2008.09



334.5回目の病院。
2008.09.03.wed
カウンセリング(126回目)デス。
最近ではどんどんカラダが痛むので[リズムを守る]というコトがストレスと感じるようになった。
そんな日々の中で、ココロとカラダのどちらを選ぶか・・・そんな選択をなされていて、
カラダの方は治るコトのないままに、歳を重ねていきながら、いずれ動かなくなるというのなら、
[優先するのは精神状態だろう]・・・という思いに至ったので、
無理を押してでもやりたいコトをやっていたい・・・などと思い動くコトにしたのだと、
そんな話を先生としていたら、カウンセラの立場としては、聞き入れていただけたらしく、
コレからもたぶんきっと[ココロ優先]という状態でのカウンセリングをしていくのだろう。
抱えなくてもいいストレスを、コレ以上は抱え過ぎたくない。
無理矢理リズムを守らない方が、たぶん自分にはいいと思うし、
痛みというモノにさらに加えて、リズムにも押しつぶされてしまう・・・それが今の現状であり、
たくさんのコトを考えての結果、今はそういう考えに至っていて、
それがまた何処かで変化するかもしれなくて、
そういったコトはきっと、その都度で変わるのだろうと思う。
結局モノゴトは自分に必要かどうか・・・だと思われるので、
必要な時に考えたり欲したりして、要らない時には身に入れないという、
そういう方法で生きた方が、もしかしたら[生きやすい]のかもしれないと思ったのだ。
今回の雑談としては、あたしの雑学力の話をしていて、
そういう趣味的なモノがあるのは、本当に強く財産だねという話をした。
そんな風にして[生きるコト]を楽しめるというのが、きっと何よりも強いのだと思います。
一時期ものすごく忘れていたコト、今はもう絶対に忘れたくないコト。
あたしは細部に至るまで、今は何も手放したくないのデス。



335回目の病院。
2008.09.05.fri
待ち時間、15分くらいかな。
気分は悪くないのだが、カラダやリズムの状態が最悪で、痛みが何よりものストレスになる。
逆に言えば、痛みのストレス以上のモノはなく、他のツラさが霞んでいる気もする。
20時間作業の話も伝えたが[ランナーズ・ハイの状態]だと当然ながらの心配もされ、
医師としてのお咎めなども、もちろんあったのだが、
聞くのは半分、聞き流すのも半分で、あたしは自分を自分で決めたい。
先生の意見というモノは、あくまで意見やヒントだと思うし、
その中で決断するのは、最後には自分だと思うから、
以前のどうしようもなく状態が悪く、自己判断が不可能だった頃は、聞き入れるしかなかったけれど、
少しはそれらの判断が出来る今は、自分の想いも尊重したいと思う。
医師の意見が、必ずしもすべてだとは思わないし、
聞いて守ったから必ず治るとも思わないと思えたり、
聞いた方がだぶん正しいとも判断出来る今は、
医師と患者の関係や、通院の意味を、ちゃんと思い直すコトが出来る。
ここの間柄だけではなく、ヒト(他人)との関係の難しさや、
渡り合う厳しさの話もしたのだが、
コレまでにもしばしばコトバに左右され過ぎたあたしも、流せるという強さを持ちたくている。
そしてそれらを、少しは出来るようになったと思う。
まだまだ未熟かもしれないけれど、流されるかもしれないけれど、
[自分]という軸を揺らがないように、コントロール出来るようになりたい。
そのためには、やはり[他人]は欠かせない存在で、
自分を否定も肯定もするモノが、本当の意味で必要不可欠だ。
[今のあたしは少しはそれが出来る]・・・などと自画自賛したいと思う。
本日は薬の調整が入ったのだが、
リズム障害が常日頃ひどく、OD衝動も強いあたしには、
多めの薬を処方するのは危険だと判断されているらしくて、
本当は1日3回の服薬量を、2回しか飲めないという判断のモト、
調整的には2回分だけ出すとされて、現在1日2回分は所持しているから、
足りない分として眠剤や頓服だけを処方されました。
毎日3回飲める程までに安定したら、処方回数を戻すのか、
それとも現在の状態を維持して、減らしていくのか、
もう少し長い目で見ていきながら、判断しいくコトになったので、ちょっと未だ安定していないのデス。


