神戸iウォークに行きました
99’1.17
二日前に他の用事でたまたま私に電話をくれた友人を誘って、「こうべiウォーク」(第1回に)参加しました。当日の朝8時に最寄り駅に待ち合わせして、JR鷹取駅に向かいました。時間帯が良かったのか、新快速に乗り継いで1時間足らずで鷹取まで着いてしまいました。神戸に行くのは4ヶ月ぶりですが、電車で行くのは3年ぶりでしょうか。その頃は、川を越えると車窓から青いビニールシートがまだまだ目に付いていましたが、さすがに震災から4年もたつと、一枚のビニールシートもありませんでした。
10時大国公園集合でしたから1時間も早く着いてしまいました。この時間をどう過ごそうかと友達と話し合い、カトリック鷹取教会に行ってみることにしました。ついでにと言ってはいけないのかもしれませんが、日曜日のミサを覗いてみようと思いました。1月17日なのだから、きっと黒山の人だかりだろうと思っていたのですが、行ってみて驚きました。教会の敷地内には人影はまばらだったのです。司祭館の扉を開けて神父さんの名前を呼んでみましたが、返事がありません。救援基地やFMわいわいの周辺などをうろうろとしてみて、そのまばらの人影の中の一人に神父さんの所在を尋ねると、5時半のミサの後、休んでいるのだろうとの事でした。
それではと言うことで、鷹取駅前の喫茶店で時間を潰すことにしました。20分ぐらい喫茶店で過ごした後、大国公園に行きました。公園は老若男女問わずたくさんの人達で溢れていました。また、腕章をつけてマイクを持ったり、テレビカメラを肩に担いだ人も数人いました。受付で参加費を払ってガイドマップと追悼の意味の白いリボンを貰いました。そして、簡単にイベントの説明のあった後、「こうべiウォーク」のプラカードを持った人達を先頭に黒山の人だかりが動き出しました。
黒山の人だかりが一度に動き始めるのですから、最初は小股で歩き、少し歩くと横断歩道の信号や車の通行で立ち止まる状態で、ゆっくりゆっくりのペースでした。以前は更地の多かった鷹取地区は、真新しい一戸建て住宅が立ち並んでいて、更地はぽつりぽつりでした。更地は確実に減ったけれど、仮設住宅は現実にまだありました。私は正直なところ、テレビで見たり、電車の窓から見たことはあっても、仮設住宅を間近に見たのはこれが初めてでした。その仮設住宅には、洗濯物が干されていて、生活の匂いがしました。折れ曲がったアーケードの下も歩きました。そして、神戸共同病院で1個目のスタンプを押して貰いました。その後、一緒に歩いていた友人の体調が悪くなり、残念ながら新長田駅で彼女はリタイアしてしまいました。
彼女と別れて私は一人でトコトコと歩きました。次のスタンプは新湊川公園でした。ここまで来ると、黒山の人だかりは、次第にぽつりぽつりとした集団になり、自分のペースで歩くことが出来るようになっていました。誰かと競う訳でもなく、歩き続けました。
このiウォークは神戸の街の現実の復興を参加者に見てもらうという趣旨のもので、震災の爪痕の残っている場所の市場や商店街がルートの中に入っていました。何度もテレビで見たことのある菅原市場に着きました。残念ながら定休日なのかお店のシャッターは閉まっていました。一軒、一軒の店の閉まっているシャッターの上に相田みつをの詩の額縁がかけてありました。どれも人生の応援歌でした。
それからしばらくは道路沿いや電車の線路沿いのビルの建ち並ぶ道を歩きました。3個目のスタンプは喫茶ナフシャの前でした。ここでは、100番目のTシャツのお店があり、お財布の中身と密談を交わしてパーカーを一枚買いました。白い衣装を着た男性のパフォーマンスはまだまだ続いていて立ち止まって見つめる人を後にして、私は新開地に向かってまた歩き始めました。
新開地は淀川長治さんの育った場所だそうで、メインストリートには淀川さんの似顔絵とともに「神戸に淀川長治記念館を」と書かれたフラッグが沢山翻っていました。少し空腹感を覚えていた私はここで豚汁を頂きました。立ったまま豚汁をすするとお腹の芯まで暖まるようでした。
天気は快晴で、真冬なのに暖かでした。ハーバーランドやメリケンパークではアベック等若者が気ままに日曜日の昼さがりを楽しんでいるようでした。ここはもう、震災の足跡も爪跡も何もなく、この港を液状化までさせた震災が嘘のようでした。神戸のお洒落で洗練された都会の風を海から受けているようでした。青い海に青い空に、白いカモメが戯れる姿、可愛らしい子供を連れた人達、きれいな色のファッションの若者が通り過ぎていきます。在阪の某テレビ局の人にインタビューされて、逆に「どうして私はここを一人で歩いているのだろう」と思ってしまいました。
神戸に詳しくない私は、ガイドマップをちらちら見ながらゴールの東遊園地を目指しました。iウォークの参加者はすっかりまばらになってしまい、きょろきょろと捜さなければ、私の前を歩く参加者を見つけることが出来なくなり、頼りはガイドマップのみになりました。旧外人居留地をぬけて、ようやく東遊園地にたどり着きました。目標の1時丁度でした。3時間で鷹取から三宮まで歩くことが出来ました。東遊園地では、夕方から始まる復興や追悼のイベントのために白いテントが沢山並んでいました。そして蝋燭立てのための竹筒が地面に所狭しと立てられていました。私は最後のスタンプを押して貰ってアンケート用紙を記入した後、駅に向かってまた歩き出しました。
正直なところ、私は神戸のために何をしたのかと尋ねられると顔をあげられないような気がします。私の周りには、神戸にはボランティアの壁が出来てしまったと言う人がいます。でも、私はそれは違うと思うのです。人と人との壁は、その壁を感じている人自身が煉瓦を一つ一つ積み上げているのではないでしょうか。壁が出来れば、心に地震をおこせばいい。煉瓦を崩せばいい。きっと崩れた煉瓦の向こうには笑顔があると思います。