【イギリスの作曲家】

ドナルド・フランシス・トヴェイ Sir Donard Francis Tovey
(1875-1940)
Concerto for Cello and Orchestra 推薦者:Sunaken(砂川健一)さん
チェロ協奏曲 ハ長調 作品40 (1933)
Concerto for Cello and Orchestra Op.40
 1. Allegro moderato - Cadenza
 2. Andante maestoso - Intermezzo - Poco allegretto, quasi andante
  tranquillo ed innocente
 3. Rondo - Allegro giocoso - Cadenza

パブロ・カザルス(vc)
エイドリアン・ボールト指揮BBC交響楽団
Pablo Casals(vc)
Sir Adrian Boult / BBC Symphony Orchestra

CD:SYMPOSIUM/1115
※Live from the concert in the Queen's Hall 17 November 1937

 トヴェイは、主にイギリスではRAM(英国王立音楽院)にて後進の指導及び、楽曲分析などで知られているようです。晩年にはベートーヴェンのピアノソナタの出版に関わり、監修者として名を連ねています。これらの業績から察せられるとおり、パリー、スタンフォードの後を継いだ形であり、イギリスの田園風景だとか、絢爛な音世界とは距離をおいたドイツ的で堅牢な作風といえます。

 主な作品としては今回紹介するチェロ協奏曲の他に、ピアノ協奏曲、チェロとピアノの為の「悲歌的変奏曲」、交響曲、歌劇「デュオニソスの婚礼」等があるようですが、現在は一握りの作品が聴けるにすぎません。これだけ充実した作品を残していながら知られていないのは、先に挙げたようにイギリス音楽としてのアイデンティティの確立からはちょっと距離を置いているという点と、晩年になって(他のイギリス作曲家が脚光を浴び始めた1920年代以降)作曲家としての立場を離れたことが原因だと考えられます。

 このチェロ協奏曲については、1933年に作曲されているので、晩年における例外的な作品であると思われます。全曲を通して演奏すると実に64分に達しています(※上記演奏の総収録時間。拍手やらノイズで一部脱落していることも考えられるので、参考まで)。ただし、音楽は古典の領域を脱しておらず、人によっては退屈と感じられる瞬間があるかもしれません。

 この曲を紹介するにあたって、かのカザルスとの親交を忘れてはなりません。この曲はその互いの友情の集大成として作曲されたものであります。初演は作曲者指揮のリード管弦楽団、独奏はもちろんカザルスにて行われています。全体の構成は、長大なカデンツァを含む第一楽章(約28分)、後半に間奏曲が組み込まれた歌謡楽章である第二楽章(18分)、そしてロンド形式にのっとりやはり終わりに大規模なカデンツァを含むフィナーレ(18分)と、形式的には古典形式に則っています。

 一楽章は、いきなりチェロの独白から始まります。やがて半音階上昇モチーフが木管から徐々に管弦楽全体に広がり、第一主題の提示が劇的に行われます。ここの管弦楽のトゥッティは身の毛もよだつ迫力です。録音のせいもあるのですが、時代劇が始まるような雰囲気さえあります。第二主題は、これも短調で奏でられる憂愁たるメロディーです。こういった抑制のきいたメロディーはブラームスを想起させます。その後の展開はトヴェイの面目躍如たる所であり、網の目のような緻密な管弦楽法が堪能できます。第二楽章もどちらかというと悲劇色が強いものです。後半に加えられたインテルメッツォは、儚(はかな)げな優しい音楽で、一時の清涼を与えてくれます。フィナーレのロンドは、ドヴォルザーク的な「土臭い」主題となっており、ここでもトヴェイの劇的なオーケストレーションが味わえます。トヴェイのオーケストレーションは「劇的」であっても、リヒャルト・シュトラウスのようではなく、あくまでもブラームスの延長線上のそれであります。コーダ部分は実に「マッシヴ」な迫力で、荒れ狂うティンパニ、犇(ひし)めく弦楽器等、全てのエネルギーが解放される力強さを併せ持っています。「なんという音楽なのか」といつも感涙してしまいます。

