お断り:この物語はフィクションです。私「ゆきお」が加筆編集しておりますm(_ _)m

矢田地蔵縁起(やたじぞうえんぎ)伝説
平安初期のことじゃ、大和郡山の矢田寺に住む僧満慶は参議小野篁(たかむら)と師弟の間柄であったそうな。

小野篁は朝廷に仕えていながら、魂は閣魔王宮に遊ぶことの出来る人であったらしいのじゃ。
ある日閣魔大王が篁に、これからの世の衆生は罪が重く、その罪がかえってわが身を苦しめると嘆いた時、閣魔大王の家来が、菩薩戒を受けるようにすすめたんじゃ。
篁はそれなら、わが師に成業純浄の人がいると、満慶を閣魔大王の所へ連れて行ったそうな。

満慶に菩薩戒を受けた閣魔王はお礼に、何かよいものを差し上げようと言ったところ、満慶は地獄の苦しみを見せて欲しいと言って、阿鼻城に行って、数々の受苦の衆生を見たそうな。

その中で、民衆にかわって地獄の責め苦を受けている地蔵菩蔵に会ったんじゃ。

その地蔵菩薩は、無縁の民衆を救うことはできないので、帰ったら地蔵菩薩を安置して、われと縁を結ぱせるようにと満慶に教えたそうな。

満慶は地獄から帰る際に漆塗りの箱を1つもらって帰ったが、その箱の中には米が入っていて満慶がいくら取り出しても、いつの間にか箱一杯に米が満ちていたので、それ以来人々は満慶を満米上人と尊称するようになったんじゃ。

ところで、寺に帰った満慶は、仏師を呼んで地蔵菩薩像を刻ませたが、どうしても地獄で出会った地蔵菩薩の姿を彫ることができなかったそうな。

ところがある日、4人の翁が現われて、満慶が地獄で見たのとそっくりの地蔵菩薩像を彫りあげた。その4人の翁とは、実は春日四杜明神であったということじゃ。

今も残る本尊はその地蔵菩薩であるという事じゃ。

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