2009.01



352.5回目の病院。
2009.01.07.wed
カウンセリング(138回目)デス。
今年初めの精神科通院であり、3週間ぶりのカウンセリング。
密やかに迫っている終了までの間、話すコトも本当はまだまだあるのに。
3週間モノ時間があってしまえば、出来事もいろいろとあり過ぎた。
OD・自傷を再発してしまったコト。
自分の感情が制御出来ない程に、追いつめられてる毎日のコト。
[痛み]や[毎日の通院]というのは、際限なくストレスを生み出してゆき、
自分の感情も何もままならない、そんな日々が自然と出来上がるのだ。
コレをストレスと呼ばず、何と表現すればいいのだろうか?
年末に行ったいくつかの愚行や、通院疲れでの気力の低下や、
そんなモノに翻弄されゆく自分の、情けなさまでもストレスになりゆく。
たくさん話したかったというのに、今日のあたしは支離滅裂過ぎてダメ。
必死に出すコトバも纏まりがないと、自分でも感じてしまうのだから、
もう自分のキモチを纏めるのすら、無理だと感じ取ってしまった。
確かにそんなモノが怖かったけれど、ここは[怖い]を出してもいい場所。
だから安心して話すコトが出来る。
3週間分というのはね、出来事的にあまりにもあり過ぎて、
ココロもたくさん動きまくったから、纏めるのが難し過ぎて叶わないよ。
そんな45分の中で何を話したか、正直言ってあまり記憶がありません。
ただ覚えているコトがあるとすれば、必死でモノわかりよくいようとした。
コレが今では自己防衛という技で、こうしないと周りに潰されそうで。
本当に弱い自分を開け空けにする・・・それが本当は怖いコトと思うから、
だからあたしはどうしても[強がる]。
年末はさんざんだったかもしれない。
でも例年より遥かによくなっている。
年始は例年よりずっと穏やかだった。
それは自分でも自覚が出来たようだ。
自分の中の屁理屈的な部分を、消せやしないコトはわかっている。
だってそれを楽しいと思うから、だからそれが厄介なのだと思いつつ。
・・・ただ言えるというコトがヒトツ。
年末年始を穏やかにすごせたコト、コレ以上に本当に嬉しかったよ。
あたしは蛇行をしながらも、きっと少しずつはよくなっている、今ならそう思いたいデス。
コレまで苦しかった分のモノを、少しは和やかに穏やかに、すごせたらいいなぁと思うのデス。
まだまだ道を外すコトなど否めない。
だけどもうきっと[死のう]なんて、思うコトも失くなったと信じたいよ。


353回目の病院。
2009.01.08.thu
待ち時間、15分くらい。
本当は午後11番目だったので、実質3時間は待ったというコトだが、
彼氏との連携プレイを行って、時間がかかりそうな待ち時間には、外出とかもしながらすごし、
何とか長くなりそうな待ち時間を、凌ぐコトが出来たので助かった。
昨年末の粗相については、年末最後の診察で話したので、
年末年始の2週間の分の話になる。
調子的には悪くはなかったが[毎日の注射がストレスなのだろう]という話は出来るだけしている。
絶対に欠かせないコトとはいっても、それが仇となるコトさえある現状。
あとは婦人科系での病気から来る、そのストレスも毎日消えずに、アタマを抱えているのが現状。
それ以外の心境の波の状況などは、思いの外・・・落ち着いていて、
それが何だか慣れないというか、気色悪さすら感じてしまうのが厄介。
年賀状が昨年末中に終えたコトや、正月をゆっくりすごせたコトなどは、先生的にも快挙なのだろう。
きっとたぶん・・・それだけでも安心されたのかな?
ストレスは消えるコトもないのに、リスムが治るコトも難しいのに、悪夢なんか消えちゃくれないのに、
もう・・・何を相談したらいいのか、わからなくなっている自分が・・・いる。


