いつかの告白



「葉山、あれ食べたい」

 いくつも並ぶ屋台を見渡してから、ぼくの連れはそう言った。

「たこ焼きが食べたいのかい?」
「今度はアレでいい」

 今度は……って言いましたか、ナナイ君?

「きみ、お腹のほうは平気なの?」

 彼が屋台を指差すのは、もう五度目。

「葉山、おまえも食べたいのか? 一個くらい恵んでやってもいいぞ」

 そう言って、すばやくお買い求めになったたこ焼きを勢いよく楊枝で突き刺す仕草は、いかにも小学生にしか見えないのだが。

「これ、ぼくが買ったんだけど? 『ご馳走さま』くらい言えないの?」
「あいにく財布なんて持ったことないんだよ」

 その熱さに顔をしかめながら、またひとつぱくりと口に放り込んだ。
こうして、結局、「ありがとう」さえ言ってもらってないまま、この一時間、ぼくはナナイ君と屋台を梯子している。

 ここ、人里離れた山奥に建つ全寮制の男子校、祠堂学院高等学校では、普段、婦女子の姿はほとんど見かけることがない。
だが、年に一度の文化祭はその例外で、華やかは服装の女の子たちに混じって、この楽しいお祭りを楽しむ小学生の姿も今日はちらほら見かけられた。

 ここの生徒の身内なのだろうか。
さっきから、ぼくの隣りで、綿飴、焼きそば、お好み焼き、クレープと食べてばかりの小さな連れは、決まってできたてホヤホヤのものばかりを狙ってねだった。

 そう、いかにも「買ってもらうのが当然」という態度で。

「よくそんなに食べられるね」

 この食欲振りを見ていると、どこかの誰かさんを思い出してしまう。

──ギイの子どもの頃ってこんなだったのかな。

 ふと想像してしまった。

「葉山、顔赤いぞ。怒ったのか?」
「えっと……」

 まさか本当のことなど言えるはずもなく、
「さっきから食べてばかりだから熱くなっちゃって」
そう誤魔化した。

 章三を誤魔化すのは難しいが、小学生相手ならぼくの実力でも何とかなるのである。

「カキ氷食べるか? 買っていいぞ」

──きみ、わかってる? お金を出してるのはぼくなんだけど。

 とはいえ、お礼の言葉が言えないナナイ君ではあるが、少しは「気遣い」を心得ているようで、
「小切手やカードが使えるなら、いくらでも奢ってやるんだが」
上目遣いにぼくの顔を覗き込みながらそう言うと、考え込むように俯いてしまうのだった。

「いいよ、そんなに気にしなくても。あ、それとも、カキ氷食べたいの?」
「今はいい、コレがあるから」

 そう言って、ナナイ君はまた1個たこ焼きを口に放り込んだ。

 そんな租借する彼の背中の向こうから、「葉山」とぼくを呼ぶ声がする。

「あれ、赤池くん。もうクラスのほうはいいのかい?」

 ぼくらのほうにやってきた章三は、
「昨日、あれだけ働いたんだ。今日は勘弁してくれよ」
わざと溜息をつきながら、そんなことわざわざ訊くな、と言いたげに少しだけぼくを睨んだ。

