2001.04



5回目の病院。
2001.04.06.fri

本日、通院日。
会社1週間休んでの、途中診察。
今週、起きる時間が遅めだったあたしは、今日もやっぱり寝坊。
慌てて用意して、病院へ。
着いたのは11時ちょっと過ぎ。
患者さんはほとんどいない。
この分だと、すぐ呼ばれるなと思いながら、いつも病院に持っていく本を読み始める。
待ち時間は30分もなかったと思う。
いつもは呼ばれるのを見越して、キリのいいトコロで本を読むのをやめるのだが、
今日は、つい読み入ってる時に呼ばれて、慌てて閉じて診察室へ。
まず、土曜日に仕事があって、翌日早朝3時まで仕事したコトから話し始めた。
先生、絶句(苦笑)。
そして、その日、日曜日、起きてから遊びに行ったコトを話してから、
月曜日、火曜日、不安で、泣いて、手を切ってばっかりだったコトを話した。
そこで、少し怒られた。
[それだけ働いた後は、何があっても、まず寝なきゃ。休まなきゃ]
[今、あなたに必要なのは、とにかく休息だから、休まなきゃダメなのよ]
うん、わかってます。ごめんなさい。
そして、水曜日、木曜日、そして、病院に行くまでは、それなりに調子がよかったコトも話した。
手首の傷を見た時に、先生が言った。
[あなたの手、かわいそう。あなたが、かわいそうよ?]
あたしは、この先生の話し方が好きだ。
[あたし]をあたしではない外側から見させてくれる、言い方をする。
ごめんね[あたし]。ごめんね、傷つけて。
そして、薬は以前と変わらないものを2週間分出してもらい、診察は終了。
次の通院は一応2週間後だが、[調子が悪くなったらすぐにおいで]と言われた。
そして、先週、手続きした制度により、医療費が、格段に安くなっていた。
だが、どうやら精神保険福祉法第32条ではなかったようだ。
それだとすると、自分で手続きするんだと思うし、そういう、証明書みたいのもらうんデショ?
よくはわからなないけど。
あと、今日言い忘れたコト。
[何もしていないと不安でたまらなくなる]と言うコト。
休むに休めなかった。
だから、何かしていたくて、何も手につかなくて、不安でリスカした。
ひょっとして重要なコトだったかもしれないのに、話すのを忘れた。
とりあえず、来週はまた会社だけど、2週間は、無事でいたい。
そして、親が来る日は、通院日ではなくなった。
でも、手首は・・・リスカはバレちゃうんだろうな。
きっと隠し通せない。もう、こんなにも目立つから。
そんなコトを考えながら、病院を出た後、天気がよかったので、そのまま散歩に出かけた。


6回目の病院。
2001.04.10.tue

本日、急遽、病院に駆け込んだ。
眩暈・頭痛・呼吸困難・動悸等、昨日ひどかったからである。
昨夜、帰宅したのは午前3時。
オーバーワークである。
家に着いた頃にはもう、生きる気力なんてなかった。
ただ、眠りたい。
眠ったまま、目なんか覚めなくてもいい。
そういう精神状態だった。
翌日、精神状態はさほど変わらず。
コレは病院に行った方がいいと、さすがのあたしも思った。
もちろん今日は通院日ではない。
ホントに、駆け込み状態だった。
病院についた頃はまだ、動悸も激しかった。
待合室で隣に座ってるお姉さんに[大丈夫ですか?]と声をかけられた。
あたしはヒト見知りが激しい。
なんとかかろうじて小さい声で[大丈夫デス]と答える。
とりあえず、落ち着こうと、本を読んだ。必死で。
待ち時間は1時間半程。
名前を呼ばれて、診察室へ。
多分、今までで一番、不安定な精神状態できたのだろう。
とりあえず、泣きたいキモチをこらえながら状態を説明した。
原因は、生活のリズムの浮き沈みが激しいとこだろうとのコト。
本当に長期休暇を取らないと治らない、というようなコトを言われた。
一度親元に帰って様子見た方がいいとも言われた。
反論はできなかったが、あたしは、親元には帰りたくない。
あたしと親は、離れていてこそ上手くいってるが、近くにいるとケンカしかしない。
親が原因で手首を切るコトとさえある。
原因と一緒には暮らしたくないのが正直なキモチだ。
[それだけは無理デス]というコトだけは、告げた。
[親と会社と話し合いが必要だと思う]という先生のコトバはよくわかる。
自分が逃げているのもよくわかるし、どうせかわらないと諦めている自分もいる。
しかし、本当にもう、解決策が見えない。
やはり、会社を変えるべきなのだろうかとも、思わなくもない。
・・・しかし、現実問題として、生活しなきゃいけないコトを考えると、むずかしいのである。
そして、何とか、このままの現状で、あたしは、治りたい。
全てを変えるでなく、このまま強くなりたい。
薬は、1つ増やされた。ワイパックス0.5mg。
それから[親には手首切ってるコトは話した?]と聞かれ、まだ話してないと答える。
今日、会社でコレを打っている今、母親があたしの家に来ている。
隠し通せるような手首ではない。
全て話さなきゃいけない。
少し、怖いけど。
明日、また、今度は親と病院に行くコトを先生に約束させられた。


