2008.06



323回目の病院。
2008.06.05.thu
待ち時間、2時間強くらい。
とにかくカラダ中が痛くてツラくて、待ち時間もツラいので、
時間を潰しに合間に出かけてみたり、長椅子に横になってみたりした。
診察室に入れた時には、既にぐったりしている状態で、
そのぐったりかげんと、ここ最近の疲れやストレスを、ひたすら説明した。
鬱気分がないワケではない・・・。
だけど鬱気分まで持ってしまったら、全部がツラくなってしまうから、
カラダが不調の時くらいは、どうにか気力だけで持たせている。
堕ちたら何処まで行ってしまうかわからないんだ・・・と、そう話した。
奥底に堕ちてしまうのは、もう本当に怖いから、止まれないでいるんだ。
[がんばるな]と言われても、がんばらないでいられる方法は、何処にあるというのだろう?
すべてを回避してしまい、それですごせるのならば、あたしだって逃げ倒すんだよ。
この世の中にいる限りそんなコトは出来ない仕組みになっている。
どうにも避けられないのなら、耐性をつけるしかないじゃないか。
ココロの方は、そうやってやっていける気がした。
でもカラダの方は、どうやって回避すればいいんだ?
激痛の走るカラダからは、逃げるコトが出来ないんだ、コレがあたしのイレモノだから。
痛みだけではない、日常の何かをたくさん見失っている。
生きる上での当たり前の行動が、最近ではしょっしゅう消えるんだ。
食事・トイレ・入浴・睡眠・・・いつの日にか息をするコトも忘れてしまうんじゃないだろうか?
そんな[コレ]と、どう上手く付き合えばいいのか、わからないんだよ・・・。
数々の嵐がやってきては消えていく・・・いいかげん疲れている毎日。
いつもじゃないから大丈夫とか・・・そういう次元ではなくなっている。
日々のストレスが、何処にも消えずに残っているって、どうやったら伝わりますか?
本当の堕ち切った自分でいれば、ヒトを不快にさせてしまうし、自分もどうにもツラいので、
無理を押してでも、元気にも異常にも見られようとも、気力をあげるしかないんだ。
こんな変なテンションから抜ける、何らかの方法を、お願いだから教えてクダサイ。
少しだけ薬の調整が入りました、本決まりではないので、
頓服として眠剤にデプロメール。
[合わなかったらすぐにやめてね]と言われたのだが、
現段階で眠剤自体が効いていないというのに、どう効果を感じられるか疑問だ。


323.5回目の病院。
2008.06.11.wed
カウンセリング(115回目)デス。
前回通院出来なかったので、その理由からの会話となった。
[線維筋痛症]の状態が思ったよりどんどん悪くなっているという話をして、
それに伴う通院の不自由などの話もしたのだが、
他科ならともかく、内科に2カ所も通っている現状は、本当ならありえないコトで、
その紛らわしい状況を免れるために片方の転院手続きを取ったコトと、
通院をする上での経済的なモノや肉体的なモノや精神的な苦しい状況を、
とにかく誰かにわかって欲しくて、でもコレが[理解されない病気]だというのは、
自分が1番わかっているから、そのために回避すべき行動が、
[ストレスをためない]というコトなのだが、
実際問題ストレスをためないなんて、生きている上で出来ないコトで、
カラダの調子が悪いから尚更ストレスがたまっていく・・・それが現状だ。
イラっとくる出来事や人間関係や、それをこんな調子の悪い時に、
誰がどうやって乗り越えられるというのだろう思う時がたくさんある。
それでも越えなきゃならない壁だと、たぶん誰よりも身を以て知っているのだから、
あたしの精神力は、弱いようで実は強いかもしれないと、時々そう思うんだ。
さらに最近心配なコトも増えてきた。
生活する上で大事なコトを忘れてしまう・・・。
忘れないのはスケジュール的なコトばかりで、本当に日常的なコトを忘れるのだ。
それは前回のメンタルでも話し、何故それを忘れるのかは、自分でも本当に不可解だ。
[あたし、生きていますか?]というのが最近の口癖となり、
趣味的なモノではカラダは動くのに、生活となるとてんでダメになる。
とくにそんな生活で忘れているのが[食欲]だが・・・コレは以前からあり、
モトモト食事をとるコトが[めんどくさい]と思うコドモだった。
お腹が空かないワケではない、単純に[めんどくさい]のだ。
病院内にはよく医療系の広告が貼ってあり、
とくにココロ系の病院では、自助グループの広告があるのだが、
[摂食障害]の自助グループの広告を、ここではよく目にする。
実際あたしのカウンセラさんは本来[摂食障害]が専門分野なのだが、
その広告には[食事コントロールが出来ない]というのも[摂食障害]とされていた。
・・・もしかしてあたしは[摂食障害]なのか?
そんな問いかけをずっと抱えていて、やっと今日それを尋ねたのだが、応えは曖昧だった。
[摂食障害]は・・・もっと複雑なモノなのだろうか?
[線維筋痛症]の話に戻すと、カラダの痛みを紛らわすには、動かないより気を逸らすのがいい。
たぶん黙っているのが1番ツラく、黙っているとマイナス思考になる・・・という仕組みなのだ。
そんな痛みにとっての悪影響は、それらのストレスはもちろん、悪天候や好天候などもあり、
極端というモノがたぶん1番よくないのだろうと思われるが、安定なんかたぶん難しいんだ。


