2008.10



338.5回目の病院。
2008.10.01.wed
カウンセリング(129回目)デス。
今日の話の中心になったのは[痛みとの闘いの日々]について。
痛みと付き合わなきゃいけない、今の自分のカラダについての話だ。
常日頃から存在する[痛み]とは、自分にとってどんなモノなのか。
[痛みと自分の配置関係]という内容が話の軸となった。
まずは[痛み]を図に起こしてみたが、コレは最もポピュラーな方法である。
[痛みと自分は繋がっている]・・・微妙に違う気がする。
[痛みが自分を覆っている]・・・ちょっと近くなったカンジだ。
[痛みが自分に密着している]・・・あぁ、それかもしれない。
それを図に起こした次は、それ以外のモノの位置を決める。
緩和してくれている存在が、何処にどのように、どんなカンジで関わっているのか。
・・・コレばかりは、さすがに図に起こすのも、説明するのも難しいのだが、
時には周りを囲ってくれていたり、隙間から刺さり込んでくれたり、
クッションのようになっていたり、痛みの中に入ってくれたりする。
役割はヒトツというワケではなく[こうじゃなきゃいけない]という絶対的な定義というのもなく
たぶん様々な形で臨機応変に、変化してくれていると思うのだ。
痛みを緩和する必要な何かとは、その時その時で違うモノであり、
[他者]や[趣味]や[思想]や・・・きっとあたしにはたくさんある。
そして本当に思うコトがある。
もし[痛み]と[自分]しかなかったら、生きていくのは苦痛だっただろう。
死んだ方がマシだと思える程に、痛みの度合いがキツいのだ。
[痛い思いをしてまで生きる]その意味や価値があるのかなんて、
実際に経験しないとわからないし、ヒトによってキャパも違うのだから、
痛みを受け止められる器の大きさも、きっと違うのだろうと思う。
ここまでしても生きたいと思える、そんな現状などきっと、数年前まではわからなかった。
あたしは痛みにはモトモト強く、それらを逃がす方法も、麻痺させる方法も知っていた。
だからここまで来れていた・・・でもそれがすべての仇となった。
我慢すればいいというモノではない、痛いと泣いた方がいいコトもある。
そんなコトもわからず、あたしは自分を酷使してきたんだ。
それがどんなにか痛かったか、今こうなってからわかったんだよ。
ツラかったんだよね、あたしは・・・ごめんね気づいてあげられなくて。
だからコレからはもっと自分を労ってあげたいと思うのデス。
楽しい話も少しは出来る今現在、あたしはきっと少しは幸せだし、
何となくでも笑えるようにもなり、ツラいとも言えるようにもなった。
それがきっと・・・たくさんの救いだよ。



339回目の病院。
2008.10.02.thu
待ち時間、1時間くらい。
日々の痛みの強さのために、鬱状態や気分の波が霞んでいる・・・それはいいコトなのだろうか?
[顔色や表情の何もかもが変わった]と先生には言われるコトが増えた。
実感がないワケではないが、やっぱり他者の目では見れないから、
わからないコトも多いのだけれど、それでも[変わった]コトはわかる。
数年前の自分の表情は、とても硬かったと言われる・・・それもわかるから何だか痛い。
あたしは笑うコトも悲しいコトも、全部を忘れようと思っていて、全部を捨てていたんだ。
そうしないと生きるのがツラい・・・ツラいコトは忘れたい・・・忘れないと生きられない。
そんなループが張り巡らされていた、過去が痛いと泣けるようになった。
そんな風に感じられる今は、少しは[自然な笑い]というモノが出来るようになったと言われるし、
自分でも[笑えているな]と思う時も、多くなってきたんだよね。
きっとそれが[実感]で、きっとそれが[麻痺が解けた状態]で、きっとそれが[正常に近い]んだ。
カラダが痛いのはツラい、それをプラスにするコトはキツい、でもあたしは[生きたい]んだ。
人間は苦労をせずに生きるのは、きっと絶対的に無理だと思う。
そう思えば今のあたしとは[必要な苦労]なのかもしれなくて。
・・・きっとそう思わないと、ツラくて痛くて悔しくて、怒りでいっぱいでたまらないんだよ。
壊れないコトが正解だったと思うが、でも壊れてしまったデショウ?
