五日後、俺は環境庁より発せられたELG養成研修の参加許可通知を受信した。
研修の参加は、ELGの就任がほぼ決まったことを意味する。
任務敷遂行に必要な多種多彩な技術能力が一定基準を上回りさえすれば、その時点で研修は終了。
環境近衛隊の任命証を受けられるのだ。
この研修への参加許可がどれだけ重い意味と喜びを含んでいることか。
それはちょっとやそっとの言葉じゃ言い尽くせない。
その感動的とも言える研修許可通知受信の瞬間など、洒落にならない誰かのイタズラかと思ったほど半信半疑で、まさに青天の霹靂状態だった。
養成研修へのお誘いが間違って俺のアドレス宛に来たじゃないかと何度も受信記録と宛名を見直しては、そのたびに、これはいつか醒めてしまう夢じゃないかと疑った。
そのうち、やっとコレは現実なんだとじわじわ染み込んできたと思ったら、今度はその余韻に引き摺られてしまって、なかなか浮かれ気分が抜けなくなってしまった。
が、その盛り上がった気分も俺同様に頬を緩ませたマックスの顔を拝むまで、のこと。
奴は一挙に俺の浮いた気分を奈落の底に突き落としてくださった。
「おまえ、見掛けによらず、結構すごい度胸してんのな」
それは、マックス持参の「チナム」のケーキを囲んでティータイムを楽しんでいる時、ふたつ目のケーキを遠慮せずに頬張りながら、唾と一緒に放ったマックスのこの台詞が発端となった。
「度胸?」
最初、何のことだ? と話が掴めなかった。
それでも、俺のうなじはちりりと引きつった。
何だか悪い予感がする。
そして、こういう勘だけは、厄介なことに俺は決まって外れたためしがなかった。
左右の手のひらで包んだ紅茶のカップの中身がゆらゆら波立った。
凝視する俺の怪訝な視線に気付かないまま、マックスは大喰らいでおしゃべりなその口を忙しく動かし続けた。
「ほーんと、あん時はびっくりしたのなんのって。
ボットナム本部長んとこに研修参加承諾の連絡を入れた途端、朱里の寝顔が映るんだもんなぁ。
俺、一瞬間違っておまえんちをアドレス指定しちゃったんかと思っちゃった」
俺も、あの晩のことは驚いた。
ELG派遣本部に着いたら、本部長との面会前にてっきりファラが起こしてくれると思ってたんだ。
だから、うとうとしてきた時、「まあ、いいかな」って気が緩んでしまったってのに……。
それなのに──目が覚めたら、すでにガリオの陽神は頭の真上に昇っていた、なんて、そりゃないよなあ。
本部長も本部長だ。俺の寝顔を見ながらファラと会談してしまうなんて。
顔見知りとはいえ、それじゃまるでガキ扱いじゃないか。
俺、いくらなんでも起こしてほしかった。
『おい、朱里、一時過ぎたぞ』
あああああぁぁ。ファラが俺を揺すったの、あれ、翌日の午後一時だったんだよ〜っ。
真夜中の一時だったらまだよかったのに。
はっと我に戻って、反射的に起き上がったら毛布が落ちて。
そこでやっと自分が本部長室のソファーを占領していたことに気付いた。
瞼を開けると眩しいばかりの「朝」の場面。
目覚めるにはもってこいの幻想的な嘆美に値するセリーア人の天稟の風姿。
木目の綺麗なテーブルの上には、モーニング用にしては遅い珈琲が用意されてあった。
どアップのファラがそのひとつを啜りながら、
『この寝坊助。もう昼だぞ、昼っ! まったく、おまえはいくつになっても寝汚いな。
この先々、ずーっと起こしてもらわなきゃ起きられない甘ったれのままでいる気か、ん?』
呆れたように俺の顔を見ていたのだ。
ったく、一体、誰が寝汚いって?
