2008.07



326.5回目の病院。
2008.07.02.wed
カウンセリング(118回目)デス。
今朝までカラダがコトバを発するコトを拒んでいた。
[コトバを拒否するカラダ]の説明が上手く出来ずに困り果てた。
辿々しく説明していき、それが如何に苦しいかだけ、解ってもらえたようだ。
先生だって、ダテに[先生]をやっていないのだ。
そんなあたしの説明を代替わりするコトだって出来る。
まず、その自分の持ち抱えるボーダーラインを報告した。
[境界性人格障害を持ちました]とちゃんと伝えた。
つい昨日に発狂した正午の話もした。
逃亡癖があるというコトは、以前から話していたと思うので、その追加のような説明になる。
[荒れ狂い家を飛び出した]・・・普通ではありえない惨劇が、あたしにはいつも日常のようにある。
そしてメールでは、関係のないヒトを巻き添えた。
決して知らないヒトには知られたくなかったモノ。
決して知らないヒトには見せたくなかったモノ。
自分をかわいそうと思いたくなくて、必死で守っていた自分の位置。
[ジコレンビンに浸りたくない?]・・・と先生に言われ、そんなコトバがあるコトを思い出す。
字面を思い出せなくて、ケータイで打ち込んでみた・・・[自己憐憫]というコトバ。
ようするに[悲劇のヒロイン]にはなりたくないという話なのだが、
もし[自分はかわいそう]と言えたら、もしかしたらラクかもしれないと、
見たくない聞きたくないモノに背けられたらどんなにラクなのかと、
時々思うコトもあるのだけれど、絶対的にしたくないモノだった。
何も感じなかったらきっとあたしは、ラクな生き方が出来ただろう。
[鈍感な幸せ]というモノがある・・・先生にそう言われた。
とするとあたしという人間は[敏感な不幸]になるのか?
他人から見える自分をいつでもひた隠しにしながら、自分の価値を守ってきた。
その結果が招いたのが、不可解な人間の価値観だ。
[あんたならいいよ]というコトバに、何の意味も重みも感じれなかった。
何故あたしなら許されるのか?
先生がその話を聞いた時、
先生がもしそういう言われ方をされたら[バカにされたんだと思う]と言った。
そういうモノなのだろうか?
・・・あたしはそれよりも[このヒトはあたしの何を見てる?]と思うと言った。
結局は様々なヒトの価値観に合わせながら生きるあたしがいた。
苦しみもがきながら、きっと生きているのだろう。
カウンセリングの最後にはいつも次の予約を入れるのだが、
ここに通うコトによってリズムを保っている自分は、
何処かでこうやって、自分でリズムを作らなければならず、それが苦しくてしょうがないよ。


327回目の病院。
2008.07.03.thu
待ち時間、10分くらい。
運よく待ち時間がなかったので、大変ありがたい。
調子は相変わらず悪く、どれだけ悪かったかの度合いの説明をしようと思ったのだが、
あまりにも壮絶過ぎて、上手く説明出来ないと思い、
いっそのコトこの間の日記をプリントアウトして持っていき、読んでもらうコトにした。
カウンセリングの先生と違い、メンタルの先生は読むのが早く、
文章化したモノで説明した方が、断然早いコトもあるし、上手く伝わるコトもある。
[発狂]とういうコトバと、軽いODのコトに反応されたが、
冷静に判断してもらって、もう変える薬もないから、コレまで通りという話になった。
ただ少しだけ変わったのは、就寝前に頓服のベゲタミンBを本格的に入れてもいいと言われた。
[ただし1錠ね]と何度も念押しされ、解ってますよと苦笑った。
事実、鬱状態的にはよくなってきているらしく、
その分だけ、境界性人格障害の方が、かなり顔を出してきているので、
きっとコレからもっと、試行錯誤の期間を要するのだろう。
何かがよくなれば、何かが悪くなる。
・・・そんな風にして、何処までも狂うまでに、あたしはたくさん壊したのだろう。