336回目の病院。
2008.09.12.fri
待ち時間、10〜15分くらい。
精神状態の回復の兆しと安定が、最近では見られるようになってきた。
浮き沈みは相変わらず激しいが、波の大きさに変化が出てきた。
自己コントロールなども、少しくらいは出来るようになった。
回復や改善や修復というのは、こういう風にして出来てくるモノなのか。
逆に体調不良の増加が、著しく激しくなってきている。
コレまで麻痺により感じなかった[ストレス]というモノが、今は重くココロにのしかかっている。
悪いコトじゃないんだと思うし、それが人間なんだと思うし、[生きる]というコトなんだと思う。
[〜しなさい]というコトバへの過剰反応が未だ大きい。
[〜しなきゃ]というストレスはもう抱えたくはないと思いつつも、条件反射が消えないでいる。
先生にそれを伝えたら、今回は少しわかってくれたようで、
[無理に従わなくてもいいんだよ]というコトバをかけてもらえた。
そんな何気ないコトバが、たぶんきっと嬉しかったんだ。
わかってくれたコトがではなくて、上手く伝えられたコトが・・・いつも四苦八苦しているから。
そんなツラい毎日の生活の中でも[楽しい]というコトバが、少しだけは言えるようになった。
・・・たぶん[言うようにしている]のだろう・・・でも[言える]のがどんなにすごいのか、
あたしは痛い程にわかるから、そんな今現在が貴重過ぎるんだ。
[楽しい]という感情は[日記の変化]の中にも現れている。
悪かった時には出なかったコトバ、今は出したくてたまらないモノ。
苦しくて吐き出すのではなく、楽しくて文章にしている・・・そんな大きな違いも感じている。
日記やブログへの過剰反応も、たぶん減っていると思うし、ネットを覗くコトが苦痛ではない。
対人関係のトラブルの安定も見られ、ブログへの反応も小さくなった。
自分の日記に対しても、違和感や変なモノは皆無に等しい。
過去の日記を読むのは痛いけれど、あんなに失かった空虚な過去も、
今なら[日記]というモノを通して見るコトが出来るという、利点も見出せるようになった。
今回は薬の微調整が入った。
[多めには出さない]というコトで、余っている分との調整として、
かなり少なめに出してもらった・・・決してODはしないように・・・決して衝動が走らないように。
以前なら意地でも処方を求めたが、自己コントロールが出来る今は、ヘマはしないと気をつけている。
・・・出来るだけ・・・出来るだけ・・・。
[普通の生活]というモノに近づけられるようになっているのかもしれない。
もうコレ以上は壊れないように、自分に気をつけるというコトが、少しは出来ているのかもしれない。


336.5回目の病院。
2008.09.17.wed
カウンセリング(127回目)デス。
2週間ぶりの会話をしたが、ヒトコトで言うと[壮絶]…そんな日々連続だったんだ。
[痛み]は日常を蝕んでいく・・・そんな話を中心とした話から、
そんな中でも[生きたい]という・・・そんな願いまでひたすら話した。
[痛みで失神する]だなどという、尋常ではない状態すらも、笑い飛ばさないと生きていけない。
どんな過酷な状態なのかなんて、考えるコトすら疲れるから、
[考える]という行為すら麻痺させる・・・そうするコトでしか、今を生活する術などないのだから。
[他者がいて疲れる]コトも[通院の毎日のストレス]のコトも、
すべてヒトゴトのように思いたい・・・思わなきゃツラい・・・だから笑っていようと思うんだ。
そう話すと先生は少し悲しい表情を浮かべるけれど、
いつもいつも悲しい顔をさせている、そんな気がするけれど、
きっとこんな自分が痛々しいけれど、
あたしはそれでも、そうするコトでしか生きられない・・・そう話すしかなかったんだよ。