いっつも俺が朝食を作り終わった頃起きてくる奴がよくもそんなこと言えたもんだよな。
ファラもどうせ起こしてくれるんだったら、もっと早く起こせってなもんだ。
そうすれば、あれから五日も経った今日まで、会う人会う人が──。
そう。例えば、現役ELGや就任内定者。みんなこぞって俺の肩を叩いて、
「いやぁ、大したもんだ。鬼の本部長の本拠地で、あれだけリラックスした顔して熟睡できる人間も珍しい」
などと、感嘆さえ入り混じった感心とも関心とも言えない表情を俺に投げかけることもなく、俺は赤恥かくこともなかったんだ。
ああ、参るよなあ。
それにしたってどんな顔して応じていいんだかわからないよ。
本当に妙な顔をするんだよ、その連中。
中には、「お熱いねえ」とか、「きみは鳥にも好かれるんだな」って言う人もいてさ。
まったく何のことやらさっぱりわからん。
そして、俺がキョトンとしたままでいると、
「本部長さえ認めた仲だ。言わば暗黙の了解、御墨付きの公認だよ。うんうん、なかなか綺麗だった。
さぞかし認証式典は映えるだろねえ」
話題性も申し分なし、と付け加えつつ、俺がどこから訊こうか考えているうちに、「じゃ、楽しみにしているよ」でオサラバだ。
何が何だか……。全然見当もつきやしない。
ただ──。
そう言ってくる顔触れがELG関係者ばかりだから、やっぱりマックスみたいにあの日、交信を入れたクチじゃないかと思う。
じゃなかったら、俺が本部長室のソファーで横になってたことなんて知りっこないはずだ。
──それでも、どっかヘンなんだよな。
「なァ、普通さ。野郎が野郎に向かって『綺麗』って言うかァ? セリーア人じゃあるまいし」
「いいじゃないか。言われて減るモンじゃないし、損するわけでもないだろ?
ユーリなんか目茶喜ぶぞぉ。最高の褒め言葉のひとつだわってさ」
「そりゃ、ユーリはね。女の子なんだから当然だよ。けど、今は俺の話をしてんだぞ?」
「ま、いいんでないかい。汚いって言われるよりは綺麗な方がお得だろ?
事実、そこらの映画のワンシーンよりは様になって──と、おっとっと……気にしない、気にしない、っと。
マジに気にすることないって!
……んじゃ、そろそろ俺、帰るわ。ユーリとも、待ち合わせしてるし。
通知のことも直接会って詳しく話したいしさ」
デートに勤しむマックスは、そう言ってそそくさと腰を上げた。
いいよな、おまえは悩みがなさそうで。
玄関先で、そのマックスの人差し指が自動開閉のボタンを押そうと慣れた動作ですうっと伸びる。
すぐさま、いつも通りに扉の緑の「開」ランプがピカッと光った、のだが、「あれ? 俺、まだ押してないよ?」の台詞と同時に、「何だ、ふたりとも出掛けるのか」の低音の美声が耳に届く。
「エステル先輩っ!!!」
声音を文字に表現するなら絶対ハートマークがついているだろう。
その声と同じくハート型を描いたマックスの瞳は、もうすでにファラに釘付けになっていた。
後輩面も一回り大きくなって、いつもの数倍以上の猫撫で声だ。
ンなもんで、輪郭さえ崩しながらマックスは、憑き物のようにそのままファラの背中を追うようにして家の中に逆戻りしていった。
──おいおい、ユーリが待ってんじゃないのかよ?
「朱里、早くこっち来て、このモカをドロップしろよ。エステル先輩がわざわざ買ってらしたんだから」
奥の居間から元気ハツラツたるマックスに声が玄関先まで響いてきた。
奥を覗くと、珈琲豆の紙袋をぴらぴら見せながら「早く来い」と催促している。
もとからファラのファンだったマックスだけど、一年振りに再会してからというもの、今やこいつは完全にファラの下僕に成り下がっているのは明らかだ。
「おい、マックス。ちょっとこっち来いよっ」
しぶしぶながらファラから離れる悪友を玄関脇の隅に引き込むと、俺は声を潜めて捲くし立てた。
「おまえ、何考えてんだよ。これからユーリと会うんだろ?
