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お断り:この物語はフィクションです。私「ゆきお」が加筆編集しておりますm(_
_)m
| 稗の御飯(ひえのごはん)伝説 |
| 昔、聖徳太子様が天子さまと呼ばれていたころじゃ。 大和の国は橘寺にお生まれになったのじゃが、天子さまとして政のために大和郡山稗田の里へ立ち寄られた時じゃった。 お昼のおもてなしに村人が稗の飯御をさし出したそうな。 そうすると天子さまはどうしてこのような珍しいものを食べているのかとお尋ねになられたんじゃ。 そりゃあそうだろう。よほどの事がない限り天子様がこのようなものを食されるわけはなかったからな。 そこで村人は、「この土地は水の便が悪く、稲が実らないのでいつも稗の御飯を食しているのでございます」と言ったそうな。 天子様はたいそう哀れに思われて、水脈のある場所を探しあて、奈良市池田町に大きカな池を掘られたそうじゃ。 これが今の広大寺池であるという事じゃ。それからは、目照りの心配もなく、村人は豊かになったということじゃ。 今も稗田の集落が広大寺池の水利権について一番強い権利を持っているのもこのためと言われているんじゃ。 |