7回目の病院。
2001.04.11.wed

そして、今日は母親と病院へ。
母親には、前日の夜、すべてを話した。
もちろん、リスカに至まで。
反応は、さすがあたしの母親というか、予想通りだった。
すべての話を聞いた上で、[あんたがあんた自身一番どうすべきか考えてしなさい]と。
このヒトの、こういうトコロは、すごく信頼できる。
とりあえず、稚内への強制送還は、この時点ではまぬがれた。
[どうせ帰る気ないんデショ?]の一言で。
そういえば、驚いたコトに、あたしがかかっている先生は、
昔、母親が通っていた神経科の先生をやっていて、母親もかかっていたそうだ。
10年程かかっていたので、きっと覚えているだろうと、親子ともども少々浮かれ気味で、病院へ。
待ち時間は約1時間半。
母親は先生の顔を見るなり、懐かしんでおりました。
いざ診察室へ。
なんだか、今日は、親子で診察というより、母親と先生のご対面がメインになってしまった。
雑談ばかりしていてはいけない、と気を取り直して、診察。
あたしの、状態の説明から始まった。
鬱症状の説明。できれば親元に戻った方がいいのではないかというコト。
そして、それは、あたしと母親によって、話はなくなった。
帰っても治らないと判断したコト、札幌にいたいというコト。
理由はそれ。
結局、結論として、無理のない時間の範囲で仕事をするコトの交渉をしようというコトに落ち着いた。
[なんならお母さんも会社に行って社長さんとお話してきてクダサイ]という話にもなった。
後に、それは必要なくなったが。
約束されられたコト。
切りそうになったり、鬱になった時は、親なり誰かに電話するコト。
母親が来て、いろいろ話して、キモチがラクになったのは確かだから。
本日は診察のみで終了。
結果として、行ってよかったと、ホントに思う。
あと、精神保険福祉法第32条。
やっぱり、あれはそうらしい。母親の話だと。
実は母親もその手続きをしていて、一時期は医療費ただだったらしいし。
よくわからない制度だね、精神保険福祉法第32条。


8回目の病院。
2001.04.20.fri

本日、雪が降る中、病院に向かった。
寒くて、病院までの道のりが長く感じた。
病院に着いて、待ち時間は1時間くらい。
その間に、今まで待ち時間に読んでいた本を読み終えてしまった。
読んでいたのは南条あやの[卒業まで死にません]。
コレは、ホント、読んでて、楽しくて、悲しくて、いろいろ考えらされた。
次からは銀色夏生のつれづれノートシリーズでも読もうかな。
名前を呼ばれて診察室へ。
まず、今週はそれ程、大きな波はあったようなないような感じだと言うコトを伝えた。
それから伝えたコトは、
親が帰って、友達と別れて、急に1人になったりした瞬間がダメになると言うコト。
元彼(先生には友達と言ったが)とのいざこざで、オーバードーズとリスカをしたコト。
目眩、眠気が常時ひどいコト。
目眩と眠気は鬱のせいデショウと判断された。
オーバードーズとリスカは危険なので、通院が1週間に1回になりそうな気配。
2週間分の薬を出すのが怖いと言われてしまった。
薬は、ワイパックスが、今回正式に追加された。
帰り際、[今日はいつもより表情が軽いわね]と言われた。
あたし、いつも、どんな顔して診察受けてるんだろうか・・・。


9回目の病院。
2001.04.27.fri

本日は、患者さんも少なく、待ち時間は10〜15分くらい。
待ち時間に読んでいた本は銀色夏生の[つれづれノーと]。
ほんの少し読んで、すぐに診察室へ。
今日はまず、84本切ったあの夜のコトを話した。
先生はひたすら、[休みなさい、とにかく]と、もうそればかりだった。
ホントに、必要なんだろうなと思う。
そう、思われてるんだろうなと思う。
[休め]という先生と、[休んでいい]と言いながら休ませてくれない会社との間で、
いったいあたしは、どうすればいいのかわからなくなってきた。
休めるなら、休みたいのは、あたしが一番思っている。
とにかく気の毒そうに、あたしの話を、先生はしきりに聞きながら処方箋を書いていた。
それから、生理がこないコトを告げた。
鬱による、ホルモンのバランスが崩れているせいデショウと言われた。
どうしても、こなかったら、婦人科で診てもらおうね、と先生は言った。
そして、薬の話になり、[やはり2週間分出すのは怖い]と言われるが、
次の週はGW重なるので、やむを得ず、2週間分処方してくれるコトになった。
何より、[オーバードーズはしないコト]を約束した上で。
リスカについては、ホントに対処のしようがないという感じで、先生も困り果てていた。
ごめんなさい、先生。
でも、コレが精神科での現状なのかなと思ってみたりもした。