。

 こんな時、素直に怒る彼に感謝せずにはいられない。

「葉山サンがいいならいいっス」

 一瞬向けた、訝(いぶか)しむ視線を綺麗に隠して、真行寺は食堂に向かう足を幾分早めようとして──ハタと気付いたようにぼくの隣りに寄り添ってきた。

「葉山サン。今日は口添え頂いて助かりました」

 そうして真面目腐って頭を下げてきた真行寺を、
「お礼なんていいよ、お互い様だし」
ぼくは制して、気持ちはわかるから、と頷き返す。

 そう、これはお互い様なのだ。

 貸し借りのことを含めて、この気持ちさえも。

──ぼくと真行寺は、待ち人が来るのをじっと待ち望む同志。

「お互い頑張ろうね」

 だから、他人事ではなかったのだ──。

 とはいえ、真行寺とぼくは傷口を舐めあうような慰めをする間柄じゃない。

 それでも、彼もぼくも、お互い想いを貫く姿勢は同じだった。

──頑張ろう。

 だから、この言葉は真行寺へというより、ぼくへのそれ。

 ほんとは、嫉妬や、猜疑心や、不安など、もやもやとした胸が燻る気持ちとは無縁な場所で、そっと静かに、穏やかでいたい。

 でも、生きている限りそれは無理だとわかっているから──。

 だから、これは、ぼく自身への激励なんだ……。



 食堂へと続く廊下を歩みながら、そんな物思いに耽っていると、
「良かったのか? 久しぶりだったんだろ?」
うしろから矢倉が、ぽんと軽く放るようにぼくの凪いだ心の隙間を突いて来る。

 階段長とは、決まって聡い人がなるようで、
「でも、ちょっと話したし」
ぼくの虚勢の応えに、矢倉は同情めいた溜息をひとつ落とすと、
「葉山もギイも、もちっと時間をうまく使えよ」
廊下の先から歩いてくる八津宏美を見つけて手を上げた。

「同級生なら連れ立って食堂に行くのが自然だろ。
廊下でばったり会って一緒に歩くのなんか、どこにでもある風景だ」

 穏やかな視線を恋人に定めたまま、矢倉は的確な表現でもって投げてよこす。

 確かに、八津の「このまま一緒に行く?」の言葉も、「さっき、夕焼けが綺麗だったよ」の言葉も、おかしいところは何処にもなく──。

「ほらな、こんなもんだろう?」

 矢倉の言いたいことはぼくにもわかったけれど、
「だけど、あいつは目立つもんなあ。葉山もご苦労サンだよな」
ぼくの言いたいことも矢倉はわかってくれているようで、
「ギイにしても葉山にしても、ストレスはうまく散らしとけよ」
だからぼくも、早口に囁くアドバイスに、これまた「ありがとう」を残して先を歩いた。

「ストレス、か……」

 夕食時の廊下の賑わいに、ぼくの声は泡となって消えていった。





『こんにちは、お昼の放送となりました。
今日はスペシャル企画として、四人の階段長が一斉に会した特別インタビューをご用意しています。
どうぞお楽しみに〜! それでは、今日も張り切って参りましょうっ!』

 早いテンポのオープニングテーマの音量が大きくなると同時に、ノリの良いDJの声がフェードアウトしていった。

 その出だしを聞きつけた生徒たちが食堂に向かう足を一旦止めて、天井に向けて指を差す。
「四人の階段長」という上等な餌を前にして、さすがにリスナーの喰らいつきもいい。

「うわっ、聞き逃さないようにしなきゃ。早く行こうぜっ」

 先を急いで、食事の合間のお昼の放送を楽しみにする生徒たち。

 その大きな波に逆らってひとり校舎を抜け出すと、ぼくは見事な新緑を揺らして吹き抜ける五月の風を胸いっぱいに吸い込んだ。

 空が青い。

 淡い色の緑が眩しい。

 一息ついて、「よしっ」と拳を作って軽く握ると、お気に入りの場所である雑木林の日溜りに行き先を定めて歩き出す。

『それではお待たせいたしました。
みなさん、すでにご存知でしょうが、改めて一階から順にご紹介しましょう。
矢倉柾木先輩、野沢政貴先輩、崎義一先輩、吉沢道雄先輩の四人の階段長、勢揃いです。
さあさ、みなさん必見です──あ、見るではなく聞いてほしいわけなんですが──インタビューの始まりです。
なお、これは先日収録したものでライブじゃないです。ご了承のほどをっ!』

