お断り:この物語はフィクションです。私「ゆきお」が加筆編集しておりますm(_ _)m

玉菊灯篭(たまぎくとうろう)伝説
むかし、大和郡山、奈良町の大工の息子弥吉は父がなくなった後、江戸神田の大工棟梁の内弟子となり、修業を積んで一人前の大工となったそうな。

ある夜、母の夢を見て何か不吉なことが起ったかと心配し、親方に暇をもらって大和郡山へ帰ることになったそうな。

10年間の賃金や祝儀、饒別などあわせて200両をふところに国元へと旅立ったんじゃが、その前に一度吉原を見ておこうと、吉原の中万字棲へ登楼したそうな。
弥吉は相方(あいかた)の玉菊太夫に一目惚れし、10日も居続けて200両の金を使い果たしてしまったんじゃ。

ふとわれに返った弥吉は後悔したが、お前が大好きじゃったから仕方なかったと玉菊に打ち明けたんじゃな。同情した玉菊は金を調達してやり、末は夫婦になると固い約束をして送り出したそうな。

無事大和郡山に帰った弥吉は、母の元気な顔を見て安心して、江戸風の家を建ててやったんじゃが、江戸でなうての職人に育った弥吉が建てたんじゃ、これが町内の評判にならないわけがなく、注文が殺到し、藩主本多忠村から郡山城改修を命じられるまでになったそうな。

弥吉の母は弥吉に嫁をとらせようと、しきりにすすめたんじゃが、弥吉は玉菊との夫婦約束をしていたので断り続けたんじゃ。
思い余った母は弥吉が死んだと偽りの手紙を玉菊に送ったそうな。

驚いた玉菊は江戸を発ち、あわれな姿になって苦労の末、大和郡山にたどり着いたんじゃが、母は弥吉が所用で大坂へ出ていて留守を幸いに、玉菊を菩提寺の雲幻寺へ案内し他人の墓標を弥吉のものと偽って見せたんじゃ。墓の前で泣き崩れ墓から離れようとしない玉菊に弥吉の母は驚き急ぎ帰ったそうな

大阪に出ていた弥吉は何となく胸さわぎがするので、急ぎ帰って母から玉菊が来たことを聞き、あわてて菩提寺へ行くと哀れ玉菊は墓の前で自害しておったんじゃ。

事の大きさを知った弥吉の母はろくに食事もせず後悔しきりじゃったがやがてそれがもとで亡くなった。
弥吉は玉菊の遺骨を持って江戸に出て、浅草新堀橋の水源寺に葬り、出家して菩提を弔ったそうな。

この話を伝え聞いた中万字楼の主人は、玉菊を哀れみ、軒先に菊模様の灯籠を吊るして霊を慰めたんじゃが、いつしかこれが評判となり、廓中の家々も毎年盆にはこの灯籠を吊るすようになったそうな。

本当に哀れな話じゃ。今でも、この物語は『星舎露玉菊』等の歌舞伎狂言や講談にとりあげられているんじゃと。

戻る