ファラなんてほっといて、早々に行かないと彼女に悪いぞ。珈琲なんて飲んでたら、時間なくなっちまう」
「だって、おまえ。俺にとっちゃ、エステル先輩と同席できるなんて滅多にないチャンスなんだぜ。
珈琲一杯くらいいいじゃん。待ち合わせにはまだ二十分くらい余裕あるし」
「あとでまた来いよ。ファラなんかとはいつでもお茶くらい飲めるんだから」
「……おまえって、エステル先輩をないがしろにしてるんだな。
先輩がどれだけおまえを可愛がってるか……。
なのに、おまえのその態度は何だよ、先輩のこと『なんか』とか『いつでも』とかさ。
ぜぇんぜん、先輩に対する愛を感じられないぞ」
「愛ぃ〜!? おまえ、何てこと言い出すんだよ」
「俺はな、朱里。鬼とも恐れられているあの本部長を前にして微動だにしない先輩にマジに感動したんだ。
あの本部長の目と鼻の先で、白昼堂々、あ〜んな告白付きのラブシーンをするなんて……」
「告白付きのラブシーン? 何だよ、それっ」
俺がジロリと睨むと、マックスは、ヒィッと息を吸い込む。瞬時、その己の声を右の手のひらで押さえた。
が、指の隙間から、「うわッ、しっ、しまった!」と声が漏れてしまい、それを抑えるためにもう片方の手のひらを当て直さなくいてはならなかった。
何か隠していると思っていたら、やっぱり隠していやがった。
もしかすると、すごくとんでもないことを、こいつは今まで黙っていたのかもしれない。
とんでもないこと……?
サーッと顔から血の気が引いて、悪寒が全身を駆け巡ってゆくのがわかった。
食い入るようにマックスを追い詰めて、腹に力を込めた声で問いただす。
「さあ、吐いてもらおうか。おまえ、何を隠してるんだ、え? ほら、吐いちまえよっ」
ぐいぐいと小突き回しながら前進する俺に合わせて、マックスが一歩一歩と後退する。
「さ、さあ……、何のことやら……」
目が泳いでいる。飽くまでシラを切るつもりらしい。
しかし、それも最初のうち。
やはりマックスと言えど、過去のナンパ経歴を婚約者殿には知られたくはなかったようだ。
俺が少し匂わせただけで、あっさり?、すごすご?、観念してくださった。
じとって見たって退かないぞ。こっちは何人もの面々にヘンな顔されたんだ。俺の身にもなってみろ。
「……エステル先輩はおまえのこと、ほんとに想ってんだからな」
「能書きはいいから本筋を言えって」
「──実はさ、本部長のとこにペア承諾の連絡を入れた時、たまたま聞いちゃって、さ。
その時、先輩、承認してくれないなら駆け落ちするって啖呵切ってたんだ……」
「駆け落ち? 誰と?」
「オマエと」
俺ぇ〜っ?!
「『冗談も対外にしろ』って本部長が茹蛸みたいに怒って……。
そしたら、先輩は『本気だ』って……その…………眠ってるおまえにキスしたんだ」
「嘘……だろ?」
「いや、ホント。それでもさすがに本部長、全然退かなくてさ。
そしたら、先輩、回線の開放スイッチ入れちゃって──」
「まさか──」
告白付きのラブ・シーン……?
め、眩暈がする。
「俺はホントにたまたまだったけど、定期連絡かなんかで本部長宛に回線回していた連中も大勢いてさ」
「もしかして、その連中。みんながみんな、ファラの……それ、見たのか……?」
「中には感涙したヤツもいたって噂に聞いたなあ。ま、そんな顔するなよ。
それほど劇的だったってことだぜ?
