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| 1792年 | 3月7日スラウのオブザヴァトリー・ハウスに生まれる。父ウィリアム55歳、母メアリー42歳のときの子。幼少時は叔母カロラインにも教育を受けた。 | 
| 1813年 | ケンブリッジ大学セントジョーンズカレッジを卒業。数学・天体学・化学・法律・写真術に関心を持つ。 | 
| 1824年 | 半年間に渡って親友チャールズ・バベッジとともにフランス、スイス、イタリアを旅行。多くの高名な科学者の知己を得る。 | 
| 1827年 | 1820年にジョン自ら中心になって設立した王立天文協会会長に就任。 | 
| 1829年 | マーガレット・ブローディ・スチュワートと結婚。 | 
| 1830年 | 「自然哲学入門」出版。 | 
| 1831年 | 保守派と革新派が対立した王立協会会長選挙に、改革派を代表して立候補し僅差で落選。ナイトに叙せられる。 | 
| 1834年 | 1月16日、家族を連れてケープタウンに到着。1838年までに1,707個の星雲・星団カタログ、2,102個の二重星カタログを含む南天の星図を作成。喜望峰王立天文台台長トーマス・マクリアとの共同研究、研究航海途中のチャールズ・ダーウィンの来訪など、幅広い交際を持った。 | 
| 1835年 | 回帰したハレー彗星を観測。 | 
| 1838年 | 5月15日に帰国。以後は健康上の理由で天体観測は行えず、著作活動に勉める。写真術の研究に取り組む。 | 
| 1847年 | 「1834ー38年のあいだに喜望峰でなされた天文学的観測の結果」出版。 | 
| 1849年 | 「天文学概要」出版。 | 
| 1850年 | 造幣局長官に指名される。(1855年に退任)。 | 
| 1871年 | 5月11日に死去、19日に国葬級の葬儀が行われ、ウエストミンスター寺院に埋葬。 | 
 John Frederick Herschel (1792-1871)
 John Frederick Herschel (1792-1871)