お断り:この物語はフィクションです。私「ゆきお」が加筆編集しておりますm(_ _)m

艶塚地蔵(つやづかじぞう)伝説
大和郡山本多家の家老松下将監平憲は、江戸屋敷の出入商人の奉公人であった艶という美女と恋仲になったそうな。帰国の時は連れて帰ると出来もしない口約束をしたそうな。

やがて将監は帰国することになったんじゃが、艶は約束どおりお供したいと言い出した。国元へ帰れば妻がいる将監は困り果てて、親元へ暇乞いしてくるようにと艶を実家に帰らせておいて、その間に国元へ出発してしまったんじゃ。

江戸に戻った艶は驚いて、将監のあとを追ったんじゃが、女一人で関所を通るのはそれはそれは厳しい時代じゃったから、通行は許されんかった。

艶は、悲しみ、嘆いて、気が狂うように近くの湖水に身を投げたんじゃ、やがてその姿は白蛇となって南の空へとんでいったそうな。

白蛇は、やっとの思いで浜松の宿で将監に追いつき、その肌に巻きついて離れなかったとか。

命からがら大和郡山に逃げ帰った将監から一部姶終を聞いた妻は、このようになった上は仏門に入り主人の延命を祈願し、艶の菩提を弔いたいと申し出たそうな。

そして直ちに七条村円満寺で尼となって、名を貞祥(勝)院元明月桂尼と改め一心に祈願したんじゃ。

流石の白蛇も将監の肌から離れたので、将監は一時、快くなったが、結局、宝永2年(1705)6月に世を去ったそうな。

月桂尼は正徳5年(1715)鳥見谷二名村(奈良市二名町)の瑞宝山三松寺を現在地(奈良市七条町)に移し、境内に白蛇の骸を埋めて石地蔵を建立したそうな。

これが艶塚地蔵で霊験あらたかとして参詣者が絶えなかったという。

月桂尼は享保10年(1725)7月に亡くなり、その墓は「開基さんの墓」として祀られているそうな。

しかし、なんじゃな。白蛇の執念は凄いが、この主人の浮気相手をねんごろに弔い、怨念をおさめようとした妻は偉いもんじゃな。

戻る