そのコトで悲愴に暮れるのは、もう終わりにした方がいいと思う。
そこに気づこうと思ったから、痛くてもあたしは救われているんだ。
毎日毎日どんなにツラくてもね。
マイナスをプラスにするコトがどんなに大変だろうと、あたしは[生きる]と決めたから。
[生きる]というモノをキーワードに、あたしを治療をしていかないと、きっと遂行出来ないと思うのデス。


339.5回目の病院。
2008.10.08.wed
カウンセリング(130回目)デス。
最近のカウンセリングでの話題は[痛みと自分]についてのコトが中心となり始めている。
生活する上ではどうしても無視も無下にも出来ないモノがある。
[体調]・・・という、あたしの中からはすっかり麻痺させてしまったモノ。
精神状態が安定してくる以上、麻痺状態が解けて思い出す・・・[痛み]というカラダの構造。
忘れたい程に麻痺させていて、失くしたくてしょうがなかった。
あたしの日常とは、ずっとそれだけ[痛かった]のだ。
ココロが安定してくると、いろいろなモノが目を覚ます。
感情を取り戻す。
[喜怒哀楽]が浮き彫りになり、自分に正直になっていく。
それはカラダの調子も然りであり、
本当はあった不具合を鈍らせて[麻痺]というモノに擦り替えていたあたしの脳内は、
まるで突然に成長し始めたように、まるで今になって思い出したように、
突然に動き始めたから、きっとカラダもアタマも、驚いてしまったのだろうと思う。
麻痺させた痛みの質も時も、そうとうな量があるのだろうから、コレだけ痛くても不思議はない。
こんなあたしの日常を支えてくれる、周囲のヒトのおかげで、あたしは生活が出来ているけど、
そんな協力も何もなかったら、きっと痛みのツラさだけで、命も何もかもを投げ出しただろう。
逆に言うとすれば、支えてくれるヒトがいたから[痛い]コトを思い出してしまった。
[よくも悪くも]
失礼な言い方をすればそうなる。
でも[痛い]のは自然の摂理で、あって当たり前のモノなのだから、
今まで麻痺させていた日々が、あたしには異常だったんだと思える。
[異常なコトが正常]
先生は苦笑いながら言ったけれど、あながち間違ってはいないだろう。
今のあたしにとって、周囲の協力が欠かせずにいる。
もし一緒に暮らしているヒトが[非協力者]だとしたら・・・その体験は以前にしたコトがある。
疲れていても眠くても、起こされなきゃいけない毎日。
[せっかくの休みなんだから]
そう・・・せっかくの休みに休みたい。
それをわかってもらえない、そんな生活が続いたコトがあった。
仕事は容赦なく突っ込まれていき、家でも外出を強制されてしまい、
あたしは常に行き場がなかったんだ・・・そんなモノが記憶から消えない。
あたしが常に言っているコトバで[休み方がわからない]というモノが存在するのは、
[休ませてもらえなかった]という過去があっての上のコトで、あたしは麻痺せざるを得なかった。
今からそんなモノの修正をするのだ。
並大抵の努力ではないと思うのデス。
なかったモノや失ったモノを、作り上げなきゃいけないコトは、
ものすごく精神力が必要なんだと・・・悲しいくらいにわかっているから。


340回目の病院。
2008.10.10.fri
待ち時間、1時間くらい。
調子は悪くないという報告をすると、何となしに終わってしまう診察。
だからと言って、悪くないのに悪いと言う必要もなく、
実際には悪いのか悪くないのか、自分でもわからないのだから、
ひたすら苦笑って終わってしまう。
[最近ツラいのはカラダの方ばかり]
それを伝えるコトも多くなり、カラダのツラさにすべて取られる。
[じゃぁ鬱状態はよくなったのか?]・・・というとワリとそうでもなく、
痛みのひどさに鬱が消されていく、そんなカンジもするんだ。
上手く伝えられなかったけれど、何かが常に麻痺しているコトはわかって欲しいのに。
[夢見が毎日悪いデス]
痛みと共にツラいというコトが、実はここにも存在していて、
あたしの夢は常にトラウマ的だから、眠るコトがほとほとイヤになる。
イヤ・・・というよりは恐怖。
その恐怖感から抜け出せないまま、何もなかったように日常を送る。
何もなかったように振る舞うのは、苦手ではないとしても、
わかってもらえないツラさは、常に消えるコトはないというのに。
[大丈夫そうだね]
そう言われるコトは実はかなり胸に突き刺さるのデス。
いつでも泣き出したいキモチがある。
いつでも爆弾を抱えている。
見えるかな・・・見えないかな?
