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森 博 嗣 フ ァ ン 倶 楽 部
ふ ぇ


update:2001/1/6

☆21世紀最初のスペシャルプレゼント☆

森博嗣先生より、推理作家協会の会誌に書かれた
エッセィを寄贈して頂きました。
※2003年3月に『100人の森博嗣』(メディアファクトリー)に収録されました。

<森博嗣先生、ありがとうございました>


 「会」が嫌い
森 博嗣 

  「会」という字がつくものが、あまり好きではない。それが好きな人を非難するつもりは毛頭なくて、勝手にも自分だけは、少しだけでも良いから関わらないでいられたら、と切に願っている。四十年と少し生きてきて、同窓会とか、親睦会とか、委員会とかには、基本的に消極的な人間ができあがってしまったというだけの話だ。「会」の文字がつくもので例外的に好きなものを探せば、「閉会」「散会」くらいだろうか。
 しかし、仕事ではそうも言っていられない。ほとんどの雑用は「会」から生まれるといっても良い。「会」と上手くつき合う方法を見出すことが仕事の大半の苦労である場合も多い。それどころか、最近では自分が「会」の中で主導的な立場に立たされる機会も増えてきて、ますます矛盾した思想、歪んだ人格を形成せざるをえなくなっている。ああ、こうして人間は複雑になっていくのだな、と理解しつつある。目の前の謎に向かって一人自分だけで立ち向かっていれば良かった二十代は、今になって振り返れば文字どおり「前線」にいたのだろう、当時は考えもしなかったけれども、あれが人生の華だったと感じる。研究だけをしていれば良かった人間が、他の人と話し合い、人の意見を調整し、人の行動を制限しなければならなくなっているのだ。つまり「会」の嫌さを押しつける側に立つことに対する抵抗感が非常に強い。自分だけが我慢するよりも、人に我慢させる行為には、より大きな苦痛を感じる。できるかぎりこんな生き方からは逃げ出したいものだ。
 それで、小説を書き始めた、というわけでもないのであるが、まあ、5%くらいはそんな心理(動機)があったかもしれない。しかし、動機の中では比較的純粋な部類だろう。最も割合の大きかった動機とは、お金を稼ぎたかったからで、これが30%くらいだったと思う。これは重量比であって、この動機は比重が軽いので、体積比では80%くらいになるものと思われる。まったく、余裕のないことだ。子供たちが高校に上がり、教育費がかかる。自分の趣味(模型作り)にも、そろそろ本腰を入れたい。こういった人生の正当な動機を「不純」と表現するのには抵抗があるけれど、そんな気持ちで小説を書き始めた。
 元来が小説をあまり読まない人間で、もちろん、小説を書いたことなど過去に一度もなかったから、これは、なんというのか、魔が差した、としか言いようがないだろう。だが、幸運にも、思っていたよりも、これがうまくいった。
 作家になって、仕事をしてみると、意外にもなかなか快適である。何故なら、「会」に関わらなくても良い。会って話す人といえば編集担当者一人だけだ。意見の調節をする必要がない。自分の責任だけで思ったとおり、勝手に仕事を進めることができる。なんという気楽さだろう。おまけに実験をしなくても良い、計算して確かめなくても良いのだ。自分で勝手に創造しているものだから、人から何を言われても関係がない。たとえ事実と反していても、「これはフィクションだ」と言えば、揺らがない。「お前の小説は間違っている」という非難は、「お前の方程式は間違っている」よりも明らかに攻撃としての破壊力がないから、ほとんど何らの防御も必要としない。これはかなり、パーフェクトなシステムだな、と思った。おそらく、まだ本当の恐ろしさに気づいていないのだろう。
 そろそろデビューして5年になろうとしている。
 だんだん、出版界のことや、作家のことがわかってきた。最初は何も知らなかった。たとえば、締切を1日でも遅れたら、大変なことになると思っていたのに、それは完全に杞憂だった。「うちにも一作お願いします」と他の出版社から言われたとき、まだ書いてもいない作品に対して(たとえ頭の中に構想があったとしても)、「わかりました」と約束ができるとは思えなかった。実際に書き終わってみないと、商品価値があるかどうかわからないからだ。まして、「書きます」と答えてから、書かずにいても何も咎められないなんて、夢にも思わなかったのだ。他にもいろいろ不思議なことに出会った。読者が、作品ではなく作家に興味を持つ理由がわからないし、対談記事や解説文を読んで難しい人だなと思っていた作家が、実際に会ってみると、全然難しい話をしないので驚くこともたびたびだった。
 最初は1つの出版社だけだったが、近頃では他の出版社の人たちとも一緒に本を作るようになった。インターネットで出会った人も多い。ファン倶楽部ができたりして、講演会などにも駆り出されるようになった。知らず知らずのうちに、こちらでもまた交友や「会」が増えてきたわけだ。気をつけなければならない。
 今回、まず本格ミステリ作家クラブという新しいグループに参加を呼びかけられた。そのとき、「実はまだ推理作家協会にも入っていない。あそこは、いったいどうやって入会するのでしょうか?」ときき返したたことがきっかけで、両方ともに入会させていただくことになった。
 「会」とは、人の群れであり、その目的が「楽」にあると認識することは明らかに「幻」だ。「会」の本来は、当然ながら「力」を作り出すことに「実」ある。ただ、なかには「実」よりも「幻」を尊重する集団も稀に存在するわけで、作家という「幻」を創作する職業の人たちの集団がいかにあるものか、とまだまだ「会」に仄かな期待を寄せている自分も残っている。


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