| 正徳5年(1715) |
5・14生田伝八郎、同輩を切り殺して逐電、のち11月5日西成郡浜村の崇禅寺馬場で返討あり。 |
| 享保2年(1717) |
1・4南都破石町の大火(130〜140軒焼失)に小泉藩活躍する。5・8本多忠直没(45歳)。5・22画僧古かん没(68歳)。6・27本多忠村、遺領をつぎ郡山藩主となる。発志院、矢田村に移転する |
| 享保3年(1718) |
11このころ郡山城下飢人2000人 |
| 享保4年(1719) |
源九郎稲荷、現在地に鎮座 |
| 享保7年(1722) |
9.30本多忠村没(11または13歳)、弟本多忠烈跡をつぐ(5万石)家中縮小。 |
| 享保8年(1723) |
11・27本多忠烈没し(8歳)、本多家断絶。 |
| 享保9年(1724) |
2・18丹波国篠山城主松平信峯郡山城受取、在番す。3・31柳澤吉里、甲府より郡山城主に封ぜられる(15万石余)。8・13吉里、郡山入部。このころ家臣横田又兵衛、玩弄物として金魚を飼育するという。 |
| 享保10年(1725) |
5・13大雨、領民5〜6000人免乞する。30人余入牢。柳里恭随筆『ひとりね』成る。 |
| 享保11年(1726) |
3・12狂歌集『春駒』の著老藤本由己没(80歳)。 |
| 享保15年(1730) |
12.15郡山藩財政切抜策として再び銀札を発行する。 |
| 享保16年(1731) |
郡山藩政道粛正のため「御掟書」を公布する。 |
| 享保17年(1732) |
5・11キリシタン同然きわ没(84歳)。 |
| 享保18年(1733) |
6・21郡山藩家老武田阿波処刑される。大飢饉領内18,911人飢人。 |
| 享保19年(1734) |
10紺屋株組合規約「覚」なる。 |
| 元文1年(1736) |
「大曇寺堤」(『敵討襤褸錦」)大坂竹本座で初演。 |
| 寛保1年(1741) |
4・1片桐貞起没(73歳)。5・25片桐貞音、遺領を継ぎ小泉5代藩主となる |