 校舎から漏れるお昼の放送から、談笑する四人の声が漏れ聞こえて来る。

 DJ顔負けのお調子者を発揮しての、場を盛り上げる矢倉の歯切れのいい声。
野沢政貴の的を得た受け答えに対し、含み笑いと共に矢倉に仕掛けるギイらしい揚げ足取り。
そして予想外なことに、しばしば脱線しそうになる話題を引き締めながら最後に話を纏めるのは吉沢道雄の役目だった。

 インタビューをする放送部員の声が裏返っているのが、また面白くて、ぼくの頬もつい緩む。

『四人の先輩方はもちろん全員が三年生なわけですが、この中であえて「お兄さん」的存在と言えば、誰になるんですか?』

 下級生からのほのぼのとしたいくつかの質問に、一階の階段長、矢倉を中心とした階段長側が受け答えする。
インタビューはこの応答パターンで進行していた。

 今回の受け応えも例に漏れず、
『お兄さん、ねえ。だったら、吉沢かな? 俺が「アニキ」で、野沢が「お兄ちゃん」』
矢倉節は始終絶好調だった。

『え? 「お兄さん」?』
『僕が「お兄ちゃん」?』

 四階の吉沢と二階の野沢政貴が意外そうに声を上げた。

『それじゃ、ギイは?』
『ギイは「お兄サマ」で手を打つと』

 矢倉のオチにふたりは『なるほど』と声を揃える。

『だったら、矢倉は「愚兄」だな』と、ギイが皮肉を込めて言い返すと、
『おお、来たねえ。それなら、吉沢は「理系」で野沢は「政経」ってのはどうだい?』
『それだったら、ギイは「尊敬」だね』
締めくくりに、日頃の心情を込めて、吉沢が言葉を見繕った。

 転じて、
『野沢はこう見えて何でも溜め込む主義だから、「好きなもん持っていけー」ってなことでもしないと、部屋の中片付かないんじゃないか?』
「けー」続きで一花咲かせようと、矢倉が話を振ると、
『余計なお世話だよ。僕のは「一応何でも試しとけー」なだけだって。
矢倉もさ、なんだかんだと言いながら四人の中じゃ一番の秘密主義だよねえ。
そういうのって「お惚けー」って言わない?』
野沢も大人しく黙ってなどいない。

 野沢の逆襲開始に、吉沢が不穏な空気を悟って、
『まあまあ、ここは「そのヘンにしとけー」ってことで』
そう仲を取り持つと、最後を締めるに相応しい和やかな笑いを誘った──。





 新緑に反射する緑と金の織り交ざった淡い光がゆらゆらとぼくの行く先を照らし導く。

 お気に入りの雑木林へ続く道は、そんな淡い光に囲まれた楽園への道行きだった。

「誰もいないや」

 確認を込めてほっと息をつくと、お昼用にと持参したパンの袋を雑草で覆われた地面に置いた。

 そのパンの隣りに、制服が汚れるのも構わずに腰を下ろす。

 そう、これはギイの影響だ。

──「洗えば落ちる」と言って、去年はよくここでふたりで寝転んだっけ。

 そんな懐かしい思い出と共に、今朝の矢倉の声が脳裏に浮かんだ。



『ありゃ容量オーバーだぜ』



 ストレスを溜め込むな、と気遣ってくれたあの晩から、まだ数日ほどしか経っていないというのに、ぼくらを襲うこの現実。

 あの時とは比較にならないほどの深刻な矢倉の声音と、ぼくに語る先日のインタビュー後に交わされた会話から、あの鉄壁のギイから僅かに剥がれたサラブレッドの心痛の破片が垣間見えた気がした。

