発志禅院(はっしぜんいん )  矢田町  所在地  

矢田町にある。黄檗宗。郡山城主・本多忠常が、宝永6年(1709)4月17日享年49歳で没し、嗣子本多忠直が永代供養のため、菩提所の創建を、奈良二名町王竜寺住職古篆(こてん)に依頼Lた。古篆は方丈・庫裡・北門を建て、のち本堂・山門などを造立したが、新たな寺号をつげることが許されていなかった。しかし以前平群郡推木村に創建されて、のち郡山柳六丁目に移建されていた黄檗宗発志院の住持真求が、真言宗に転向して松栄寺と改めたとき、古篆がその発志院の寺号を預かっていたのを幸いに、新築の菩提所の寺号を発志院としたのがはじまりである。忠直は永代燈明料10石、僧料30俵を毎年、寺に納め、子孫繁栄の祈願所としていたが、本多家は5代39年で断絶し、そのあと郡山城主となった柳澤家の家臣で、この寺に墓所を求める者が多く、天保9年(1838)より弘化3年(1846)にわたり庫裡・本堂を改築し現在に至っている。市指定文化財「歌ケ崎御廟」の管理寺でもある。墓地には、柳澤里恭・城戸公賢・城戸駒嶽・杉山童水・谷口元淡・田島担右斉等の墓がある。(ふるさと歴史事典)

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