324回目の病院。
2008.06.12.thu
待ち時間、1時間くらい。
前回と同じような無難な話をした。
[調子はよくない]というのは、いつも言っているコトで、
調子がいい時の方が、遥かに少ないのだから、
たいていは[大丈夫なフリ]で、すべてを乗り切っている。
カラダの痛みはおさまらず、日々の安定がなされない。
それすらも[何となく]で、すべてを乗り切っているんだ。
痛みと通院の大変さのために、2カ所の内科を1つに統合し、
その転院手続きが無事に出来たという報告もした。
最近どんどん通院疲れをしていて、
何からでもいいから、少しでもラクになりたいという、
いろいろなコトが多過ぎると思う。
ココロが軽くなったら、カラダが重くなってしまった。
治ってよかったのか、治って悪かったのか、
治らない方がよかったのか、未だによくわからないでいる。
[病]はきっと、一生あたしにつきまとうから、
たぶんコレとどうにかして付き合わなきゃならなのだろう。
最早、自分にとって、何がいいのかわからないんだよ。


324.5回目の病院。
2008.06.18.wed
カウンセリング(116回目)デス。
本日はライブの話から始まった。
カラダ中が痛いので、どうして痛いのかとかいう話。
[線維筋痛症]も確かにあるが、今のは筋肉痛デスと話した。
[線維筋痛症]については、転院の手続きがやっと取れたと報告。
ライブの話に戻ると[ライブハウスという空間が好きだ]という話になった。
コレまでずっと、自分を浄化してくれた場所だった。
別にきっと取り立てて特別な場所なんかじゃないだろう。
それでもあたしには、とてつもなく大事な場所だと話した。
[カラダの痛み]は誤摩化せる、[ココロの痛み]もきっと誤摩化せる。
だけど[ココロの痛み]は、自分で解せないのもわかっている。
[カラダの痛み]ですら、自分では解せないのだから。
今回どうしようもなくイヤな偶然があったのだという話もした。
忘れたい過去が、どうでもいいトコロからまた繋がる。
そんな逃れられない運命を、どう恨めばいいのかわからない。
恨まない方法もわからない。
過去を忘れられないようにする確認のような出来事なのだろうか?
いつまで何処までそんなモノがつきまとうのだろう?
そんな過去たちが、あたしの性的嫌悪や罪悪感に繋がっている現状。
[自己スパイラル]に陥るクセはなかなか抜けない。
それでもきっと、自分で自分を汚れているとは思ってはいけないんだろう。
自分を決めるのは自分じゃない、他の誰かでもない。
むしろ[決めつける]コトではない。
自分を決めつけるのは自分を首を絞めるだけなんだと、気づいてしまったから。
表現にもいろいろあった。
キレイ・汚い・黒い・白い・・・たぶんそんな風に極端でもない。
中間色があったっておかしくはない。
それでもね、あたしはきっと[黒い]んだと、それだけは感じているんだ。
汚くならないように、汚されないように、黒く染め上げ、ダミーにしている。
[決めつける]というカテゴリには、年齢とかもあったりして、
年齢がとかどうとかは、歳をとればとる程、周りは足下をすくわれていく。
集団心理についても話した。
環境・年齢・その他の項目も、すべては[集団心理]の中にある。
あたしはという人間は、所謂[連れション]タイプではない。
誰にも混ざらない自分がむしろ誇らしかった。
集団社会の中で[孤独]というブランドを、ヒトリぶら下げて歩いていた。
[ひきこもる]コトに何の意味もないと思い、本当の[孤独]はそこだろうと思った。
あたしは[孤独]になりたくはない、好きで[孤独]にはなりたくはない。
だからあえて集団社会に身を置いた。
その結果、あたしは[変なヒト]と称された。
あたしはきっと、そんなあたしすらも誇らしかった。
そうやって話すあたしは、きっと支離滅裂だったかもしれない。
それでもあたしはきっと、そんなあたしすらも誇らしかった。