327.5回目の病院。
2008.07.09.wed
カウンセリング(119回目)デス。
[リズムがない]という話を、真剣に話すコトになった週だった。
リズムがないコトによって困るコトがどうしようもなく多く、
[食欲がない]のではなく[食欲という概念がない]という話をし、
[ご飯を食べたい]というより[食欲がないと薬が飲めない]という理由で食事を摂っている。
[食べたい]という概念がないとは、人間の三大欲が欠けているというコトで、
[三大欲]といえば[睡眠欲もない]という話にもなり、
[性欲には嫌悪感がある]という、生きる上で普通に備わっているモノが、
どうしようもない程に欠けている・・・。
それが今のあたしの現状であり、生きる上で支障を来している。
そのクセ[集中力は人一倍]という、変なトコロがヒトより敏感で、
止まるコトが出来ないので、ブレーカーが落ちずに、いきなりショートするようなモノ。
・・・そう先生に表現されて、自分の現状を客観的に、表現的に把握出来たのだ。
[ないモノを築き上げる]というのは、今では本当にストレスになっていて、
モトモト存在しないモノなので、自分ヒトリではきっと出来ない・・・と、
常に不自由な状態に晒されている。
集中力といえば[探究心]とかも半端じゃなく[三大欲]よりもそちらの方が強く、
そんな部分での[自分の持つキャパシティ]と[他のヒトのキャパシティ]の大きな違いを思い知った。
自分を生きるために自分に必要なモノは何か?という質問をされ、
必要なモノや求めるモノが多過ぎて、最早どの辺が自分に必要かわからず、
[生きるコトをクリアする自分]・・・たぶんそれが、今ではあたしの生きる目標だ。
趣味も興味もツラさも何も失くなったら[生きる意味]さえなくなるという究極な考えを持っている。
自分という哲学を、自分で超えてしまった過去を持つ・・・今現在進行形で。
超えるつもりでもなく、追求するつもりでもなく、考えていたら自然に身についてしまっていた。
たぶんそんなたくさんの日々が、あたしにとっては[普通の生き方]だったのだと思う。
ちょっとだけ趣味的な、楽しい話もしたので、時々はリラックスしながら話すコトも出来る日もあります。
チカラを抜いたり、思いの丈をぶちまける、そんな場所に今ここはなっている。


328回目の病院。
2008.07.11.fri
待ち時間、1時間強くらい。
病院の連続の日々で、正直うんざりだったのだが、行かないといけない状況にあるのだ。
雨の降る中、他科を終えた後に、勢いで病院で向かったのが・・・午前。
[午前通院]というのは、あたしにとって本当に珍しく、
先生にしてみても、調子がいいのか悪いのか、話さないとわからないらしく、
今日の場合は、リズムが狂いまくっている中の、不眠状態で来たので、
[調子はよくはないのねぇ]とフタリで溜息をついた。
でも気分的に悪くもなく、がんばり過ぎの中でも[出来ないと言えた]と話し、
自傷衝動も起きていないと伝えたら、少し安心したらしいが、
[内科で点滴を受けました]と言ったら、さすがに驚いて、
それが[食欲不振]という話になり、
やはりここでも[食欲がない]というよりは[食欲という概念がない]という話をし、
そんな調子の中で内科医とは上手く関係を築いているというコトに安心され、
[夏バテとかではない]というコトで、食べる気が起きないのなら、
[カロリーメイト]でもいいし[ウィダーインゼリー]でもいいと言われた。
それ以外はいつものような診察。
薬もとくに変更もなし。
心配かけてもいい場所なので、話せるコトは出来るだけ話します。


328.5回目の病院。
2008.07.17.thu
カウンセリング(120回目)デス。
部屋に入るなり、プリン型の癒し系グッズを見つけた。
話題はそこから始まり[今は癒し系グッズが多い]という話になった。
世の中はそんな[癒し系]のモノを意図的に作らなきゃならない程、
追いつめられているかもしれない。
そんな話から、好きな食べ物の話もさらりとしつつ、前回からの調子の話に戻る。
点滴を受けたり、ライブがあったり、ただ休んだり、体調崩したり、
・・・ただひたすらに波瀾万丈だ。
精神的にたくさん保たないと、自分がやられるのはわかるから、
マイナスを少しでもプラスに出来る、そんな技を覚えるしかなかった。
とくに小さくても変化がある、それにヒト一倍反応するあたしは、
悟られずプラスに持っていくという、どうしようもない程の苦しさがある。
そのエネルギーは半端じゃない。
リズムだってそうだし、結局[ないモノ]を創造するのだから、
そんなにストレスになるコトもないし、それ以上に目標となるモノもない。
[クリアをしたい]・・・ただそれ一心で生きている、そんなカンジがする。
どうしようもない程のルズム狂いは、如何なるモノに悪影響を及ぼすから、
取り除けるのなら、1番に排除したいと思うんだ。
狂っているモノの根源がリズムなら、それを正せばトントンと治る、そんな気がしたから。
[リズムが狂う]というのは[マイナス思考を生む]コトに繋がるんだという話もして、
それを自分で操作しなきゃいけない・・・作業的にもっとも厳しいのだ。
正直キツい毎日だ。
自分自身と、自分がココロを開けるヒト以外、他者は入って欲しくない。
それでも人間は交わるのならば、自分が[大丈夫]だという耐性を作らなきゃいけない。
ある程度の無理は、誰かと関わるコトで、必要不可欠なのなら、
許せる部分と、どうしてもダメな部分とを、自分がきちんと表明すればいい。
それで合わなかったら[このヒトとは合わないんだ]と諦めるほかないんだろう。
だからって、それですべてを終わりにするのも、何だかおかしい・・・。
結局は気苦労が絶えないのなら、もう、そんな自分に慣れるしかない。
ママが来札している今週は、そんな自分との闘いのようになる。
[何もなく終えればいいんだけれど]・・・いつもそればかりがつきまとう。
ママのせいでも何でもなく、あたしのココロが、勝手にざわついてしまっているんだ。
最近読んだ書籍の話もした。
あたしの抱える問題に類似した表現・・・[共感]とも違う気がするが、何だかスっとした・・・錯覚?
今日の話の中で[歳月を過ごしたけ]けれど[年齢を重ねてはいない]という話が出てきた。
時間だけが無駄に流れ、年齢通りの自分にはなれない、だって生きていなかったから。
仮死状態の中、どうやって年齢など取るモノか?
まるでタイムスリップのように、まるでコールドスリープのように。
あたしは突然10年が過ぎていたから、そんな自分の実年齢に実感などない。
やっと成長し始めた昨今、やっと23歳から動き出せている、そんな気がするような。
何処まであたしのココロは、殺されてしまったんだろう・・・だなんて常に苦笑って話している。