354回目の病院。
2009.01.16.fri
待ち時間、10分くらい。
ママに受付をお願いしていたので、午後3番目となり時間的には余裕だ。
時間の見当がついているとのコトで、家から出発する時間も決めやすい。
さて・・・そんな今日の診察では[精神状態はいい]という話をする。
[堕ちても回復が早い]
最近のあたしはこんなカンジなので、鬱的に随分よくなったのだろうか?
今回の出来事としてあったのは、一度だけのパニック発作と過呼吸。
あとは[カラダがツラい]のが常時で。
そんな痛みと具合悪さの話をして、だけど嘔吐のコトは言い忘れた。
[やり過ぎ注意]
そんな現状なども今回は実際にあり、報告と診察のため話したのだが、
[片づけ8時間3日連続]というのは、確かに[やり過ぎ]だと自分でも思う。
行動的?
それともトランス?
さもなくば神懸かり?
先生は苦笑しながらも微妙な反応。
何も出来ない時のコトを考えたら、ある意味では回復の兆しかもと言う。
確かに[まったく起きれない]とか[まったく動けない]とか考えると、
コレはいいコトとすべきなのだろう。
それがどんなにやり過ぎだとしても、何も出来ないよりはずっといい。
・・・医師の判断としてはコレが限界。
それでも未だ油断は出来ないから、気を抜くコトはしたくないとの現状。
診察が終わって薬の話をしたのだが、実は年明け前から余っていたのだ。
正月の飲み忘れが多かったから、余りが結構出てしまったという話で。
それをどうにか調整するためにも、いくつか処方をストップしてもらう。
何がいくつあるかとの話をしてみる。
どう計算しても全部余るから、今回の処方はラックビーのみとなる。
たくさん出され過ぎるのは今は怖い。
[ODの危険性が失くなった]
なんてコトは未だ言い切れず、むしろ足りないくらいがきっといい。
己でODを阻止しようというキモチ。
己で管理しようと思えるキモチ。
自分で薬の調整が出来るのも、もしや回復の兆しなのかもしれず。
そんな[回復の兆し]の影には、常に[危険]のフタ文字が見え隠れだ。


354.5回目の病院。
2009.01.21.wed
カウンセリング(139回目)デス。
昨日の安心した誕生日に迎えての、今日の話題は[時間]のコトガラ。
当たり前の時間というモノが時として[財産]にもなり得るという・・・そんな大切な話になった。
日常時間が有意義に取れない自分は、カバー出来る程のモノが必要になる。
そんな自分には趣味と仕事の両立が、本当にコレ幸いとなっている日々。
[同時に仕事が出来る幸せ]
それを感じ取れるようになったのは、己のカラダにガタがきたからという、
本当なら呪わしい日々なんかも、発想の転換ヒトツでどうにでもなる。
[趣味は本当に大切]
仕事を[仕事]としてしまえば窮屈で、それが[趣味]ともなれば緩みも出る。
言わば[趣味]は[緩衝剤]となり、毎日の生活にも[ゆとり]を与えると・・・そう言っても過言ではない。
端から見れば[気まま]な毎日は、理解者がいてこその行動というモノ。
それが今はやっと存在しているから、あたしは時間に雁字搦めにならずに、ほんの少しだけど[ゆとり]を持てる。
彼氏はあたしの行動にとても寛大で、無視せず押しつけせずにいてくれる。
そんな暮らしが出来るようになって、やっとの思いでの感情が・・・ヒトツ。
欲しいモノを純粋に[欲しい]と、そう思いながら買うコトが出来る。
完全にダメになっていたような時期、自分は物欲が皆無になってしまった。
趣味や仕事などの物欲はおろか、本来あるべきモノまでもが消失した。
あの頃の自分を今の自分から見ても[生命そのモノがなかった]と思い、どれ程までに壊れていたかわかる。
それが今や楽し気に買い物も出来る・・・そう思い知ってしまう程に何ヒトツ行動が出来ていなかった。
今では楽しんで生まれてきた物欲は、己が本来モトモト持っていたモノで、
何故あれ程まで失ってしまったのか、ココロが病むという恐怖なんかも、本気で感じ取るコトが出来るのデス。
[買い物依存症じゃない]
なんて冗談めいて笑いながら話せる。
会話の出来る相手がたくさんいる、理解者がちゃんと傍にいてくれる。
そんな今が・・・そんな時間が、本当に貴重過ぎて大事で大切で、もう絶対に手放したくないと思った。