「それより、こいつ、葉山の知り合い……じゃなさそうだな」
視線を下げて、ナナイ君に向き合うと、
「名前は?」
章三には珍しいくらいの笑顔を浮かべて尋ねる。

 けれど、ナナシ君は章三などお構いなしに、
「葉山ぁ、今度はあれがいい〜」
色とりどりのチョコチップついたチョコバナナを指すのだった。

 そして。

「はい、ゴミ」

 章三の手には空の容器を差し出し、
「ちゃんとゴミ箱に入れといて」
ナナイ君はにっこり笑った。

 さすがに、章三がむっとした顔をぼくに向ける。

「こいつ、誰? 何モノだ?」

 しかし、その問いにはぼくにも応えられるはずもなく。

「ぼくにもわからないんだけど、どうやら迷子らしいんだよね」
「迷子?」

「うん、迷子」

 ナナイ君は、「そういうわけなんでヨロシク」と章三に向かって手を出した。

「この手は何のつもりだ?」

 理由がわからない、という章三に、ナナイ君は、
「わからない? 気が利かないね。葉山のほうが余程気が利くなあ」
普段のぼくには到底無関係であろう評価を口にする。

「ほう、『葉山』ねえ。こいつはそんなに気が効くのかい?」

 そんなに睨まないでほしい。その言葉、ぼくが言ったんじゃないんだから。

 それに。

「赤池くん、子どものいうことなんだから」

 そんなに気にしないでよ。

 そんなぼくの気も知らないで、ふたりの間には見えない火花が散っている。

 当然のように先に追撃を打ってきたのはナナイ君のほうだった。

「ああ、すごく気に入るくらいね」

 などと、子どもらしくない表情で微笑み返す。

 だが、彼の続く爆撃はこんなものじゃなかった。なんと、ぼくの手をとって、こう告げたのだ。

「だから、あと十年待ってろよ。ちゃんと、ここに迎えに来てやるから」
「……え?」

 章三の冷やかしの口笛が、あたりの空気を震わした。

「相変わらずモテてるな、葉山?」
「赤池くん!」

 ぼくは、つい章三を睨んでいた。

「浮気はほどほどにな」

 この場合、迷子の世話なんだから。

 それに──。ナナイ君のこの行動が憎めないとしても……。

──これは、浮気じゃないのは確かだぞ。





「それで、そんな子ども相手に、おまえまでもがからかわれたのか」

 文化祭終了後、章三に引かれるようにして、やって来たギイの部屋。
昼間の迷子事件を報告していた章三に対し、ギイは三人分のコーヒーを入れながら、「章三らしくないな」と笑って応えていた。

「つまり、迷子の扱いに辟易していた実行委員たちに拝み倒されて、一時間だけ託生がお守り役をしていただけだろ?
小学生の子ども相手に章三がなぜそこまで目くじら立てる必要があるのか、オレにはそこがわからないな」

「ギイはその場にいなかったからわからないんだ。
あの、いかにも『常に誰かを従え慣れている』ような高飛車な口の利くガキを相手してみればわかる。
あれはきっと、例のチェック組の兄弟か親戚だと思うね」

「当然、その可能性はあるだろうな」
「もしかすると、正当なやり口を諦めて、絡め手で攻めてきたのかもしれなぞ」

「章三、それは考えすぎだ」
「余裕だな、ギイ。奴さん、葉山を余程気に入ったみたいで、プロポーズまでしてたが?」

「おい、それって託生にかっ?」

 ふふん、と章三は意地の悪い微笑みを浮かべながら、「子ども相手に熱くなるなよ」としっかりお返しするのだった。

 そんな章三の態度に、「このやろ!」と一瞬睨んだギイは、ぼくを振り返ると打って変わって、極上の微笑みを浮かべながら、
「託生、おまえ、その小学生に何言われたんだ?」
そう尋ねてきた。

