Lovin' you



 梅雨ももうすぐ明けるだろうと、多くの人が口にする──そんな夏の始まりの蒸し暑い日。

 超大作と巷では噂の上映時間三時間を超える歴史物の洋画を見に、ぼくは友人たちと連れ立って、人里離れた山の中腹に立つ祠堂学院高等学校の寮を出た。

 貴重な日曜日の午前中、それも夏休み前だけあって期末試験も終わってみんな気が緩んでいるこの時期に、まるでそんな学生の心を狙い撃ちするかのような映画の公開だった。

 風紀委員長という立場から、特に下級生からは一目置かれている赤池章三は、自他共に認める映画好きで、
「たまにはいいだろう?」
半ば強引にぼくを連れ出したのは、章三なりの思いやりなのか。

 映画鑑賞と聞くとふたつ返事で合意する八津宏海と、「八津が行くなら俺も行く」と言わんばかりに同行を申し出てきた矢倉柾木はともかく、章三は、階段長として忙しい日々を送っているギイまでしっかりちゃっかり誘っていた。

 ギイ──ぼくの麗しの恋人。

 三年になって寮の部屋が離れただけでなく、チェック組みと呼ばれるポジティブなキャラクターの一年生への対応のため、今、ぼくとギイはすれ違いの生活を余儀なくされている。
お互い、会いたい気持ちを我慢している状態が続いているけれど、それでも、こんなふうに気を回してくれる友人に恵まれているぼくらは、とても幸せ者なのだろう。

「ギイと行くと、笑うタイミングがずれるんだよな」

 洋画を見る時、英語を母国語として育ったフランス系クウォーターのアメリカ人であるギイは字幕を読まない。
それが章三には悔しいらしい。

 街へ繰り出すバスの中には、他にも祠堂の生徒が結構たくさん乗っていた。
疎いぼくの目にも、ちらりちらりとこちらを伺っている彼らの姿がはっきり映るほど、ぼくの周りには注目を浴びるに値する人材が揃っている。

 今日見る予定の映画の話題を章三がギイと矢倉のふたりの階段長に振ると、すぐさま、聞き耳を立てる下級生たちの眼差しもキラリと光って真剣みを増した。
まさに、一挙手一投足に注目しているのが伝わってくる。

「三時間も座っていたらお尻が痛くなりそうだね」

 ぼくの隣の席に座る八津は、そんな下級生に無関心で、
「でも、その三時間もあっという間に感じられるほど面白いらしいよ」
これまた映画好きの面持ちで待ち遠しかった映画の公開に顔を上気させていた。

 ぼくはギイと出かけるどころか話をするのも久しぶりで、
「そんなに面白いんだ? ますます早く見たいな」
八津に相槌を打ちつつも、しっかりぼくの耳はギイの声を拾っているのだった。



 目的の映画館に着いた途端、ぼくらはしばしの間、そこに立ち尽くしてしまった。
映画館前の電光掲示板には本日の上映時間が映し出されていたが、同時に座席状況も出ていた。

 さすがに超大作とあって人気が高く、朝一番に見ようと早くから出かけて来るのはぼくらだけではないようで、すでに目的の初回上映の座席は満席状態。
一回に付き三時間もかかる上映であることを考慮して、一回目の上映開始時間をいつもより三十分繰り上げているのにもかかわらずの盛況ぶりだ。

 二回目の上映が始まるのは十二時過ぎ。
ちょうど昼食にかかる時間帯で、今現在、それにはまだ空席があるらしい。

 当初の予定では、ぼくらは映画を見てからランチにするつもりでいたのだが……。

「ま、こうなったら早めに昼を済ますことにして、それまではお互い自由行動でいいな?」

 この勢いでは二回目の上映の席まですぐに埋まってしまう。

 そう判断した章三は早々にチケットを買って席を押さえ、
「待ち合わせは十一時すぎくらいにしよう」
みんなの顔を見渡した。

 手軽に早く食べられるハンバーガーショップでお昼を一緒に摂る約束をして、その間の二時間強の空き時間はそれぞれで過ごすことで話がまとまる。

「じゃ、またあとで」

 手を振って背を向ける八津と矢倉を見送ると、
「僕は本屋に行くが、ギイと葉山はどうする?」
章三が映画館に一番近い本屋の看板を指差した。

「オレも本屋に行くかな。託生は?」
「ぼくは楽器屋に寄ってから本屋に行くよ。なかなか楽譜を買う機会もないし。せっかくだから」

「そっか。じゃ、本屋で待ち合わせしよう」

 そして、ギイと章三は連れ立って本屋に向かって行った。

 ギイとは普段なかなかゆっくり話もできなくて、こんな時くらい一緒にいたいと思う気持ちも山々あるのだが、祠堂にいてはなかなか手に入らないバイオリンの楽譜である。
この機会にぜひ探したかった。

