The cancelation of kisses



「あの、葉山サン」

 神妙な面持ちの真行寺がやっと口を開いたのは、リコッシェサルタートの弓使いを繰り返し練習していた時だった。

 楽譜には押弓の一打での移弦の16分音符をあらわすスラーとスタカートの記号。
溜めて弾く、の連続奏法は手首に力を入れないのがコツなのだ──が。

「アラタさんのアレってホントに葉山サンが付けたんですか?」

 真行寺の一言で、その一打連続跳弓練習は奇妙なテヌートになってしまった。

「み、三洲くんのアレって……」

 一瞬にして脳裏に浮かぶ──白い肌にほんのり色付く淡い鬱血の跡。
 強制的に巻き込まれた一連の事件の原因の主から、突然、そんなふうに切り出されてしまい、つい、ぼくは慌ててしまった。

 何らやましいことなどないはずなのに、完全に清廉潔白な無実を誇れない身をしては、はっきりとコトの次第を話すことができなくて。

「参ったなあ」

 ホントにこの件については聞かないでほしかった。

「だって、アラタサンがソレ付けた現場を見たって人もいるし」

 ぼくの首筋から反らした真行寺の視線が、落ち着きなく辺りを彷徨う。

 彼が疑いたくなる気持ちもわかる。事実、コレは、三洲が先に付けたのだ。
でも、この場合「先に」と言うからには、「あとから」のコトもあったわけで……。

 そっちを隠さねばならないぼくとしては、
『あれはきみの仕業だよ』
そう、きっぱりはっきり否定するわけにいかないのである。

 ぼくが三洲に付けたコトになっているから、ぼくのコレも三洲が付けた理由が生まれる。
三洲がぼくをわざと引きずり込んだそのことに便乗して、ギイがソレを利用しているなんて。

──とてもじゃないが誰にも言えない。

 都合よく、ぼくと三洲の間には目撃者が多数いる。
だから、余計、ややこしいコトになってはいるってのも確かなんだけど……。

「三洲くんは何て言ってるの?」

 そう訊いてしまってから、失敗したと後悔した。
あの三洲であれば、『部屋への出入り禁止』は当然なこと、「俺に話かけるな」と言い渡しているに違いないのだ。

 ところが。

「アラタさんは葉山サンから嫌がらせを受けたんだって言ってました。罰ゲームだから仕方ないって……」
「へ? 三洲くんがそう言ったの? いつ?」

「今朝です。
葉山サンが食堂からまだ帰ってこないの狙って、270号室に行ったら、アラタさんが、『ふふん、滅多に見られないシナモノだろう』って自慢するように見せてくれて」

 ぼくは頭が痛くなった。

 三洲くんってば何を考えているんだろう。
やっぱり彼は宇宙人だ。ぼくごときじゃ彼の考えを読むことはできない。

「もしかして俺が付けちゃったのかなぁ、って思ったんですが。
そうだとしたら、今頃総スカンを喰らってるはずなんで。
アタラさんのあの態度からするに、やっぱり俺じゃなくて葉山サンだからなのかなって、もう頭ぐるぐるしちゃって……」

 そして真行寺はちょっとだけぼくを睨んで、
「それに、葉山サンの首筋にもしっかり証拠残ってるし」
目尻を赤らめて、唇を突き出した。

「すねているのかい?」
「困ってるんです」

 いかにも王子様なルックスのクセにその表情はとても表現豊かで、気取った印象が綺麗さっぱり払拭されてしまう。
それゆえ、真行寺は際立った容姿のわりに、友人たちに溶け込み、紛れ込んでいる。
その存在が率出しないのは、彼自身の天性の防御なのかもしれない。