第一、環境庁長官自ら本部長に直接打診して確認なさったってんだもんな」
「環境庁長官っ! そんなお偉方まで出てきたのかっ?」
「そりゃそうさ。エステル先輩絡みじゃ可笑しくないだろが。
何と言っても、ELG任務に就いているセリーア人なんて銀河連邦中探したって先輩ひとりだしさ。
長官だってエステル先輩のこと、優秀なELGだって多大なる評価をしてる上、セリーア人という貴重種として思いっきり肩入れてるって噂は有名だもんよ。
ま、相手が長官クラスじゃ本部長も承認せざるを得ないわけだ。
エステル先輩っていろんな意味で稀有な人材だろ?」
「そりゃ、ね……」
セリーア人の存在自体だけでも確かに稀有だし。
加えて、ファラときたら、様々な分野において多才を発揮してるんだよなあ。
「ELG派遣機関の上層部じゃ今回の人選だって何の実績をも持ち合わせてない新米ではなくて──。
つまり、おまえのことだぞ?
実は、ベテランの信頼おけるELGとのペア路線を考えていたらしいんだよなあ」
それは当然だ処置だろう。貴重なセリーア人に何かあっては連邦評議会も真っ青な国際問題だ。
セリーア人特有の有翼のその姿から、「天使」と呼んで崇め奉っている宗教もあるほどだし。
「だからさ、駆け落ちでもされて、セリーア人を、それもELGの資格を持った貴重な人材を手放すよりは、本人の意向に沿うくらいの譲歩のほうがずっとマシ……、と。
まあ、上層部もバカじゃないし、にエステル先輩のELG継続のためならおまえとのペアを認可くらいするさ。
ってことで、これでわかっただろ? そこまでおまえは見込まれてんだぞ」
「見込まれているのはファラだろがっ!」
「いやいや、あのアスファラール・ティア・エステルを本気にさせるとは大したもんだって、巷の噂ではおまえの株が急上昇らしいぞ」
眩暈を通り越して、貧血に追い込まれた。
政府関係者にわざと見せつけた──その時のファラの得意げな顔が容易に想像できて、怒りで肩が震えてくる。
今後、我が身に降りかかる好奇溢れた視線の嵐──その羞恥を考えただけで、ますます頭が沸騰しそうだった。
「朱里・レトマンの名は、かくして天使を陥落させた果報者として歴史に刻まれるのだった……」
「このォ、他人事と思ってぇ」
「何の。俺は守るべき者を得た身として、多くの見習うべきところを先輩に見たのさ。
誰であろうと前に立ちはだかることを許さない──。
そんな、氷さえも燃やすような先輩のあの姿を見たら、先輩とおまえとの間に割り込もうとしたところで結果は見るまでもない。
おまえ、自分がどれだけ果報者か、ホントにわかってんのかあ?」
そう、俺はずっと幸せ者だった……。
それはわかりすぎるほどわかっていた。
だけど、わかっていたのはそれだけじゃない。
ファラがあらゆる手段を講じて、自分の意志を押し通すヤツだって、一緒に暮らしてて嫌というほど身に染みていたはず──なのに。
俺を抱きしめて、キスまでして。そうして周りの視線を釘付けにして。
離れられないふたりを演じるくらい朝飯前のヤツだってこと──知っていたはずだろう、朱里?
そう、知っていたのに、俺は理解が足らなかった愚か者だ。
朱里の阿呆っ。その過ちが巡り巡って自分の上に降りかかるんだぞ。
ファラと付き合う時に一番気をつけなくちゃならないことを、おまえはマリエに感化されて忘れていたわけじゃあるまい?
基礎中の基礎である、ファラのあの性格をっ!
「道理でみんな、ヘンな顔をしてたわけだ……」
一気に気力を喪失しながら、ぼぞっとひとりごちると、マックスがニヤニヤとまたよからぬ笑みを浮かべてくれちゃって。
「まあ、使徒星の住人たちに溺愛されてる朱里を羨む輩(やから)の気持ちもわかるけどねえ」
「……ん? その『住人たち』ってのは何だよ。その『たち』ってのはっ!」
「あれっ、言わなかったっけ?
