2009.02



357.5回目の病院。
2009.02.04.wed
カウンセリング(141回目)デス。
今回は[調子がどうの]というよりも、OB展作業の忙しさばかり存在して、その話題で盛り上がるコトになった。
[制作するというコト]
それに対しての現在での自分の正直な想いなどをすべて話しながら、
絵に対する自分の持つキモチや、こだわりや執着心やいろいろなどを、腹の底から出したような気がする。
今ではあたしにどうにか戻ってきた、失いたくない[絵を描きたいキモチ]。
あたしはこうだったんだよずっと、どうして忘れそうになっていたのか、本当にそれが悔しくてたまらなく。
世の中には何処かしらにでも、くすぐられるようなモノが蔓延って、
あたしは常に刺激され続けていて、それなのに忘れかけてしまって、この時間たちが本気でもったいなく。
あぁ・・・戻ってきてくれたよ[ここ]に。
あたしにはコレが必要なんだよ、本気で必要で大事で大切で、どうしようもなく焦がれているよ。
こんなあたしの雑話を聞いてくれる、そんな先生には本当に感謝であり、今はかけがいのない存在なのに。
春にはお別れだなんて思えなくて。
それでもあたしは貴重なこの時間を、そんな限られたこの時間だけでも、無駄になどはしたくなんかなくて。
覚悟はしているんだよ・・・ちゃんとね。
わかっていても自分は[ここ]にいて、自分は[ここ]でたくさんを話して、たくさんのコトを吐き出してきて。
あたしはそんな風に[ここ]にいてね、[ここ]にこうして生きているんだと、今では本当にそう実感しているよ。
もうほんの少しだけしかないけれど、あたしは未だたくさん話していたい。
先生・・・もう少しだけお願いします。


358回目の病院。
2009.02.05.thu
待ち時間、1時間半くらい。
調子を完全に崩してしまった今日は、あたしは[恐怖]を思い出したんだ。
眠る時間に近づいてゆく頃は[ベッドに入らなきゃいけない現実]・・・それが怖くてたまらないんだよ。
次にベッドに入ると思うのは[怖い夢を見てしまう現実]・・・それが怖くてたまらないんだよ。
さらにその見た夢から覚める時には[怖かった夢を思い出す現実]・・・それが怖くてたまらないんだよ。
そう・・・そんな怖いコトなどが、自分の中にはたくさんあり過ぎて。
[怖い]
それに憑り込まれてしまうんだ、いつもいつも憑り込まれるコトに、必死になって抗っているんだ。
この[概日リズム障害]で厄介なのは[覚醒障害]の部分なのだろうと、それに気づいてしまったのが今日。
もしかしたらあたしは本当はずっと知っていたのかもしれない。
そんな毎日の中のたくさんんの、何らかの調整や修正や強制や強要や、そんなモノに惑わされる恐怖。
まずご飯を食べなきゃいけない、薬を飲まなきゃいけない、病院に行かなきゃいけない。
アレもやらなきゃコレもやらなきゃ・・・どんどん雁字搦めになる窮屈さが抜けくなってゆくような恐怖。
そしてそんな調子の悪い時にこそメンタルに行くべきなのではないか・・・なんて思ったのが今日の強行。
そんな風にして今日は先生には、
今日思い感じた[怖い]を今日の状態で辿々しく説明して、それから出来るだけたくさん話して。
きっとダメだったんだよ、いつも調子のいい時の診察がために、ダメだと知られていなかった。
自分の中にあるたくさんの[怖い]が、コトバになり感情になり涙になり・・・ポロポロと零れ堕ちゆく。
本当はコレがずっと怖かったのよ?