「楽器屋の用事が済んだら、そのあとギイとゆっくりしよう」

 自分に言い聞かせるようにひとり別行動をとるぼくだった。



「もしかして、タクミ、さん?」

 それはぼくが気に入った楽譜を手に入れ、ほくほく顔で楽器屋から出て来たちょうどその時だった。

「お久しぶりです。あの、私のこと、わかります?」

 振り返ると、高校生くらいのかわいい女の子がぺこりとお辞儀をして、ぼくに向かって微笑んでいた。

「えっと……」

 この街に女の子の知り合いはいないはず。

 はてなマークをいくつも浮かばせてしまったのがどうやら彼女にも伝わったのか、
「すみません。私、以前、タクミさんに手紙をお願いして……。あの、崎さん宛の……」
彼女の声もだんだん小さくなっていく。

「あっ、あの時の!」

 一気に思い出した一通の手紙の存在に、今度はこちらが恐縮する。

「ぼくのほうこそ、ごめんなさい。あの手紙、結局ギイに渡せなかったんだ……」

 ぼく自身もしかしたら彼女の立場だったかもしれないと、自分を重ねて手紙を預かったぼくだったが、いまだにあの手紙は捨てるに捨てられず、ぼくの引き出しの奥深くにある。
それはまるで百年の時をかけて王子のキスを待つかのように、ひっそりと今も眠っている。

 だから──。

「本当にごめん」

 あの手紙は、ぼくからはギイに渡せられないものだから……。

「手紙はまだぼくが持ってるんだ。あの、あとで返したいので──」

 ところが、行き場のない手紙の処遇をそこまで言いかけたところで、
「ずっと持っていてくださったんですか? こちらこそすみませんでした。
ご迷惑をおかけしたみたいで……」
彼女が再び、髪を垂らして頭を下げてきた。

 その時、ちらりと見えた項(うなじ)にあってはならないものを見つけて、
「あの、余計なことかもしれないけど」
ぼくとしてもとても言いづらかったのだが、
「その服、買ったばかりなの?」
彼女によく似合っているノースリーブの薄い青の花柄のワンピースに視線を向けて、
「襟首のとこ、値札がついてるんだけど……」
当事者の彼女に負けないくらいの恥ずかしさを覚えつつ、今後の彼女のことを案じて思い切って言ってみた。

 すると、
「え? あ、やだっ」
案の定、彼女も顔を赤らめて、手を振り回すように首のうしろの部分を確かめている。

「どうしよう」

 糸で結ばれた値札が絡まったらしく、彼女が慌てる。

「取ってあげるよ。うしろを向いて」

 最初は遠慮していた彼女も、すぐに「お願いします」と覚悟を決めた。

「はい、取れたよ」

 ぼくがやり易いように肩より長い髪を押さえていた彼女は、ほっと安堵した表情を浮かべて髪を手櫛で元通りに直す。

「すみません、助かりました。タクミさんにはいつも助けられてしまって、本当にありがとうございました」

 それから、いくつか言葉を交わしたあと、
「それじゃ、私はこれで。タクミさん、今日は会えて嬉しかったです」
最高の笑顔を残して、彼女は別れを切り出した。

「さようなら」

 そのぼくの言葉に、
「本当にお会いできて嬉しかったです」
彼女の言葉が重なって、人見知りのぼくの口元がいつの間にか笑みに変わる。

 何度も振り向いてお辞儀をする彼女だったので、ぼくも彼女の姿が見えなくなるまでずっと見守りながら手を振ってしまった。

 ひとつの安堵を手にして、
「さて、行くか」
本屋に足を向けようとくるりと振り向いた先には──。

「ギイ……?」

 真剣な表情で、眉間に皺を寄せたギイが立っていた。

 そのギイの、何とも言えない、強いて言えば今にも泣きそうな面持ちに、ぼく自身、驚きを覚えながら、
「もう約束の時間過ぎてた?」
何事もなかったように声をかける。

「いや、まだだけど……。
章三のヤツは探してる本がなかったからって大通りの先にある大型ブックセンターに行っちゃってさ。
だから、みんなと合流するまで託生とお茶でも飲んでいようかと思ったんだ」