「ギイ、来るかな」

 ぼくは爽やかな風の音の中から待ち人の足音を捕らえようと、耳を澄ますために目を閉じる。

 今朝の矢倉の声が、まだ耳に残っていた──。





 インタビューの録音が終わり、放送部員が退室したあと、
『たまに衛星からレーザーで狙い撃ちしたくなるよな』
冗談とも本気ともつかないギイのその一言は、まず野沢と吉沢の沈黙を買った。

『おいおい。
それじゃ太陽雑音で電波障害起こす時間帯しか、安心して頭の上に人工衛星を通せないじゃないか』

 矢倉がオフザケ半分で突っ込むと、
『それなら数で勝負だ。そいつが一番手っ取り早いかな』
ギイが真面目な顔で太陽雑音における打開策を出して来た。

 人工衛星の真うしろに太陽ある時に起きる電磁波障害。
数が多ければ、太陽雑音の影響を受ける人工衛星以外にも稼動中の衛星が存在することになる。
総合的に人工衛星の使用不可能な時間帯はなくなる、というわけだ。

『まったく。人工衛星一基上げるのにいくらかかると思ってるのかね、この男は』

 呆れた振りして、矢倉が手を大きく広げて「付き合ってられん」とばかりに首を振ると、
『ホントだね。ふたりともSF小説の読みすぎだよ』
野沢がそれを引き継いだ。

『……バレたか。実はそうなんだ』





 ギイがその手の小説に凝っているなんて話は聞いたことがない。
多分、それを知りながら、みんなは話を合わせていたんだと思う。

 だって、その場にいたのは、ギイとぼくの現状に精通してそうな顔触ればかりだ。
ずっしりと圧し掛かるストレスとの、ややもすれば孤軍奮闘なりがちな不利な戦況を、彼らは敏感に察知したのかもしれない。