355回目の病院。
2009.01.23.fri
待ち時間、20分くらい。
受付は彼氏が午前中に終えてくれた。
待ち時間はまったく失くて安心だが、たったヒトリでの行動が未だ無理で、それが悔しくてひたすらに泣いた。
彼氏には彼氏の考えがあってのコト、でも自分には遂行出来なかったコト。
イヤな過去なんか忘れてしまいたい、どうしても走馬灯のように巡る、そんな危機に曝されている日々・・・時。
出来ないのに[出来ない]が言えない、悪いクセが働いてしまうコトを、本当にかなり疎ましくも思うのに。
たったヒトコトだけ言えばいいのに。
[怖い]
それだけでよかったのだというのに。
出来ると過信したあたしの問題点で、それさえもパニックに繋がるなんて、思いもよらなかったというのが現実。
別に彼氏は[絶対に行かない]とは言ってなどいなかったというのに、
そんなコトにすら過剰反応する時は、たいていココロがざわついている、その現状には気づくべきなのだろう。
逃げたんだ。
まずは彼氏のいる自宅から逃げて、そして出向いた病院からも逃げた。
何処かに身を置くコトが耐え難くて、恐怖心と焦燥感だけが駆け巡り、アタマの回転をひどく鈍らせてゆく。
病院に行かなければと思ったのは、受付を済ませたコトと投薬のためで、
それ以外のコトなど何も考えられず、診察も相談も助言も配慮も全部、あたしの中からもう消え去っていた。
[怖い]
それだけのために凝り固まる自分。
アタマを巡るのは自傷のコトばかり、如何にして逃げるかそればかり、それ以外もう何もかも真っ白なまま。
ケータイを持たない自分のために、彼氏に連絡を取ってくれた先生。
連絡など要らないと首を横に振り、だけど取られた連絡と迎えを待たず、あたしが逃げたのが先になった。


356回目の病院。
2009.01.27.tue
待ち時間、30分くらい。
前回の失態のお詫びのために、本当は電話をしようと思ったのだが、
昨日は休診日というコトだったので、結局は今日の診察で説明しながら、自分の様々な部分を思い起こす。
前回の感情やらその後のコトやらを、話せるコトは出来るだけ説明して、
さらには前回では忘れた書類を持ち、記入のお願いをするコトになった。
今回の書類は毎月のモノと違い、ワリと大掛かりなモノになるので、書類を眺めてフタリで首を捻る。
どうしてもわからない部分などは、あとは労基署に聞くコトにしようと、
出来るだけ失敗の少ないように、進めるコトを相談し合いながらの、今日の診断を混ぜての話をした。
前回は大荒れに荒れた感情は、嘘のように静かに落ち着いたようで、
その他はリズムを取れないコトなど、何ら変わりのないような診察になり、先生は思ったより安心したようだ。
咄嗟にODをしたコトなども吐露し、それが[半ば計画的]だったコトさえ、毎回きちんと説明などもしている。
自分を抑えられない自分がいる。
衝動的で能動的で感情的で、どうしようもない程にダメになる、そんな自分の厄介さがイヤになる。
カラダってひどくツラいというのに、ココロまで病んでいるという現実。
ココロが病んでしまったがために、カラダがイカれてしまった現実。
どっちが先でどっちが後かなんて、もう考えるのも途方に暮れてしまい、いつの間にか重い荷物になった。
そんな生き様が疲れないワケもなく、あとはもう如何にして回避するか、その術を考えるだけになる現状。
何をそんなまで不器用に生き、且つ器用にも生きているのだろう?