 そう、ギイは身を持って知っているのだ。

 小さな子どもでも本気の恋をすることもある。
その出会いこそ、本物の相手との巡り合いの場合もある。

 今、この瞬間、その切実さに。

『ずっと好きだった──』

 いつか甘く囁いたギイの、長年抱いてきた想いを告白されたあの時のことが脳裏に浮かんだ。

 だからこそ、なのか。
ギイのこの微笑みは、どこか迫力があって。

「え……、えっと。あと十年待ってろって」

 やましいことなど何もないのに、やましいことをしてしまったような気分に陥るぼく。

「十年?」

 ギイが訝しそうに訊き返すと、
「ちゃんとここに迎えに来てやるからって、そりゃあ熱いまなざしだったぞ」
章三が割って入った。

「余計なこと言わないでほしいな。ナナイ君は熱いまなざしなんか向けてなかったよ」
「鈍の葉山と僕では、観察力に差がでるのさ」

 ギイからコーヒーを受け取りながら、「それに」と章三が付け足す。

「僕がカマかけたら、乗ってきたしな」

「策略家だな」
「ギイほどじゃないさ」

 章三と言葉のキャッチボールをしながら、ギイは二人分のコーヒーを持ってぼくの隣りに座った。

「ほれ、託生専用のいつものヤツ」
「ありがと、ギイ」

 たっぷりの牛乳が入った砂糖なしコーヒーを一口啜りつつ、ぼくは今日のナナイ君関連の出来事を改めて頭の中で整理してみる。

「カマかけたって……いつの間にそんなことしてたの?」

 章三の機転の速さと実行力はさすがにギイの相棒だけあると、ぼくだってそれは認めている。

 けれど──。

 一緒にいたのに全然気付かなかったぼくっていったい……。

「そんで、どんなカマかけたんだ?」

 ギイが興味深そうに身を乗り出した。

「ああ、葉山は金持ちしか好きじゃないぞ、って言ってみたのさ」
「げほっ」
「おい、大丈夫か、託生?」

 牛乳入りで熱湯ほど熱くないコーヒーとはいえ、それなりに熱い液体をむせるのは苦しかった。

「あ、赤池くんっ。ぼくはお金持ちが好きなわけじゃ……」
「わかってるって。だから、カマかけたって言ったじゃないか」

「それで、その『ナナイ君』な何て?」



『構わないよ。その時はこっちも経済力つけてるし』



「何だと?」

「子どもの言うことなんだから」
そうぼくが言っても、
「来れるなら来てみろ。返り討ちしてやる」
ギイも燃えちゃっている。

「そりゃあ、ギイが本気になったら相手先なんて結構な条件を飲まされた上、コレでもかって利益絞り取られて、やっとこさ無罪釈放、国払いだろうな」
「国払いって……?」

「退社勧告、さ」

 ぼくの疑問をギイが拾った。

「そんな無茶苦茶な」
「やるさ、ギイなら」

 その章三の言葉を確かめようと、
「まさかだろ?」
ギイの表情の変化を探ってみたが、どうやらぼくには無理らしい。

 ギイはそれには笑っているだけだ。

 ぼくはこの先を思ってちょっと不安になった。
完璧にギイに隠し事をされた時には、ぼくはコロッと騙されてしまいそうで悔しい。

 でも、熱心にギイを見ていたぼくに根負けしたのか、ギイは、
「巻き添えを食らう社員が気の毒だからな。意味もなくそんな無茶なことするわけないだろ?
個人的な仕返しだったら、ただ頭をすげ替えればいい。もし、組織ぐるみで攻めてくるなら……。
ま、それなりに反撃されてもらうとしますか」
片目を瞑って、口元にほんの少し笑みを浮かべる。

「葉山。上立つ者ってのは、『できる』だけじゃやっていけないのくらいわかるだろ?」

 章三はギイにチラッと視線を投げながら、「何で僕が」と溜息をつきながらも続けた。

「いいか? 最大の要素はいかに『冷酷』になれるか、なんだ。
ま、葉山用で言えば、『冷酷』は『現実主義』に変換されるわけだが」

「ギイは優しいけど?」

 ぼくの応えにギイが「そうだよな、オレ、優しいよな」と肩に腕を回してきた。

「そこっ! 僕の前ではそういうことやめろ。せめて、ふたりきりになってからにしろ」
「おお、怖〜」

 そうして、一旦腕が外された。のだが、ギイもただでは外さない。
章三からの死角である場所、それもぼくの尻に近い腰を定位置にしたのだった。

「ギイが優しいのは、ギイの所有物(もの)に手を出さなければ、という条件付きだ」

 章三は、「そうだろ、ギイ?」とぼくの隣人に確認を取った。

 そして、ぼくに向かって、真剣な面持ちでこう持ちかけて来たのだった。

「葉山、頼むからこの世の平和と社会のために、浮気だけはしてくれるなよ?」
「だ、誰が浮気なんてするかいっ!?」

「葉山の言動次第で株式市場が大慌て、なんて冗談じゃ済まされないぞ。
おまえにその気がなくても、あちらさんがちょっかい出してきた時には、未来ある会社ともいえどもある日突然消えてるだろうよ。
僕はその数を想像するだけで鳥肌が立ちそうだね」

「心配無用だよ。ぼくはそんなにモテナイですから。その点は大丈夫」
「そうしてくれ。僕の安眠のためにも。
将来、夜中に国際電話でたたき起こされて、グチを聞かされるなんてゴメンだからな」

 そう言って、章三はソファーの背もたれに寄りかかった。

 章三の将来の安眠の危機など蚊帳の外の態度で、今度はギイが、
「そんなことより、そのナナイってヤツ。
託生のこと、『葉山』って呼び捨てなのは小学生のくせに生意気だな」
話題を再び「ナナイ君」に戻した。

「あ、ギイ。その点については僕も注意したんだがね」
「注意しても直さなかったのか?」

「いや、『じゃあ、アンタは年上の人を呼び捨てにしたことないのか?』って言われると、脛が痛くて」
「それだったら、ギイだって他人のこと言えないね。島岡さんのこといつも呼び捨てにしてるし」

