グスタフ・マーラー
交響曲第5番嬰ハ短調−聴き比べ


 マーラーの交響曲第5番は、彼の作品の中で交響曲第1番と並んで最も人気がある曲です。特に第4楽章「アダージョ」は、ルキノ・ヴィスコンティ監督の代表的な映画「ヴェニスに死す」(原作はトーマス=マン)で使われて以来、その耽美的な旋律がクラシック・ファン以外の方々の耳をも捉えるポピュラーな音楽として受け入れられるようになりました。
 しかし、この「アダージョ」はマーラーの作品の一面を反映したものであり、交響曲第5番がもっている性格のすべてを表現したものではありません。もし聴くのであれば、曲の一部のみをチョイスして聴くのではなく、でき得る限り全曲を通して聴いたほうが良いと思います。特に交響曲は全体で一つの完成された作品として作曲されることが多いものですから、曲の全体像をつかむ上でもそのほうが良いでしょう。
 それでも、どの部分を重点的に聴くかは人によってまちまちです。私は交響曲のような作品を聴く場合、特に第1楽章に注目します。なぜなら、冒頭の部分は曲全体の調子や展開を左右する大変重要な部分となるからです。聴衆も最初の部分が面白くなければ、後に続く部分を聴きたいとは思いませんよね。ですから作曲家は、特に冒頭の主題には力を入れます。オペラでも序曲や前奏曲が必ず全曲の一番最初にきますが、それは舞台がこれからどのように展開して行くかを暗示する部分ですから、必然的に作品の聴かせどころがちりばめられた曲となります。 オペラと交響曲では曲の構成や展開で大きな違いがあるので一概には言えませんが、両者ともに冒頭が大切という点では共通すると思います。
 といったところで、この第5の聴き比べでも、私は第1〜第2楽章での演奏を特に重視して聴いています。まず、これまで聴いたもののうち、第1楽章がお粗末な演奏は、その後もお粗末極まりないというのがお定まりですから、チョイスする判断材料として「まずは第1楽章を聴く」ということができるでしょう。
 また、マーラーの第5は第1〜第2楽章に、ベートーヴェンの第5の主題を模したB管トランペットのソロではじまる「葬送の主題」や、弦楽による第2主題の美しくも悲痛に満ちた旋律など、演奏者の力量を問う聴かせどころが目白押しです。
 以下には、私が聴いた録音を私の独断によって★〜★★★★★の5段階で評価しています。特にお勧めというものには、(特選)とか(推薦)という表記をつけています。

Sir Georg Solti/Chicago Symphony Orchestra(1970)<Decca−London>
★★★★★(特選)
 私がこれまで聴いた第5の演奏の中で、これ以上のものはないというぐらいの名演中の名演。ショルティとシカゴ交響楽団の息がぴったりと合い、刺激的で力強い中にも繊細さが垣間見られる優れた演奏です。第1・第2楽章でソロを吹いているアドルフ・ハーゼスという主席トランペット奏者も非常にうまい!聴く人によっては強引に感じられるかもしれませんが、第1楽章の弦による悲哀に満ちた旋律と第4楽章の叙情的な美しい調べを情感たっぷりに演奏しているのを聴けば、単なる腕っ節の強いマーラーという印象は吹っ飛んでしまうはずです。それと、第1楽章の第1主題と第2主題のコントラストを他の録音と聴き比べてみてください。この2つの主題の対比が絶妙であることがおわかりになるでしょう。

Sir Georg Solti/Chicago Symphony Orchestra(1990,LIVE)<Decca−London>
★★★
 ショルティも20年もたつとずいぶん丸くなってしまうものだなということを実感させる演奏。基本的な解釈は70年のスタジオ録音とは変わっていませんが、彼の若いころの演奏の特色ともいえる鋭さが影を潜めています。私の好みとしては、70年代のよりストレートな表現をしていたショルティのほうがどちらかというと良いんですけどね。まあ、良く言えば肩の力が抜けた演奏ということになるのでしょうが、第1楽章での第1、第2主題のコントラストが明瞭でなくなった分、魅力も薄れてしまった感があります。

Zubin Mehta/NewYork Philharmonic<TELDEC>
★★★★(推薦)
 海外ではマーラー指揮者として高い評価を得ているメータ(今時めずらしいゾロアスター教の信者)も、日本ではイマイチ評価されていませんが、この一枚を聴けば彼がどれほど優れた指揮者であるかがわかるはずです。テンポはショルティ同様に速めですが、しっかり歌わせているところは歌わせています。第1楽章での弦の歌わせ方は、ショルティ盤同様絶品です。オケの技量もバーンスタインやブーレーズが常任をしていたころよりも格段に良くなっています。しかも国内盤で1000円という魅力的な価格ということもあって、推薦盤とさせていただきました。

Daniele Gatti/Royal Philharmonic Orchestra<BMG>
★★★
 発売当初から非常に高い評価を得ている一枚です。第1楽章冒頭では割合ゆっくりと踏みしめるような演奏をしています。ガッティは若い指揮者ではありますが、なかなか落ち着いた演奏を披露しています。ただ、もう少し力強くても、もっと楽器を歌わせた方が……と感じたのは確かです。第2楽章の演奏では、少々表面をさらっと撫でたかのような無難な表現をしていたかと思いきや、途中で艶のある音を響かせる部分もあって「これは!」と思うこともありましたが、全体的にもっと深みのある演奏をしてほしいと感じてしまいました。