 これほどの名曲が実に半世紀を経ても全く演奏されない、というのは「謎」以外の何ものでもありません。敢えて言えば「長い」ことしか欠点が思い浮かびませんが、それを補ってあまりある充実した音楽であると思います。録音も正直かなり劣化しており、人によっては聴くに絶えないと思われるかもしれませんが、会場の異様な熱気は伝わるのではないでしょうか。是非最新録音で聴きたい曲です。
アラン・ブッシュ Alan Bush(1900-?)
Variations, Nocturn and Finale on an Old English Sea-Song 推薦者:ちゃおさん
古いイギリスの海の歌による変奏曲、夜想曲とフィナーレ
Variations, Nocturn and Finale on an Old English Sea-Song

デヴィッド・ワイルド(p)
ジョン・スナシャル指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
David Wild(pf), John Snashal / Royal Philharmonic Orchestra

<併禄>
Delius:Double Concerto for Violin and Cello
G.Warburg(vn), R.Cohen(vc)、Norman Del Mar / Royal Philharmonic Orchestra

CD:PRECISION RECORDS & TAPES(VIRTUOSO COLLECTION)/PVCD8372
※録音年月日:不明

 アラン・ブッシュは1900年にロンドンで生まれたイギリスの作曲家、指揮者、そしてピアニストである。1918〜22年まで王立音楽アカデミー(RAM)で学び、それ以降1927年まではジョン・アイアランド(J.Ireland)に私的に就いて学んだという。その傍らで1925年以降は母校で教鞭ととりつつ、1929年から二年間ベルリンに留学してシュナーベルやモイセヴィッチよりピアノの指導を受けた。

 彼は左翼思想に強い共感を持っていたそうで、その作品群にもその影響が見受けられると言う。代表作がオペラ「ワット・タイラー」であるというのであるから、推して知るべきなのであろうか。このオペラは1951年のBritain音楽祭で賞を取ったにもかかわらず、1974年まで英国では演奏されていない。もしかすると、そういった彼の政治的信条が知名度を高める障害になったのかもしれない。

 さて、「古いイギリスの海の歌による変奏曲、夜想曲とフィナーレ」(1960年作曲)である。曲のイメージとしてはドホナーニの「童謡による変奏曲(Variationson a Nursery Theme)」のような感じであろうか。ただ、親しみやすい主題を用いているドホナーニよりも、この曲の主題である海の歌は壮大であり馴染みにくい。何度も噛締めてみて良さがわかってくるような曲である。

 曲は冒頭から壮大な金管のイントロで開始しすぐに主題へと突入する。あとは、変奏が続くが、それは技巧的なピアノ・ソロとそれと拮抗するような管楽器との対話により進められていく。ピアノは時に鍵盤上を駆け巡り、時に和音でリズムを刻む。ピアノの書法はラヴェルのピアノ協奏曲を連想させるものがあるが、非常に手堅く書きこまれており、ブッシュの作曲技法の確かさを証しているようである。ただ、全体的に控え目であり、ノーブルに構築されてしまっている所が、この曲のイメージを地味なものにしてしまっている原因かもしれない。それでも、フィナーレはかなり盛り上り、最後は豪快に終了する。1960年という作曲年代を考えると全く保守的な作風であるが聴き応えとしては十分であるように思える。

 演奏は非常に水準の高いもので申し分無い。ピアニストのデヴィッド・ワイルドはかなりセンスのいいピアニズムの持ち主であり、その軽快なタッチにより曲が重たくなりすぎぬように配慮しつつ、つぼを心得た演奏を展開している。伴奏のスナシャル指揮のロイヤル・フィルも曲をよく理解した上で非常に精密な演奏を行っている。おそらく、そう簡単には入手できないCDであると思われるので、復刻か新禄音の登場を期待したい一曲である。