あたしは嘘を吐くのが下手ではない。
つもりがなくても[大丈夫]という、そんなあたしに、
せめて専門家にだけは気づいて欲しいのにと思ってしまう。
それがどんなにおこがましいとわかっていても。
専門家だって人間なんだ、言わなきゃわからないのも当たり前。
あたしはもう少し、自分に正直にならなきゃいけない。
わかっているのに、どうしてそれが出来ないんだろう?
[ワリと大丈夫デス]
そんな何となくで診察を終えるのが、ツラいと思うキモチは消えるかな?
いつか何ともなくなって、安定した本当の終わりが来るコトは・・・あるのかな?
不安はいつになっても消えないのに。
あたしはきっとコレからも[大丈夫]だなんて嘘を吐き続ける。
痛々しい笑顔を浮かべてね。
もしも[違う]と言えた時には、あたしはココロが正常になるんだよ、たぶんきっとね。


341回目の病院。
2008.10.17.fri
待ち時間、15分くらい。
いつものように日々の調子の報告。
最近では日を重ねるゴトに、鬱状態より痛みが強くなっていく。
それがいいのか悪いのか、未だ何もわからないままに、時間だけが過ぎてゆく不安もある。
なのに・・・その話が出来ずにいる。
調子が悪くない時の診察では、悪かった時の状況の説明は出来ない。
[悪かったんデス]と伝えても、イマイチ伝わらない感があるから、
無理して話すようなコトは、最近では全然していないと思う。
たくさんの病状が混在している現状、本当はたくさん吐き出したいのに、何も言えなくなってしまう。
ふと気がつけば、ひたすら不自然に苦笑う自分がいる。
[笑顔は見られるようになったね]・・・と先生は言うが、
それは以前と比べてであって、決して安定しての笑顔ではないと、先生もわかっているのだろう。
だけどもう余計なコトは考えない、そうやっていこうと、お互いに考えるトコロもあり、
薬の調整をしながら、いつも通りに診察が終わってしまう。
少しずつでもいいから、もう少しだけでもいいから、もっと笑えるようになれればいい。
もういっぱい疲れているのにね、こんなに無理に笑いたくないのにね。
状態の悪い時にぶつからないと、自分を説明なんか出来ないんだよ。
どうしても行き詰まってしまったら、ここの日記をプリントアウトして、時々は読んでもらうのデス。
そうすれば、その時どれだけツラかったのかが、何となくでも伝わるのだから。
あたしのコトバたちは、こんな風に有効に使える時がある。
それがたぶん・・・救い。


342回目の病院。
2008.10.20.mon
待ち時間、1時間くらいかな。
急遽入った診察というコトなので、記憶としては途切れ途切れデス。
本日は内科で注射だけの予定が、精神状態の悪化のために、受診してみたのだが。
キッカケは昨夜の彼氏との話で。
原因はあたしの過剰反応で。
わかっていながら堕ちたあたしの、すべては自業自得かもしれず、
泣きじゃくりながら、たくさんのコトをいっぺんに話し、先生もあたしも混乱状態になる。
すべては15年前の最初の彼氏から、突き詰めればもっと前かもしれず。
2001年から受診していたのに、あたしは先生には、まだ全部を話し切れていなくて、