 泣きそう、だなんて、ぼくの見当違いだろうとは思いつつも、余りにもギイが寂しそうに見えて──。

「そっか。じゃあ、どっか喫茶店に入ろうよ。ぼく、冷たいもの飲みたいな」
「ああ」

 ぼくは、まるでせかすようにギイの袖を引いて、目に留まった喫茶店に入って行った。





 注文したアイスコーヒーの氷が、カランと音を立てて崩れていく。

「ぼくもあとでちょっと本屋に寄りたいなぁ。ギイ、付き合ってくれる?」
「いいけど」

 ギイの声が幾分硬い。

「みんなとの待ち合わせまで、あと一時間くらいあるよね。それまでここにいようか? 
ぼくはさ、ギイと一緒に……こうしていられるだけで嬉しい、し」

 一緒に、とか、嬉しい、などの言葉を口にするだけで照れてしまう。
自分の気持ちを曝け出すのは、やっぱり怖いし、恥ずかしい。

 それでも──。

 ギイが何に緊張をしているのかはわからないけれど、いつもよりぼくが少しでも素直になることでギイの強張りが解けるのなら、この恥ずかしさも覆ってしまえる。

「さっき前からほしかった楽譜を買ったんだ。
一生懸命練習するから、うまく弾けるようになったら──そしたらギイ、聴いてくれる?」

 でも、ギイが少し寂しそうなのは拭えない。

「託生、あのさ」

 切り出しの言葉さえも力がなかった。

「さっき女の子と話してただろ?」
「ああ、うん」

「あの彼女、すごく綺麗に笑っていたな」

 ギイの視線がぼくから反れた。

「それって、ヤキモチかい?」
「悪いか?」

「そんな根も葉もないこと……」
「託生がその気なくても、相手はどうだかわからないだろ?」

──そんな心配は無用なのに。

 日頃、お互い一緒にいられない不安や寂しさは、ぼくだけが感じているものではない。

 そう、ギイの表情が物語る。

 大人に囲まれ、子供でいられない世界に身を置くギイであっても……今更ながらに、ぼくと同じ年の高校生なのだと思う。

「彼女はね、大丈夫だよ。それに──」



 ひとつひとつ、言葉に置き換えて、ぼくはギイの緊張を解いていく。

 去年の文化祭の時、彼女からラブレターを預かったこと。
ギイが最後まで受け取らなかったその手紙を、ぼくがいまだに持っていること。

 そして。

『あの時は無理矢理お願いしてしまって、今では本当に申し訳ないと思ってます。
あの手紙はどうか、タクミさんが捨ててください。お願いします』

 彼女の手紙は、もう必要がなくなっていた。

『実はこれからデートなんです。崎さんみたいに格好いい人じゃないですけど、でも、とても優しい人です』

 彼女がほんのり頬を染めつつ、語ってくれた彼氏のこと。
今日が初めてのデートでおしゃれをしたのはいいけれど、どうやら舞い上がっていて値札を外すのを忘れていたこと。

 そして、最後に。

『崎さんに憧れていた私も私です。でも、今、彼が好きな私も私なんです』

 彼女はちゃんと気持ちの整理をしていて、それは聞いていてとても気持ちがいいほどだったこと──。



「ギイ、彼女の初デートが成功するよう乾杯しようよ」

 ぼくが氷の溶けきったグラスを持ち上げる。
軽くグラスを重ねると、高音の響いた音がぼくらを包んだ。

 指を添えるようにして支えたグラスを凝視するギイ。

「彼女がそうじゃないとしても、きっと誰かがいつかおまえを見つけてしまう気がする」

 ギイは依然として、笑おうとしない。

「誰もが、最初は何気なく託生と話し出すんだ。でも、いつの間にか仲良く談笑なんぞする仲になって。
そのうち託生に相談したり、他人には言えなかったはずの気持ちを打ち明けたり。
みんな、自分で気が付かないまま、どんどんおまえに懐いていくんだ」

 そっぽを向いた今のギイの姿は、やっぱりぼくと同じ年頃の男で──。

「最初はオレに纏わりついていたはずの顔触れも、いつの間にか矛先が違ってる」
「それってニュアンスが微妙だよ」

「託生、茶化すなよ」

 大人っぽいはずのギイが、恐ろしいことにかわゆく見える。

 ちょっと口を尖らして、そして、
「いつだって、みんな自然と、おまえと話をしたくなるんだ」
ギイはぼくの目を見て、幾分辛そうにそう言った。

 ぼくはギイがそんなことを考えているなんて、これっぽっちも気が付かなかった。
だって、いつもみんなの中心にいるのはギイであって、ぼくはただのオマケだと思っていたから。

