colony

連作『colony』のここまでのこと


 この『colony』という連作をはじめるにあたり、その構想を書きとめた1997年のノートに僕は、微細な細胞の組織=colonyにおける新陳代謝から、人間の集合=colonyにおける死と誕生までを貫く、生き延びる原理としての「接着」と「交換」について書いた*1。「個が連合する力」を「接着」の、「死を誕生に置き換える力」を「交換」の、それぞれ含意として。これにさきだつ連作『治癒』においても僕は、あらかじめ過剰な意味をまとわざるをえない家族=colonyについての「接着」と「交換」のありようを、そういった原理的なレベルで作品に定着させたいと願ってきたのだったし(*2)、その一方で、余分な感情移入とは無縁に「接着」と「交換」をいとなむ蟻や蜂などの昆虫の巣=colonyのようなものに、よりいっそう強くひきつけられてきたのだった。
 僕が大量の人名をこの連作の主要なモティーフとして定め、現実の人間とその集合=colonyが主題であることをいかにもあからさまなかたちで示すことを決めたのは、そうして細胞とその組織のように眺めるにせよ、蟻や蜂とその巣のように眺めるにせよ、最後は人間とその集合=colonyの「接着」と「交換」のこととしてこのあらたな連作を収斂しうる立点に、僕自身を縛っておくべきだと考えたからだ。それは、情緒的な位相での家族=colonyや観念的な空間での生き物の集合=colonyに再びシフトできるみちすじを遮断しておくことによって、しばしば湿度のある地点への着地を余儀なくされた前作『治癒』の構えから、わずかでも乾いた地点へジャンプしうる構えを、僕なりに明瞭にかたちづくることだっただろうと思う。
 それまで多くは観念的であったかもしれない「接着」の叙述は、さまざまな大きさに束ねられる人名によって、家族やクラスや社会や民族などの現実的な個人とその集合へと翻訳されるだろう。同じくそれまで多くは抽象的であったかもしれない「交換」の写像は、さまざまな扱いで示される人名によって、死体や新生児や疾病や治癒などの具体的な死と生の場面へと上書きされるだろう。そもそも人名そのものが、個性やアイデンティティについての現実的で具体的な何ごとかを想起させずにはおかないだろうし、美術という枠組みのなかでみつめられる人名が、ありていの個人主義や死生観といったものを脱臼させるツールとして機能しうることを前提することにもなるだろう。構想ノートでめざされたこれらの素描はしかし、そのようになりつつあるともいえるし、そのようにはならなかったともいえるように思う。
 受け手にむけて差しだそうとする美術作品が、どんな意味の枝葉をつけたどんなかたちの樹木であるかをいいあてることは、その作り手といえどもそう簡単ではないだろう。作り手が企図する意味の枝葉が、作品という若い苗木の最初のかたちは描くのだとしても、それがそのままの相似態として成長するわけではなく、つづいて多くの受け手がつけ加えることになる膨大で多様な枝葉の重量と偏りにとよって、その後の樹木の幹の傾きと成熟の多くが決まるのだとすれば。とくに連作のように継時的なやりかたでおこなわれる受け手との共同作業において作り手のなしうることは、どんな種類の苗木を選ぶのかということと、その苗木が多くの受け手にたすけられながら枯れずに繁っていけるような構造を準備することとに尽きるのだと僕には思える。
 最初の構想ノートに書きとめられたこの連作のあらまし、僕自身が準備した苗木の輪郭を、受け手によって枝葉をつけ加えられながら繁り3本目の年輪を刻み終えたこの樹木の輪郭に重ねるなら、そこにもまた、異なる樹木ででもあるかのように大きくズレた二重の線が現れるはずだ。大量の人名を非個性的な偏りで並置するような「接着」の提示によって、個人がその集合のなかで埋没するありようの全体主義的な描写を僕がこの連作にむけ企てたとは思わないが、それは受け手から多くは違和感としてそう表明され、そういう枝葉をのばしてきた。やはり大量の人名を死への傾きのなかに流し込むような「交換」の提示によって、戦争やイデオロギーなどのことさらに政治的な文脈や極端なおぞましさを僕がこの連作に導こうとしたとは思わないが、それは受け手により時にそのように読まれ、この連作の重要な新芽になりつつある。こういったズレやシルエットの乱れを剪定する欲望が僕に起こらないわけではないが、それができないのは、切り落とし回収することになるはずの意味の枝葉を捨てる気になれないからだし、なにより受け手の深いまなざしによって拡げられたはずのこれらのズレを誇らしいと思うからだ。

*1)「アートみやぎ」(2000/1/22/p.36) [連作『治癒』から連作『colony』へ] 展覧会図録/テクスト/作間敏宏
*2)「うつせみ」(1995/1/15) [現代の横顔5/治癒あるいは光の連なり] テクスト/作間敏宏

2001年1月
作間敏宏