『葉山、早々にもクールダウンが必要だぞ』



 誰が、とは言わない。

 けれど、今朝この話をしている時、ぼくも矢倉もただひとりの人を想って話をしていた。

 戦士にも休息は必要なのだ。





「託生?」

 ここはぼくらの楽園。

「悪い、膝貸してくれ」

 研ぎ澄まされた神経を一面の緑に開放するのに相応しい場所。

「ギイ、もしかしてグロッキー?」

 以前にもこんなふうに訊いたことがあった。

「少しな」

 この返事もあの時と同じ。

 だけど、今回のギイの「少し」は信用してはいけない部類のものだ。

 もともとの許容範囲がぼくとは段違いなのだ。
キャパシティーが広い分、ほんの「少し」でもすごく大きい。

「このまま、ちょっと寝る?」

 そう訊いたと同時に、ギイが抱きつくようにぼくの腰に腕を回して、気持ち良さそうに寝転んだ。

「──十分経ったら起こしてくれるか?」
「了解」

 瞼を閉じると、ギイが幾分幼なく見えるのは気のせいだろうか。

「託生の膝枕、気持ちいいな。極楽極楽ぅ〜」
「ギイ、それって何だか温泉入っているおじいさんみたい」

 去年に比べてずいぶん短くなった淡い茶色に髪を優しく撫ぜると、ギイは今にもゴロゴロと喉を鳴らしそうな、本当に気持ち良さそうな穏やかな微笑みを浮かべた。

「実際、今のオレはささくれ立った腹黒い爺さん状態さ。
ただ今、エネルギー補給中。満タンの折にはピッチピチの若いツバメに戻りましょう」

「ギイがツバメ?」
「そう、ツバメ」

「それ、ちょっと無理があるんじゃない? ギイはたかるよりたかられるほうだと思うし。
それに普通、ツバメって年下の男を指すんじゃないの?」

「それでも、オレはツバメだよ。貪欲にオマエのハートを貪るツバメ」

 それがオレだよ、の囁きが、草の上にぽとりと落ちた。

「親指姫のツバメはどうして王子のところに真っ直ぐ向かったんだろうな」
「藪から某に何だい。今度は童話のツバメの話?」

「オレだったら、そのまま親指姫を連れて逃げてしまうのに」

 膝の上で話しているギイの声は、寝転んだ体勢のせいなのか、疲れからなのか、とても雲って聞こえた。

「ギイだったら──?」

 そうだな……。

「もしも、ギイだったら──ラストでツバメが王子に化けるのもアリかも。それでハッピーエンド、でどう?」

 このぼくの応えは、さすがのギイでも意表をついたものだったらしい。

 淡い茶色の瞳を見開いて驚いて見せたギイは、瞬間、目元を緩めて柔らかく微笑んだ。

「託生、おまえ頭いいなあ」

 こういう時、つくづく思う。

──本当に頭のいい人から褒められても嬉しくないっ。

 ぼくの場合、咄嗟の発想に頼っているだけで、それも偶然の賜物でしかないからだ。

「ギイ、それって嫌味?」
「託生、それって僻(ひが)み?」

「ギイっ!」

 そう怒鳴った声も、
「本気だよ、オレはいつも」
その言葉に穏やかに包まれて、悔しくも簡単に溶かされてしまう。

 いつだって、ギイと一緒にいるだけで、じわじわと幸せが胸に沁みてくる。

 そして、それが噛み締めるほどの充実感に変わる起因さえも、いつだってギイが掴んでいるのだ。

「お利口さんにはご褒美をあげよう」

 ギイがぼくの身体を挟むように両手を地面に着いて上半身を伸ばしてくるから、ぼくの心臓がドキンと高鳴る──。

 ギイの動作のひとつひとつが、ぼくの心を金縛りにする。

「ずるいよ、ギイ」

 ギイがぼくを捕まえる。

「ご馳走さん」

 ふたりの吐息は、まだ熱い──。




 ぼくのそばが安住の地──。
ギイがそう言うのなら、ぼくはいつでもその傷ついた身体を丸ごと受け止めよう。

 いつだって、両手を広げて待っているから。

 だから、ギイも忘れないで。
戦士はいつだって休む権利を持っている。

 ぼくは、ギイの「少し」をちゃんと知っている。
だから、ぼくの前だけでもせめて、その傷だらけの鎧を脱いでほしい。

 そして、ギイがそうであるように、ぼくだってギイで癒されるのだ……。



「補給完了?」
「もうちょっと」



 そして、ギイの「もうちょっと」は底なし沼だということも、お利口さんなぼくはちゃんと知っているのだ──。

                                                         おしまい


material * NOION



*** あとがき ***

最後までのお付き合い、ありがとうございました。
当サイト、moro*onの6000hits&6666hits記念作品「A little more」はいかがでしたでしょうか?

これは、三年生の五月のお話になります。

ギイと託生の秘めた恋とそれに協力する友人たちのお話を書きたくて書き出したのですが、
矢倉が結構活躍してくれました(笑)。もう彼は第二の章三ですね。
でも、章三と違って、オチには使えない彼。惜しいなあ(笑)。

今回は、インタビューのネタを考えるのが楽しかったです。
「ネタさえあれば、こっちのものよ」とばかりにノリにのって書きました〜(笑)。

「けー」や「けい」で終る言葉や台詞って結構多いですね。
この手のネタ探し、苦労もあったけど楽しかったです。

「戦士」とか、「鎧」とか、この作品にはファンタジーっぽい単語を前に出してみたのですが、いかがでしたでしょうか?
一応、私は「ファンタジーも」書く人……(笑)。

『研ぎ澄まされた剣を、今、ギイは鞘から抜いた。陽の光の照り返しが彼の頭髪を黄金に染める。
鬼神と化したギイは不敵な笑みを口元にのせると、一心不乱に走り出した』
……などとついつい書きたくなりましたわ。

うんうん、ギイの戦士役、超お似合いですよね〜っ。
差し詰め、託生は魔法使いかなあ。
あ、いや、黒魔導師は三洲に取っておかなければ(笑)。
ってなわけで、託生は白魔導師で回復・援護役に回っていただきましょう♪
なんてね。

いつもご贔屓にありがとうございます。
これからも、moro*onをよろしくお願いします。

by moro



moro*on presents


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なお、ルビー文庫「タクミくん」シリーズはごとうしのぶ先生の作品です。著作権などは角川書店様にあります。
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