絶対的に消滅するモノでもなく、そして薄れていくモノでもなく。
だって誤摩化すしかないんだ、忘れるしかないんだ。
そんな実状や行動なんかはもう既に、本当に並大抵なコトじゃないんだ。
ココロもカラダも壊れていて、あたしには[何が残るのか]なんて、もう考えるコトさえも難しくて。
壊れ切らずに砕け散らずに、こうして生きていられる自分など、本当に奇蹟に近過ぎて苦しいんだよ。
誰に[治るといいね]と言われても、何処かできっと[治らない]コトさえ、もう思い知っているんだよ。
こんな自分の感情なんかもう、今では既に何が何だかわからない・・・本気で怖くてたまらない。
それでも今では[怖い]ばかりじゃ、何も変わらないコト、救われないコト、もうちゃんと知っているんだよ。
嘘でも何でも笑えるコト、誤摩化せるコト、そして嘘を吐くコト、もうちゃんと知っているんだよ。
だけどあたしは自分に負けたくない、負けるコトなど大キライなんだよ。
だからがむしゃらに闘いたいんだ、ただ負けないように闘いたい。
あたしはどんなに怖くとも、闘うコトを・・・それだけを、生きたいから止めたくないのよ。
たくさんの矛盾が[ここ]に存在して、それでもあたしは[ここ]にいて、そしてこうして[生きている]んだ。
調子が悪くてもここに来たのは、この自分を[リアル]に見て欲しくて、そして[リアル]に感じて欲しくて。
先生はちゃんと聞いてくれるよ、医師としてちゃんと聞いてくれるよ。
だからあたしは安心して相談出来る・・・今ではそれが何とか出来るんだ。
事態を把握してくれた先生が、いつもと違う策を提示してくれた。
[鬱気分が強い]とのコト。
[線維筋痛症に効くらしい]とのコト。
そのため眠剤に抗うつ薬ヒトツ追加。
コレを今回は新たに試してみようと、足された[ノーマルン]というのは、以前にも処方されたモノだが、
まず試してみるコトに落ち着いた、今回の急遽の策というコトになった。


359回目の病院。
2009.02.12.thu
待ち時間、10分くらい。
苛立が支配していた今日のあたし。
原因は明白で昨日のテレビの報道で、それが何のためのモノにしたいか、異図など何も掴めないままに、
ただ無駄に引っ掻き回されてしまう、そんな居心地悪さだけを残した。
テレビ局サイドの考えなんか、イチ視聴者がわかるワケもなくて、限界や隔たりが生まれゆきつつ、
誤解や偏見ばかり生み出す構造は、未だ何も変わらないのかとの絶望感。
そんなあたしの中の痼りを露呈し、先生からほんの少しの理解が欲しく、必死で伝える自分のココロが苦しい。
テレビの内容から覚えているだけ、説明に説明を重ねゆく希少な時間。
話せるだけ話しただろうとは思う、何処かで未だ消えない[恐怖心]をも、出来るだけ掻い摘んで話してみる。
ハッと気づかされたコトだってある、話して安心出来たコトだって多い。
最近のコトやテレビのコトや、そして今の心境に至るまでのすべて、話し切るだけでも大変な作業だろう。
それでもきっと以前の自分なら聞く耳を持たなかったコトさえも、今ではすんなりと受け入れられる。
そんな自分が形成されつつあるのは、自分自身も先生も感じている事実で、
間違いなくそれが大きく存在するよ、そこかしらに必ず在るんだよ、目を凝らしてみれば見えるんだよ。
[人間は回復するチカラがある]・・・先生のコトバは大きかったんだ。
すぐにわかるモノでもないのだろう、実感出来るモノでもないのだろう、一生かけてもわからないコトもある。
でも数日前・数ヶ月前・数年前、そう考えたら変わっているコトも、間違いなくたくさん思い出せる現在。