*なお、このCDには一切ライナーが付されていなかったので、ブッシュのプロフィール等は手元のThe Concise Oxford Dictionary of Music(Third Edition)に典拠しているが同書は1988年以降をフォローしていないのでブッシュ氏がご存命かは不明である。その点につき御容赦頂きたい。
スティーブ・マートランド Steve Martland(1959-)
Crossing The Border 推薦者:ツチモト@札幌さん
クロッシング・ザ・ボーダー
Crossing The Border

スティーブ・マートランド指揮 弦楽アンサンブル
Steve Martland / String Ensemble

<併録>
Principia, American Invention, Re-mix, Shoulder to Shoulder

CD:Factory/Facd366

 無地のTシャツにジーンズというかっこうで、叩きつけるような指揮姿の写真が印象的なスティーブ・マートランド。1959年、英国リバプールに生まれ、パンクロックとジャズのもとで育った彼は、アムステルダム作曲界の重鎮ルイ・アンドリーセン(彼は中世音楽とミニマル・ミュージックから多大な影響を受けた)より忍耐と繰り返しを学んだ。

 マートランドの音楽はパンクというには利口すぎる構造、ジャズというには不自由な様式、クラシックというにはあまりにポップである。言葉を換えていうならば、ダイナミックで肉体的な音塊はパンクの精神を、バンドが繰り広げるサウンドはジャズの香りを、アンサンブルの紬出す複雑な絡み合いが発展する様はクラシックにおける高揚を感じさせるのだ。

 弦楽合奏のためのCrossing The Borderは、ノンビブラート・開放弦が印象的な調性の明確な音楽であり、ほぼ全曲にわたり叩きつけるような弦の強奏が続く。一定のリズムでガリガリ、ギャンギャン、ギャリギャリと盛り上がり続ける様はまるで天空高くどこまでもそびえ立つ塔のごとし。
 曲の進行にあわせ、おもわずアンプのボリュームを上げ続けてしまう24分、異様な興奮の中でついには失神! 近所の苦情で覚醒する有り様である。(ホント?) いいぜこのカンジ。音量をガンガン上げて、己の躰で感じて欲しい!

 なお、このCDはBMG Catalystレーベルより再販されており、こちらのほうが入手しやすいだろう。
グスターヴ・ホルスト Gustav Holst(1874-1934)
A Somerset Rhapsody 推薦者:Seanさん
サマセット狂詩曲 作品21-2
A Somerset Rhapsody Op.21-2

デーヴィット・ロイド=ジョーンズ指揮 ロイヤル・スコティシュ・ナショナル管弦楽団
David Lloyd-Jones / Royal Scottish National Orchestra

<併録>
ベニ・モラ(東洋的組曲)Op.29-1、チェロと管弦楽のための「祈り」Op.19-2、フーガ風序曲Op.40-1、エグドン・ヒースOp.47、鍛冶屋(前奏曲とスケルツォ)Op.52

CD:Naxos/8.553696

 ホルストは、「惑星」という作品によってベートーヴェンやモーツァルトと肩を並べるほどの知名度を博しているといっても過言ではない作曲家です(このことは本人としては甚だ不本意と推量しますが)。その他の作品としては、吹奏楽ファンの間で「吹奏楽のための組曲」第1番および第2番がよく知られているくらいでしょう。ホルストは様々な作品を書いていますが、その中でイギリス民謡を用いた作品があり、「吹奏楽のための組曲」第2番や今回紹介いたします「サマセット狂詩曲」はこれに該当します。これはホルストが、「グリーンスリーヴズによる幻想曲」などで有名なヴォーン=ウィリアムズと交友を持ち、彼の影響でイギリス民謡を蒐集した成果とされています。

 この曲は、民謡収集家セシル・シャープの勧めを受けて彼のコレクションであるサマセット地方の4つの民謡、"Sheep Sharing Song""High Germany""The True Lover's Farewell""The Cuckoo"を素材にして書かれたものです。

