お断り:この物語はフィクションです。私「ゆきお」が加筆編集しておりますm(_ _)m

矢落明神(やおちみょうじん)伝説
大和郡山の矢田にはな、矢田坐久志玉比古神杜と言う神社があるのじゃが、この神社はな、別の名を矢落明神とも言うのじゃ。

言い伝えにこんな話があるんじゃ。
昔、神武天皇が長髄彦と戦ったときに、天皇方が生駒の山上から東の方に向かって弓を射たそうな。

その2番目の矢の落ちた所が矢田坐久志玉比古神杜であると伝えられているそうな。

また別の話もあってな、饒速日命が、天磐船に乗って降臨した際、3本の矢を射て、その矢の落ちた所を住まいと定めることにしたという事じゃ。

3本の矢は皆矢田に落ち、2つめの矢の落ちたところに宮を造られたのが、この神杜であるといわれているんじゃ。

神杜の境内に、二の矢塚と称する小塚があるじゃろ。

ちなみに一の矢塚は総合公園の東がわと沖台川西の間の田んぼの中にあって、三の矢塚は北村公民館の東がわにある邪馬台国発祥の地にあるんじゃ。

戻る