 だからこそ、今回、三洲はみんなの目をうまく誤魔化せたのだが──。

「葉山サンのソレ、すごく色っぽくて。
だから余計、それを付けたのアラタさんだって思うと、俺、葉山サンのこと好きなの変わらないけど、やっぱり悔しくて……」

 それきり、俯いてしまう背の高い下級生に、ぼくは何と言ってよいものやら、本気で困ってしまったのだった。





 就寝時間直前まで出かけていた三洲が、二七0号室に戻ってきた。
忙しい生徒会長も、睡眠だけはしっかり確保するようだ。

 ぼくは機会を見計らって、今日の真行寺のことを話そうと考えていた。
けれど、どう切り出したらよいのか、そのキッカケがなくて途方にくれてしまう。

 大体、いつもの三洲なら、キスマークを残した真行寺の悪業にギロリッと一睨みきかして、『躾の足らない犬は必要ない。失せろ』とでも言っているはずなのだ。
真行寺に自慢するようにその跡を見せてる三洲なんて想像しがたい……。

「葉山、まだ寝ないのか?」

 三洲が照明を指差した。

「あ、うん。もう寝るよ」

 了解したところで、部屋の中は暗闇に包まれる。

「今日さ、真行寺くん、バイオリンの練習聞きに来てたんだ」

 三洲相手にぼくが何かを引き出せるなんて思っちゃいないけれど、
「すごく強く見つめられちゃたよ」
このくらいはぼくにだってカマかけられる。

「ふうん、それで?」

 この餌を三洲は気に入るだろうか? 少しは食指が沸いたのか?

「このキスマーク、色っぽいって。妬けるって言ってたよ」

 これでどうだ、と言わん限りにきっぱり言うと、
「そんなの、アイツの勝手な妄想だ」
三洲にさらりとかわされてしまった。

「でも、三洲くんのソレ、疑ってたよ。ぼくが付けたのかもって」
「それこそ、勝手に想像してろと言いたいね。
勝手にコトを起こしといて、ひとりだけ悠々自適な生活を送れると思ったら大間違いなのさ」

 そこで、ハタと気がついた。

「もしかして、三洲くん、仕返ししてる?」

 誰に、とは言わない。

「自分で空回りしてる分には、楽だからな」

 誰が楽なの、とも訊けない……。

「真行寺くんに、同情しちゃうな」
「ふん、自業自得だ」

 そりゃそうなんですけど。

「それより、葉山。そのキスマーク、いやに濃いよな?」

 いかにも楽しそうなその声音。
暗闇であるにもかかわらず、うっすらと微笑む三洲が見えるようだった。

「そ、そうかな。い、嫌だなあ、早く消えればいいなぁ。ははは……」
「ほお、消してほしいのか、葉山。それだけしっかり付いてたんじゃ、当分消えそうにないんじゃないか?」

「三洲くんだって、お互い様だろ?」
「俺のは『出来心』だからな。『確信犯』とは違うのさ」

 どくん、と心臓が鳴り響いた。

──まさか、バレてる?

 誤魔化す方法をあれこれ探って、焦りまくるぼくのベッドのかたわらに、いつの間にか人の気配が……。

 暗闇が去って、サイドテーブルの淡い光を点された途端、
「利用されるのは誰だって嫌だよな?」
身近に三洲の妖艶な微笑み見えた。

 それこそ、悪魔の微笑み……!

