| 寛永5年(1628) |
12・2郡山城下町の公用伝馬23疋再確認される。 |
| 寛永9年(1632) |
片桐貞昌、2代将軍秀忠死去のさい芝増上寺の警固役をつとめる。 |
| 寛永10年(1633) |
6貞昌、知恩院普請奉行として再建に尽力する。 |
| 寛永12年(1635) |
11・7荒木又右衛門、伊賀越の仇討。 |
| 寛永15年(1638) |
1・14島原の乱にさいし、片桐貞昌、島原城主松倉氏見舞のため家臣を遺す。 |
| 寛永16年(1639) |
8・1片桐孝利(且元の子)死去、弟為之、遺領1万石をつぎ竜田藩をつくる。3・3松平忠明、姫路(15万石)に移封。5・5本多政勝郡山城主に封ぜられる。次男勝行部屋住料として4万石併せて19万石をうる。 |
| 寛永19年(1642) |
7片桐貞昌、関東郡奉行とな:る。 |
| 正保1年(1644) |
郡山藩幕命により国絵図作成する。 |
| 正保2年(1645) |
8・23郡山城に本多政勝茶会を催す。小堀遠州ら招かれる。r毛吹草』に「郡山繰綿」の名あらわる。 |
| 正保3年(1646) |
春、池田正式『古保里山』をあらわし、松江重頼の『毛吹草』を批判す。 |
| 正保4年(1647) |
このころ赤膚焼創始される |
| 慶安2年(1649) |
外箱本制度はじまる。6・13都筑云成没(68歳)。 |
| 慶安3年(1650) |
6・11本多勝行没(16歳)。遺領のうち、3万石は政長がつぎ、1万石は政信がつぐ。10片桐貞昌、伊勢・美濃の水損地を検する。 |
| 承応2年(1653) |
杉村移転する。 |
| 明暦2年(1656) |
8松永貞室生まれる。 |
| 万治2年(1659) |
2郡山の住人山田正重、和算書r改算記』を刊行。 |
| 万治3年(1660) |
10片桐貞昌、東海・五畿内洪水地の巡見を命ぜらる。 |
| 寛文2年(1662) |
4・20本多政信没(29歳)。6・13忠英養子となり遺領1万石をつぐ。 |
| 寛文3年(1663) |
9・25片桐貞昌、父の菩提のために慈光院を創建す。 |
| 寛文5年(1665) |
11・8片桐貞昌、4代将軍家綱に数寄屋で点茶の茶匠となる |