>ミステリィとしての小説を書かれる場合、当然ミステリィと呼称 >するからには整合性のとれた解決が必要ですが、この解決に >ついて、トリックと動機、どちらによりリアリティを出そうと日頃 >思っておられますか?  ミステリィとして小説を書いていませんので、あまり気にして  いません。どちらもリアリティを出そうと思います。  特にこれまでの作品は動機にリアリティがあった、のでは?  (つまり、動機に触れられていない点がリアリティですが)  ミステリィと呼称しているのは、出版社とか「帯の言葉」です。  森は一度も積極的には呼称しておりません。 >ミステリィ小説での1番の不条理である >「ミステリィの哲学=初めに殺人(犯罪)ありき」という >「非リアリティ」だけはこりゃ仕方ないよ、とお考えですか?  そう、そのとおりです。つまり、「これだけは割り切ろう」の口ですね。  つまり、小説そのものの大前提がそこにあると考えています。  それが、なかったら、文字にならない。  ただし、それが「殺人」である必要はないでしょうけど。  リアリティといいながら、平均的でないキャラをもってくるのも、その理由ですね。  おそらく、読者が本を手に取るとき、その約束だけはできているのでしょう。 >森先生のミステリィの定義をよろしければおおしえください。  フィクションの8、90%はミステリィだと思っています。  作品を読んで、「ああ、ミステリィだなあ」とよく感じますが、  言葉で定義はできません。また、2作あれば、どちらの作品が  良いかの判断は確実にできます(つまり順番に並べられる)が、  その基準は説明できません(言葉では無理、という意味です)。 >どうしてミステリィを書き続けていらっしゃるんでしょうか?  これは難しいですね。いろいろ理由があります。 >森先生は本を読むとき、文章の論理性のみを重視して、 >日本文そのものの美しさ(と言ったら大層ですが、単に字面が綺麗で >読みやすいか、とか)には関心がないということですか?  いえ、読むときはむしろ文章のリズムに関心があります。  言葉の選択や、発想の飛躍に価値を見出します。しかし、  それらが論理性を失わせるものとも思いませんし、切り放して  考えることもナンセンスでは? >つまり、翻訳だからと言って論理性だけを重視し、文学としての可能性を >全く無視してしまうのはいささか早計だと僕は今は考えています。  そのとおりです。誰も異議はないと思います。  そもそもミステリィにある「論理性」なんて、微々たるものではないでしょうか。  「論理性」なんて言って良いのか、と思えるほどです。  程度の問題でしょうね。あの程度で数学の論理性に近いとはとうていいえません。 >森先生のミステリィの解決も(ミステリ的な意味での)論理的 >手順はあんまり踏んでいなくて、ひらめくというパターンが多い >ような気がします。  そのとおりです。いや、論定的手順を踏んだミステリィなんて  森は読んだことないですよ(笑)。全部、ひらめきと言いがかりでしょう?  穴だらけですよね。 >探偵が論理的に解答を出すのがいわゆる「本格ミステリー」の定義 >ではないのですか? 例えばクイーンが「読者への挑戦状」を堂々と >提出できるのも、読者も探偵と同じ論理に気づけば同じ解答にたどり >着くことができる、という前提で書かれているからですよね。  読者が論理的に辿り着けるように書いてあると、きっとつまらない  でしょうね。だって、読んでいる人みんなわかっちゃうんだから。  クイーンも論理的だとは森は思いませんけど、でも論理っぽいとは  思います。  #「論理的な雰囲気だ」という意味だと思います。  #ミステリィは、論理的ではないでしょうね。  森は自分の小説が論理的だとは思っていません。そう言った覚えもないです・・。  でも、そう思ってもらっても、全然かまいません。  主観的な問題です。 >これまで経験した中で一番「ミステリィ」だったことって、何ですか?  専門的になって、お話ししても理解してもらえないでしょう。  それに、数学と物理の基礎知識が必要で、説明も時間がかかります。  上位20は、すべて、専門的なものですね。  で、そうでないものは、恋愛に関連するもので、内緒です(笑)。  森の論文をまず10編くらいお読み頂けると 1つくらい当たるでしょう。 >理系ミステリィの定義を,是非とも、もう一度、改めてお教え願いたいんですが。  森も考えています(笑)。