以下は先日、聞く機会の有った平尾誠二氏の講演内容のレジュメです。
 
平尾氏の一人称の言葉で書いてあったり、氏の言葉を紹介する3人称で書いてあったりするのは、
σ(^_^;の文章力のなさですのでその辺はさらっと流して下さい。(笑)

講演者:平尾誠二(ラグビー全日本代表監督、神戸製鋼ラグビー部ゼネラルマネージャー)

講演テーマ:「変化する時代に求められるリーダーシップとは?」
人を育て、組織を動かし、勝利に結びつけるプロセスを学ぶ。

以下、レジュメです。(文責:赤い三角木馬)


スポーツには3つの型がある。

・ベースボール型:攻守がはっきり分かれている物
・ネット型:文字通り、ネットをはさんで攻防を繰り広げる物
・ゴール型:読んで字のごとく

 ベースボール型というのは監督の采配の重要性が高い。監督の指示通りに忠実なプレーをすれば(できれば)結果は自ずと出る。すなわち、「型」というものが存在する。(型にはめやすい?)
 ラグビーの場合で言うと、ラグビーは個人の判断でやる競技で監督はあまり関係ない。すなわち、自由である。しかしそれ故にその場ごとの判断が必要となる。

 ラグビーや、サッカーなどが含まれるゴール型だが、このカテゴリのスポーツで、日本において強い競技は残念ながら無い。

 で、日本人はどうやら、個人の自由な判断というのが苦手らしい。

 元サッカーのジャパン監督の岡田氏と話したことだそうだが、「中田はいい選手だよね。キック力や、走力なんかはJリーガーとしては平均的な選手だけど判断がいい。プレーの中で、パスがちょっと短かったとかのミスはあっても判断のミスはない。逆に言えば、ほかの能力に突出した物が無くても「判断」が良ければワールドクラスで通用すると言うことだよね。」

 では、判断がいいとはどういうことか?

 「判断」がいいとは「いい予測ができる」と言うことで、「いい予測ができる」と言うことは「いい情報(視覚)を持っている」と言うこと。

 で、いい視覚とは何かというと「ポイントを押さえて見ている」と言うこと、プレー中の動きの中でどこを見ているかを見ていればいい選手かどうかがわかる。
(たとえばラグビーもパスを受けるときにボールの方をまっすぐ見るだけのやつは大した選手じゃない。)

 翻って、日本のラグビー界ではどうか?

 日本人の言う、「うまいプレーヤー」とは「ミスをしない人」(ある意味ではつまらない選手:小さくまとまっていて「型」には有効だが、「自由」は苦手。)
 外人の言う、「うまいプレーヤー」とは「ミスをすることはあっても常に次の視野を持っている人」(視野を持っている→予測がいい→判断が早い→効果的な攻撃ができる。)

 日本の場合、コーチがミスに対して厳しすぎるせいである。
だから、往々にして伝統校からはなかなかいい選手が出ないのである。(ミスはしないし、システマチックにあるレベルまでは育てることはできるが・・・)
 プレー自体の精度は高いけども、ミスをする度に怒られて来ているので、判断が甘い選手が多い。そういった選手のする判断というのは、「この場面でどんなプレーをすれば怒られないのか!?」と言う判断である。
 本当はミスしたっていいのである。もっと大事なことがある。

 日本のコーチには「これこれこうなったらどうしよう。」とミスしたときの守備のことばかり考えているのが多い。
 よく「こんな風に攻められちゃったらどうするんだ!」と聞かれるが、「そうなったら、もうしゃーない。守備も攻撃も練習するなんて時間が足らない。」と答えることにしている。それに、いつも攻めていれば守ることなんか考える必要はないのである。トライをとればまた、相手がこっちにボールを蹴ってよこしてくれる。だから、神戸製鋼は攻める練習しかしない。

 また、日本のコーチは怒りすぎである。

 ミスをした場合の原因は2種類に大別できる。ひとつは技術的問題、もう一つはメンタルの問題。
 日本のコーチはこのメンタル面ばかり攻めるのである。

 すなわち、「気合いが足りない、根性がはいっとらん、集中力が足りないetc.」

 たしかにメンタル面の問題である場合もあるが、こんな事ばかり常に言われていると本当の(技術的な)原因が分からなくなり、よけい選手は混乱して育たなくなる。

 以前、フランス人のコーチと大阪のある強豪高校の練習風景を見ていたときに、15分ばかり黙って練習を見ていたあとで、彼が「なんで(コーチが)あんなに怒るのか?」と聞いてきたことがある。(彼は全く日本語は分からないが、見ていて感じ取ったようだ。)