エステル先輩の見せ付けるような愛情表現にモロ嫉妬したジャックが、先輩を押しのけるようにしておまえにしがみついたんだよ。
先輩の唇がおまえのと重なるとさ、何を考えたのか、ジャックまで嘴を差し出して来て──」
「……わかった、もういい。それ以上言うな……」
『鳥にも好かれるんだな』──そう言われた意味、やっとわかった。
つまりは、ファラとジャックの両方が……。
「そんな端でふたりして固まってなどいないで、こっちに来たらどうなんだ」
<朱里ィ、俺、腹減ったなーっ>
人が熟睡してたのをいいことに、こいつらは何を考えているんだよっ。
俺の大事なファーストキスを奪ったファラもファラだが──。
ジャック、おまえはインコや九官鳥のマネをするの、あんなに嫌がっていたじゃないかっ。
ファラに促されたにしても、鳥のおまえが意図的に人にキスをするんじゃないっっ!
<あらっ、バレてたのねー>
このォ〜! 何が、バレてたのねー、だっ。
「いや、あれはなかなか美味だった。じっと動かないお人形さんだったが悔やまれるが……。
あ、そうだ。なあ、朱里。今日から『おはよう』や『おやすみ』の挨拶は、唇へのキスにしないか?
おまえはまだ慣れてないから、今度はじっくり手解きしてやろう。きっとすぐにうまくなるぞ」
「…………」
もう言葉にならない……。
演技もここまで来ると冗談では済まされなくなる。
奇人変人、近寄らぬが身のため。何が哀しゅうて男同士でキスせねばならんのじゃ。
兄、親とも言えるファラが相手じゃ、それこそ近親なんとかの気分だよ。
「ああ、その点なら気にすることないさ。俺とおまえは三親等以内に入らん。問題なしの赤の他人だ」
<朱里がシュワルナウツのモンと地球人種との間に生まれた羽根なしとはいえ、それこそ血なんて遠いもんな。
花丸付きの二重丸だぜっ>
「羽根なしってなあ……。ジャック、おまえ、そんな眉唾な話で誤魔化そうとするんじゃないっ。
正真正銘、俺の個体登録指標は地球人種なの。
それを言うなら俺はフォースで、でもって羽なしは父さんのおばあさんっ! こんがらがるなよ!
第一、俺がファーストなわけないだろが〜。
もしもそんな大層なご身分だったら今頃左団扇で暮らしとるわ!
ファラ、おまえもだ。俺に家出されたくなければ、この手のくだらない話、今後一切出すなよ」
ビシッと指差して言い含めたのだが、相手はファラである。
素直に俺の言うことを聞くような奴なら苦労はしないのだ。
「冷たいな。これから一生付き合う相手に対して、それはないんじゃないか?
朱里、俺はおまえをそんな卑屈な奴に育てた覚えなどないぞ。さあ、そんなに照れてないで素直におなり」
案の定、両手いっぱいに広げてくださったファラを尻目に、俺はくるりと踵を返し、
「気をつけろよ、マックス。こいつらに構ってたら一生ユーリと結婚できなくなるぞ」
ありがたい忠告をしてやった。
目の前で展開される使徒星住人特別出演の出し物に引き込まれていたマックスの腕を俺は強引に引っ張って、マックスの飛んでいる意識をしっかり正気に戻すのも忘れない。
「つれないな。本気で言っているのに信じないんだから。だったら、これでどうだ。
俺は好きでない奴を苦労して連れて翔ぶほど酔狂じゃないんだからな」
マックスの今にも目の玉が飛び出しそうな驚愕の表情を見止めた瞬間、俺の身体は白い羽根に覆われる。
マックスが驚くのも無理はない。
セリーア人にとってこの行為が求婚に値するのは有名な話だからだ──。
俺は幼い頃から一緒にいるせいで、こんなことには慣れているけど、マックスは目にするのも初めてに違いないだろうし……。
──おいおい、そんなに信じきった顔をするんじゃないって。これはいつものファラの冗談なんだからさ。