「託生、それとこれとは違うだろう。島岡は秘書」
「お父さんの、ね」

「……。ま、いい。章三、そいつの名前──『ナナイ』の下の名は?」
「それが……」

 ぼくと章三はお互いを見合った。

「最後まで言わなかったんだよ」

 そう、彼は頑なに自分のことを話さなかったのだ。



『名前を尋ねるのなら、そっちから名乗るのが筋だろう』
『あ、そうだね。ぼくは葉山託生』

『葉山? ふうん。じゃあ、葉山、あれ食べたい。買ってくれよ』



 あの時、誤魔化されてたのだと気付いたのは屋台をふたつくらい回ってからで、その頃にはすでに名前を訊くタイミングを逃してしまっていたのだった。

「じゃ、『ナナイ』ってのは?」
「ああ、名前がないと不便だからぼくが付けたんだ。名が無いから『ナナイ君』」

「託生ぃ〜。おまえ、そんなんでそいつと一時間も一緒にいたのか?」
「そうだけど?」

 どうやらぼくの応えをギイはお気に召さなかったらしい。

「葉山、おまえってホントに危ないヤツだな。ぼくはギイに同情するね」
「どうして?」

 章三までもが気に入らないらしい。

「おまえ、そいつに『迎えに来るから』とまで言わせたんだろう?
そのナナイ君は葉山に嵌ったってことだよ」

 ギイみたいにね、と小さく聞こえたのはぼくの気のせいだろうか?

「まさか。ナナイ君のは冗談に決まってるじゃないか。赤池くんだってその場にいただろ?
彼は、『ここに迎えに来てやるから』って言ったんだよ?
十年後にここに迎えに来るって。そんなの無理に決まってるじゃないか。
いくらぼくの成績がそんなに芳しくないからって、そこまで留年するほど落ちぶれちゃいないよ。
彼が『ここに』来たって、ぼくは『ここに』いないんだから」

 ぼくが胸を張ってそう言うと、麗しの恋人とその相棒は、呆気に取られた表情で、
「おまえって天然だよなあ」
そう口を揃えて言って下さった。

 それでも、ぼくは知っている。
彼は自分自身を見てくれる人がほしかっただけ。
あの時一緒にいるのは、別にぼくじゃなくても良かったのだ。

 まだ、ギイや章三は気付いていない。
あの忙しい時間の中、ぼくがどうして一時間もナナイ君と一緒にいたのかということに。

 ぼくは、あの時、不思議な感覚に囚われていた。

「だってギイに似てたんだ……」

 舌で転がす言葉は誰の耳にも届かない──。

 自分自身を見てもらいたくて。
自分の名前が意味するものを隠したくて。

 彼は昔のギイだった……。

 そう、ぼくにとっては。

『ここに迎えに来るから』

 そう言った彼の言葉どおり、祠堂にやって来たギイは、今、目の前でぼくのことを、「危ない、危ない」とからかいながら笑っている。

 章三という相棒を得て、ぼくの隣りで。
とても楽しそうに──。

 そんな彼の笑顔の裏側で、長い間、ありのままの自分を見てほしいって気持ちが確かにあったのだと、ぼくは知っているから。

 そう……。

 とても長い間、ぼくを追いかけてくれたギイ。

 だから、今度はぼくが──。

 いったいギイはどんな顔をするだろう。

──きっと迎えに行くから。

 今度は、ぼくが。

 きみを。

 追いかけるために。

 その時、ギイは、花がほころんだように微笑んでくれるだろうか……。

                                                         おしまい


material * NOION



*** あとがき ***

最後までのお付き合い、ありがとうございました。
初めて『タクミくん』を書きました。二次創作小説自体、不慣れなもので、ドキドキです。
いかがでしたでしょうか?

これは、ともさんのサイト開設一周年記念として贈らせていただきます。
なんだか、思ったよりラブラブにならなくて(笑)。
一応、ラブラブ*ギイタクを目標にしてたのですが……。
ともさ〜ん、すみません……。
これからも、ともさんの素敵な作品、期待してます♪

by moro



moro*on presents


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なお、ルビー文庫「タクミくん」シリーズはごとうしのぶ先生の作品です。著作権などは角川書店様にあります。
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