337回目の病院。
2008.09.18.thu
待ち時間、30分くらい。
昨夜巡りまくったフラッシュバック・・・夜中23時の家の電話の響鳴。
夜中の電話が怖いというコトを、ママが知らないワケがないはずで、
相手が伯父だからいいやとか、そんな話でもないはずで、
ただひたすらに、電話の音と過去に恐怖した昨夜。
[怖かった]とはっきり言えたのは、診察室の中で泣きながら。
未だこんなに怖いだなんて、自分でだって思わなかったんだ。
どんなにママが誤ったとしても[怖いキモチ]は消え去ったりしない。
ただただ小さく震えて怯えて、涙とか鼻水とかを流しながらも、小さな声でしか喋れないあたしの、
そんな姿がどんな風に他人の目に映っていたのだろう?
こんな恐怖は、あたし以外にわかるはずもなく。
[あたし]という人間で、[あたし]という脳ミソと、カラダとココロと時間と、
そんなモノのを歩み積み上げながら生きていなければ、絶対的に[解る]はずなどない。
相手を否定したいんじゃないんだ。
どうやったって、簡単に[解る]と思われたくないだけ。
駄々をこねているんじゃないんだ。
どうがんばったって、物理的に叶わないコトだというだけ。
だからあたしはたくさんの妥協や諦めを覚えてきたんだ、決して悪い意味ではないモノで。
同じように[怖いと思え]だなんて、無理強いなんか出来るワケはない。
だからこそコレが[それ程に怖い]というコトを、客観的に解って欲しかったんだ。
[このヒトはコレが怖いんだ]と、傍目でいいから解って欲しかった。
何処までならいい? 何処までなら理解出来る?
説明なんか上手く出来ないんだ。
相手が専門の医者だろうと、相手が血のつながった母親だろうと、
相手がいつも傍にいる彼氏だろうと、
きっと[同じ怖さ]を感じるコトなど、絶対的に叶わないのだから、
[解るのが叶わない]というコトだけ、それだけわかって欲しいのデス。
[怖さ]と[怒り]と[悔しさ]に、カラダがたくさん震えていた・・・それだけわかって欲しいのデス。
[乗り越えられない壁はない]
そんなキレイゴトは言いたくないし、きっと言われたくなんかない。
ただ願うのは[乗り越えたい]という、ヒトツの希望・・・というモノだけ。
いつか・・・きっといつか、乗り越えられたらいいと念う・・・そんな曖昧な小さな願いだけ。
だから未だにこんなにも怖くて、未だに断言も出来ないんだよ。
[治る]とも[治らない]とも、何ヒトツとして言い切るコトなんか出来やしない。
ただそれだけを[解って]欲しい。
そして[見守って]欲しい。
そんな小さな願いだけを抱えている・・・きっといつまでも何処までも、何年かかったとしても、
それだけは忘れたくない[祈り]。


337.5回目の病院。
2008.09.24.wed
カウンセリング(128回目)デス。
毎日が痛みとの闘いの連続で、それがキツいと嘆きたい時もある。
ブラッシュバックは容赦なく来るし、回避するのも困難なんだよ。
パニックで何もわからなくなる怖さ、痛みで気を失う自分の現状。
・・・そんないろいろなモノを抱え、あたしは[生きていこう]とする。
きっと[ツラい]というのは簡単で、[何で?]と責任転嫁するのも簡単で、
それを[コレからどうしよう?]という、そんなモノに変えていきたいし、
きっとそういうのが前向きで、たぶんやっぱり賢いと思うんだ。
自己暗示や自画自賛や、自己弁護や責任転嫁だって、時には必要な時もあるんだ。
1週間に三度のストレスの加重・・・それはとても重いモノだとわかる。
負けたくない自分もいるし、いっそ負けたい自分もいるんだ。
負けてまたモト通りで、またモトの痛くないトコロから、痛いトコロを通過しては逆戻り?
そんなモノはもうイヤなんだよ、解放されたいその一心で、あたしはきっと前を向くんだ。
今じゃきっと家族の中で、あたしが1番冷静かもしれなくて、
家族を纏めているのが、あたしなのかもしれなくて、
それでも成り立つのなら、あたしががんばらなきゃと思うし、
だからと言って、甘やかすという行為が、間違いだというコトもあるから、
その辺の境目だけは、自分なりに忘れないようにしたい。
今とは逆転していた、あたしとママの立場は、
あたしがオトナになったら、あっさりと切り替わったんだ。
人間は歳と共に感情も衰えていく・・・可哀想なくらい弱々しくなる。
コレ以上もう虐めにはなりたくない。
なのに・・・わかっているのに、何かと当たってしまうようになった。
感情だけのママと理屈だけのあたし・・・ぶつかって当然の境遇だろう。
人間の持つ感情の[喜怒哀楽]で[怒]という部分が1番パワーを使うのだと言われた。
使った分の消耗すらも、それは激しいモノなので、怒るのすら疲れるのが今の現状。
余計なコトは重なるコトが多いし、ワリとよくある現象だと思うんだ。
それの全部に悲観的になるのは、絶対的に無駄だと思うのだから、
あたしはプラス思考は傍に置きたい。
興味本位やおもしろ半分での、同情や心配は本気で要らないんだ。
反吐が出そうな程の偽善者は、そこら中に蔓延っているから、それが現状なのだから、
回避するコトはとても難しいけれど、あたしはそれをいつかクリアしたい。
[前向き]になろうと必死なあたしは、先生から見て痛々しいのだろう。
表情で何となくそう読み取れるが、それでもあたしはコレが必要デス・・・本当にごめんなさい。
ただ、生きたいだけ、普通に、生きたいだけ、誰とも変わらない、そんな生き方を望むだけ。
・・・それはそんなに高望みデスか? ・・・それはそんなにも贅沢デスか?


