ヤン・シベリウス
北欧の幽玄な世界


 私は、わりに早くからシベリウスの音楽を耳にする機会に恵まれていました。私がまだ小学生だった頃、私の父が職場の同僚に感化されたらしく、カラヤン/ベルリン・フィルのシベリウス管弦楽曲集のLPを買ってきました。いまでこそシベリウスは日本では相当メジャーな作曲家となりましたが、当時はまだ「フィンランディア」とか、交響曲第2番ぐらいしか知られていない、知名度の低いマイナー作曲家の一人でした。そのLPの中には、当時としては非常にめずらしい「悲しきワルツ」や「タピオラ」などの作品がカップリングされていました。「都はるみ」のファンでもある父がシベリウスを聴くというのはいまもって謎ですが、父が買った1枚のLPが知らず知らずのうちにその息子へと影響を及ぼしていました。ただ、「都はるみ」と「カラヤン」のファンにはなりませんでしたけどね。
 しかし、私が本格的にシベリウスに傾倒していくようになったのは、高校生になってからのことです。私のシベリウス収集の第1弾となったのが、たまたま学校の近くのレコード店で見つけたアンタル・ドラティ/ロンドン交響楽団によるシベリウス管弦楽作品集で、東芝EMIの「北欧の叙情」シリーズ(廉価盤で1200円)の1枚でした。今にして思えば、各駅停車しか止まらない駅の小さなレコード店に、よくこのようなLPが置いてあったものだと感心してしまいます。ところで、このシリーズは廉価盤の割には良い演奏のものをそろえており、ドラティ盤以外にもいくつか買ってみましたが、まずハズレといえるようなものがありませんでした。それどころか、私がさらにシベリウスへとのめり込んでいく原因となる名盤に出会うことができました。廉価盤だからといって舐めてはいけませんね。
 さて、シベリウスというと、幻想的で透明感のある和音が特徴として挙げられます。これは、他の欧米の作曲家の作品にはあまり見られない顕著な特徴でしょう。しかも、静かな中に秘められた情熱や力強さを感じることができる類まれなオーケストレーションは、チャイコフスキーやラフマニノフでも真似することはできない独自の世界です。今回は、特にシベリウス最大の特徴である「幻想的」かつ「透明感」のある作品をチョイスしてみたいと思います。

4つの伝説曲 Op.22
(レンミンカイネンとサーリの乙女たち/トゥオネラの白鳥/トゥオネラのレンミンカイネン/レンミンカイネンの帰郷)

 「トゥオネラの白鳥」(本当は白鳥ではなく、黒鳥なんですけどね)は単独で演奏されることが多く、割合有名ですね。「4つの伝説曲」あるいは「レンミンカイネン組曲」というタイトルを聞いても「?」と首をかしげる人でも、「トゥオネラの白鳥」と聞けば、シベリウスを聴いたことのある人であれば、たいがいは納得してくれます。この「トゥオネラの白鳥」も、シベリウスの幻想的な世界を感じ取ることができる曲ではありますが、この組曲の中で最も幻想的で不思議な音の世界を堪能できるのは、第1曲目の「レンミンカイネンとサーリの乙女たち」だと思います。この曲は、フィンランドの民族叙事詩「カレワラ」に登場してくるレンミンカイネンという血気盛んな若者が、彼に見向きもしないキュリッキというサーリの美しい乙女を奪って無理やり結婚してしまうという物語を描いたもので、特に中間部からコーダにかけての和声進行が、不思議な雰囲気をいやがうえにも高めています。
【推 薦】
サー・チャールズ・グローヴズ/ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団<EMI>
 先に書いた「シベリウスへとのめり込んでいく原因となる名盤」というのが、実はこの録音です。今まで私が聴いた中で、シベリウスの幽玄な世界を余すところなく表現していると感じられるのは、これをおいて他にありません。力み過ぎることもない自然体で、曲の持ち味を充分生かした演奏を披露しています。他の演奏では音の響きが硬すぎたり、ちょっとせっかちだったりすることが多く、いま一つの感がぬぐえません。本場フィンランドの演奏家でもグローヴズのような演奏ができる人はなかなかおりません。
 なお、この他に私が持っている全曲盤では、以下のようなものがあります。
ペトリ・サカリ/アイスランド交響楽団<NAXOS>
ユッカ・ペッカ・サラステ/フィンランド放送交響楽団<BMG>
ネーメ・ヤルヴィ/イェーテボリ交響楽団<BIS>
アレクサンダー・ギブソン/スコッティッシュ・ナショナル管弦楽団<CHANDOS>
 このうち、はつらつとした演奏を披露しているサラステ盤はどうやら廃盤となってしまっているらしく、最近店頭でお見かけしません。お手ごろ価格のサカリ盤は、やはりグローヴズ盤には及びませんがそれなりに良い演奏をしているので、最初の1枚として持っていても良いのではないかと思います。ヤルヴィはゆっくり目の落ち着いた演奏をしていますが、それまでいい感じで流していたのが、所々で硬めのはっきりした音を響かせることによって、曲のもつ幻想的な雰囲気が若干損なわれてしまったように感じられます。しかし、全体としては良い演奏で、愛蔵盤の1枚としてお勧めできると思います。ギブソン盤はいまいちでしたね。
劇付随音楽「クオレマ」より「鶴のいる情景」 Op.44-2