Leonard Bernstein/Vienna Philharmonic Orchestra<DG>
★★★
 アナログ・ステレオ録音が全盛期であった時期にいち早くマーラーの交響曲全集を完成させ、マーラー指揮者といえばこの人といわれていたバーンスタインですが、あれから四半世紀すぎた現在では、長老指揮者も若手指揮者もこぞってマーラーを演奏するようになり、また優れた演奏が数多く登場してきたせいもあって、バーンスタインのマーラーを聴いたことがないという人が増えてきましたが、それでも彼は一つのマーラーのスタイルを確立した指揮者として、今でも多くのファンを魅了しています。
 ここでも曲にのめり込むバーンスタイン節は健在で、「遅い!」とか「くどい」といった感じを抱いてしまう仕上がりとなっています。評価も人によってまちまちでしょう。好ききらいがはっきりと分かれる演奏ではないかと思います。それだけ癖のある演奏だということですね。若い頃はこれほど濃厚な演奏ではなかったと思うのですが、彼のマーラーは年をとるごとに「くどさ」を増しているようです。バーンスタイン・ファンの中にも、たまに聴く程度という人もいるようです。

Bernard Haitink/Concertgebouw Orchestra,Amsterdam<Philips>
★★★
 全集魔ハイティンクの最初のマーラー交響曲全集の中の1曲。この人の場合、全集を録音するのはいいのですが当たりはずれが激しいという欠点があります。8番の交響曲は彼の全集の中では「はずれ」の部類に入りますが、この第5は「大当たり」といっても良い出来となっています。

Adrian Leaper/Orquesta Filarmonica de Gran Canaria<Arte Nova=BMG>
★★
 いたって平凡な演奏。しかし、曲の造詣はしっかりと押さえられており、無難な中にも曲に対する真摯な態度が垣間見える好演奏。妙な癖がない分、すんなり聴けるのではないかと思います。これからマーラーを聴こうという方に入門盤として良いのではないでしょうか。お値段も非常にお安いですしね。

Günter Herbig/Berliner Sinfonie Orchester<Berlin Classics>

 ベルリン・クラシックスのブラームス交響曲全集とアルテノヴァのR.シュトラウス管弦楽曲集の演奏が良かったので、マーラーも期待していたのですが、いまいちでした。全体的に粗い演奏で、もう少し細部をしっかりと聴かせてほしいという気がします。音質も何とはなしにこもり気味で、途中でトランペットのソロがオケにおされて、あまり良く聞き取れないところもあったりしました。もっと全体のバランスを考えて演奏をしてほしいものです。

Václav Neumann/Czech Philharmonic Orchestra(1977)<Supraphon>
 ドヴォルザークの交響曲ではメリハリの効いた名演を数多く残しているノイマン/チェコ・フィルですが、この録音に関してはお粗末極まりないといわざるを得ない演奏となっています。B管のトランペットを使っているはずなのに、C管のような軽い音をさせているのはなぜでしょうか。なぜ、マーラーでここまでカルい音を響かせているのか、はなはだ疑問です。トランペットのソロは音に表情をつけ、抑揚を持たせているのですが、音の鋭さが欠けているため、あまり成功しているとはいえないように思えます。また、オケ全体が抑揚をつけず、さらっとあっさり演奏しているため、これは本当に短調の曲なのかと疑問を抱いてしまうほどです。誰もそうめんや冷麦のようなマーラーは聴きたくないぞ。ひょっとすると、バーンスタインをかけて2で割ると出汁もちょうど良い具合になるかもしれませんねえ。

Christoph von Dohnányi/Cleveland Orchestra<Decca−London>
 以前シューマンの交響曲全集を聴いて、わりに良い演奏をしていたので期待していたのですが、今回は期待を大きくはずしてくれました。ドホナーニ・ファンの方々には申し訳ないのですが、この録音を聴いてまず感じたのは、派手さはあるが曲を内面まで掘り下げていないということです。別に重々しく演奏してくれというわけではありませんが、特にブラスの音が中身がなく空虚に聞こえてしまうほどにカルいのは甚だ遺憾に感じられ、いかがなものかと、政治家の答弁のような感想を持ってしまう一枚でした。

【欄 外】
 全曲を通して聴いたわけではありませんが、第1楽章の演奏を聴いて意外に良かったのがダニエル・バレンボイム/シカゴ交響楽団(TELDEC)の録音です。演奏の細部では少々安定性に欠ける部分があったりしますが、第1楽章を通して聴いてみた限りでは、この曲の特質をよく掴んだ秀逸な演奏ではないかと思います。以前、彼の演奏を聴いたときの印象はあまり良くなかったのですが、このCDを聴いてみてバレンボイムも捨てたもんじゃあないと再認識するようになりました。もし機会があったら、バレンボイム盤も一度聴いてみることをお勧めします。

前ページへ移動 リスニング・ルームへ  トップページへ移動 インデックス・ページへ