 まずはオーボエ、次いで弦によって"Sheep Sharing Song"が奏されます。この曲は深い森の中にいるような瞑想的なメロディですが、実際には羊の毛を刈る歌なのだそうです。次いで"High Germany"が低弦で奏でられ、その旋律がさまざまな楽器に受け継がれていきます。この歌については、「南部ドイツ人」という訳がなされているのを見たことがありますが、歌詞は南ドイツへ出征する趣旨のものなので「南部ドイツ」(ドイツの高地地方)としたほうが正確でしょう。この曲はヴォーン=ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」でも使用されています。本来は行進曲調のヴォーン=ウィリアムズの解釈のほうが原曲の趣旨に照らせば正しいのでしょうけれど、ホルストの手にかかればこれも森の歌に生まれ変わります。次は弦が"The True Lover's Farewell"を奏します。この曲はどこかしら寂寥感のようなものを帯びています。メロディはだんだんと高揚していき、そして再び"High Germany"を、今度は金管楽器が盛大に歌いあげます。この雰囲気を維持したまま曲は即座に"The Cuckoo"に移り、いったん曲が静まり返った後、再度"Sheep Sharing Song"が奏されて終わりです。

 用いられた民謡の魅力もさることながら、全体を貫く懐かしさ、良い意味での田舎っぽさは作曲者の手によるものと思われます。私はこの曲からは森の臭いを感じます。なんとなく、トールキンの『指環物語』のイメージにも重なります。また、他の民謡メドレー系の作品と違い、「サマセット狂詩曲」は原曲同士のつなぎの部分が全く不自然に感じられず、すんなりと次の曲へ移行します。まるで全体が1つの民謡になっているかのようです。
フレデリック・ディーリアス Frederick Delius(1862-1934)
Florida Suite 推薦者:Seanさん
フロリダ組曲
Florida Suite

デーヴィッド・ロイド=ジョーンズ指揮イギリス・ノーザン・フィルハーモニア
David Lloyd-Jones / English Northern Philharmonia

<併録>
幻想序曲「丘を越えて遥かに」、春の田園詩、La Quadroone-フロリダ風狂詩曲、スケルツォ、「コアンガ」(終曲)

CD:Naxos/8.553535

 ディーリアスはイギリスの作曲家ですが、両親はドイツ人で、アメリカで事業をし、主にノルウェーの作曲家と親交を持ち、最終的にフランスに永住したコスモポリタンです。彼の作品は生国イギリスよりもフランスやドイツで先に認められ、イギリスではビーチャムの献身的な紹介によって今日におけるような評価に至ったといわれています。作風も、同時代の作曲家であるホルストやヴォーン=ウィリアムズと比べると大陸寄りです。彼の作品は日本では「小管弦楽のための2つの小品」などがわずかに知られているだけですが、私はこの曲を、私の苦手な印象主義的な旋律のために当初はあまり好きになれませんでした(今は違います)。それでディーリアスも食わず嫌いになっていたのですが、これを改めるきっかけとなったのがこの「フロリダ組曲」です。これは、ディーリアスがアメリカのフロリダ州にいたころの思い出をつづったものだともいわれています。

 この曲は「夜明け―踊り」、「河畔にて」、「夕暮れ―農園の側で」、「夜に」の4つの部分からできています。その中でも私が気に入ったのは、第1曲「夜明け―踊り」です。「夜明け」の部分と「踊り」の部分はかなり性格が異なり、私は別個の曲とみたほうが分かりやすいのではないかと思います。「夜明け」では、まずはオーボエによっていかにも夜が明けていなさそうなとろとろした旋律が奏でられます。その後フルートなども加わって少しずつ活気づいていきます。静まり返った草原の東の地平線がだんだん白んでいくような感じです。十分に明るくなったら、「踊り」の部分に移ります。このメロディは、ディーリアスのオペラ「ラ・カリンダ」で登場する「コアンガ」という曲と全く同じですが、オーケストラの規模からいって、こちらのほうが聴き応えはあると思います。聴いた印象としては、草原を駆け抜ける風になって、移り変わる地形を俯瞰しているようなイメージです。懐かしくて切ない、何か失ったものを回顧するような感じもします。私の一番好きな旋律の1つです。

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