[恐怖心が自分を萎縮させる]・・・今だから理解出来るのだろうね。
[ピンチをチャンスに変える]・・・今だからココロに響くのだろうね。
最後に服薬の調整にて診察は終了。
それでも不安なあたしは先生には、もし今日の夜にまた調子を崩したら明日の受診を考えると伝えた。


360回目の病院。
2009.02.13.fri
待ち時間、30分くらい。
久々に彼氏と一緒に診察に入り、唐突に[今日は声が低い]と言われる。
感情が表情や声に出てしまう自分、それは本当は自分でも知っていて、だから出さないようにしていたのに。
きっとどうにもダメなんだろうなぁ、ここは[出していい場所]なんだモノ、最早お咎めが何処にもないんだよ。
昨日も来たのにまた診察に来たのは、昨日のテレビの引き続きを見て、ココロのざわつきが治まらないから。
テレビやメディアや世の中や様々が、不条理に動いているコトなどには、もう何処かで諦めがあると自負した。
でもきっと何処かで信じたかったな。
きっと何処かで誰か理解者がいたり、専門家の知識さえも上がってゆき、
さらには患者の認識の向上や、健常者の理解の壁の取っ払いが、少しは出来てきていると思いたくて。
でもそれは何処までも夢のまた夢。
目に見えてわかる本性の見える、そんな場所を今回だけ覗いたんだ、わかりながらも覚悟して覗いたんだ。
匿名でのネットは責任感が乏しい。
だから誰もが無責任な文字を発する、茶化しも冷やかしも悪のりも在る。
先生はヒトツの諺を言ったんだ。
[君子危うきに近寄らず]
危険ブツは見なければいいのであり、回避するコトも逃げるコトも、それはヒトツの術だとあたしに言う。
確かに言うコトは一応わかるのだが、それらのすべてを避けて通ったら、
あたしはきっと社会から世の中から、完全に孤立してしまう恐怖さえある。
でも気が弱っている時には覗かない、それくらいあたしもココロ得ていて、久しく覗かなかったサイトがヒトツ。
患者や素人はそれでいいとも言える。
しかし先生はココロを扱う専門家で、様々な患者を抱えている以上は、避けられない道ではないのかな?
間違っていたらやっぱりイヤだし、押しつけたくもないとは思うのだが、
でもあたし自身この様なカンジでは、それに見合う話を対等にしたいと、思うコトは何かの罪になりますか?
見たくないモノは見ないのは、誰もが確かにやっているコトであり、
でもヒトツに目を向けてしまうと、何とか噛み合っていた数々の歯車が、一気に崩れる気がしてならない。
今日の診察ではテレビの続きの話も、組み入れながらの入り組んだモノで、
あたしから生まれ出した感情が、どうしても[怒り]しかないコトに、あたしは戸惑うしかなかったので、
そんな怒りの感情を今日の診察では、綴っていた日記のプリントアウトと、読んで欲しい1冊の書籍を合わせ、
話よりわかりやすく説明つくように持ち出す方向で進めるコトに決めた。
説明はヒトリでは叶わぬコトもある、だから彼氏に一緒に入ってもらい、一緒に説明するコトをお願いした。
憤りのないモノなど先生にぶつけて、いったい何かになるのだろうか・・・そんな疑問がないワケではない。
でもこの行動というモノが決して意味を為さないワケじゃない、そんな気がしたから思うままに遂行。
たぶん現実問題云々というよりも、そういったモノや恐怖心に対して、あたしがどのようにして動揺するか。
その部分を先生には伝えたかった、たぶんそう思いたいのだろうし、辻褄だって合うのだと感じる。
不明確の居心地悪さをもう消したい、そして納得したい、そんな感情が渦巻いていたんだよ。
こんな[荒立]はいつぶりだろうか?


