colony

「KITCHEN CHIMERA」(1992/Vol.1/p.5) [アフリカの夢] テクスト/作間敏宏


とても疲れてナイロビに着いたようだ。どうやって空港から出たのかも覚えていないのに、気がつくと純郎君と朝食を食べていた。テーブルで向かいあって、二人とも何も話さずにトーストと目玉焼きを食べた。それから一緒に出かけ、待ちあわせた純郎君の男友達二人と合流する。四人で小道を河のほうへ歩いていく。僕はその二人とだけ話をしていた。橋を渡ろうとする途中、沼のようでもある遥か下のその河の水の中に、なにかが無数に動いているのが見える。よく見ると、乳白色のゼリー状のねばりけのある液体の中で、ワニに似た数えきれない数の白っぽい動物が黒人たちといりみだれて遊んでいるところだった。動物たちも黒人たちも笑っている。あの中に入ってみたいと思うと同時に、以前あそこに入ったことがあるような気がした。ケニヤの通貨をまったく持っていないのを思いだし、純郎君についてきてもらって、彼の家のすぐ裏の空港まで両替にいく。純郎君はいろいろとたすけてくれるのだが、全然話をしてないし、考えてみるとまだ顔も見てないので、彼が本当に純郎君なのかどうかわからなくなっている。もしかすると僕なのかもしれない。

ケニヤ行きを後半に控えていたせいだろうか、スペインの夢をみるかわりに、出発の数日前になって僕はこんな夢をみた。はじめはセビリャ万国博で作品を展示するのにスペインに行くだけの予定が、ついでというにはいかにも遠すぎる東アフリカまで足をのばすことを後になって僕が決めたのは、夢にも登場する友人の鈴木純郎君が仕事でナイロビに滞在しているのを知ったから。正直言えば、そう決めてからの僕はキリンやライオンが頭の中をウロチョロするような日々を過ごしていたのだから、覚えていないだけであと何度か同じような夢をみているはずだと確信しているのだが....。 セビリャ万国博での仕事は、会場である日本館にこもって、淡々と毎日が過ぎてしまったという印象。僕が出品した第5室「SCIENCE ART EXHIBITION」 には他に、石井勢津子氏、岩井俊雄氏、佐藤慶次郎氏、原口美喜麿氏、松村泰三氏が、現代的なテクノロジーを援用した作品を集めていた。石井氏は、日本文字と竹や植物をモチーフにしたホログラムのインスタレーションを、岩井氏はアトラクティヴなアニメーション装置を、佐藤氏は振動を音楽的なイメージの動きへと昇華させる立体造形を、原口氏はオーロラ状の幻想的な光の彫刻を、松村氏は点滅する光の軌跡のジオメトリカルな映像装置を、そして僕はアニミスティックな動きの光る原生物たちが踊る作品を、それぞれ出品した。

万国博全体については会場が広いということ以外に特筆すべきことがみつからない。それは他のほとんどのパビリオンが未完成で観れなかったことと、初めて訪れたスペインのあれこれのほうが、無国籍な空間である万国博よりも残念ながらずっと印象深かったということのせいだろう。ただ、それとは別に、見てもいないものを見たように感じてしまうという僕の良くない性向のせいでもあるとはいえ、(僕にとってこれが初めて見る万国博であるのに)その会場風景を眺めながらの行き帰りのタクシーの中で、「あの」いつもの無邪気さがやはりここにもあるという退屈を僕が味わうことがあった、そのせいでもあるだろうが....。

3月末のナイロビはちょうど雨季にはいったところだったが、僕の滞在中はほとんど晴れていた。赤道直下なのに湿度が低いせいで暑いけれど爽やかな、少々ホコリっぽい避暑地といった印象。見聞するほとんどのものが驚きなのだが、それらがひとつひとつ身体にも精神にも快く響いてくるというような感触で、なかでも、ナマのキリンだけは見なければというので連れていってもらったマサイ・マラのサファリ・キャンプでの3日間は、その意味で確実に何年か寿命が延びたという感じ(野生のキリンは本当に美しかった)。柄にもなくつい饒舌な躁状態に入ってしまうことがあって、随分久しぶりに子供じみた気分になったのも、旅の楽しさゆえというよりは、この土地の自然や文化に感じることのあった強い治癒力のようなものに僕が知らずに癒されていたせいだろう。出発前にでてきた持病のぜんそくがおさまったり調子を崩していた胃や腸が治ったりという身体の癒えもあって、なにか僕自身が荒々しく野性をとりもどしてゆく思いさえあった。

ただそういった楽しい思い込みとは少し違った方面で、僕は自分の欺瞞と脆弱さとをまたひとつみつけたという気にもなっていた。市場などでおおぜいの黒人の人たちから囲まれるようにしているときなどに、湧き上がってくる戦慄と侮蔑の感情をどうすることもできなかったことや、あらゆる場所で受ける人種と貧富ゆえの特別扱いに、居心地の悪さとともにひそかに優越感を覚えるようであったことなどは、たとえば肌の色の違いなど本質的なものではないという類の理性、僕にとって自明であるはずの思考上の命題のひとつを、そういう場面ごとに身体に拒絶させるかたちで脅かしていたのだといえる。半ば快い驚きでもあったそれらたくさんの経験のそれぞれが、僕の対応のひとつひとつを評定し修正を求めてくるようで、ある種類の人間として認知されようとしてそれに都合のいいように選び積み上げてきたのかもしれない価値判断の公式や、あらかじめ固定してしまっているのかもしれない自分にふさわしい人格のモデルといったものが、いかにも弱々しく見えて立ち合い負けをしているといったことがあった。それでも僕が決して苦い印象でなくある種の爽快さでそのことを受けとめられたのは、やはりこの土地が楽天的な治癒力に満ちているせいなのかもしれない。

思えばこの感触は夢のものだ。ケニヤにいるあいだじゅう僕は純郎君にすばらしいという意味の「夢のようだ」を連発して笑われていたけれども、本来の欲求を歪曲し修正しながら形成せざるをえない社会的な存在としての人間の、自覚的な意識が提出する現実的なヴィジョンに対し、豊かな象徴や比喩によりそれを突き崩しずらすというやりかたで、睡眠中に精神の外傷や疲労を癒してゆくのが夢の治癒力だとすれば、ケニヤで過ごした時間はまさしく僕にとって夢の時間と同じ効力をもっていたといっていい。冒頭の、出発前にみた夢のような場面はもちろん実際にはなかったわけで、残念ながら予知夢とはいかなかったけれども(ワニは口を開いてじっとしていると笑っているように見えたが。ケニヤの人たちは実際もよく笑っていた)、そのかわりに、謎めいた気配と不思議な穏やかさとが織り込まれたあの夢が、僕のアフリカ体験のなかなか優れたイントロになっていたのは幸運だったように思える。黒人(野性)とワニ(暴力)が、生命の源であるようなスープの中でのびやかに戯れている、そして橋を渡ってどこか新しい場所へ行こうとしている僕はその様子をうらやましくなつかしく穏やかな思いで眺めている、というふうに読み解きながらこの夢を受けとめようとする、それと同じ気分が、アフリカにいるあいだじゅう僕に残っているようだったから....。