 でも、ギイの言うことが本当だとして、みんながぼく自身と話をしたいと思ってくれるようになったとしても、それはきっと──。

「もしもそうだとしても──」

 ぼくは、きっぱりはっきりこれだけは言える。

「それはギイがぼくをそう変えたんだよ。
一緒にいたいと思ってくれるようなぼくだとしたら、それは今、ギイがここにいるからだよ」



 ギイ──。

 ギイは忘れているよ。

 今のぼくはギイがいてこそのぼく。

 ギイの存在なくしては、今のぼくはいない。



「ギイって結構ヤキモチ焼きだったんだ」
「おまえの想像以上にな」

 そして、やっといつもの笑顔で、
「好きだよ」
内緒話をするかのように、身を乗り出して囁いてくれた。

「映画見てる間、手を繋いでいような」

 いつもの調子を取り戻したギイは、
「いつだって本当はずっと繋いでいたいんだ」
甘い声で、ぼくを口説く。

「それじゃあ、赤池くんに見つからないようにしないとね」

 ぼくもおどけて応えると、
「確かに。それが一番の難題だな」
ギイも腕を組みながらも、口元に笑みを残す。

「今日、街に来て良かったよ」
「うん?」

「またひとつ、ギイのこと知ることができた」
「オレのほうこそ」

「ギイ?」
「託生からは目を離しちゃいけないってこと、今まで以上に肝に銘じることにした」

 ウインクひとつ投げて寄越すと、
「そろそろ行こうか」
ギイが伝票を手にして、席を立つ。

「割り勘にしよう」

 ごく自然にぼくが言う。

「オレ、本当は今日くらいは一日中、おまえを独占していたいんだぞ。
でも、みんなが一緒の時はできるだけ我慢する。
だけど、ふたりの時は、オレの我がままに付き合ってくれ」
「奢るのが、我がまま?」

「そう、我がまま」
「ヘンなの」

 ギイの掴み所がないところは相変わらずだ。

 でも、そんなギイもまた面白い。

「ではご馳走様」
「どういたしまして」

 喫茶店のドアを開けると、蒸した空気が身体に纏わり付き、一瞬、水の底を泳ぐ魚になったような気になる。

「今日も暑いな」

 みんなとの待ち合わせのハンバーガーショップまで、ふたりで並んで歩いて行く。

「うん。暑いね」

 少しの間だけど、ふたりだけ。

 すり違う人の中には、ギイを振り返って見る人も多い。

 だから、ギイがさっきの話をこんな人ごみで蒸し返すなど、ぼくは微塵も思わなかった。

「今はいっぱい恩を売っとくさ。でも、あとで利息込みで返してもらうつもりだから、せいぜい覚悟しとけよ」

 そして、ギイは、不敵に付け加えるのだ。

「一生かかって返してもらうつもりだから」

 幸せだな、と感じる、ふたりでいるこの瞬間──。

 もしもギイのこの言葉を、偶然にも耳に挟んだ人がいたとしたら、それは幸運以外にないだろう。

「Lovin' you」

 だって、ぼくが、そうだから──。



                                                         おしまい


material * NOION



*** あとがき ***

最後までのお付き合い、ありがとうございました。
4444hits記念作品「Lovin' you」はいかがでしたでしょうか?
この作品は、4444hitsを見事に獲得したえむえむさまに捧げます。

えむえむさまのリクエストは、「祠堂以外でのギイタク」で、「卒業後でも、外出先でもOK」という幅の広いものでした。
えむえむさま、どうでしょう(ドキドキ)? 気に入ってくださると嬉しいのですが♪

ちなみにこの作品には、「夢の後先」にて託生にラブレターの橋渡しをお願いしたあの女の子が登場します。
ギイタクにしても彼女にしてもお互いがそれぞれ幸せになれるといいなあ、と思って書きました。

さりげなく、ギイが託生にプロポーズしてますが、彼はこれからも何度もすることでしょうね〜(笑)。
いいなあ、託生〜(笑)♪

いつもご贔屓にありがとうございます。
これからも、moro*onをよろしくお願いします。

by moro



moro*on presents


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なお、ルビー文庫「タクミくん」シリーズはごとうしのぶ先生の作品です。著作権などは角川書店様にあります。
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