325回目の病院。
2008.06.20.fri
待ち時間、1時間くらい。
前回からコレまでを順を追って話す・・・それがいつもの診察。
フラッシュバックがあり、
性的嫌悪があり、
ママとの諍いがあり、
ライブがあり、
お祭りがあり、
メール問題があり、
たぶん様々な日々を送っている。
ママとの衝突の中で[大丈夫?]というコトバが出てきた。
[言ってはいけないよ]と、どんなに言い聞かせても、言ってしまうママだから、
あたしがいつも折れていたし、今回もきっと最終的に折れた。
自分をどう思うかという話にもなり、
昨日のカウンセリングで話した、
[キレイ・汚い・黒い・白い]の例も挙げて話した。
汚れる・汚れない・黒い・白い・・・、
きっとそれらは自分で決めないし、やっぱり決められやしない。
あくまで[黒いモノ]を抱えていると。
そしてその恨みを実行すれば、自ら汚れていってしまうんだと。
先生もきっと何処かで偏見はあるだろうけれど、そんなのは当たり前で、
だからあたしは、先生との信頼関係を壊さないように、
あくまで患者として接するように、あたしを隠さずに話している。
メールにも振り回されたくないし、そんなつもりもないと言っても、
過去にやらかしたモノは消えてない。
それでも少しはマシになったあたしのささやかな意見に耳を傾けてもらった。
相手が怒っているかなんて、キカイ文字ではわからない。
自分が怒っているコトの方がきっとずっと大事なんだ。
それでも人間は、人間関係は切っても切れなくて、
そんなに器用には生きられなくて、
人間関係を持たずして生きるコトなど到底出来なくて、
だからぶつかり合うというコトを、何とか説明出来る程にはなった。
自傷衝動は最近では起きていない。
口内炎で歯医者にも行き、あちこちのカラダの痛みと闘い、
人間関係の如く、それらもきっと、切り捨てて生きるコトは出来ない。
つきまとうのならば、上手く付き合う方法を考えればいい。
・・・少しは上手に伝えられましたか?


