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「ART NET」(1997/1) [作間敏宏『治癒』] 展覧会評/室井絵里(美術評論)


 作間敏宏の治癒シリーズは、1993年から現在に至る。NY留学後「面倒だと避けてとおっていた家族や親戚との日常生活をていねいに見直すことからはじまった」というこのシリーズには一貫して「電球」が使われている。
最初は彼じしんの家族や一族を象徴する家系図が壁一面にはりめぐらされているという、静謐な空間を作り出していた。
 今回の谷中での作品には「表札」が使用されている。(ちなみにわが家の表札も登場しているが)表札をそれぞれの家庭から借りることに苦労したということだが、それを借りる時にそのそれぞれの家庭の物語を必ず人が語ることが面白かったという。
 様々な表札にあらわれた、それぞれの人の人生--単純だが暗い空間にまるで夕暮れ時の薄明りの中に「表札」が浮かび上がったような--その空間にたたずんでいると、様々な声が聞こえてくるような気持がする。
 作間の空間にここのところ使われているのはいずれも電球だ。
 それは壁にはりめぐらされたり、空間に様々な形で置かれたり、古い家具の中に入っていたり、ビニールハウスの中に植物のように植えられたり、家紋をつけた壷につめこまれたりしていた。
 いずれも人間の魂や、同潤会アパートでの部屋に生め尽くされた空間では逆にその部屋の主の不在「死」を強烈に感じさせるものである。また一方家具につめこまれた電球は、そのまま魂というよりも何かその物に関わった人々の記憶や声が感じさせるものでもある。
 今回の表札を使った空間は、表札が普通外部との接点である玄関にあるということもあるだろうが、直接的に「魂」や「生命」を象徴するということと、後者の記憶や声を象徴するという要素の両方を兼ねたものであると思う。静謐さと、ざわざわした声が聞こえてくるような反対の意味をもったイメージが同時に存在しているのだ。そして、その表札を囲む空気の匂いまでもがそこには存在する。
 生と死が同時に、一続きの、あるいは、互いを包みこむような形で存在しているのではないか、そんなことを感じさせてくれる。それはこのシリーズがもっていた重要なテーマでもあるだろうが、ここに一つの完成をみた思いがする。

 アートフォーラム谷中には、JR日暮里南口で降りて谷中墓地を散歩しながら行くことをぜひすすめます。