329回目の病院。
2008.07.18.fri
待ち時間、30分弱くらい。
調子はよくないと常に話している。
だけど、精神状態は悪くはない。
何だか複雑な話だが。
目に見えてツラいのはカラダでも、ココロも密やかにツラいのだ。
きっと見せてないからわからない、話さなきゃわからない。
ここでは話さなきゃいけない、そう思ったから、話せるだけ話している。
時にはスルーされるコトだってある、人間なんてそんなモノだから。
すごくイヤな意味で、諦めがいいのかもしれない。
ママとのコトも必ず話している・・・[ママが]というより[他者が]。
自分以外は、何処までも他者だから、あたしにはなり得ないのだから、
どんなに[わかるよ]と言われても、信じたコトはない、信じないコトを悪いとも思わない。
同じ人間でもないし、同じ体験をしたワケでもないし、同じ感情を持っていないから。
自分を持ち上げるのに、精一杯だというコトは、昨日に引き続いて、ここでも話したのだが、
やはりそれがストレスに繋がるのはよくないとされていて、
それでも、そんな自分から逃れられなくて、だから上手く付き合わなきゃダメで。
先生から見ても、きっと頑固で利己的で、理屈ばかりだろうから、
診察に入って最初にもう、[最近は理屈っぽいデス]と自ら言い、
でも自分を上手く逃がす場所がある・・・という話をしていた。
そしてそんな[理屈っぽい自分がキライではない]・・・という話もしていた。
[何処に向いたいのかわからない]・・・そんな話もした。
自分自身を持て余しているのだろう。


329.5回目の病院。
2008.07.23.wed
カウンセリング(121回目)デス。
たぶん今日はいつになく、支離滅裂さがひどかったと思う。
最近は自分の思考を纏められず、自分に歯痒い想いをしている。
ここへ来るのはそう、自分の思考を纏めるためもある。
たくさんの思ったコトを、ただひたすらランダムに話す。
別にマトモな精神だけを持ち、話せと言われているワケじゃない。
わからない部分も、わかる部分も、思ったように話してクダサイと、
最初に言われていたのを思い出し、初心に戻ってみて、
たぶん大丈夫じゃない今の自分を、思いっきり曝け出したんだと思う。
思ったコトを口々に話した、それを先生が纏めていった。
きっとそれは・・・至って基本的なカウンセリング。
先生はやはりその道のプロで、誘導するのが上手いと思った。
信頼関係が築けている今だから、尚コトバを預けるコトが出来る。
思うコトなど山程にあるというのに、考えるコトは山程にあるというのに、
纏めるチカラのキャパシティには、[限界]というモノが存在する。
過信し過ぎない・・・それを確認出来るこの場所が、今ではあたしには必要デス。
些細なコトから、本当にどうしようもない程に抱えてしまったコトまでも、
先生は目を逸らすコトをせずに、きちんと耳を傾けていてくれる。
他人事と思われたっていいと思った、主観も客観も必要だと思うから。
だからあたしは、ここでたくさん語りながら、自分を確かめる作業をしたい。


