お断り:この物語はフィクションです。私「ゆきお」が加筆編集しておりますm(_ _)m

稲塚(いなづか)伝説
むか〜し、とっても偉い地位にある皇子が敵と争い、近江の国を逃れて大和の国、大和郡山の矢田まで来た時に追手に発見されそうになった。

そのとき農夫が稲のわらを6把、皇子の体の上にかけてくれたおかげで難を免れたんじゃ。皇子はたいそう礼をいって必ず恩返しをすると約束した。

やがて皇子が国をつかさどるようになったとき年貢を収める方法をわらの束で決めた。それは1束で採れる米粒で収めるというものじゃった。

わらの束は10把で1束だったが矢田に限っては6把で1束で良いとされた。そのおかげで矢田は随分と豊かになったそうな。

今でも矢田地区では6把で1束とするという習わしが残っているそうな。そして皇子が難を逃れたその地は稲塚と呼ばれておるんじゃ。

戻る