 当時まだ、現役だった平尾氏は練習なんてそんな物だと思っており、特に疑問にも思っていなかったので、「おまえたちは怒られないのか?」と聞いたところ、「怒られない。」と言われたそうだ。

 「見ているとミスすると怒られているが、本当は(ミスの)原因を探ることがコーチにとって必要なことだろう?」
 そのフランス人は「我々が怒られるのは(ゲーム中に)、攻められるのに攻めない時だけだ。」とも言っていたそうだ。

 やはり、聞き手(教えられる立場の人間)に聞く体制を作らせなければ駄目である。(これをさして平尾氏はチューニングと言っていた。)
 これが、コーチングで一番重要なことである。

 チューニングは従来は上下の関係で行われていたが、これからは横の関係が必要。
 すなわち、上下の関係で表面上は聞いていても本当のところはわかっていないと意味が無く、選手に「その忠告(アドバイス)が自分にとって有効な物である」と思わせることが大切。

 上下の関係で、物を言ってしまった自身の失敗談として、

 ジャパンの監督としてスタンドから(ゲーム中に)、思わず選手に声を出して(かけて)しまい、相手のペナルティをとったときに(選手が攻めようとしているのにも関わらず)ペナルティキックをさせてしまったことがある。
本来、選手の判断にゆだねなければいけない状況で一度「上」の立場から指示してしまったため、それ以後、その選手はゲーム中にも関わらず、絶えず、平尾氏の声を気にしていて自分の判断ができず、プレーに集中できなくなっているのがありありとわかったそうだ。

 だからこそ、ラグビーにおいては同じグラウンドにいるキャプテンが必要であり、その役割が重要である。(キャプテンシー=Captaincy)

 キャプテンにとって大事なのは、今大事なのは何かを「がさっ」と把握する能力である。
ゲームの流れを感じ取って判断できるのが優秀なキャプテンである。

 ラグビーにおいて僅差のゲームの勝敗はキャプテンで決まる。

 東芝にいたアンドリュー・マコーミックはすばらしいキャプテンシーを持っていた。(平尾氏はだから、マコーミックとは年の差が無い割に片や監督、片や選手という立場でありながら、対等な立場でつき合っていたという。)
 マコーミックがやめたから、東芝は(戦力はほとんど変わっていないにも関わらず、)今年、弱くなった。

 マコーミックについて、彼が如何に優秀なキャプテンだったかという話し・・・

 昨年のパンパシフィックのファイナルゲームでジャパン対アメリカのゲームを(アメリカである)ハワイでやった時のこと。(ジャパンは前年のシリーズでは最下位だったが、この年はこのファイナルゲームで勝てば優勝が決まるという大事な試合だった。)

 トンガ人がメインレフェリで、2人のタッチジャッジがアメリカ人と言う審判構成でゲームがスタートしたのだが、ゲーム中にレフェリがプレーに巻き込まれてかなりの出血を伴う怪我をしてしまったため、レフェリの交代を余儀なくされたそうだ。そして出てきたアメリカ人の審判がタッチジャッジにはいり、それまでタッチジャッジをしていたアメリカ人がレフェリにまわり、審判は3人ともアメリカ人という構成となってしまった。
 これはレギュレーションどおりの対応なので、全く問題はないのだが、審判が変わったとたんにそれまで勝っていたゲームの流れががらっと変わり、ジャパンがどんどんペナルティを取られはじめ、不利な展開になってしまった。
 相手のペナルティキックだか、ゴールキックだかの時にその試合でキャプテンを務めていたマコーミックがスタンドにいる平尾氏に近づき、

「トンガ人レフェリを復帰させろ!!」

と叫んだそうだ。手当をしたとは言え、けが人を復帰させることに躊躇している平尾氏に対し、

「負けてもいいのか!トンガ人を復活させろ!それがおまえの仕事だろっ!!」

と言ったそうだ。
 マコーミックが言うには「レフェリングそのものが問題なんじゃなく、審判がみんなアメリカ人になってしまったことでジャパンの選手がメンタル面で浮き足だったのが問題なんだ。だから、トンガ人が復帰することで落ち着きを取り戻せる。」