360.5回目の病院。
2009.02.18.wed
カウンセリング(142回目)デス。
先週メンタルで話したコトなどを、何とか時間内に大まかに同じように説明するコトにしたのだが、
それだけでは己が潰れる気がして、
その前に趣味の行動が出来たコトも、何とか織り交ぜて伝えるコトにした。
創作意欲が生まれて来たコトや、それに気力や体力が伴ったコトを、嬉しい現実としての話にしてみる。
問題は先週憤慨してしまった[報道]。
それなのに[見なきゃよかった]とは、少したりとも思っていないドコロか、
そんなモノを現実として捉え、そんな自分が現実のモノであると、
消したいのでも消したくないのでもないという理解が欲しかったんだ。
確かに難しいかもしれないのだが、
それ程にまでも複雑な神経が、絡まりながらも交わっているのだと、感じ取って欲しかったから話す。
どんなに辿々しくとも弱々しくとも、そしてどんなに強過ぎだろうとも、
あたしは逃げたくはなかったから、数日の蟠りを必死で吐露してみたが、
何処かで無性にキツくなったようだ。
少しは薄れた憤りは再燃炎上状態で、どうにもならないまま話は垂れ流し。
話しているコトにすら泣きそうで、それでも感情は留まるコトを知らず、もう何処へ向かいたいかわからない。
ここまで来ると感情云々というより、事実として目耳で見聞きしたコトを、
ただ機械のように発するだけになる。
感情は自分のモトにあっただろうか、意識は自分のモトにあっただろうか。
己を遠く遠く感じる現状が拭えない。
まったく違うショックな話もあって、カウンセリング自体があと残り2回。
あぁ・・・コレはもしや[追い打ち]か?
それを考えるのも怖くてたまらずに、あたしはひたすら[平気なフリ]で、強い自分でいようとココロがける。
でも最終的には結局は何を話し、どう終えて帰ってきたのかなんて、わからない程には究極な放心状態。
馴れなきゃ・・・覚悟しなきゃ。
ただそれだけを必死に胸に刻んで、またあたしは[強がり]になるのかな。


361回目の病院。
2009.02.19.thu
待ち時間、ほとんどなし。
先週の怒りは一度は治まりを見せた。
それでも昨日に再燃してしまたので、元の木阿弥なのだろうと思いつつ。
[アレから落ち着いた?]
挨拶のように聞く先生に答えるのは、しんどい時も正直あるのだけれど。
あたしは気丈に振る舞うクセがあり、それでも無理な自分との葛藤があり、その苦しさに支配されて潰される。
それがあたしのよくあるパターンで、言うなれば[考え過ぎ]なのだろう。
わかっていてもアタマを過るモノを簡単に掻き消せる方法があるなら、本気で教えて欲しいモノなのに。
ここのトコロずっと疲れているんだ、原因がわかっているのに回避出来ず、
それがまたさらにストレスになって、下に埋もれたモノが消えないままに、沸々と沸騰してゆく・・・その感覚。
先週の診察にて渡してみた書籍は、軽く読んだとは言え影響したらしく、
あたしが説明出来ずにいた部分を、少しだけは理解を得られたような、何となくそんな気がしてみたのだが、
それは何処かでやはり[遠いコト]で、何処までもあくまで[他人]であり、
ただ[ツラかったんだね]としか、先生のクチを吐かなかったようだ。
それに対して動揺するつもりもなく、むしろその方が自然だろうと思うし、わかったフリなど要らないから、
あたしはその反応だけで充分だった。
1週間も過ぎてしまったのなら、感情の持ち直しも出来る程には、あたしも回復力があがったらしく、
それでも何処かで走馬灯は巡るのだ。
先生はまたあの諺を言ってくれた。
[君子危うきに近寄らず]
出来るのならどんなにラクだろう?
日常に蔓延るココロの傷は常に疼き、逃げ場など未だ見えていないのに、
近寄らないための逃げ場さえも、何処にも見つけられないままにいて、あたしはいつも記憶に怯えているよ。
[それでも時間は解決する]
それだってわかるんだ・・・わかるから。
故に努力もしていて工夫もしていて、でも出来ないコトも在るデショウ?
