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感想文「幻惑の死と使途」

名前というシンボルの特殊性について〜鏡の国の有里匠幻〜


yak / 5658


われわれが見ているものは、命令列を探すための名前である。人の名前も同じ ように使われる。筆者は Bob と呼ばれているが、私は B, o, b の 3 文字で はなく、意識のある生命体である。名前そのものは私ではなく、私を指すため に名前を使うのである。

(「EmacsLisp プログラミング入門」 Robert.J.Chassell / 大木敦雄訳 )


真っ白なノートに好きな人の名前を100 回書くと、想いが通じるという迷信が ある。インクとパルプの無駄使いにしか思えないこの行為を聞いた時、ばかば かしさと同時に不思議な既知感を覚えた。デジャヴ、ともいうのだろうか。後 になって、この迷信が日本に古くから伝わるあの陰惨な風俗、牛の刻参りに類 似しているものだと気づいた。藁人形も呪いたい相手の名前を記した紙片を用 いて使用する。どちらもシンボルが何か特殊な力を持つものとみなしていると ころが共通していて面白い。

シンボルがオブジェクトから乖離し、特別な意味を持つといった考え方はどこ からきたのだろう?牛の刻参りは、最後にはシンボルが実体を帯び、ついには シンボルがオブジェクトの分身となるまで「出世」する儀式だ。こういったシ ンボルの特殊性はどこから来るのだろう。


「将棋の駒は大きさは違うようだけど、全部、同じ形状をしている。チェスは 形が違うね。それに、将棋の駒は、名前が書いてあるよね。つまり、書いてあ る文字が、その駒の位だし、能力なんだろう?これは極めて東洋的な、いや、 漢字を使う文化圏の思想だ。漢字は、言葉を表記するという文字本来の機能を 超えた能力を与えられている」

「シンボルですね?」

「そう、人間はシンボルによって思考する」犀川は微笑んだ。「言葉や文字で 思考するのではない。言葉も文字も、シンボルの一部でしかない」

(「幻惑の死と使途」 / 森博嗣 )


アルファベットと違い、漢字はシンボルの組み合わせからなる。例えば 「H2O」 というオブジェクトを表記で表すのに、漢字は「水」を使う。英語ではこれは 「water」だ。

これが「0 度以下の H2O」だとどうだろうか。漢字では水というシンボルに ちょっとした点を加えたもの、つまり「氷」でこれを表現してしまう。「水」 と「氷」はよく似ている。「water」と 「ice」は似てもつかない。漢字圏で はシンボルがシンボルを生み出せる。

漢字はアルファベットに比べて多次元の構造になっているところも興味深い。 「へん」、「かんむり」、「はらい」など多くの部首はそれだけで半独立的な 存在だ。口に関するオブジェクトはすべからくごんべんを持つというような 体系の構築はシンボルが第2段階の使用をされている顕著な例だ。

また、アルファベットが x 軸しか使用しない(しかも構成部品はたったの 26 だ!)に比べて、漢字は y 軸はおろか 3 次元にも似た熟語という使い方さえ あるのだ。西之園萌絵が難漢字恐怖症になるのも無理はない。


「自分の名前ですか?自分の名前のために生きるなんて、芸能人か政治家の ようですね。名誉欲みたいで、あまり好きじゃありません」

「では、君がどんどん賢くなって、立派な人格になって、君が望むとおり成長 したとしよう。それで、君の姿形が変化するかな?」

(「幻惑の死と使途」 / 森博嗣 )


名は体をあらわす、というのはおかしな言葉だ。名前はただのポインタにすぎ ない。それでも人は名前というシンボルにシンボル以上の意味を求める。決し て変化しないものを変化させようとする。こういった働きかけは名前にしか 見られない。

モノにはすべて名前がある、というのがすべてのシンボライズのはじまりだっ た。だが、人の名前だけは、オブジェクトとシンボルの距離が近すぎる。名前 というやっかいなシンボルの馴れ馴れしさから逃れるには、門に警備がついて いる塀の中で特殊な生活をするしかない。

名前は変化しないが、人は変化していく。そう考えればシンボルはちょうど鏡 に似ている。オブジェクトを何度となく映し出しながら自分自身は決して変化 しない。そしてどんなオブジェクトも移すことができる(が、そう思う人は少 ない)。

鏡にどんな姿を映そうとしても鏡は知らないし、知る必要もない。「鏡よ 鏡…」というような童話に出てくる鏡があったら、一発でセグメンテーション フォルトだ。だが、人は鏡への片想いを断ち切れない。ノートに書いているの は名前ではなく、人生と呼ばれているものだからかもしれない。


$Id: illusion.html,v 1.1 2002-03-27 17:48:37+09 yak Exp $

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