 「クオレマ」というと、「悲しきワルツ」(Valse Triste)が有名ですが、この「鶴のいる情景」も捨てがたい魅力を持った作品です。冒頭に奏でられるヴァイオリンによるピアニッシモがあたりに人気のない静かな池のほとりを連想させ、鶴の悲しげな鳴き声を模したクラリネットによる三度の和声が寂寥感を漂わせています。このような音楽表現は、他の作曲家にはなかなか真似できるものではないと実感させられます。
【推 薦】
パーヴォ・ベルグルンド/ボーンマス交響楽団<EMI>
 最初、この曲を聴いたとき、なんと透明感のある悲しげな曲なのだろうと感じました。この曲は録音が少ないのであまり聴き比べをしたわけではありませんが、その中でもこのベルグルンド盤は、この寂しげな美しい曲の本質を捉えているように感じられました。
ルオンノタール Op.70

 「カレワラ」の第1章にある天地創造をテーマとした音詩(シベリウスは交響詩をこのように呼んでいたそうです)で、「ルオンノタール」とは、「カレワラ」に登場してくる代表的な英雄ワイナモイネンの母である大気の乙女のことです。この作品は、大気の乙女が風によって受胎させられ、大海原を漂っている時、1羽の小鴨が彼女のひざの上に卵を産み落とし、その卵を温めはじめた。やがて、乙女のひざが溶けて焼けただれてしまうほど熱くなり、とうとうひざを振るって卵を海の波間に落して割ってしまい、その割れた卵の断片が大地になり、大空になり、太陽になり、月になり、雲になったというエピソードをソプラノの独唱がとうとうと歌い上げるというものです。
【推 薦】
アンタル・ドラティ/ロンドン交響楽団、ギネス・ジョーンズ(ソプラノ)<EMI>
 やはり、人間というのは最初に見たり聴いたりしたものに影響されるものなのですかね。ドラティは、元気はつらつオロナミンCではありませんが、ドヴォルザークのようなメリハリのある曲を得意とする指揮者というイメージがあります。しかし、彼は意外にもシベリウスのような作曲家の作品をソツなくこなしていたりします。ソプラノのジョーンズもすばらしいのですが、シベリウス特有の繊細さをうまく表現しており、強引なところが感じられない名サポートぶりを示しています。同じアルバムにカップリングされていた「波の娘(大洋女神)」もすばらしい演奏でした。
パーヴォ・ベルグルンド/ボーンマス交響楽団<EMI>
 私にとってルオンノタールの演奏はドラティ盤がベストですが、ベルグルンド盤もわりにいい味出しています。
タピオラ Op.112

 たった2小節のフレーズを繰り返す変奏形式の音詩で、シベリウスが作曲家としての筆を絶つ直前に作曲された最後の大作です。主題は1つだけですが、曲の構成は割合複雑で、聴く者を飽きさせることがないシベリウス・マジックが繰り広げられています。また、小編成のオーケストラによる室内楽的な響きが幻想的で不気味な雰囲気を醸し出しており、編成は小さくともスケールは大きい作品です。ただ、「フィンランディア」などのドラマティックなシベリウスを聴きなれた方には、少々なじめない通向けの作品かもしれません。「タピオラ」とは「カレワラ」に登場してくる森の神タピオの国(つまり「森」)のことで、シベリウスは自らが抱いている森や自然に対するイメージをここに表現したものとされています。
【推 薦】
ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団<DG旧盤>
カール・フォン・ガラグリ/ベルリン放送交響楽団<Berlin Classics>

 この曲は、ゆったりと流れるように弾いた方が良いだろうにと思うのですが、案外世に出ている数多くの録音では、フォルテの部分をせっかちに演奏しているものが多いように思われます。これは、最近のフィンランドの演奏家にも割合顕著に見られる特徴です。やはり、悠然とスケールの大きな演奏がこの曲の雰囲気を表現するには不可欠だと思います。そういった点からチョイスしたものが、上の2つの演奏です。カラヤンは「タピオラ」を2回録音していますが、このうちデジタル録音の新盤は、少々つまり気味で発音を良くしすぎていてしっくりきません。その点旧盤は、適度な発音の曖昧さを残しつつ、この曲のもつイメージを的確に表現しているすばらしい演奏といえるでしょう。ガラグリもクレッシェンドやディミヌエンドなどの音の強弱のつけ方、テンポのとり方がうまい優れた演奏を聴かせてくれます。
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