356.5回目の病院。
2009.01.28.wed
カウンセリング(140回目)デス。
前回の話から今回までの間に、様々なる波の中を浮き沈みしていた。
カウンセリングでの話というのは、メンタルの診察とは少し違って、世間話的に気楽に話すコトが出来る。
前回に続いての話題のままに、発したコトバが今日はいくつかある。
[趣味は生活の糧]
前回では[大切]だという話をしたが、生きる上での[糧]とも言ってもいい。
万人に当てはまるワケではないが、あたしには欠かせないモノで、きっと[三大欲]よりも必要だろう。
失くても生きていけると思った、そんな時期だってあったのだけれど、
失かったら生きてきいけなかった、そんな現実を体験してしまった、それが故に思い知ってしまった。
[知識は日々の必要材料]
好奇心や探究心などで生き生きとし、そんな中で生きている自分などを、感じ取ってしまっている以上、
毎日の中での楽しいコトなどを[楽しい]と思えるというキモチが、
どれ程までに大事だというのか、どれ程までに占めているというのか、最早・・・計り知れないのだろう。
その必要なたくさんの知識の中でも、どうにも何処かで思ってしまうのは、
広く見えてしまうコトや出来るコトが、多過ぎるのが窮屈という感覚だが、
きっと失いよりかはいいのだろうし、それでも見えない部分はあるだろう、そして足りない部分もあるだろう。
何かが少し欠けているくらいが、たぶん人間というのはちょうどいい。
たまに壊れてしまう自分の感情が、たぶんそんな部分なのだと感じ、それが悲鳴めいたモノだとも思う。
逃げたいという感情も持ち寄り、それでも回避出来ない現実があり、
それでも持ち直しが早くなってきた、それが自分の回復の兆しなのだと、
生命の持つ回復力を信じながら、きっと現実では[生きている]のだ。
既に苦しいコトや悔しいコトなどは、腐る程あったし死ぬ程あったんだ。
それでも時間というモノは確実に何かしらを塗り替えてゆく・・・そんなチカラを持ち合わせてる。
日々少しずつマトモに戻る自分を、時折感じる瞬間を覚えるのだが、
どうしようもなかった時期は、自分の中の何もかもを殺しながら、鈍らせながら麻痺させていた。
実際にそれらが戻るというコトは、怖いコトや痛いコトを思い出す、そんな現実が戻りゆくというコトで。
マトモに戻ってしまうコトに対し、未だ戸惑いを感じる自分がいる。
そして戸惑いが[痛み]になりながら、カラダ中に出てくる現実などを、常日頃思い知りながら生きているよ。


357回目の病院。
2009.01.29.thu
待ち時間、30分くらい。
前回から1日置いての診察は、書類のためと投薬のためとのコトで、それが主な話題になってしまった。
書類には間違いがないように、ヒト通り目を通してチェックをする。
そんな1日や2日の間などには、とくに変化もなくて安心されたが、
どうしても邪魔をしてくる病に苛まれながらの生活がキツく、
己の厄介な[概日リズム障害]のため、生活上のコトが満足に出来ない。
とくに出来ないのは[生活]のコト、ヒトとしてたぶん当たり前的なコト。
生理現象や欲求などが欠けていて、生きているけれど生活はしていない、ヒトクチに言うとそんなカンジだ。
[カフェイン禁止]
あまりにも睡眠障害があるあたしに、先生が提案してきた内容だが、
それも・・・人間が生きる上でどうか?
カフェインで死ぬというのなら、確かに止めようなどと思いはするが、
水分がマトモに摂れないあたしには、唯一飲めるのが紅茶などなので、
それを禁止されてしまうというのは、もう[ストレス]だけしか残らない・・・そんな気さえもするのだが?
[規制が増える]
そんな鬱屈した毎日に絡めとられて、どんどん身動きが取れなくなるのが、ちょっとずつ怖くなっていきます。