ファラは気紛れな奴なんだぞ。悪い冗談を本気にすると馬鹿を見るんだからな。
俺の心はどうやら悪友には届かなかったらしい。
完全に放心状態なのだろう。マックスの手や唇が震えている。
「おい、マックス、大丈夫か? しっかりしろよっ」
マックスの顔の前で何度か手を振ったのだが変わりないので、今度は奴の肩を掴み揺さぶろうとした。
が、マックスに向かってすうっと伸ばしたその俺の腕を、何と、ファラが横から掬い取って──。
げっ! 俺の身体を雁字搦(がんじがら)めにしやがった。
「ファラ、冗談はもうよせって」
文句を言うつもりで振り向いた俺の上に落ちてきたのは──。
不覚であるっ。
抱き締められた腕の中で、俺の視界いっぱいに広がったのは、乳白色の髪と瞳……。
そして、俺に触れたのは、紅をひいたような鮮やかな柔らかい唇──。
「この変態っ! おまえは白いクセして腹だけはドス黒いに決まってるっ」
よくもよくも、マジにキスしたなあ〜っ。
──マックス、誤解するなよ。俺には全ッ然その気がないんだからな。
すべてはファラの腹黒さがいけないんだぞ。
俺は懸命にこの友に訴えた。
その声にならない声をすばやく聞きつけたのは──。
ああ、やっぱり、このとんでもない同居人だったのである。
「俺の腹が黒いかどうか、今夜、心残りなく見せてあげよう」
ニヤリと笑ったその顔がコワイ。これこそ堕天使の微笑みだと思った。
ったく、何て奴なんだろう。
いくらマックスでもこんなファラを見れば少しは考えを悔い改めるに違いない。
なのに、そのファラのかたわらにいる俺ってば、自分で自分の気が知れない……。
「俺、選択間違えたみたい。だけど、どこで間違えたんだろう」
つい、これまでの道程を振り返ってしまうのだった。
稀有な同居人たちと共に過ごした時間の砂粒が流れる音を、さらさらと指の間から零れ落ちていくさまを、ひたすらゆっくり思い浮かべてみる。
見上げると、凛乎(りんこ)たる乳白色の──白く羽ばたく大きな翼と小さな翼。
焦がれ続けた双翼が、俺を白く白く、真っ白に取り巻いていく。
<そりゃ、俺たちがおまえを気に入った時からさ>
どこからか、誰とも言えない声が、胸にゆっくりと染み込んでいく。
きっと、いつまでもいつもでも、真っ白な羽根が俺の頭上を飛び舞うんだろう。
そして、白い白いその世界の中で実際響いて聞こえたのは、「ごっくん」というマックスの唾を飲み込む音だった。
その十分後、いそいそと帰っていくマックスの姿を玄関先で見送っていると、勢いよく飛び出てきたジャックに俺は頭を突っ突かれた。
奥からはファラが俺に向かって手招きしている。
「朱里、早く来ないと見過ごすぞ。『歌姫』の白い花、見なくていいのか?」
「えっ、咲いたのっ?」
こうしちゃいられないっと駆けつけた時にはもう俺の温室は特別の時間を迎えていて、花はちょうど咲ききる寸前だった。
ファラの羽根を用いらずして開いた花は、この前見たのより少し大きい。
でも、すぐにこの「歌姫」もファラが咲かせた時のように五分ほどで萎み始めて──。
やっぱり三粒の種子を俺の手のひらに残して逝こうとする。
「お人よしだったら咲かせられるってあの話──マジ? 俺ってお人よしなのかな」
開花した嬉しさと早々に枯れてゆく寂しさと、それに、ちょっとだけムッと込み上げるものと。
ぐちゃぐちゃに入り混じった複雑な想いを込めて、干からびていく「歌姫」のそばに腰を下ろして呟くと、頭に上に、ぽとんぽとんと優しい言葉が落ちてくる。
「特定の期間中、この種の歌声と同じ声を認めたときにも花は咲くんだ。すごいだろう。
翼を傷(いた)めた同胞のために自然が織り成した魔法だぞ。