330回目の病院。
2008.07.24.thu
待ち時間、1時間半くらい。
今回は彼氏も診察で、待ち時間のあまりの長さに、多少うんざりしつつ診察室に入る。
ただ待つだけなら、カラダが痛いくらいで済むんだ。
些細な苛立が最近多いと思う・・・先生にはそれを告げた。
例えば、待ち時間でのケータイマナーとか、
例えば、公衆トイレでのマナーの悪さとか、
些細な日常の・・・些細な歪み。
苛立つココロは[近頃みんながバテている]という片づけ方をしようと、
そういう逃がし方もあるのだと、先生と頷き合った。
確かにすべてに苛立っていては、こちらが常にまいってしまう。
たくさんの不調も不具合も不満も、いい意味でも悪い意味でも、諦めが必要なのか?
確かに真っ向から向えば、太刀打ち出来やしないコトが、あまりにも多過ぎる。
やはり逃げるコトも大事なのだと、改めて言われたような気がした。
誰もが認めず許さない、マイナスや負の感情・・・[逃げる]を、
先生はやってもいいと、そう認め許してくれるのだ。
そうか・・・そうやって確認しないと、日々を過ごせない自分を、思い知った気がします。


330.5回目の病院。
2008.07.31.thu
カウンセリング(122回目)デス。
[自分の体内時計通りに動いてみた]という報告をした。
それを[体感実験]だと言われ、そんなコトバの存在自体を知った。
どれだけの崩れがあるのか、1日の円グラフを作ってみる。
夏休みとかに担任に提出するヤツ・・・そんな作業は小学生以来だった。
それらを書き込んでみると、すごくメチャクチャだとわかった。
あまりのリズムのなさ過ぎに驚いて、埋まらない円グラフは1カ所だけ。
希望を入れれば3カ所くらい・・・どれだけダメなんだ自分は?
そう途方に暮れても仕方ないので、自分で意識しないとダメだと思う。
今日の通院時の地下鉄で、右足に激痛が走り、到着したら右側全部が痛み出した。
[線維筋痛症]は何処でも起こる・・・それがこの病気の現状で現実だ。
でもそんな毎日をも笑い飛ばす、そうでもしないと自分が壊れちまう。
嘆いても悔やんでも治らないし、世の中は病気に優しくなんかない。
泣いて助かるというのなら、泣けるだけ泣きじゃくるのに。
そんな話も自嘲いながらやらないといけないというのが現状。
そんな苦しくて悔しい生き様の中で、気を抜いた話をしてみた。
世間のおかしなツッコミドコロを、たくさん並び立ててみたら、
あまりにも可笑し過ぎて、先生と一緒に大笑いしてしまった。
ヒト並の生活もリズムも、三大欲すらもまったくないのに、
自分という人間は、どうやらその他の観察力などが、他のヒトより長けているらしい。
人間とはもともと、欲していないコトは意識出来ない。
なので存在しない三大欲は、自ら引き出すコトなど難関で、
それをこなし行うというコトは、今ではストレスにもなり得るのだ。
例えば学生が[宿題しなさい]などと言われているようなカンジだ。
わかりやすい説明をしたつもりだが・・・そう言えばわかるだろうか?
やりたくない、やらなくても生きていける、だから意識しないと忘れる。
だけど人間が生きている上で、[出来ないからやらない]は通じない。
やってみれば違うコトも多く、やってみれば楽しかったコトも多く、
やってみればツラかったコトも多く、やってみれば向かないコトも多く、
そして、やってみれば、すごく自分に合うコトも多いんだ。
客観的に見れるのは自分の長所で、そんな風に自分や他人を分析出来る、
それが自分に備えてもらったモノ・・・せめてもの拾いモノなのだ。
最近の表現方法は文字が多く、コトバがカラダから溢れ出している。
[絵では表現しないのかい?]と聞かれたけれど、絵はあくまでも[好きなコト]であり、
[表現]としては、あたしの中ではコトバが主流だろう。
そして、そんな中で、自分の[日記]は[フリートーク]だったと気づいたと言ったら、
先生にものすごく驚かれたのだが、事実、オモテの日記は[猫娯とぉく]というタイトルで、
サブタイトル・・・説明書きに[フリートーク]と記されていた。
過去にそれを作り出した自分が、そう意識したコトかはわからない。
故に今しているこのあたしの作業は、あたし的に何も間違っていなかった。
実はこの間に久々に、性行為に嫌悪感がなかったのだ・・・先生には話し忘れたけれど。
次のカウンセリングでは、ぜひこの話もしてみようと思う。