だって自分は何処までも人間だから、機械やロボットじゃないのだから、感情を抱き存在するのだからね。
遂行しようと思えたコトがヒトツ程。
どうしても気分が昂った時には、グッとこらえ時間が過ぎるのを待つ。
出来るのかはわからないけれど、でも[出来ない]など言って思えば、それらはもう[出来ない]になるから。
あたしは諦めたくなんかないんだ、だから出来るコトくらい行動したい。


362回目の病院。
2009.02.20.fri
待ち時間、15分くらい。
調子をどうしようもなく崩してから、1週間くらいは経ったのだろうか。
昂りは未だ消えてはいないのだが、それでも多少は穏やかな自分を取り戻すコトが出来たようだ。
かといって不安定は変わらないから、一応の受診を入れてみたのだが、
今日はコレまでの総纏め的な話しで、痼りをわかりやすく多少は除去した。
昂ったままのモノが外へ向かいゆく、その心地の悪さがイヤでたまらなく、アドバイスをいくつかもらいたくて。
先生の言い分と自分の考えとの、食い違いさえもちろん生じるのだし、対立だって衝突だってあるだろう。
それはもう避けられないコトだから、出来るコトは信念を持つコトだろう。
会話中に先生がハッキリ伝えてきた、ワリとキツいヒトコトなのだろう。
[医者はすべては治せない]
多少わかるから聞き流せるんだろう、そんな自分がここにはちゃんといる。
わかったフリなんてしなくていい、利口なフリだってしなくていいのだ、でもわかったコトは嘘は吐かない。
出来なければ出来ないと伝えよう、わからないコトは疑問をぶつけよう。
それが今のあたしと先生の関係で、きっとその流れが上手く繋がるから、あたしはここに心地よさを感じるよ。
あぁ・・・よかった。
あたしはあたしの考えが妙だと感じ、そんな時期さえ何処かにあったから、もうずっときっと恐怖心があった。
隠さなくていい場所を見つけている、それは一種の自己防衛なのだろうし、
間違いなく何かを吐き出せるという、その確信を持てているというコトが、今のあたしに安らぎを与えている。
会話がしたいんだよね本当に猛烈に、出来るだけ何にも考えないために。
だからあたしはその行動が好きでね。
[無理・無茶・無謀]
そして自分の中に居座っているモノ。
[やり過ぎ]
様々なコトなど言われているのだが、それらの何が悪いのかわからない、自分の正直な心境がこんなのである。
それを話してみたなら先生にはまた困惑されてしまうのだろうか?


362.5回目の病院。
2009.02.26.thu
カウンセリング(143回目)デス。
あと残り2回となってからの、今更の確信に触れた話題などになる。
自分の中にあるどうにも消えない[完璧主義]などという厄介な部分が、どうして何のために生まれたのか?
あたしは幼い頃から極端な性格で、本来人間の持つ両面性が過敏で、
それによって自分の二面性を操る、そんな難しいモノをこなさなければ、生きてはいけない現状があった。
その中で覚えた感情が[諦め]であり、
コドモらしくないコドモを、如何にコドモらしくするかなんて、無駄に考えた時期も越えたので、
益々二面性が解離していったのだ。
こんな風にしながらも今では根底にあるという[諦め]のキモチが邪魔をする厄介な状況を生む。
さらには[反抗期]の話をしたのだが。
それにまつわる家族関係さえ今更で、あたしは幼少から家族に対しても[諦め]のキモチを抱き続けていて。
[兄]には兄への[父]には父への、そして[母]には母への[諦め]を持ち、
それ故に長期にわたる[反抗期]が、未だ継続中の状態が現状として在る。
先生はそこで一瞬ぴくりと反応する。
兄や父には完全に[諦め]ているが、母に対しては未だ[反抗]している。
[諦めていないんだね]
・・・ハッとしたんだよ本気で、だって気づかなかったコトだから、自分で気づけなかったコトだから。
ママには未だ何かキタイ出来ている、それが実は強いというコトを、今更ながらに気づかされてしまう。