 そこで平尾氏は額を縫って、木陰で寝ているトンガ人に向かって、「(レフェリをするのが)おまえの仕事だろっ!!」と言って(笑)、復帰させたところ、見事にジャパンは落ち着きを取り戻し、ゲームに勝ち、かつ優勝することもできたそうである。

あとになって、あの場面でレフェリを復帰させろなんて事はマコーミック以外がキャプテンだったら、絶対に言わなかっただろうと思ったそうである。平尾氏自身がもし、キャプテンを務めていても「ここは我慢だ・・・」位のことしか言わなかっただろうと思うとのこと。
 これは、いかにゲーム中でマコーミックが的確に問題の所在を把握し、かつその解決のために妥協しなかったかのいい例である。

 また、ある時、スコットランドのあるチームのキャプテンをつとめる外国人選手と話したときに「リーダーシップ」について話したことがあるそうだ。

 彼が言うには、「ビジョンのないやつはリーダーにはなれない。」、「一番悲惨なのは、それを持たない人がリーダーになること。」だそうだ。

 外国(のチーム)では能力が有れば若くてもリーダーになるが、日本では年功序列となっている。(もちろん、ある程度の経験は必要ではあるが。)
 外国では若いやつでもそいつにやらせることでみんなが「得」できれば(勝てれば)、いいじゃないかという発想なのである。(ねたみ、そしりは無い。)

 話は少し変わって、スポーツ論となるが・・・

 日本においては「体育」と云う言葉があるが、「体育」とは教育の一環で行われる物であるから、辛いこともやらなくてはならない。
 そもそもが軍隊の名残なのである。
   逆上がり→「三八式歩兵銃」を持つために自分の体重くらいは上げられなくてどうする。と言う発想。
  (体力測定の)ボール投げ→手榴弾の投擲能力。
と云った案配である。

 これに対して、スポーツとは遊びから発生した物であり、楽しむ物である。

 どうも日本人はスポーツと体育を混同している。

 こんな事がありましたという話・・・

 イングランドの強豪クラブチームとスコットランドのそんなに強くないチームのゲームが有った時のこと。観客の一人がゲーム観戦中に突然心臓発作を起こしてしまい、気づいたまわりの人たちが「医者はいないのか?」と騒ぎ出したが、あいにく近くに医者はいなかった。だが、その騒ぎにゲームをしている選手が気づいた。そして、一人のスコットランドチームの選手(この人は軍医だそうだ)がゲーム中にも関わらず、スタンドへ行き、心臓マッサージなどの応急措置をとった。
 このときすでにゲームは後半の30分を過ぎていてしかもイングランド側が大量得点差でリードしていたのだが、ゲームはそのまま無効試合となり、後日、再試合を行うことになった。
 普通なら、勝っている側のチームやサポータから文句が出そうな物だが、誰一人文句を言う人はいなかったそうである。平尾氏は「きっと、また(ゲームを)やれる楽しみの方がまさっていたからだろう。」と思ったそうである。

 「スポーツという考え方が根付いているんですね。」とのこと。


 と、この辺まできたところで時間切れとなってしまい、リーダーシップの話からスポーツ論に話がドリフトしたところで終了となってしまった。(きっと、スポーツ的な物事の捉え方をして行かないと真のリーダーシップは発揮できないよ。と締めくくりたかったに違いないと勝手に想像しています。)
  なお、講演の内容の受け止め方は人それぞれなのであえて平尾氏の言葉を記憶とメモの残っている範疇でできるだけ忠実に再現し、よけいな脚色はしなかったつもりです。どこまで再現できたかは定かでは有りませんが。

 以上、簡単ですが、レジュメと云うことで・・・・(文章ではうまく雰囲気を表現し切れませんが、なかなか話し上手で飽きさせない講演でした。)

 なお、今回の講演内容のネタ(のほとんど?)は、昨年PHP研究所から出版された平尾氏の
「知のスピードが壁を越える」
と云う本に書いてあるそうです。(1400円)

・・・と聞いていたのですが、会社の先輩が買って読んだら、「そんなにはネタのダブりはなかったよ。」と言っていました。興味のある方はかってみたら・・・?σ(^_^;は先輩に借りますが・・・(笑)