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ベジエ司教への処方箋


 ミシェル・ド・ノートルダム、予言者の側面ばかりクローズアップされがちであるが、もともと当時猛威を振るったペスト治療を実践した医師として評判を得ていた。医師としての側面は1555年に印刷された『化粧品とジャム論』でもかすかに垣間見ることが出来る。1564年には、シャルル九世の「国王の侍医兼顧問」の称号を授かっていることから単なるアドヴァイザアーのみならず医師としての力量もそれなりに評価されたものと考えられる。1559年10月ナルボンヌに向けて旅行中のノストラダムスは、当時の司教であったロレンツォ・ストロッツィーLorenzo Strozzi のために通風の治療法を処方している。これは特に苦痛をともなう、特製の焼灼器具を含む治療法であった。この処方箋は、単にノストラダムスの伝記にとどまらず、十六世紀フランスの医療を知る貴重な文書といえる。

 すでに予言集を出版した後であるが、文書の最後には56歳の医師ノストラダムスの自筆サインが見られる。処方箋の日付は1559年10月20日で、王母カトリーヌ・ド・メディチの近親者であるベジル司教l'évêque de Beziers (Hérault)当時36歳に宛てたものだ。évêqueとは「管区diocèse管理の最高聖職者」たる司教をいう。Héraultは辞書に「式部官、紋章官(王の命令の伝達・布告、宮廷諸儀式の取り決め、馬上試合の執行・審判、年代記・紋章鑑の管理などを司る役人)」とあり役人を兼ねた聖職者という地位である。セザール・ド・ノートルダムの伝記によれば、「1559年10月にはベジエの町に疫病が広がって七千か八千もの遺体が見られた」『プロヴァンスの歴史と年代記』783頁)とあり、記録に残っていないがベジエ地区を統括する司教からノストラダムスに疫病退治の要請があった可能性が高い。

 処方箋の内容に目をやると、ノストラダムスが病気を診断するにあたり占星術上の判断を考慮し、同時に医術(内科)と外科の知識を有していたことが窺える。ベジエ司教に対する処方の中身は一見して東洋医学に見られる灸術のように思われる。ヴォルフガング・ミヒェルの論文「ヨーロッパにMoxa(もぐさ)を紹介したバタビアの牧師 - ヘルマン・ブショフの生涯と著作について -」を読むと、今日残っているお灸に関する最初の記述は1584年の書簡であるという。そこには「火のボタン」(botao de fogo)に関する記述も見られ、ノストラダムスが示したものに非常に近い。同論文の冒頭に「東洋医学がすでに16世紀後半からヨーロッパで受容されていたことは、ニーダム・魯桂珍やその他の専門家でさえ認識していない」とあるが、ご覧のようにノストラダムスの処方箋はその片鱗を裏付けるものといえる。

 ヴォルフガングによると、「1603年に長崎で印刷された『日葡辞書』では初めて「もぐさ」という言葉が現れた。ここで、もぐさとヨモギは「火のボタン」を作るための薬草として説明され」ている。ブショフは自らの体験を基づいて1675年通風に効果のある治療薬として小冊子にまとめた。ノストラダムスが示した手法は、身体のツボ(?)にセイヨウキズタの葉っぱを乗せその上に消化薬を置いて「火のボタン」を患部に当てるという焼灼術であったようだ。処方箋のファクシミリは1995年にエリック・ヴェジィエが”Nostradamus au XVIe Siecle”の3番に簡単な注釈と共に刊行した。そのコピーは竹下節子著『ノストラダムスの生涯』119頁に引用されている。オリジナルはモンペリエにあるエロー公文書保管所Archives Departementales de l'Herault, Serie G 261.に保管されている。インターネット上でも「フランスの年代記」コンテンツでテクストが紹介されている。

 この処方箋に言及している著作は以下の通り。テクストの和訳に際して参照している。
 1 ピーター・ラメジャラー、田口孝夫/目羅公和訳『ノストラダムス百科全書』東洋書林、1998年、326頁
   地名・人名辞典の「ベジエ」の項目で処方箋について言及している。
 2 Pierre Brind'Amour, Nostradamus Astrophile, 1993, pp.451-2
   ブランダムールが典拠としたのは、Gouronが出版したDocuments inédits(未刊行の文書)pp.376-7である。
 3 Ian Wilson, Nostradamus The evidence, 2002, pp.138-140
   ブランダムールの著作から処方箋の一部を引用し英訳している。