すべてを話し切るには、コトガラが膨大過ぎたコトに驚かれ、先生のアタマの整理も追いつかず、
結局のトコロ施した対処とは、診察を2回に分けたというモノ。
そうでもしないと話は長くなるし、他の患者さんもつかえているし、
何よりも自分が落ち着かないので、時間を少し置くコトになった。
1回目の診察では怒濤のように話し、2回目の診察は時間があったので、ゆっくりと説明が出来た。
本当のあたしの中身を出せば出す程、先生の知らないあたしが出てくる。
そして先生は毎回それに驚き、診察方法を工面してくれる。
話せば話す程にあたしは、壊れないはずもなかったんだと、思い知らされていき、
それをちゃんと治したいとも思い、
もう少し先生に歩み寄っても大丈夫かなぁと思いたくなった。
病気は医師だけが治すワケでなく、本人だけでも治りもせず、両者が揃わなきゃいけないのだ。
自分だけの不具合は、閉じ込めてしまえば見えないし、それを他人が治すなんて出来ない。
だけど簡単に話せる内容じゃない。
あたしに整理がついていないのに、先生が整理出来るワケもない。
だから時間をかけなきゃいけない。
あたしの闇がひも解けるまで。
先生の[ゆっくりでいい]という、その意味を確かに噛み締めた、そんな気がしたんだ。
2回目の診察室に入った時、今日はあたしはケータイを持ってきていないと、先生に話したら、
半ば失踪状態のあたしのコトを、今頃は彼氏が心配しているだろうと、連絡を取ってくれて、
彼氏が迎えにきてくれたから、やっとあたしは、ちゃんと彼氏とも会話が出来たんだ。
昨夜は怖さに声を失ってしまい、何の説明も出来ず、またも失声症があたしを襲った。
[過剰反応する自分が怖い]
[相手を傷つけるコトが怖い]
故にコトバを失った自分を、現実に繋げてくれたのは、先生と・・・そして彼氏だったから。
今でもやっぱり現実がわからない。
それでもあたしは、いつか堂々とリアルを感じたいデス。


342.5回目の病院。
2008.10.22.wed
カウンセリング(131回目)デス。
この間の空いていた2週間分の話を、軽く流れ的に話すコトになった。
まず問題があったコトからの話。
[ネットが繋がらなくなった]
そんな問題が密やかにパニックを引き起こしかけたコトや、どうにか乗り切ったコトを話し、
未解決な点は残しつつも、ひとまずの解決をしたコトを、何とか伝えてみた。
ネット関係の話は先生にとっては、別の専門的な話になってしまい、
あまりネットを知らない先生には、話すための掻い摘み方も選ぶ。
その他この間にあったコトと言えば、トモダチが泊まりにきたコトだ。
そんなトモダチとの会話で気づいてしまったコトの確認が、
後々にパニックを引き起こすなど、別に何も思いもしなかったのだが、
話したコトに後悔はなくても、後味の悪さだけは、どうしても否めないままに、
そんな気づきの状態から、内容の確認を取ってしまった、その彼氏のコトバに過剰反応をした。
・・・わかっていたよ?
すべてが過去のコトだと、わかりながらの確認だったのに。
[過去のコトを掘り起こさないで]
・・・わかっていたんだよ?
[コレからの前を見て]
・・・わかっているんだよ?