325.5回目の病院。
2008.06.25.wed
カウンセリング(117回目)デス。
[壮絶な日々だった]という話から始めたので、
先生は少しながら驚きつつも、いつも通りあたしの話に耳を傾けた。
[コトバが通じない]
[会話が成立していない]
[対ヒトと話してない]
そんなヒトと[トモダチ]という関係にいた自分への驚きの事実を報告した。
相手が[相談]というモノに対して、勘違いを持っていると感じた時、
さらにはそれをどんなに説明しても伝わらなかった時、
あたしはこのヒトとはダメだと思ってしまったから、
20年間という長い歳月にピリオドを打つ決心をしたんだ。
先生がそんなあたしの話に対して、
[ヒトに使われるのはイヤだよなぁ]と言ってきたけれど、
あたしには、何だかそれが[違う]と感じたコトを正直に説明付きで話した。
[本当にあたしが必要で利用する]というのは全然構わないのだ。
[暇だからあたしを利用する]というコトがイヤだと感じた。
本気で相談を持ちかけられるのは、別に構わないんだ。
暇だから会話したいというのも、きっと構わないんだと思う。
生きるために利用されるのさえ、構わないと思った。
[暇だから動いて]と言われるから、きっと不快に感じるんだろう。
メールの重要性というモノを、先生は不思議に思っていたらしい。
あたしにとっては、メールが武器になるか防具になるか、その時の会話で変わる。
重要性を問われれば、きっと重要なモノではあるだろう。
ただ悪戯に使われるのだから、あたしは今回はダメだと思った。
[会話]のいろいろな表情という話をコトバで表現してみた。
[顔を見て話す]というのは表情が目で見える。
[電話越しに話す]のも表情は声色で聞こえる。
[筆跡を読み取る]のは何とか表情が見える。
[機械文字]からは何も表情は見えないんだ。
あたしはメールで文字を打つ時は、極力選んだコトバで話す。
そんなあたしに、そのヒトはきっと甘え信じたんだろ。
ごめんね、騙したつもりはなかったんだ。
でもキタイはずれの文章には、不満を持つあなただから、
あたしは文字の中に、あなたに合う自分を作っていた。
そんなコトにはもう疲れてしまった。
本当のあたしを無視したという、あなたの結果や責任だと思う。
・・・先生にはそう話してみたら、あたしの持つコトバの重さを、たくさん理解してもらえた。
そんなあたしが打った[生きたい]という文字の重さは、とても半端なモノではなく、
メールを打つ指がこんなにも痛く重いだなんて、本当に知らなかったんだ。
やっと大きな肩の荷は降りたんだ。
そう思えばもう大丈夫かもしれない。
この後どう整理をつければいいのか、未だわからないけれど、
20年間という現実が、あたしには本当に重かったけれど、
忘れるには時間はかかるだろうけれど、きっといつかは軽くなると思いたい。


326回目の病院。
2008.06.27.fri
待ち時間、5〜10分くらい。
先に彼氏が受付するという、いつもの方法で時間を短縮した。
今回ズルッと引きずった重い20年の歳月にピリオドを打ったコトの話をした。
それを整理して片すという行動の、伴う精神力は並大抵じゃない。
その時間をがんばり過ぎたと、先生に言われ、またヒトツ肩の荷を降ろした。
20年間もこの状態で、何も変わらないのならば、その関係はもう持たなくてもいい。
先生にさえも言ってもらえたのだ、あたしはそれを執行出来るらしい。
[自己中心的]・・・所謂[自己チュー]なんだねと、
先生があたしの目線に合わせ、優しく話してくれたから、先生のコトバはツラくはなない。
2〜3年の付き合いなら違っただろう。
20年で成長も何も見えなければ、決定的にダメだろう。
もう[距離を置く]という問題でもなくなってしまったのだ。
忘れていくにはきっと時間が要る。
でもいつか忘れていきたい。
[自分にお疲れ様と言いたい]・・・そう先生に伝えた。
[もう休んでいい]・・・と先生は言った。
人間関係に優劣はつけたくないが、大事なのは身近なヒトで、
自分が潰れてしまい、周りを潰すような関係があるのなら、
それはきっと要らなくて、近しいヒトに本当に失礼で、
だからあたしは冷静な判断をしなければといけないと、やっと気づけたんだ。
今までたぶん、たくさん間違えた。
コレからも、きっと間違えるだろう。
それでもあたしは、そんな器用で不器用な自分で生きていきたいと思うんだ。