  ORDONNANCE DU MEDECIN NOSTRADAMUS
(XVI siècle)
医師ノストラダムスの処方箋
(十六世紀)
1 Monseigneur, ayant calculé l'affaire de votre maladie, l'accordant avecques une triple voye, par voye de médicine, chirurgie, ensemble les accords de l'astrologie judicielle et naturelle, n'ayant obmys aulcungs aultres jugemens secretz non de mespriser. Et premièrement, pour parvenir au bot et à la fin de ce que préthendés, qui est parfaicte guérison de votre maladie, est neccessaire que premièrement dimenche, à une heure après midy, ayant disné à vostre acostumée, que vous soyt aplicqué ung botton de feu au lieu ou je vous ay monstré et touché avecques le doigt, et que le botton soyt comme sensuict (voir dessin), et que l'on ne le proffonde pas plus que porte le circuyt de la teste dudict boton, que après que l'aplication de cauthère ardant sera faicte, que le digestif soit faict avecques moyeau d'ung oeuf, huille rosat et burre frescq, que après que l'escarre, qui est la brusleure que le feu aura faict, sera tombé, y mectrés dedans ung patinostre d'argent qui soyt faict demy cuyvre et demi argent, et soyt mis dedans le trou jusques à ce que soyt tout profondre dedans, puis après prandrés une ou deux feulhes de Hedera parietis la plus large et plus frèche, et la mectrés dessus, et le bender avec une petite bende, et le pencer en vingt quatre heures une foys, du matin ou du soyr. 

閣下よ、あなたのご病気に関することについて算定しますと、三つの観点と一致しています。自然に基づく判断の正しい占星術の一致とともに医術的、外科的な観点においてです。他に考慮すべき秘密の判断には何も従っておりません。そして第一に、最後までたどり着くには、必要なことをおやりになればあなたの病気は完全に治癒します。

まず日曜日(1559年10月22日?)の一時頃普段通りに昼食を食べた後で、あなたは赤く熱いボタンを私が手で触れて指示した場所に当てることです。そしてこのボタンは次のようにしてください。(ここでノストラダムスは直角に曲がった棒に取っ手と遠端に小さいボールが付いたものの素描を提供している)その深部は前述のボタンの頭の一周によって伝わるに過ぎません。熱が塗布されると焼灼術(お灸)の効果が出るでしょう。

消化薬は卵黄、薔薇の油、新鮮なバターを混ぜ合わせて調合されています。熱を作り出す火付けとなる焼痂をしてから弱めます。半銅半銀製の銀メッキした一個のパティノートル(銀の数珠上の粒)のなかにそれを入れます。そして内部の十分な深部まで隙間の中に入れておきます。それからエデラ・パリティス(アイビー、セイヨウキヅタの高山の品種)の葉、もっと幅があってより新鮮な一葉か二葉を手に入れて、その上に置きます。そしてそれに小さな帯を巻いて、 24時間に一度、朝か夕方にそれを傾けてください。

2 Toutesfoys le soir, par lors que vous yrés coucher, sera le melheur, et le porterés continuellement, environ l'espace de sept moys, mais asseurés vous Monseigneur, que vous n'aurés pas porté l'espace de sept à huict jours lesdictes ouvertures aux deux jambes que vous sentirés tout à ung coup ung souverain àlègement, et la plus part d'icelle froydeur incluse dedans se perdra et cela non tant seulement vous proffictera à icelle maladie que vous prétendés, mais auqqi tant que porterés lesdictes fontames ouvertes, ne sentirés ne dolleur de teste, de cerveau, de fieuvre aulcune, ne mal d'espaules, d'estomach, ne de jambes, ne d'aulcune partie du corps, car a cecy ne si aproche médecine que soyt au monde concernant principallement ce faict.  毎晩あなたがベッドに入るときが一番いいのです。この治療をおおよそ七ヶ月の間継続して実行することです。しかし閣下よ、七日か八日間過ぎると、突然大きな苦痛が取り除かれたような感じになるでしょう。あなたは頭から或いは脳からはもう苦痛を感じることはないでしょう。発熱もなく、肩にも胃にも痛みがなく両脚も、身体のどの部分も楽になりましょう。げんにこの行為に関してとりわけこの世の医師が一切近づけない所なのです。
3 Je ne vous en fays plus long discours des vertus et efficaces que vous mesmes en peu de temps cognoistrés plus ample tesmonaige de la vérité. Aussi ne failhirés de user de la distilation que je vous escriptz que vous y trouverés ung souverain remède, vous en frotant matin et soir toute la nuque et tous les spondilles du dos jusques au dernier, et une partie des joinctures, priant à Dieu, Monseigneur, que vous doinct ce que plus désirés. わたしは効能と効果についてもう長々とお話しはいたしません。まもなくあなたも実際にもっと豊かな証を体感されるでしょうから。そのためには、あなたのために私が処方した蒸留を必ず使用することです。そこに本当の特効薬を認めるでしょう。朝晩それをご自分にすり付けることです。首の襟首全部と背中の脊椎を末端まで、関節部分をマッサージしながら。閣下よ、神に祈りながら。あなたが最も望んでいることを叶えてくださいますよう。
4 Faict à Bésiers, en faisant mon chemyn de Province à Narbonne, ce XXe octobre 1559.
Faciebat M.Nostradamus. Biterris, XX octobris 1559. Votre humble serviteur. M. de Nostre-Dame.

プロヴァンスからナルボンヌへの道すがら、ベジエにて作成プロヴァンスからナルボンヌへの道すがら、ベジエにて作成したもの、、1559年10月20日。

ベジエにてM.ノストラダムスによる作成、1559年年10月20日。敬具。M.ノートルダムより。


このページの最終更新日は 2005/02/27 です。

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