「うわ、痛……っ。もう三洲くん、痛いって。うわ、やめ……」
「ホント、明日が楽しみだ。なあ、葉山」

 ううっ、三洲相手に挑んだぼくがやっぱり愚か者だった。





「絶対また、あらぬ噂に巻き込まれる〜っ」

 朝一番に駆け込んだ三階のゼロ番。

「これも、ギイのせいだからねっ」

 もう、どうしてくれるんだっ。

「よくもまあ、次から次へと。三洲もやってくれるよ。これ、マジに痛かったろ?」
「当然だろ、血が滲んでたんだから」

 昨夜、慌てて駆け込んだ洗面所で、ぼくは我が目を疑った。

「しっかし、立派なバッテンだなあ」

 ギイがつけたキスマークの上に、二本の引っかき傷が重ねられていたのだ。

『葉山がご心配の真行寺にとっては、おそらく朗報になるだろうよ』

 何が三洲の怒りの片鱗に触れたのか……。

 朝、部屋を呼び出していくぼくに、
「煽るのは俺の特権なんでね」
そう言って手を振って見送った三洲。

「ギイが悪ふざけするからまずかったんだよ。真行寺くんもすごく色が濃いって心配しちゃってたし」
「恋人からの熱々のキスマークだもんな」

「笑いごっちゃないよっ」

 ギイのお陰でこっちはすごく迷惑だ。三洲くんは睨むし、真行寺くんは──。

『取り消しにしてやる』

 昨夜の寝入りばなのかすかな三洲の呟きが、その応えなのか。

「結局、ぼくって利用されっぱなし?」
「三洲は手強いからなあ。でも、オレも負けてないつもりだけど?」

「はいはい、ギイも転んでもタダでは起きないヒトだよね」
「では、ご期待に応えましょう」

──え?





「アラタさ〜ん、入れてくださいぃ〜」

 ギイのところから早々に引き上げたぼくが、二七0号室のドアの前で見かけたものは、
「煩いっ、飼い犬なら犬らしく従順に大人しく去れっ」
いつの間にか、予想通りの展開になっているふたりの情景だった。

 あれって、一応──じゃれ合い?

「三洲くんも、手を緩めたってことだよねえ」

 ぼくは、ほっと胸を撫で下ろす。

 そこに。

「また、やってるよ、真行寺のヤツ」
「高嶺の花相手に根性あるよなあ」

 朝食時間のあわただしい廊下での中の一幕に、通りすがりの生徒がチラッと視線を投げては、すぐに別の話題に花を咲かせていく。

「もしかして……目立ってない……?」

 真行寺が三洲に纏わりついていてもみんなの視線が温かいのは、彼の存在が派手に輝いていないから──?
三洲はそれに気が付いてる?

 本当はピカイチの輝きを持っているのに、まるでわざわざオブラートで覆うようにその存在をぼかしている。
天性なのか、それとも──?



「おい、葉山。食堂行かないのか?」

 軽くた肩を叩かれて、振り向いた先に、章三と──珍しくギイがいた。

「あのふたりも相変わらずだな」

 溜息とともに章三が呟く。

「ま、平和ってことでいいんじゃないか?」

 ギイが何気なくコトを収めようとしていた。

 何かを察したのか、麗しのぼくの恋人の優秀な相棒は、
「そういうことにしておくか」
喧騒の廊下から視線を外して、
「さて、食堂に行くか」
ふとぼくに振り向いた。

「葉山」
「は?」

「それは何だ?」
「うっ」

 だから、ヤバイから止めてくれってあれほど言ったのに。

 目はモノを言う──のだろうか?
章三の視線がとてつもなく怖い……。

「聞こえなかったのか? コ・レ・は、何だ?」

 知りたいのなら、ギイに訊いてくれっ。





──その後。

 バツしるしの傷に沿って淡く色が重ねられたソレに、真っ先に気付いた章三が、
「それは引っかき傷による炎症、もしくは内出血だよな? 葉山、そうだよな? そうだと言えっ」
そう凄んで確認を取ってきたのは言うまでもない。

 触らぬ神にたたりなし──。

 なぜか、いろんなトコで地雷を踏んでるぼくとギイだった。

                                                         おしまい


material * fu*fu



*** あとがき ***

最後までのお付き合い、ありがとうございました。
当サイト、moro*onの1111hits記念作品、「The cancelation of kisses」はいかがでしたでしょうか?

この話は、1000hits記念の「Kisses on the kiss」の続編にあたります。
「その後の真行寺の悲惨な数日」のつもりで書き始めたのですが、
いつの間にやら、ちょっと違う方向に話が進んでしまって。
まあ、結局、三洲が「270号室への出入り禁止」を真行寺言い渡すとこで終わっているのですが、ははは……(笑)。


いつもご贔屓にありがとうごさいます。
これからも、moro*onをよろしくお願いします。

by moro



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