338回目の病院。
2008.09.26.fri
待ち時間、1時間弱。
前日に彼氏に受付をお願いしたのに、痛みで倒れて行くコトが出来ず、
先生から直々に電話をいただいて、事情を説明して、受付を今日に回してもらっていた。
前日の状況を診察室で詳しく話す、どれだけ痛みがストレスか、ちゃんと話してみたんだ。
それでも負けたくなんかないと、ちゃんとそれを話してみたんだ。
正直マイナス思考というのは、何処までもついてくるんだよね。
でもそれに飲み込まれたくはない、前向きなプラス思考を持ちたい。
それがあたしの大きな望みだから、それがあたしの思う[普通]だから。
もう何処までも堕ちるのはイヤだ、カラダが痛いというだけで、ただでさえストレスなんだよ。
その上ココロまでもが堕ちたら、あたしはどれだけ崩れるんだ?
考えたくない・・・でも考えている。
きっとあたしは堕ち切った時には、また何かを壊してしまうんだ。
そんな衝動が未だに消えていない、だから危ないと思うじゃないか。
痛みに耐え、鬱に耐え、弱さに耐え、日々に耐え、それを乗り切るのは生半可じゃない。
あたしの覚悟はきっと、もうとんでもなく大き過ぎるんだよ。
簡単なキモチで[生きたい]なんて、言えるワケがないじゃないか。
こんなにも壊れ切ったカラダで、生きていくリスクをすべて背負い、
それでも生きていくというツラさを、丸ゴトすべてを承知した上で[生きたい]と発するんだ。
そんなココロは常に痛いんだよ、いつでも泣きじゃくりたい程にね。
わかられなくたっていい、わかられたって何か嘘くさい。
それは悪い意味じゃなく、自分は自分にしかわからなんだよ、きっと何処までもね。
だから今あたしはこうして、痛過ぎるカラダを引きずりながら[生きて]いこうとしているんだ。
エネルギーは半端じゃないよ、日々の疲れも半端じゃない。
アタマも常にフル回転だから、疲れ方だって・・・きっと異常なんだ。
でもあたしはそういう人間に出来上がってしまったのだから、
それならば[それと付き合う]という、その方法を考えればいいじゃん・・・そう思ったんだよね。
きっと今はそう思うコトでしか、自分を保つ術がもう残されていない気がするんだよ。
何度思っただろうか・・・[自分はすごく難儀な性格だ]・・・だなんてさバカみたいに。
いいんだと思うよきっと、薄っぺらい生き方をするより、断然生き甲斐があるじゃないか。
[何で?]と思う瞬間は、正直やっぱり否めないんだよね。
だけど・・・それだってきっと悪いコトなんかじゃないんだよね。
人間誰しもが持つ弱い部分だろうが。
あたしだって普通の人間で、鋼鉄のように強くなんかないんだ。
絶対的に完璧じゃないんだよ・・・だからさ思うんだよね。
全部なんて出来なくてもいい、それを許してあげようって、完璧主義をぶっ壊せってね。
痛みのストレスのせいで、鬱の方が軽減されている現状・・・それがいいコトかはわからない。
治ってよかったのかも、未だにわからないでいるんだ、それが結構キツかったりもする。
ココロが治らない方が、痛みの麻痺は続いてくれて、そんな痛みも忘れていられた。
治らない方が幸せだというコトも、あたしはわかってしまっている、だから・・・苦しいんだ。
だけど時間は容赦なく進むから、流されてみるというのもね、いいのかもしれないんだよね。
コレから先のコトは、コレからになってみなきゃ、やっぱりわからないんだからさ、
今から怯えてもしょうがないと、思えてしょうがないんだ・・・そんなプラス思考を持てているよ。
大きく小さく左右されながら、あたしはたぶんきっと、上を向いていられていたいんだ。
完璧になんてきっとなれない、そんな理想像を捨てたいと思った・・・それはきっとラクだからね。