それでもあたしは、どうしてもこの先の前を見るために、その事実確認だけはしたかったんだ。
どうやって壊されたのか、どんなにひどい目に遭ったのか、本当に完全に憎んでいいのか。
あたしはその確認だけはしたかった。
自分が未だこんな風にして、過剰反応を起こすコトだけは、予想外ではあっただけなんだ。
そんな自分の失意の状態のまま、急遽泣きながらのメンタルに走る。
自傷衝動も起こったし、屋上に上ろうとも思ってしまった。
あたしは未だ前に向いていないと、やっぱり思わされる瞬間がある。
その他の問題もあるとしたら、ブログのトモダチ絡みのコトだろう。
それはもうイチ読者と割り切って、不快感を覚えつつも、覗いたあたしの自己責任とした。
先生はそんなあたしの話を、専門家の目でちゃんと見て聞いた。
端々には軽いアドバイスもあるので、出来るだけ聞き逃さずに、自分もちゃんと会話をしようと思う。
確認をしたかった過去の、受けてしまったひどい仕打ちは、
先生は今回だけは[今はまだ話さなくてもいいよ]と言ってくれたのだが・・・あたしはツラそうだったのかな?
何よりも今のあたしを邪魔し、ツラくさせるのは、毎日の通院での注射だが、
毎日注射・毎日通院のツラさは[平日働いているのと変わらない]・・・なんて出来れば思いたい。
そう話してみたら先生は、ちょっと困ったような顔をして、
[そういう考えもありかもね]なんて苦笑って言ってくれた。
こんな風にあたしの日々は、ツラいコトばかりだけれど、発想の転換がすべてを助けている。
きっとそれは[過言]ではないと思う。


343回目の病院。
2008.10.24.fri
待ち時間、1時間くらい。
月曜日に泣きながら受診して、それからから今日までのコトを話す。
あれから少しは落ち着いたあたしは、
彼氏ともきちんと話せたコトも、間違ったコトをしなかったコトも、たぶん伝えるコトが出来たと思う。
余計な心配ゴトなんかも、どうしても確かにあるのだが、それは割り切らなきゃいけない。
自分のコトも、親のコトも、トモダチのコトも、世間のコトも、世の中は不安なコトばかりだ。
そんな中で[彼氏]の存在は、まるで[緩和剤]で今では欠かせない。
ストレスだらけだけど、自分で何とかしないといけない・・・現状的にはそれが実状なのだろう。
月曜日から今日まで、何よりも不安になったコトは、自分のカラダに他ならない。
生理が始まってから出血がない現状、既に5日目になるというのに、微量でしかないのはおかしい。
18歳からずっと今まで[不正出血]を抱えてきたあたしは、
何度も婦人科で診てもらっては[異常なし]とばかり言われてしまう。
[ホルモンのバランスが悪い]・・・というのが現時点でわかるコト。
ストレスなども大いに関係する、女性特有の問題を、
直に感じているあたしの現状は、そうとうツラい状況にあるのだろう。
そんな異常が自分では、未だ意外と実感が出来ていない、そんな[鈍さ]もあったりもするのだ。
さすがに15年間もこの状態では、鈍いままでもいられないので、
不定期的な定期的には、婦人科にも行ってみたりもする。
年齢的にも[子宮癌検診]も受けないといけない自分のカラダ。
今日のメンタルの診察を終えた後に、婦人科に行こうと思うと伝えて、終えてすぐに婦人科に走った。


343.5回目の病院。
2008.10.29.wed
カウンセリング(132回目)デス。
ここのトコロずっと、線維筋痛症の話が中心となっている。
痛みは生活に大いに支障を来し、侵略して阻害してしまうのが実状。
その上さらに生理が止まらず、現時点で10日目・・・微量の出血。
こんな自分のカラダを憎まない方がおかしいと思いながら、それでも生きている自分がいる。
線維筋痛症を巡る様々な事件の話もしたのだが、
事実この病気を抱えながら苦しんでいるヒトが増え続けている。
自殺をしたり、殺人を犯したり、どうしても抱え込み切れなくて、脱落してしまうたくさんのヒトたち。
痛みを抱えるヒトたちのキャパは、たぶんそれぞれで違うだろうと思う。
痛みの質だってきっと違うだろう。
