| 洞泉寺町にあり、霞渓山と号し、浄土宗知恩院末。洞泉寺はもと三河国挙母(ころも)に」あったが、天正9年(1581)僧宝誉によって大和国長安寺村に建立された。それを天正13年豊臣秀長の時に現地に移したものである。慶長5年(1600)関ケ原の戦いにより、廃城となった郡山城を預かった大久保長安は、洞泉寺境内の地子三石四升を許している。元和元年(1615)7月水野勝成が郡山城に入部するが、廃城同様になっていたので、勝成自身はしばらく洞泉寺に仮住まいしていた。現本堂は桁行17.15m、梁間15.13m、入母屋造り、本瓦葺き。万治2年(1659〉の建築である。本尊木造阿弥陀如来と両脇侍立像三謳は重要文化財となっている。嘉永7年(1854)の地震で、寺の門が倒懐している。地蔵堂安置の石造地蔵菩薩像(あかかき地蔵)と湯船は別項参照。(ふるさと歴史事典) | |