いつだって『歌姫』は、俺たちの仲間に故郷への道を約束するんだ」
顔を上げると真摯の瞳。ファラの肩にはジャックの脚。
「これはおまえが咲かせたんだ。毎日水をやりながら、姿無き貴婦人に話しかけてたおまえがな」
大地に水がすうっと染み込むように、ファラの声が俺の心に馴染んでいく。
その存在は、まるで地球教の聖書に出てくる天使のよう。
ちょこんと肩に止まっているジャックさえも、今は気高く気品に満ちている。
かの地の使徒たちは静かに佇(たたず)み、俺のかたわらで、とくんとくんと息衝いている。
そうして、俺の頭にファラの声が響きわたる。
<約束は必ず果たされるのさ>
こんな時、やっぱりファラに頷くしかない自分に気付く。
──うん。そのためにも、素敵な夢がぎゅっと詰まった小さな種子を、俺はもっと増やさないとね。
いつか俺は使徒星の住人になる。
焦がれ続けた多くの想いを綺麗に纏って、ファラに連れられ回廊を飛び抜ける。
そう、その時は、同じように焦がれに焦がれたマリエの想いも「歌姫」の小さな粒いっぱいに詰め込もう。
そうしてポケットを夢で膨らまして、ファラの翼を重くするんだ。
ファラの嘆息する顔が今にも目に浮かぶ。
けど、俺は知っているから。
このセリーア人は呆れたような微笑みの向こう側で、「重い重い」とグチを零しながらも一粒残さず運んでくれるってこと。
だから、大丈夫。俺は安心して、ずうっと先の遠いその日を夢見てられる。
いずれ訪れるその日だから、かの地の土を恋しがる六粒の眠り安らかに、今はただ約束された辿りつく場所に心を馳せよう。
とにかく現時点は、この口達者な奴らの面倒をみるのが最優先だもんな。
そして。
<朱里ぃ、俺のメシっ! 腹減ったよぉっ>
ったく、すぐこれだ。
言わずと知れたジャックのお決まり文句。
おまえはそれしか言えんのかっ!……とか何とか言っても、それでもファラよりずぅっとマシ、なんだよなあ。
「手は抜くなよ。おいしく素早く美しく決めろ。わかってるな」
ほら、これだもんな。
おしまい
illustration * えみこ
えみこのおまけ
*** あとがき ***
最後まで、お付き合いしていただき、ありがとうございます。
朱里の語りでのお話、いかがでしたでしょうか?
朱里が使徒星の住人になるまでには、まだまだ苦労が絶えないと思います。
いつかファラに連れられて、故郷に帰るその日まで。頑張れ、朱里っ(笑)!
(それでも彼の苦労は続く…?)
おまけのある日の台所にて。
「なあ、ジャック。今晩のメニュー何がいいかな?」
買い物しなきゃ食材がない、と騒ぐ朱里の肩の上で、
<あ〜。俺ってばアレが食べたいっ。親子丼っ! 卵とろりのヤツ。三つ葉の香りが食欲そそるぜぇ。
ワンタンスープもいいよなあ。鶏ガラスープのメチャ美味いヤツ。うう〜食いたいっ♪
決まりだ、朱里。今日はそれ作れっ>
ジャックは羽をバタつかせては駄々をこねる。
「……おい、ジャック。その共食い好み、何とかしろよ。
例えばさ、北京ダックや七面鳥の丸焼きなんて目の前にドンと置かれてみろ。想像するだけで哀しくならないか?
ほら、罪悪感とかそういう気持ち抱かないか? 祈りのひとつでも唱えたくなるだろ?」
<別に〜。そんで結局、今日のメシ、何にするって?>
コイツわっ! 手羽肉料理におまえの翼を使ってやろうか。
思わず食材を買いに行く手間を省こうとする朱里だった。──なんて。
ご感想などお聞かせいただけると、とても嬉しいです。
by moro
moro*on presents
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