誰がどのくらい痛いのか。
誰がどのくらい我慢出来ないのか。
それはやはり様々だと思うし、一概にこう我慢しろとも思えない。
ただしこの病気に共通するコトは、たいていのヒトに理解されないコト。
そしてこの病気というのは、理解者の有無が大いに左右する。
そんな回避法とは[外を見るコト]・・・なのではないだろうか。
それが例え[現実逃避]になろうとも。
内に籠ってしまえば自分には[痛み]しかなくなってしまうのだ。
それが苦になってしまえば、何かしらのアクションを起こし、時には発狂し壊れてしまうと思う。
そんなあたしの逃避法は[屋上で歌ったコト]だった。
11階建てマンションの螺旋階段を必死になって上り、12階に相当する踊り場で歌う。
大空の下の広い世界で、ゴミみたいな景色を眺めながら、小さくても歌うコトがあたしを救う。
まさに[現実]から[逃避]した瞬間。
そこには[リアル]はなかった。
何処までも[非リアル]であって、それはある意味[幻想的]だった。
家にいればどんなにイヤでも現実が突きつけられるのだから、その瞬間はココロが解放される。
別に[死のう]というワケではなく、ただ[屋上に上った]という非リアル。
それでも最近のあたしにとって、世間を知るコトもワリと楽しいのだ。
ニュースを見て世界情勢を知る。
必然的に勉強に繋がるのならば、それは一石二鳥だとも思うのデス。
ちなみに先週の話の続きで、ネット問題は相変わらずという報告。
それもほんの少しだけストレスだったりもしています。
小さな変化や大きな変化は様々だが、そんなモノがきっと[生]なんだろう・・・今はそんな気がします。


344回目の病院。
2008.10.31.fri
待ち時間、15分くらい。
調子はあまりよくはないけど、波はそれ程にはひどくはないと思う。
それでも毎日が窮屈で、痛みだけの毎日の鬱屈状態が、それがあたしをひどく困惑させる。
毎日が病院という苦痛から、どうにかして逃げたかった瞬間。
あたしは少しだけ現実を捨て去り、非現実に飛び込んでしまった。
[屋上で歌った]というコトを伝えてみたら、先生はひどく驚き落胆したけれど、
[死のうと思ったワケではない]
[安全な場所を選んでいる]
[絶対に落ちれない確認はした]
それを何とか伝えてみて、どうにか安心してもらったんだ。
確かに[奇行]だというコトは、自分にだって痛い程わかるんだよ。
それでもそこまでしたかった・・・それが何故なのかわからないけど。
[カラオケでもいいじゃない!]
先生はそう言ったけれど、カラオケと屋上ではかなり違うのだ。
ボックス内と大空の下では、格段の差があった・・・それが[解放感]だったんだ。
自分には[リアル]は未だないのに、現実を叩きつけられる・・・痛み。
[痛み]という現実がある・・・痛み。
現在も生理の状態が悪く、12日目にして微量な出血がある。
それすらもきっと自分には・・・痛み。
リアルがないのにリアルがある、そんな不協和音のような生活が、息苦しくてたまらない。
だから少しだけ解放されたかった。
あたしにとってそれがたまたま[屋上]という特殊な場所だっただけ。
現実的な話もしてみたのだが、
最近はあれだけ見ようとしなかったニュースも見れるようになった。
ニュースやネットについては過去に先生はあたしにお咎めをしていたが、
[左右されない自分が出来てきた]とのコトバが出るようになったので、
さすがに今ではもう、先生も止めようとはしなくなった。
[イヤなニュースしかないデスよね]なんて苦笑って話すコトも出来る。
[毎日たぶん麻生さんの顔を見る]
[政治は初心者レベルだから]
[見ながら彼氏に教わっています]
そんな風にして苦笑うようになった、今の自分はたぶん少しラクだろう。
でも本当は[大丈夫]なんかじゃない・・・それがどうしても言えなかった。
屋上に上ったという時点で、先生的にも[大丈夫]だなんて、きっと思ってやいないだろうけれど。
今日の診察では書類をお願いした。
薬の変更はとくになくいつも通り。
そしてメンタルの診察後には、労基署に走って今月のお仕事は終了。