でもコレもあと残り1回しかない。
コレを今更になって気づいてしまい、残り1回しかないこの部屋で話して、
最早何になるのだろうと思いながら、吐き出してしまいたかったのが、たぶん自分の本音だったのだろう。
本当に失くなるとの実感が襲いくる、わかりながらも[諦め]は手助けする。
本気で要らぬお世話だとしても、本当は[失くしたくない]と思えども、どんなにか泣き出したくとも、
何かが離れてしまうというコトは、抗えない事実なのだとは知っている。
だからといって慣れるコトも出来ず、素直に[離れたくない]と言える、そんな自分になりたいというのに。
それでもあと残り1回でさえも、あたしは普通に苦笑いながらも、
[ありがとうございました]
なんて言いながら帰るのだろうな、だなんて先読みすらしてしまうんだ。
それ故にどんなに精神がまいっても、どんなに不安定になっていても、泣いてしまいそうになっても、
最後まで[大丈夫]な自分でいる、たぶん自分はそんな人間なのだろう。
今日を含め残り2回のカウンセリング、内容としては今までのコトや雑談、取り立てていつもと変わりはしない。
室内の片づけがだいぶ進んだ部屋、先生がいなくなるコトを物語るんだ。
あたし自身の生活の中でも最近では絵を描くのが楽しくなってきた。
そんな何気ない話などをしながらも、本当は己のココロの奥底には、未だ闇を抱えたままだというのにね。


363回目の病院。
2009.02.27.fri
待ち時間、15分くらい。
このトコロずっと調子は悪いままで、ココロの説明すら何も出来なくて、
それでも[笑顔が増えた]とか言われ、それすら何か[痛み]さえも感じる、そんな繰り返しが続いている現状で。
愛想笑いも作り笑いも出来る自分、それが短所でも長所でもあると、
本当は思い知っているというのに、それを制御も防御も抑制も出来ずに、結果自分に[苦痛]しか与えない。
カラダがツラいという悩みを抱え、ココロがツラいという悩みを抱え、
なのに[生きて]いかなきゃならない、それがどれだけの[罰則感]なのか、誰かにわかるというのだろうか?
カラダは酷使し過ぎてきたから、今現在のこの結果があるのだろう。
ココロは己を無視してきたから、今現在のこの結果があるのだろう。
何かが離れてしまう寂しさや虚しさ、日々病院ばかりの虚無感や怠慢感、リズムも守れないという自責の念。
エグい映像が蘇るフラッシュバック、忘れも出来ない記憶力のよさ。
様々なモノに縛られているという、無駄なモノばかりの自分で生きる、ワケのわからない[苦しさ]があって、
本当は何もかも投げ出したくとも、逃げられない自分というイレモノに、居座っている意識や感情やココロ。
確かにいつも先生は言うんだよ。
リズムを守ればきっとよくなるとか、忘れてもいいコトは忘れるとか。
[過去は過去]
[現在は現在]
大事なのは今現在やコレからだと、聴こえてくるのは[キレイゴト]だな。
少々言い過ぎかもしれないのだが、ヒトのココロというのは複雑であり、こうだという正解など何処にもない。
そのため医療のすべてを信じるのも、密かに危険というコトを思い知った。
人間の感情や感覚は容易くはない、だからココロに異常が出るのに、カラダだって同じコトなのだと思う。
そしてそれを話せる場所というのが、この専門家のモトなのだから、
自分がこの場所を無視して歩くとか、そんな大それたコトなど出来ず、むしろまるで辞書的に思っている。
対人間だから時には衝突もする、意見だって当たり前に食い違う。
でも医療がすべてじゃないと思うし、あたしは先生のコトバそのモノは、アドバイスと捉えるコトを覚えた。
以前には出来なかったコトなのに、今は少しは出来るようになった自分。
そんな今の自分をちょっとだけはほめてもいいんじゃないかなぁ・・・と思ってはいけないのだろうか?
あとは今日は2月も末なので、書類記入のコトも忘れずお願いした。